サーシャ編「屋根の上、風と刀の約束」
王都の夜は、思いのほか、静かだ。
それがしは今、宿の屋根に腰掛け、遠くの星を見つめていた。
風が頬を撫でる。
ヒノモトの山風とは違うが、どこか懐かしさを感じさせる、柔らかい風。
……故郷のことが、脳裏に浮かぶ。
焼かれ、奪われ、それでも再び立ち上がった人々。
それがしにできることは少ない。だが、あの地を未来へと繋げる責を、誓ったのだ。
「こんなところにいるとは思わなかった」
声がした。振り向くと、イッセイ殿がいた。
屋根の上に軽やかに上ってきたその姿は、どこか少年のようで、だがその眼差しは真っすぐだった。
「……星を見るには、ここがよろしかろうと」
そう答えると、彼は隣に腰を下ろす。
しばしの沈黙。
だが、それがしは不思議と落ち着いていた。
沈黙が、言葉以上に互いの気持ちを伝える夜もある――そう思えるのは、この男の隣にいるからだ。
「ヒノモト、うまく進んでるみたいだな」
「はい。地方領主の方々とも連携を取り、農村の再建から始めておりまする」
言葉に力がこもる。
だが同時に、その重さに押し潰されそうになる自分が、どこかにいた。
「……名誉、というものは、時に人を縛るものでございますな」
「でも、サーシャはそれを信じて進んでる」
「ええ。それがしは、名誉に生かされてきた身ゆえ」
それがしは星空を見上げたまま、ぽつりと言った。
「だが――それだけでは、きっと、足りぬのです」
イッセイ殿が、静かにこちらを見た気配がした。
だから、顔を向け、目を合わせた。
「それがしは……貴殿と出会い、共に歩んだ日々の中で、知りました」
「名誉より、重きものがあると?」
「はい。それは、仲間。そして――」
それがしは言葉を切る。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされていた。
訓練では抑えられる鼓動も、この瞬間ばかりはどうにもならぬ。
「……それがしは、貴殿の傍に在りたい」
ようやく出せた言葉だった。
「剣に誓う。おぬしと、共にあろう」
「サーシャ……」
イッセイ殿が名前を呼ぶと、胸の奥が熱くなった。
星の光が彼の瞳に反射して、美しい。
「……だから」
それがしは、刀の柄を握るように、意を決したように彼の肩を掴んだ。
「覚悟してくだされよ」
そして――そっと、唇を重ねた。
それは、戦場の緊張に似た感覚だった。
だが、そこには痛みも恐れもない。
あるのは、ただただ、温もりと――満たされるような、幸福の震え。
強引でも、優しくもない。
ただ、真剣に、まっすぐに。
「……っ」
唇が離れた時、目が合った。
「……それがし、今のにて……すべてを、捧げたつもりです」
「うん……受け取った。ちゃんと、全部」
彼の言葉に、胸の奥が熱くなる。
「これより先、いかなる困難があろうと――貴殿の剣となり、盾となりましょう」
「俺の隣に、ずっといてくれるんだな」
「それがしは……そう望んでおりまする」
星がまた、きらりと流れた。
それがしは、その光にもう一度、静かに誓った。
――この身、この想い、この唇の熱を、決して揺るがぬ刃とせん。