理の異なる大地と、沈黙の巨人
飛空艇《アルセア号》が《始まりの大陸》に降り立った瞬間、俺たちは世界の“異質さ”を肌で感じた。
空気が濃い。
それは魔素ではない、もっと根源的な“存在の力”――マナともプラーナとも違う、神代の息吹そのものに満ち満ちていた。足元の地面は柔らかい苔で覆われているが、踏みしめると水晶のように硬質な感触が返ってくる。
「……すごい。魔法が、いつもと違う挙動をするウサ」
フィーナが驚きの声を上げた。彼女が試しに手のひらに灯した癒しの光は、球状になることなく、ふわりと解けて無数の光る蝶の形となって舞い踊る。その幻想的な光景に、彼女自身が目を丸くしていた。
「わわっ、わたしのヒールが、ファンシーな召喚獣みたいになったウサ!?」
「あたしの攻撃魔法もよ!」
リリィが指先に灯した小さな火球は、燃え上がることなく、ぽとりと地面に落ちて、ずっしりとした重みのある光る石ころに変わってしまった。
「ちょっ……! あたしの魔力が文鎮に!? こんなのコストパフォーマンス最悪じゃない!」
どうやら、この大陸では俺たちが知る魔法の常識は通用しないらしい。
術者の“意志”が、この大地に宿る根源的な“理”によって、全く別の“現象”に書き換えられてしまうのだ。
(……まるで、OSが違うコンピュータで無理やりアプリを動かしてるみたいだな。コマンドは同じでも、返ってくる結果が予測できない)
俺が前世の知識で状況を分析していると、セリアが険しい顔で自身の周囲を警戒していた。
「……これは厄介ですね。魔術による身体強化を試みましたが、効果が発動する前に足元の地面が凍結しました。法則性が皆無です。これでは、戦闘時のリスクが計測不能……!」
その言葉通り、彼女の足元だけが薄氷に覆われている。ここは、あらゆる常識が通用しない世界なのだ。
俺たちは、聳え立つ古代遺跡群へと足を踏み入れた。
人の手によるものとは思えぬほど巨大な石造りの建造物。
風化の痕跡が一切なく、まるで昨日建てられたかのように、その威容を保っている。
だが、そこに生命の気配はなかった。鳥の声も、虫の音すらしない。
ただ、時折、大地そのものがゆっくりと呼吸するかのように、微かに振動する感覚があった。
「……静かね。静かすぎて、逆に不気味だわ」
ルーナが俺の腕にそっと寄り添いながら、囁いた。彼女の鋭い感覚も、この静寂の中では敵意の有無を判別できずにいるようだった。
「ええ。ですが、この静けさ……どこか、神聖なものを感じますわ」
クラリスは、遺跡の壁に刻まれた、見たこともない紋様を指でなぞりながら、畏敬の念を瞳に宿していた。
その、瞬間だった。
「……イッセイくん、あれ……」
ルーナが息を呑み、前方の一点を指差した。
俺たちの目の前には、小高い丘があった。緩やかな起伏を描き、頂には古木が数本生えている、ごく普通の丘だ。……いや、違った。その“丘”が、ゆっくりと、しかし確実に、“動いて”いたのだ。
ゴゴゴゴゴ……と、地鳴りのような音と共に、丘だと思っていたものがゆっくりと“起き上がった”。
大地が隆起し、木々が揺れ、山肌に当たると思っていた光が、巨大な“顔”を照らし出す。
それは、山のように巨大な、岩石でできた巨人だった。敵意はない。
ただ、悠久の時をそこで過ごしてきたかのように、その二つの巨大な瞳(それは洞窟のようだった)で、静かに俺たちを見下ろしている。
「…………」
誰もが、言葉を失った。圧倒的な存在感。それは、ドラゴンや魔王といった“強者”とは全く違う。
自然そのもの、世界そのものが、意志を持ってそこに顕現したかのような、絶対的なスケール感だった。
「……原初の精霊……!」
シャルロッテが、畏敬の念に打たれたように呟いた。彼女の声は震えていた。
「神話にのみ語られる存在……この大陸の“理”を守り、世界が生まれる前から存在していたと言われる……まさか、本当に……」
彼らこそ、この大陸の“理”そのもの。俺たちの常識では測れない、神代の存在だった。
皆が呆然と立ち尽くす中、俺はヒロインたちの様々な反応を感じ取っていた。
クラリスは、王女としての好奇心と威厳を瞳に宿していた。
「これが、神代の……。王家の書庫に眠る、最古の石版にすら、その姿は描かれていませんでしたわ。……わたくしたちは今、歴史そのものと対峙しているのですね」
(さすが姫様、肝が据わってる。だが、その声、少し震えてるぞ)
ルーナは、恐怖よりも純粋な好奇心で巨人を見上げていた。
「へぇ……大きい。でも、怒ってる感じはしないわね。なんだか、すごく眠そうな顔してる。……もしかして、私たち、お昼寝の邪魔しちゃったのかしら?」
(その発想はなかった。確かに、ただの寝起きに見えなくもないが……)
リリィは、すでに商魂たくましい目で巨人を“査定”していた。
「ちょ、ちょっと待って……あの身体、全部岩よね? ってことは、中にどんな鉱脈が眠ってるか……いやいや、不敬よあたし! でも、もし仲良くなれたら、この大陸の資源の独占採掘権を……!」
(頼むからやめてくれ。神様相手に商談を持ちかけるなよ)
セリアとサーシャは、護衛として、そして武人としての視点で巨人を捉えていた。
「……脅威レベル、計測不能。戦闘は、選択肢にすら入りません。イッセイ様、万が一の際は、私が盾になります」
「うむ。あれは、斬るべき対象ではない。山に剣を向けるが如し。我らはただ、その意志を待つのみ」
(二人とも、冷静な判断だ。助かる)
そして、フィーナとミュリルは、子供のような純粋な瞳で、ただただその光景に圧倒されていた。
「おっきい……ウサ……。なんだか、森のおじいちゃん、みたい……」
「にゃ……。古い石と、お日様の匂いがするにゃ……。怖くない……ただ、すごく、すごく、そこにいる……って感じだにゃ……」
(……一番本質を捉えているのは、この二人かもしれないな)
俺たちが武器を構えることもできずにいると、そのうちの一体が、ゆっくりとこちらに手を差し伸べてきた。
その手は、それだけで俺たちの飛空艇よりも巨大だった。
山が動くようなその光景に誰もが身構えたが、その動きは驚くほど優しかった。巨大な指先が、俺の腰に差した《精霊剣リアナ》に、そっと触れた。
その瞬間、剣が、キィン、と澄んだ音を立てて、淡い光を放ったのだ。
まるで、旧知の友と再会したかのように――。