エピローグ 黄昏の空の下、新たな旅路へ
その夜、俺たちは古代遺跡で焚火を囲んでいた。
空には、王都では決して見ることのできない、神代の星座が紫色の天幕に無数に輝いている。
まさに、神々の黄昏。世界の秩序が、そして俺たちの旅が、大きく変わろうとしている予感がした。
オリオンとの激戦で負った傷は、フィーナの癒しの魔法と、この大地に満ちる不思議な力のおかげで、少しずつ癒えてきていた。だが、魂に刻まれた衝撃は、まだ生々しく残っている。
神々の罪、魔王の真実、そして調停者を名乗る男が突きつけてきた、あまりにも過酷な試練。
「……イッセイ様」
俺の隣に座ったクラリスが、静かに口を開いた。焚火の炎が、彼女の真剣な横顔を赤く照らしている。
「わたくし、王族として“犠牲”の必要性を学んできました。国を守るためならば、時に非情な決断も必要だと。……ですが、それは、本当に正しいことなのでしょうか」
彼女の瞳は、これまでにないほど深く、真剣に揺れていた。
王として守るべき秩序と、人として許せない理不尽。
その天秤の上で、彼女の心が揺れているのだ。
俺は、焚火の炎を見つめながら答えた。
「正しいかどうかなんて、俺には分からない。神様でもない、ただの転生者だからな。でもな、クラリス。誰かが独りで泣いているのを、見て見ぬふりをするような世界は、間違ってる。俺は、そう思う。だから、行くんだ。たとえ神に逆らうことになったとしても」
俺の言葉に、クラリスはそっと微笑んだ。その笑みは、迷いが晴れたかのように、とても澄んでいた。
「……ええ。わたくしも、そう思いますわ。……いいえ、あなたと共にいるうちに、そう思うようになったのです」
彼女はすっと立ち上がると、俺の前に立ち、スカートの裾を優雅につまんで一礼した。
「我が剣と、我が王家の名誉にかけて誓います。わたくしは、あなたの信じる正義の、最初の臣下となりましょう。どこまでも、お供いたしますわ」
その誓いは、もはや王女としてのものではなく、一人の女、クラリスとしての魂の言葉だった。
そのやり取りを見ていたルーナが、ふふっと楽しそうに笑った。
「あらあら、姫様が臣下になっちゃったら、あたしはどうしようかしらねぇ」
彼女は立ち上がると、俺の背後に回り込み、肩にこてんと頭を乗せてきた。
「あたしはね、イッセイくん。難しい理屈はよく分からない。でも、あんたがやろうとしてることって、要は『世界規模の馬鹿でかいお節介』でしょ? すっごく面白そうじゃない!」
「……お節介、か」
「そうよ。神様が決めたルールブックを破り捨てて、『あたしたちのやり方でハッピーエンドにしてやる!』って言ってるようなものよ。最高にロックだわ。だから、あたしはあんたに賭ける。あんたっていう、最高のエンターテイメントにね。だから、最後まであたしを楽しませる責任、取ってよね?」
悪戯っぽく笑う彼女の瞳の奥には、絶対的な信頼の光が宿っていた。
「あたしは、投資家として、かな」
リリィが、燃える薪をじっと見つめながら言った。
「神様のやり方、つまり一人の犠牲で回すシステムは、ハイリスク・ノーリターンよ。いつか必ず破綻する。でも、あんたのやり方は、全員を救うっていう、無謀で、クレイジーで、とんでもないローリターンかもしれない投資。……でもね」
彼女は顔を上げて、にっと笑った。
「成功した時のリターンは、お金じゃ買えない“笑顔”でしょ? そんな最高の商売、乗らない手はないわ。あたしの全財産、いいえ、あたしの全部、あんたに投資する。だから、絶対に世界一の“幸せ”をあたしに見せなさいよ!」
「うむ」
静かに、しかし力強く、サーシャが立ち上がった。彼女は刀を抜き、その切っ先を地面に突き立てると、片膝をついた。
「神の理も、調停者の言葉も、拙者の魂には響かぬ。拙者が信じるのは、我が主君、イッセイ殿の言葉のみ。あなたが神々に弓を引くというのなら、拙者の刃は神をも斬り裂く刃となりましょう。この命、あなたと共にあります」
その隣で、セリアもまた、音もなく立ち上がっていた。
「……私は、難しいことは分かりません。ですが、私の主君はイッセイ様、ただお一人です。神であろうと悪魔であろうと、イッセイ様に敵対する者は、全て私が排除します。……これは、任務です。……ですから、その……あまり、無茶はしないでください。心臓に、悪いので……」
最後はか細くなる声で、彼女はそう付け加えた。その不器用な忠誠心が、今は何よりも頼もしかった。
「……精霊たちが、歌っています」
シャルロッテが、目を閉じたまま、うっとりと呟いた。
「神々の理は冷たく、凍てついている。でも、あなたたちの想いは、温かい風となって、この大地を包んでいる、と。……わたくしは、その風の声を、世界に届ける架け橋になります。イッセイさん、あなたと共に」
「ボクも!」
「あたしも!」
フィーナとミュリルが、同時に叫んだ。
「魔王様が、独りで泣いてるなら、ボク、歌ってあげるウサ! 『独りじゃないよ』って、一番大きな声で!」
「ミュリルも、隣で丸くなってあげるにゃ。独りぼっちの寒さを、あたしは知ってるから。だから、もう誰にもそんな思いはさせないにゃ!」
一人、また一人と、仲間たちが自らの想いを、誓いを、言葉にしていく。
そのすべてが、焚火の炎よりも熱く、俺の心を焦がした。
俺は、こんなにも強い想いに、支えられていたのか。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、隣に突き立てられていた《精霊剣リアナ》を、そっと握りしめた。
剣が、応えるように、微かな光を放った。
その光の中に、一瞬だけ、リアナの優しい笑顔が見えた気がした。
彼女もまた、この光景を、どこかで見守ってくれているのかもしれない。
「……ありがとう、みんな」
俺は、仲間たちを一人ひとり見つめて、言った。
「俺は、独りじゃない。俺たちの旅は、ここからが本番だ。神々が作った哀しい物語は、俺たちの手で終わらせる」
俺は、剣を天に掲げた。
「そして、俺たちの手で、新しい物語を始めるんだ!」
俺たちの新たな、そしておそらく最も過酷な旅が、今、始まった。
黄昏の空の下、揺らめく焚火を囲んだ俺たちの誓いは、やがて神話となる、新たなる伝説の第一歩だった。