風に舞う決意、繋がる魂
「風って、こんなにあたたかいものだったんだね」
リリィが微笑みながら、頬に流れる風を感じていた。
彼女の“風の詩”から数日。方舟全体を包んでいた緊張感は、ゆるやかに溶けていた。
しかし――。
「……変ね。まだ、何かが引っかかってるウサ」
フィーナが風の流れに耳を澄ます。ピクリと耳が動いた。
「風そのものは穏やかになったけど、根っこの方に……濁りが残ってる。奥底に、声が閉じ込められてるウサ」
「“声”? それって精霊の?」
イッセイの問いに、フィーナはこくりと頷く。
「そう……誰かが、まだ“助けて”って呼んでる気がするウサ」
「じゃあ、そこへ行かなきゃだね。――風の奥、魂の在処へ」
シャルロッテが結界の書を開きながら、視線を《風の根》へと向ける。
エリュアも静かに歩み寄ってきた。
「……“王の魂”が、まだ完全には目覚めていない。
このままでは、いずれ再び風は乱れ、空は墜ちる……」
「そうなる前に、止める」
イッセイは強く言った。
「“空の命”を、もう誰にも壊させない。僕たちで……守る」
彼の言葉に、仲間たちも頷いた。
「ふふん、スパを空の名物にするまでは、倒れられないからね」
「……なにかが違うような気もするけど……まあ、うん」
セリアが呆れつつも、リリィの肩をぽんと叩く。
「さて、じゃあ行こうか。王の魂に、僕たちの声を届けに」
イッセイたちは再び《風の祭壇》へと向かった。
* * *
最奥の祭壇に再び立つと、あの日と同じように風が渦巻いた。
ただし今回は違った。
「――“風の継承者たち”よ、問う」
低く、確かな声が空間に響く。
「お前たちは、風の自由を知っているか? 風の痛みを知っているか? 風に、命を見たことはあるか?」
イッセイは一瞬、言葉を失った。
その声は、誰でもなかった。
まるで“この世界そのもの”が彼らに問いかけているようだった。
「自由……痛み……命……」
シャルロッテが、かすかに震える声で呟いた。
「風は、ただの空気の流れじゃない。……命なんだ。想いなんだ」
「うん。出会ってきた風は、どれも誰かの願いだった」
イッセイが前に出る。
「僕は……守りたい。この空を。この風を。この場所を――」
「その言葉が、真実かどうか。試してやろう」
ゴォッ……と突風が吹き荒れた瞬間、周囲に十二の石柱が浮かび上がる。
その中心に、ひときわ輝く風の渦が現れた。
「これが……“風王の魂”……?」
リリィが震える声で呟く。
「ちがう。これは“魂のかけら”……まだ全ては戻っていない。
けれど、その一部が、お前たちに応えるために姿を現す」
風の渦が凝縮され、少女の姿をとった。
透き通る髪、風の羽衣、金と白を基調とした鎧――
それはかつて神柱として自らを封印した者、“ヴェイア”とは異なる存在だった。
「……あなたは……誰?」
「私は“シリル”。第二柱《逆流の風》の守人」
少女は静かに目を開け、イッセイたちを見つめた。
「この世界がかつて失った風の記憶を、私はここで眠りながら守っていた」
「……記憶?」
「そう。風王が堕ちたその日から、この空は“自分自身の記憶”を封じたの」
シリルは、ひとつ深呼吸するように風を吸い込んだ。
「だが、思い出した。君たちの声で。君たちの歌で。――私は、帰ってきた」
「帰ってきたなら、お願いがある」
イッセイが一歩、踏み出した。
「この空を守りたい。風王を目覚めさせたい。そのために、君の力を貸してほしい」
「それは、簡単なことではないわ」
シリルの目が、鋭く光った。
「あなたたちに“風の記憶”を託すこと、それはつまり、“風の重み”を背負うことになる」
「構わない。僕たちには、風を守りたい理由がある」
「理由……?」
「この空に生きる人たちがいる。
エリュアも、アエリス族も、精霊たちも――リリィも、シャルロッテも、皆がこの空を好きになった。
それを……絶対に失わせたくない」
イッセイの声は、空にまっすぐ伸びていく。
「ならば……証を見せて」
シリルは軽く右手を振ると、風が剣に変わった。
「私と戦って。“契約の試練”――魂を、重ねてみせて」
ゴォッ――!
風刃がイッセイに向かって飛ぶ。すぐに彼は魔導障壁を展開し、同時にセリアが援護に走る。
「来るってわかってたけど……これが“風柱”の力……!」
「でも、怖くない!」
リリィが叫ぶ。
「風が、あたしに教えてくれたもん! この空が、あたしたちを選んでくれたって!」
「だったら、歌ってくれ、リリィ!」
イッセイが叫ぶと同時に、再び風が渦巻く。
「“契約の歌”を!」
リリィは、音叉を握りしめ、口を開いた。
「――風よ、忘れないで。君が愛した空を。
私たちが、その続きを守るから――!」
風の流れが止まり、空が光に満ちた。
シリルの剣が停止し、彼女の瞳が、ほんの少し潤んだ。
「……いい歌。思い出したわ。かつて私が風王と交わした、誓いの旋律」
そして、シリルはゆっくりと頭を下げた。
「私は目覚めよう。風王を導く十二の柱のひとつとして。
次の地で、次の記憶と出会いなさい。“風の継承者”たちよ」
イッセイは、小さく深呼吸して微笑んだ。
「ありがとう、シリル。……次も、必ず見つける」
風が吹いた。
それは確かに、祝福のようだった。