シャルロッテ編「精霊の小道、風と揺れる」
……風が、鳴いている。
王都の喧騒から離れた、郊外の森。
この小道は、かつて精霊たちが通ったと言われている。
古木の葉擦れ、草の揺れ――そのひとつひとつに、私は耳を傾けていた。
「……もう少し、ここにいたいです。イッセイ様と一緒に」
私はそっとつぶやく。
聞こえているのかいないのか、隣を歩くイッセイは何も言わず、ただ優しい歩調で私に合わせてくれていた。
不思議な人。
誰よりも強くて、でも誰よりも人の痛みに敏感で。
私のような、言葉を選んでしまう者にも、ちゃんと向き合ってくれる。
「……この場所、覚えていますか?」
イッセイは少しだけ驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「最初に精霊の気配を感じた場所、だったな。シャルロッテが“聞こえた”って言った」
「ええ……あのとき、風が、こう言っていました。“変化が始まる”って」
「今も聞こえるのか?」
私は黙って頷いた。
そして胸に手を当てる。
「風は、ずっとささやいています。あなたに触れてから、ずっと……」
「……それは、精霊の声か? それとも、お前の――」
「……わかりません。でも、もしも私自身の声なら、もっと……素直に、こう言えるはずです」
私は彼を見上げる。
この風のように、いつも側にいて、いつか消えてしまうかもしれない存在。
「――あなたの記憶に、私は残りますか?」
思わず出た言葉だった。
でも、それが本当の気持ちだった。
この旅が終わって、皆が別の道を歩む時が来たとして、
私のことが、ほんの少しでも、あなたの心に残っていたら――
「忘れるわけないだろう」
即座に返ってきたその声に、私は目を伏せた。
「……言葉では、足りません。知識でも、書物でもない、何かで……私は、残りたいんです」
「シャルロッテ……」
彼の声が近づいてきて、私は一歩だけ踏み出した。
風が、そっと背中を押してくれたような気がした。
「記録のように、忘れないで……」
私の指先が、彼の胸元に触れる。
そのぬくもりに、鼓動が伝わってきた。
それだけで、私の呼吸は浅くなり、思考がかき乱されていく。
そして――私は、そっと唇を重ねた。
かすかに震えていた。
でも、それは怖さではなく、確信からくる震えだった。
柔らかくて、温かくて。
本のページをめくるよりも、ずっと静かで、でも何百冊の本よりも意味を持っていて。
この瞬間だけで、私は無数の言葉を知ったような気がした。
目を閉じたまま、私は祈るように願った。
――どうか、このぬくもりを忘れないで。
唇が離れると、風がまた、葉を揺らした。
彼の目は、真っ直ぐに私を見ていた。
「……ちゃんと、残ったよ。心に、はっきりと」
「……ありがとうございます。イッセイ様」
私は微笑んだ。
風が、また優しく私の髪をなでてくれた。
まるで精霊たちが祝福してくれているように。
そう――この気持ちは、記録じゃない。
私だけの、精霊にも届くような、祈りに近いもの。
それを、彼に捧げたのだから。
もう、怖くない。
私は、彼のそばにいる。
この風と、この想いと一緒に――。