風王の記憶、空に響く詩
風が渦を巻いていた。
それは怒りでも拒絶でもなく、試すような、迷いのような、あるいは…寂しさのような風だった。
「これが……風王の残滓……」
イッセイの足元を滑るように抜けた風が、彼のマントをふわりと翻した。
その向こう――風詩の巫女は、静かに祈るような構えで立っていた。
「私たちは、誰かを拒むために封じられたのではない。風が、空が、誰かを選ぶために私をここへ導いた――ならば、確かめさせて。あなたたちが、“空を託す”に足る者かどうかを」
その声は澄んでいて、それでいて、ほんの少し震えていた。
「いくぞ!」
イッセイが風を裂いて駆け出す。後方では、シャルロッテとセリアが連携して結界を張る。
「前線は任せたわ、イッセイ!」
「援護はお任せを……っ!」
シリルが風を歌に乗せて放つ。音の刃が空間を震わせ、視界に風の縞模様が走る。まるで空そのものが断絶するような一撃――。
「風圧じゃない……“音の重力”か!」
イッセイは咄嗟に地を蹴り、回避。反撃の光刃を放つが、それすら風に吸われて逸れていく。
「にゃははっ、こっちも派手にいくにゃ!」
ミュリルが気配を読んで先回りし、足元から魔力煙幕を展開。
だが――
「甘い!」
風が空間ごと抉れ、煙幕ごと切り裂かれる。
「っ……こ、この風、容赦ないウサ……!」
「怖いか?」
イッセイの問いに、フィーナがぎゅっと唇を噛んだ。
「ちょっとだけ。でも、それでも、進むウサ!」
フィーナの小柄な身体が、風の流れに飛び込み、両腕を広げるように風を受けた。
「ねぇ……本当は、寂しいんじゃないの? ねぇ、シリルちゃん!」
フィーナの叫びに、一瞬、風が揺らいだ。
「え……?」
「歌で閉じこもってたんでしょ? 本当はずっと、誰かが来るのを待ってたんじゃないの!? だから、そんなに優しい風なんじゃないのウサ!!」
「…………!」
シリルの瞳が、揺れる。
その時――
「リリィ、今よ!」
「任せて!」
リリィがイッセイに向けて《音叉》を放る。それは空を裂いて弧を描き、イッセイの手に収まる。
「シリル。君の歌に、応えたい。風は自由だけど、誰かと響き合うことで初めて、世界を変える力になる。俺たちは――」
《――その力を、証明してみせる!》
叫ぶと同時に、イッセイが《音叉》を振るい、共鳴の波をシリルへとぶつけた。
風が――震えた。
その瞬間、静寂が訪れた。
「……これは……」
シリルが、自らの胸に手を当てる。
「……歌が……応えた。あの時、ずっと待っていた……風の向こうに、届く声を……。ようやく、会えた……」
風の衣がふわりと解け、彼女の姿が微かに揺らぐ。
「……ごめんなさい。これが……私なりの、“目覚め”だったの……」
彼女の目から、一滴の涙が零れた。
イッセイはゆっくりと歩み寄る。
「ありがとう、目覚めてくれて」
「うん……私も、ありがとう。あなたが、声を届けてくれたから……」
彼女の胸元から、光があふれる。それはまるで、天空に返る風そのもののように。
「これが……風王の記憶?」
シャルロッテが見上げた先、空に現れたのは、かつての十二神柱が並び立つ幻影。
その中央、優しく笑う“風王”の姿。
「風王は、戦いの神ではなかった……“風と空をつなぐ調和の象徴”だったのね」
「風が、世界を包むように……」
セリアがそっと呟く。
そして――
「……残る十柱も、眠ってる。皆が目覚めれば、風王も……」
「そうね。これは、まだ始まりに過ぎない」
シリルはゆっくりと頷いた。
「私は、ここで風の詩を守る。けれど、これから目覚めていく仲間たちの声が、きっと空を変える……。だから、あなたに託す」
イッセイの手の中で、《風王の音叉》がさらに輝きを増した。
「ありがとう。必ず、繋いでいくよ。風の未来を――」
風が、彼らの背を押すように吹き抜けた。
そしてイッセイたちは、新たな旅路を胸に刻みながら、《風歌の窟》を後にした。
その空は、かつてよりも――ずっと澄んでいた。