表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/191

継承の儀

 神域を満たしていた銀の光が、静かに霧のように晴れていく。


 イッセイはゆっくりと目を開けた。そこは――魂の深淵ではなく、現実の神域。だが、その空気は明らかに変わっていた。どこか優しく、どこか懐かしく、確かに“リアナ”の気配を残していた。


「……戻ってきたんだな」


 呟いた声は、風に乗って広がった。仲間たちもまた、イッセイの周囲に集まってくる。皆、無事だ。誰もが疲労の色を浮かべながらも、その表情はどこか清々しい。


「イッセイくん……リアナ様の魂、全部……受け止めたの?」


 シャルロッテの問いに、イッセイは静かに頷く。


「ああ。彼女は……誰よりも、人を信じてた。拒絶されても、裏切られても、それでも“未来”を諦めなかった。俺には、彼女の想いが――伝わった」


 その胸元、鼓動が一つ脈打つたび、リアナの記憶がわずかに反響する。憎しみでもなく、憐れみでもなく、ただ静かな“願い”。


 ――どうか、この世界に未来があると信じて。


 その想いに応えるように、神域の中心部にあった祭壇が、音もなく開いた。


 地面からせり上がるように現れたのは、一振りの剣。


 鞘に収められたそれは、銀と翠の輝きを内に秘めた、精霊の波動を宿す神剣だった。


「これは……!」


 クラリスが息を呑む。剣に刻まれた紋様は、かつてリアナが持っていた“光の神器”と一致するものだった。


 だが、今のそれは――彼女一人のためのものではない。


「……この剣が、俺を呼んでる」


 イッセイは、ゆっくりと手を伸ばした。


 指が柄に触れた瞬間、世界が光に染まった。


 眩い風が巻き起こり、精霊たちの歌声が空に響く。その中に、確かに“リアナ”の声があった。


《あなたは、“今”を生きる者。だからこそ、未来を紡げる。これは、私の意志。けれど、もうそれは、あなたの剣》


《どうか、私の願いを、あなたの歩みで繋いで――》


 剣が、応えるように光を放つ。


 刃が現れたその瞬間、全員が言葉を失った。


 それはまさに――“命の輝き”を宿した一振り。


「……“精霊剣リアナ”」


 イッセイがそう呼ぶと、剣の光はさらに強まった。


 その身に宿る魔力が、イッセイの魂と共鳴し、精霊との契約が結ばれていく。


 彼の背に、神域の光が刻印を描く。


 それは、かつてリアナが背負い、そして葬られた称号――


 だが今、それは“再誕”の意味を持って、イッセイに与えられた。


「《命の継承者》――リアナの魂と願いを継ぐ者として、あなたは選ばれたのです」


 シャルロッテの声が、祈りのように響いた。


 剣を構えたイッセイは、その重みを確かに感じていた。


 この刃は、破壊ではなく救済のためにある。


 未来を切り拓くのは、力ではなく、意志。


「……誰もが未来を語る。でも、“今”を生きる者にしか、希望は紡げない」


 イッセイの言葉に、風がまたひとつ、優しく吹いた。


 精霊たちは祝福し、仲間たちはその姿に胸を打たれていた。


 ――“リアナの剣”は、今や“イッセイの剣”となった。


 この刃が導く先に、彼らの運命が待っている。


 神域の崩壊は止まり、静寂が戻る。


 だが、その静けさの奥――“最後の試練”の兆しが、ゆっくりと目を覚ましつつあった。


 神域の空気は穏やかに澄み渡り、まるで長く続いた嵐のあとの静けさに似ていた。だが、イッセイには分かっていた。これは安らぎではなく、次の風が吹く“予兆”だと。


「……終わったように見えて、まだ何かが……」


 彼が呟いた瞬間、微かに空間が揺れた。風ではなく、神域そのものが“警鐘”を鳴らしたかのように。


「イッセイくん……何か、感じるの?」


 クラリスが問いかける。イッセイは頷き、剣をそっと鞘に戻した。


「さっき、契約の瞬間――リアナの声の奥に、“もう一つの存在”を感じた。まだ……この地に“想い”が残ってる気がする」


 その言葉に、仲間たちも表情を引き締める。


「精霊たちも、警戒してる。揺れてるの、空気と……記憶が」

 シャルロッテがそっと目を閉じ、霧の中に囁くように語る。


「リアナの本心は継がれた。でも、それが触れたことで――神域に眠っていた“深層”が、動き出した可能性があるの」


「つまり、“最後の試練”ってやつね……!」


 リリィが苦笑交じりに肩をすくめ、フィーナはそっと空を見上げた。


「うさうさ……結界の呼吸が変わってきてるウサ……境界の波動が、少しずつ歪みはじめてるウサ……」


「時空の裂け目でもあるのかにゃ? さっきまでよりもずっと……不安定なにおいがするにゃ」


 ミュリルが耳を伏せながらも、尻尾を立てて周囲を警戒する。


「ここから先は、ただの記憶の再生じゃない。おそらく……神域そのものが“意志”を持って動いている」


 セリアの読みは鋭かった。既に剣を半ば抜き、臨戦の構えをとっている。


 その時、空気が一変した。


 ――カン……カン……。


 どこかで、鈍く、乾いた音が響いた。まるで、時の歯車がずれ始めたかのような、歪んだ鐘の音。


 そして、それに応じるように――


 神域の中心から、銀の大木が現れた。


 それは精霊たちの中枢、“命の根”とも称される神樹――


「……エル・ユグド」


 シャルロッテの声が震える。


「この木は……この神域の核。でも、見て。葉が……黒く染まってる……!」


 そのとおりだった。精霊樹エル・ユグドの枝先から、黒い瘴気が滲み出している。


 まるで、魂の奥に溜まった澱が、ゆっくりと浮かび上がってきているようだった。


「これは、“リアナの願い”が純粋すぎた代償かもしれない……」


 イッセイの胸中に、リアナの残滓が揺らめく。


《……私のすべてを託しました。ですが、それは……“完全な救済”ではなかったのです》


 静かに、しかし確かに、リアナの残る想念が語りかけてきた。


《私の中には、魔王の記憶がありました。その影が……“根”にまで届いてしまっていたのかもしれません》


「精霊剣リアナは、“意志の刃”だ。だったら――この歪みを、断つこともできるかもしれない」


 イッセイが剣を見下ろし、そして前を向く。


「“命の継承者”として、俺は進む。リアナが信じた希望を、最後まで信じ抜くために」


 仲間たちは頷いた。


 それぞれの想いを胸に、彼らはまた歩みを進める。


 神域の奥、最後の“想い”が眠る場所へ――


 イッセイたちは、静かなる決意と共に歩を進めた。


 道なき神域の中心には、崩れかけた祠のような構造体があった。壁は精霊樹の蔓で覆われ、その中心に一つの“涙型”の水晶が、まるで心臓のように鼓動していた。


「これが……神域の心核、《リアナの涙》……」


 シャルロッテが跪き、精霊語で祈るように囁いた。


「この涙は、リアナが最後に流した“心の記憶”。その断片を封じた結晶です」


 光が脈打つように脆く震え、その内側にかすかに見えるのは、ひとり佇む銀髪の少女。微笑むでもなく、泣くでもない。ただ、沈黙の中で、何かを見届けようとする表情だった。


「……彼女の“未練”が、この地を歪めてるのかもしれない」


 イッセイが水晶へと手を伸ばしかけた、その瞬間だった。


 ――カァァン……ッ!


 金属をひしゃげたような音が鳴り響き、神域全体が一瞬にして暗転する。大気が揺れ、魔力が逆巻いた。


 地が砕け、上空の結界が音を立てて崩れ始める。


「っ、今のは……封印が、また一層崩れたウサッ!」


 フィーナが悲鳴のように叫ぶ。


 裂け目から吹き込む風――それは瘴気を孕み、地の底から湧き上がるかのような重苦しさを持っていた。


「くっ……なんだ、今の気配……」


 セリアが剣を抜き、クラリスとルーナも背中合わせに配置を取る。


 そして、暗黒の中から現れたのは、一対の瞳――


 黄金と漆黒の二重螺旋が交差する、異形の視線。


「リアナ……の、もう一つの影……?」


 イッセイが呟いたその声に、応えるかのように“それ”はゆっくりと姿を現した。


 それは少女の形をしていた。だが、髪は夜闇のように黒く、瞳には一切の感情がない。彼女は、リアナに似ていた――しかし、完全に別の存在であることは、誰の目にも明らかだった。


「……“影のリアナ”?」


 シャルロッテの声が震える。


「違う……これは、“リアナの願いが歪んだもう一つの形”……」

「精霊たちが、そう言ってる。名は……《リュミエール・ノワール》。リアナが心の奥底に秘めていた絶望と怒りの具現化」


 その名を口にした瞬間、空間がさらに軋んだ。


「ふふ……ようやく来たのね、“継承者”」


 《リュミエール・ノワール》は、確かにリアナの声と同じ音色を持ちながらも、どこか冷たい。愛を知らぬ者の慈悲。それは、ただの“無”であった。


「私は、リアナの“もう一つの選択肢”。誰にも救われなかった側の記憶よ。希望と共に切り捨てられた、“闇の継承”」


「……君は、リアナが“切り捨てた自分”ってことか」


「ええ、だからこそ――あなたたちを試す権利がある」


 その声と共に、神域が激しく震え、周囲の空間がひしゃげるように変質していく。


「試練……ってことは、これが“最後の戦い”なのね!」


 リリィが軽く拳を鳴らし、前へ出た。


 だが、ノワールは首を横に振る。


「これは戦いではない。“問う”だけ。あなたたちが、光と共に歩む者なのか。それとも、私のように“絶望と共に在る者”なのか」


 水晶《リアナの涙》が眩く輝き、イッセイの胸の中で、リアナの残滓が静かに揺れた。


《私ができなかったことを……どうか、見せて。私の中にあった、もう一人の私を、あなたの“答え”で救ってあげて》


 イッセイは、仲間たちを見渡した。全員の瞳に、迷いはなかった。


 それぞれが選んだ“今”を胸に、彼らは一歩を踏み出す。


「俺たちが継いだのは、リアナの“願い”だ。だったら――お前にも見せる。光と闇、両方抱えたまま、それでも生きる“命の意味”を」


 《最後の選択》が、静かに始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ