風詩の巫女、眠れる旋律
「この先に……《風歌の窟》があるって、神柱が……」
リリィの声が、淡い風の音に溶けていく。イッセイたちは、風の神柱の指し示した方角に従い、《風王の音叉》を手に、空の裂け目へと続く渦巻く風の流路を進んでいた。
「空気が……柔らかいのに、どこか切ない」
フィーナが耳を澄ませる。「風の音が……泣いてるウサ」
「確かに、ただの気流じゃない……これは、“旋律”だ」
シャルロッテは目を細めながら風の粒子を読み取る。「どうやら、誰かが“歌”を残したまま眠っているらしい」
「……じゃあ、そこにいるのは……次の神柱、ってことか」
イッセイは思わず《音叉》を握りしめた。
それは確かな共鳴を返し、今までの神柱たちとは違う“気配”を響かせる。どこか、哀しげで、懐かしい――そんな、旋律。
《風歌の窟》は、巨大な風の洞窟だった。音叉が導くように歩みを進めるごとに、壁面に彫られた無数の紋様が淡く光り始める。
「……この場所、空の民にすら伝わってない秘境よ」
シャルロッテが言う。「そして……この歌……」
――♪ 風よ めぐる命に ゆるしを
空よ 還る夢に こたえを――
声が、響いた。
「っ、誰か……歌ってるウサ!?」
「いや……違う、これは――」
イッセイの音叉が強く鳴動した。
そして、風の中心――洞窟の奥に設けられた、神聖な舞台のような場所。そこにひとり、静かに膝を抱える少女がいた。
長く、淡いミントブルーの髪。目を閉じて、ゆるやかに呼吸するその姿は、まるで“歌そのもの”のようだった。
「……眠ってる?」
「いえ、違う」
シャルロッテが一歩前に出る。「意識は、歌の中にいる。あの旋律に、閉じこもってるのよ。自分で、自分を封じたのかも」
「……じゃあ、どうすれば……」
イッセイの問いに、セリアがぽつりと答える。
「歌には……答えてあげるしかない。呼びかけに、心で、返す……」
「なるほどにゃ。恋文の返事みたいなもんにゃ」
「それはちょっと違う気がするけど……」
ミュリルの軽口に、誰もが苦笑する。
イッセイは深く息を吸い、《音叉》を構えた。
「俺たちも……歌おう。風の民じゃなくても、声は、届くはずだ」
「なら、リリィがリードするわよ。商売の声張りで鍛えてるんだから!」
「にゃはっ、じゃあフィーナはコーラス担当ウサ!」
「……仕方ない、私も混ざるわ」
セリアの珍しく優しい声に、全員が驚きつつ笑った。
そして――
イッセイたちは、歌った。風の中で、響き合うように。想いを重ねるように。眠る少女に届くように。
――♪ 風よ 迷いを越えて つなげて
空よ 君の歌に 応えて――
その時。
少女のまぶたが、そっと開かれた。
瞳は、まるで朝焼けのような淡い金色。そして、微かに震える声で、彼女は呟いた。
「……だれ……あなたたちは……?」
「イッセイ・アークフェルド。王都から来た。君の歌に導かれて、ここに来た」
「……イッセイ……」
少女の口元に、ほんの僅かな笑みが浮かぶ。
「わたしの名前は……ティレシア。風詩の巫女。……いいえ、違う。……“眠れる神柱”、シリル……」
彼女の身体から風の光が舞い上がり、周囲に結界が展開される。
「試すのね……私たちを」
「ええ」
シリル――ティレシアは、風に乗せてささやいた。
「私の旋律に、最後まで寄り添えるなら……風王の座に進む資格がある」
「その勝負、受けて立つにゃ!」
「……うん。歌でつながったんだ。今度は、力でも伝える」
イッセイは、一歩、風の巫女へ踏み出した。
そして――風の試練が、静かに始まろうとしていた。