君だけの楽園、そして“欠けた”幸福
気がつくと、俺は玉座に座っていた。
硬質な感触ではない、まるで雲の上にいるかのような、柔らかな玉座。
隣には、純白と黄金で彩られた美しい王妃の衣装に身を包んだクラリスが、幸せそうに微笑みながら俺に寄り添っている。
「イッセイ……我が王。ご覧ください。貴方様が治めるこの国は、今日も平和に満ちていますわ」
彼女が示す窓の外には、活気に満ちた美しい城下町が広がっていた。戦争も、貧困も、魔物の脅威もない、完璧な世界。人々は誰もが笑顔で、俺たちの名を讃えている。
そして、俺は彼女の夫であり、この国の王……?
(……そうだ。これが、俺が望んだ一つの形……。誰も傷つかず、誰もが笑っていられる世界。そして、クラリスのこの幸せそうな顔……)
込み上げてくる幸福感に、俺は目を細める。だが、その幸福感の片隅で、まるで小さな棘が刺さったかのように、ちくりとした違和感が疼いていた。
「本当に、夢のようですわ。……あなたとこうして、国を治めることができて」
クラリスは、うっとりと俺の肩に頭を預けてくる。その仕草一つひとつが、愛おしくてたまらない。
「ああ。……だが、少し静かすぎないか?」
「まあ。平和とは、そういうものではなくて?」
「いや……そうなんだが……。なんだろうな。もっと、こう……騒がしい声が、聞こえてきてもいいような……」
俺がそう言うと、クラリスは不思議そうに首を傾げた。
「騒がしい声、ですって? 例えば、どなたの?」
「例えば……ルーナとか、リリィとか……」
俺がその名を口にした瞬間、クラリスの表情が、ほんの少しだけ曇ったように見えた。
「……ルーナ? リリィ? ……存じ上げない名前ですわね。イッセイ、この城には、わたくしと貴方様以外、必要な者などおりませんのに」
その言葉に、俺の心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。
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その頃、リリィは世界経済の中心、天を突くかのような巨大な商会の会長室にいた。
机の上には、世界中から届いた感謝の手紙と、天文学的な数字が記された業績報告書。
「ぷるぷるスライムケア」は世界を席巻し、彼女は世界一の大商人として、その名を歴史に刻んでいた。
「リリィ会長、次なる事業計画、完璧です! これであと百年は、あなたの帝国は安泰でしょう」
隣で分厚い資料を差し出すのは、有能な秘書となった俺だった。
その瞳には、彼女への絶対的な尊敬と信頼が宿っている。
「ふふん、当然でしょ! あたしにかかれば、世界を笑顔にするなんて簡単よ!」
リリィは胸を張る。最高の成功。最高の相棒。これ以上、何を望むというのか。
(……やった。あたし、やったんだわ。もう、誰にも馬鹿にされない。誰にも見下されない。あたしが、世界の頂点……!)
だが、彼女もまた感じていた。この完璧な成功譚に、何かが決定的に“欠けている”ことを。
「よし、イッセイ! 今日の仕事はここまで! 祝杯よ! フィーナとミュリルを呼んできて! 今夜は朝までパーっと騒ぐわよ!」
リリィが快活に叫ぶと、秘書の俺は困ったように眉を下げた。
「……会長? フィーナ……ミュリル……とは、どなたのことでしょうか? 会長の祝杯のお相手は、わたくしでは不足だと?」
その寂しげな声に、リリィの心臓が冷たくなる。
(……あれ? あたし、今、誰の名前を……?)
そうだ、いつもなら、こういう成功を一緒に喜んでくれる、騒がしくて、手のかかる仲間たちがいたはずだ。
その笑顔がない祝杯など、ただの苦い酒でしかない。
偽りの楽園は、他のヒロインたちにも、それぞれが望んだはずの“完璧な幸福”を与えていた。
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サーシャは、平和を取り戻した故郷ヒノモトで、生きている兄と共に剣の稽古に励んでいた。
隣には、彼女の剣の道を理解し、静かに見守る師範代の俺がいる。
だが、ふとした瞬間に、口をついて出てしまうのだ。
「セリア殿の守りの剣技も、参考にすべきかもしれんな」と。
その度に、兄も、俺も、「セリアとは誰だ?」と不思議そうな顔をする。
その度に、彼女の心に、言いようのない喪失感が広がっていった。
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ルーナは、俺と共に、誰にも縛られない自由な冒険の旅を続けていた。
毎日が刺激的で、毎日が新しい発見に満ちている。
だが、豪華な食事を二人きりで囲む時、ふと思ってしまうのだ。
「こういう時、クラリスがいたら、テーブルマナーがどうとか、うるさく言ってきて面白いのに」と。
その度に、隣の俺は「クラリス? 誰だい、それ。
僕たちの旅に、邪魔者は必要ないさ」と笑う。その笑顔が、なぜか彼女には、ひどく寂しいものに見えた。
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シャルロッテは、穢れを知らない大森林で、精霊たちと歌い、穏やかな日々を送っていた。
隣には、彼女の知識を尊敬し、共に精霊学を研究する学者の俺がいる。
だが、人間の世界の話をする者が誰もいない。彼女が架け橋になろうとしても、その相手がいないのだ。
「イッセイさん、リリィさんなら、この薬草を高く売れるかもしれませんわね」
そう口にしてから、リリィという存在がこの世界にいないことに気づき、彼女の胸はきゅっと痛んだ。
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フィーナとミュリルは、日当たりの良い、お菓子でできた家で、優しい俺に甘やかされる毎日を送っていた。
毎日がおやつで、毎日がお昼寝。
これ以上ない幸せ。だが、歌を歌っても、絵を描いても、それを見て「すごい!」と一緒に騒いでくれる仲間がいない。
二人と俺だけの、あまりにも静かで、小さな世界。
その幸福は、やがて二人を言いようのない退屈と寂しさで満たしていった。
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誰もが、自らが望んだはずの“完璧な幸福”の中にいた。
しかし、その幸福には、共に旅をしてきた、かけがえのない仲間たちの姿がなかった。
一人だけの楽園は、やがてその輝きを失い、居心地の悪い“牢獄”へと、その姿を変え始めていた。
そして俺もまた、その牢獄の中心で、決して答えの出ない“選択”を迫られ続けていたのだった。




