【エピローグ】泡の記憶、風の未来へ
風が吹き抜けた。
王都郊外、《ぷるぷるスパランド》の屋上庭園。夜明け前の空は、群青から淡い茜へと色を変えつつある。
イッセイは一人、湯けむりの漂う屋上に立っていた。
指先に残るのは、あの東京の空気。そして、泡の中で交わした数々の言葉、笑い声、そして別れ。
「まさか、もう一度……あの世界に戻る日が来るなんてな」
小さく息をついたそのとき、背後から規則正しい足音が響いた。
「……ここにいらっしゃいましたか。まったく、勝手に抜け出して……心配をかけないでください」
「セリアか。すまん、目が冴えててな」
「……べ、別に、心配なんてしてません。警護として当然の行動です」
少し顔を背けながらも、彼女はイッセイの隣に立った。
「お前も……思い出したか? 東京でのこと」
「……ええ。初めて“銀座”という街に降り立ったときの衝撃は、今でも記憶に焼き付いています」
セリアは懐から、小さな瓶を取り出す。
「これは……?」
「“資生堂泡ミスト”。あちらで買い込んでおいた分を、貴族向けスパメニューに転用する予定です」
その言葉には、微かに誇らしげな響きが混じっていた。
「さすがはセリア。お前のそういう真面目さ、俺は結構……いや、かなり助けられてる」
「べ、別にっ……嬉しくなんて、そんな……!」
彼女は顔を赤くしながらも、しっかりと立ったまま、イッセイを見つめた。
「ですが……改めて、思いました。私はやはり、あなたにお仕えするために生まれてきたのだと」
「セリア……」
「ですから。これからどこへ行こうとも、私はあなたの背中を護り続けます。……それが、この不器用な私にできる、唯一のことですから」
照れ隠しに少し早口になったその台詞に、イッセイは自然と笑みを浮かべた。
「ありがとう。……心強いよ」
そんな二人の間に、ふわりと風が吹き抜けた。
屋上の扉が開き、次々と顔を覗かせる仲間たち。
「イッセイくーん! 朝風呂の時間だよぉ!」
ルーナが手を振って駆け寄り、
「“泡寝起き顔パック”の効果、検証しますにゃ!」
ミュリルが洗面器片手に飛び込んでくる。
「朝からうさぎも泡立て全開ウサ!」
フィーナが泡だらけのタオルを持ってぴょんぴょん跳ね、
「静かにしてください。……まったく、騒がしいんだから」
クラリスがいつもの優雅な所作で扇をひらく。
「皆、元気そうだな……」
イッセイはゆっくりと目を細めた。
――あの日々も、あの世界も、すべては「泡の記憶」。
けれど、そこに流れていた絆と笑顔は、確かに彼の胸に残っていた。
ふと見上げた空に、風が踊る。
その風に乗って、微かな泡が一粒――朝焼けの中に消えていく。
それはまるで、あの騒がしくも眩しい“東京の旅”が、永遠のアルバムの1ページにそっと収まっていくような、そんな瞬間だった。
「さあ、そろそろ……次の旅の準備だな」
イッセイは仲間たちの顔を見渡しながら、静かに言った。
どんな未来が待っていようとも、彼らは笑って進むだろう。
――泡と共に、風と共に、絆と共に。
それが、彼らの歩む“物語の続き”なのだから。