砕け散る天秤、敗北した“理”
俺の剣が天秤に触れた瞬間、神々の理が、甲高い悲鳴を上げた。
《精霊剣リアナ》は、もはやただの剣ではない。
俺と、仲間たち全員の魂、そしてリアナの想いが宿った、“想いの器”だ。それは、「AかBか」という神々の二元論的な理屈を、根本から否定する“第三の答え”そのものだった。
混沌でもなく、犠牲でもない。
『仲間と共に、新たな未来を創造する』という、神々の計算式には存在しなかった、あまりにも人間的で、非論理的な選択肢。
《エラー。エラー。未定義の変数を検知。論理体系に存在しない選択肢です》
《“絆”、“希望”、“愛”……定量化不能なノイズにより、因果律の計測がオーバーフローします》
俺の脳内に、オリオンの焦りの思考が、ノイズ混じりで流れ込んでくる。
《馬鹿な……! 天秤は、二つの事象を比較衡量するためにある! 中央に置くなどという選択肢は、論理的に存在しない……! それは、答えではない! ただの、システムの破壊行為だ!》
「違う!」俺は心の中で叫ぶ。「これは破壊じゃない! “創造”だ!」
黄金の天秤が、俺の剣が放つ温かい光に耐えきれず、ギシギシと軋み始める。
天秤の両皿に映し出されていた『混沌の未来』と『犠牲の上の平和』の幻視が、ノイズの走った映像のように乱れ、やがて砕け散った。
パァァァァァンッ!!!
《未来を識る天秤》は、澄み切った鐘の音のような、甲高い音と共に砕け散り、無数の光の粒子となって音のない空間に消滅した。
神々の試練、そのものが、俺たちの“想い”の前に、砕け散ったのだ。
そして、音が消えたはずの世界に、初めて“風”が吹いた。
それは、生まれたばかりの赤子のように、穏やかで、優しい風だった。
オリオンは、その光景を、呆然と見つめていた。
彼の背後にあった六枚の光の翼は、その輝きを失い、力なく垂れ下がっている。
《……理が……砕かれた……。私の計算を超える、答え……だと……?》
彼は、俺たちの前にゆっくりと膝をついた。
それは、力による敗北ではない。
自らが絶対と信じていた“理”が、覆されたことによる、完全な敗北だった。
神々のシステムが、俺たち人間の“心”に負けた瞬間だった。
「……見事だ、人の子よ」
初めて、彼の思考に、冷徹な理屈以外の“感情”が混じった。
それは、悔しさであり、そして、ほんの少しの……畏敬の念だった。
「お前たちの“想い”は、神々の理を超えた。……もはや、私が止める理由はない。私のシステムでは、お前たちの行動原理を、そしてその結末を、予測することができないのだから」
彼は立ち上がると、砕けた天秤の奥に、その手をかざした。
すると、何もない空間が水面のように揺らぎ、星屑を散りばめたような、輝く光の扉が出現した。
扉の向こうからは、穏やかで、しかしどこか哀しい気配が漂ってくる。
「行け。世界の根幹、《魂の揺り籠》へ」
オリオンの声は、もはや審判者としてのものではなかった。
ただ、物語の結末を見届けようとする、一人の観察者の声だった。
「魔王の魂は、世界の哀しみの集合体。聖女の魂は、世界の慈愛の集合体。矛盾する二つが、千年の間、互いを縛り続けている。私の理屈では、そのパラドックスは解けなかった。……だが、お前たちなら」
彼は、俺を、そして俺の後ろに立つ仲間たちを、一人ひとり見つめた。
「お前たちが紡ぐ物語の結末を、この私に見せてみろ」
オリオンはそれだけを告げると、静かに光の中へと姿を消した。
祭壇には、俺たちと、目の前に佇む光の扉だけが残された。
「……行ったな」
「ええ。でも、なんだか……彼の背中、少しだけ寂しそうに見えましたわ」
クラリスの言葉に、俺は何も答えなかった。
彼もまた、神々の理という名の、孤独な牢獄に囚われていただけなのかもしれない。
俺は、仲間たちを振り返った。
誰もが疲弊しきっていたが、その瞳は、確かな達成感と、次なる決意の光に満ちていた。
「……やったのね、私たち」
ルーナが、涙を浮かべながら、最高の笑顔で言った。
「ああ。俺たちだけの力じゃない。リアナが、そして神柱たちが、信じてくれたおかげだ」
俺は、光の扉へと向き直る。
ここが、本当の最終決戦の地。
魔王を倒すためじゃない。神々を断罪するためでもない。
千年間、独りで泣き続けてきた、哀れな魂を救い出すために。
「行くぞ、みんな」
俺の言葉に、仲間たちは力強く頷いた。
俺たちは、互いに視線を交わし、そして、光の扉へと、共に一歩を踏み出した。
世界の最も深い場所、魔王とリアナの魂が眠る、最後の聖域へ。
俺たちの、本当の戦いは、ここから始まる。




