歌う風巫女、精霊を呼ぶ声
空の民《アエリス族》の聖域、その中心に位置する《風核》の神殿。精霊の風が常に吹き抜けていたはずの場所は、今は静まり返っていた。
白銀の神殿の祭壇の前に、一人の少女が膝をつき、瞳を閉じていた。
「──風よ、空の記憶よ。わたしの声を、届けて……」
それはエリュアの祈りであり、古より伝わる“風の歌”だった。
その歌は風の精霊との共鳴のためにあり、歌い手の心が風に触れ、そして通じることで、方舟の安定と祝福を維持してきた。
だが――いま、その歌に、応える風はなかった。
神殿の片隅で、フィーナが両耳を下げた。「……なにも、響いてないウサ」
「精霊の気配が希薄ね。結界自体も、弱まってる」
シャルロッテが測定用の魔石端末を覗き込む。
その隣で、リリィが眉を寄せていた。
「このままだと、歌そのものが風核に届かない。精霊のネットワークが分断されてるわね。……だったら、歌を“増幅”すればいいんじゃない?」
「増幅?」
クラリスが聞き返す。
「風の導管を使って、エリュアの歌を全方舟に響かせるの。魔石スピーカーで音圧と周波数を補正して、風そのものに“音”を載せる」
「まるで音響魔導放送……魔導ラジオの応用か」
イッセイが目を細めた。「いけるな。素材は空中船の残骸から再利用できそうだ。シャルロッテ、回路設計を頼む」
「了解。音響増幅と風媒介のハイブリッド設計ね」
「さすがウサ!」
フィーナが嬉しそうに耳を立てた。
急造チームが再び稼働し、空中船の残骸から“風歌増幅器”が組み上げられていく。方舟の風導管に沿って設置された装置は、魔石の青い光を帯びながら静かに起動した。
やがて、エリュアがそっと唇を開く。
「──風の詩よ、響け……空に、ひとひらの祈りを乗せて……」
優しく、けれど芯のある声だった。
歌声は、魔石の震えとともに、空中に波紋となって拡がっていく。風が、かすかに流れ始めた。ミュリルが耳をすませた。
「……にゃ、聴こえる。風が、返事してる」
霧が満ちていたはずの区域で、青白い粒子がぴたりと動きを止めた。
「……届いたのね」
エリュアが、かすかに微笑む。
「一部の精霊は、まだ応えてくれるみたいだウサ!」
フィーナがぴょんと跳ねた。
だが、その喜びの中で、エリュアの表情に影が落ちた。
「でも、全部は……まだ遠い。風は、昔よりも……冷たい」
その言葉に、イッセイがゆっくりと近づいた。
「風は変わる。だが、変わったからこそ、新しい形で繋がる道がある。今の君の声を、風はちゃんと聴いてる」
エリュアは驚いたように目を見開き、やがてほんの少しだけ、涙を浮かべた。
「ありがとう、イッセイ……あなたの言葉も、風みたいね」
その背後では、リリィが早速設置図を拡げていた。
「この増幅器、スパのリラックスルームに応用できそうよ。音楽と香りを風に乗せて……ぷるぷるスパ・空中店! いい名前だと思わない?」
「お前はほんと、どこでも商売の話か!」
ルーナがつっこみつつ、笑っていた。
だが、誰もがその笑顔の裏に、緊張を感じていた。霧はまだ消えていない。歌は届いたが、ほんの一部だ。
──そして、次の瞬間。
空に響く風音が、異様な震えを見せた。黒い雷が空に走り、方舟の警報が鳴り響く。
「……来たか」
イッセイが呟いた。「この歌に、何かが反応した」
空の深層に、影が蠢いていた。