商会の夜と、ふたつの鼓動
王都・クリム商会の応接間は、珍しく静かだった。
月が高く昇る夜。
この日は祝うべき“節目”だった。
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「お疲れさま、リリィ。今日で、月間出荷数が千本を突破したよ」
「……ねぇイッセイ、それって実はすごいことなんだよ?」
僕が軽く乾杯のグラスを掲げると、リリィはぐっと眉を寄せて、手帳を叩く。
「普通の薬草軟膏でさえ百本いくかいかないか。それが……あの泡と香りの商品が、ひと月で千本なんて……もう立派な主力ブランドよ!」
「うん、だけど……君の手腕あってこそだよ。販売戦略も納品ルートの調整も、僕一人じゃとても」
「ま、まあ……私がちょっとは頑張ったかも、だけど……そ、その……イッセイがいたから、ってのも……ちょっとあるし……」
リリィは真っ赤になって、グラスの中を見つめながら言った。
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メニューは、商会付きの料理人が腕を振るった特別仕様。
茸と獣肉のパイ包みに、甘味たっぷりの果実酒。
「イッセイさ、将来どうするの?」
「旅に出たい。世界を見てみたい。……この世界を、もっと知りたいんだ」
「そっか……じゃあさ、私も連れてってよ。商人って、どこにでも必要でしょ?」
「うん。むしろ、君がいないと不安かも。数字に強くて、直感で動ける人って貴重だから」
「……ふ、ふん。じゃあ仕方ないなぁ。私が“特別に”ついてってあげるだけだよ!」
リリィは頬を染めながらも、得意げに胸を張る。
だけど次の瞬間――
「……あれ? 今、特別って言った……? ……あれれ?」
自分の言葉に驚いたように、両手で頬を挟んでテーブルに突っ伏してしまった。
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食後、屋上のテラスに出て夜風を浴びる。
「……ねぇイッセイ。今って、すごく満ち足りてる気がする」
「うん。商会もうまくいってるし、仲間も増えてきたし。……これから、もっと色々な景色を見られそうだよね」
「ねぇ、もしさ……旅の途中で、どこかに“帰りたい場所”があるとしたら……」
リリィは小さくつぶやき、僕の横顔をちらりと見た。
その視線の意味を、僕はまだきっと気づいていない。
でもその夜、ふたりの距離は確かに少し、近づいた。