【エピローグ】泡の残照、旅のはじまり
夕暮れ時の王都郊外。
かつて泡と笑い声に包まれた「ぷるぷるスパランド」は、今日も静かに営業を終えていた。
受付には新たな従業員たちがテキパキと働き、泡風呂には今日も満員御礼の看板が立つ。
そんなにぎやかな余韻の残る裏庭の丘に、一人の青年が腰を下ろしていた。
イッセイ・アークフェルド。
かつて神域の封印を解き、精霊の剣を継ぎし者。
そして今は――スライムスパの“名誉開発主任”という、やや不思議な肩書きも持つ青年である。
「……静かだな。あの泡まみれの喧騒が、ちょっと懐かしく思えるくらいに」
彼の傍らには、小さな風鈴が吊られていた。涼やかな音色と共に、優しい風が吹く。
風が通るたび、どこからともなく、あの笑い声がよみがえる気がした。
――ウサウサ! 泡がすごいウサよ!
――にゃー!? これは罠にゃ! 泡の罠にゃ!
――衛生検査、通過! ……よくやりました。
幻のように蘇る声たちに、イッセイは自然と微笑んだ。
「……あの人たちは、もういないわけじゃない。みんな、自分の“次”を見つけただけだ」
そう呟いたとき、背後から聞き覚えのある足音がした。
ふと振り返ると、そこにいたのは――リリィだった。
「イッセイくん、いたウサかー。探したウサよー」
「もう旅に出たんじゃなかったのか?」
「出発したウサ。でも、忘れ物しちゃったウサ」
「……何を?」
「んー……“ありがとう”って言葉ウサ。ちゃんと面と向かって、言ってなかったウサ」
リリィは帽子を外して、そっと胸の前で手を重ねた。
「イッセイくんがいなかったら、きっとわたし、泡で滑って転んでただけウサ。支えてくれて、ありがとうウサ」
「こちらこそ。泡の力で、ここまでやれるなんて思わなかった。ありがとうな、リリィ」
ふたりの間に、再び風が吹いた。
今度は、ほんの少しだけ甘く、懐かしい泡の香りが混じっていた。
「さあ、今度こそ本当に行くウサよ」
「ああ、気をつけてな」
「次は、“世界を泡で笑わせる”ウサ! きっとどこかで、また会えるウサ!」
そう言ってリリィは、元気に手を振って丘を駆け下りていった。
その背中を、夕陽が優しく照らす。
残されたイッセイは、ゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
西の空には、泡のように浮かぶ雲が一つ。
「……まだまだ、俺の旅も終わらないな。次はどこへ行こうか、ぷるぷるの風よ」
風鈴が、またひとつ、優しく鳴った。
泡の残照は、まだ空のどこかで輝いている。
そして旅は――また、はじまる。