セリア編「訓練場、誰にも見せない顔で」
騎士団の訓練場。夕暮れ時、すっかり人気はなくなっていた。
いつもならにぎやかな剣戟の音も、今は静まり返っている。
けれど私は、ここに残っていた。誰かを――彼を待つために。
「……来たわね、遅い」
木剣を片手に振り返ると、イッセイがいつもの穏やかな表情で歩いてくる。
「まさか本当に来てくれるとは思わなかったのか?」
「ち、違う……ただ、ちょっとだけ、期待してなかっただけよ」
「どっちなんだ、それ」
「……どっちでもいいでしょ、バカ」
顔が熱い。自分でも分かる。
ツンとして、平静装ってるけど、本当はずっとどきどきしてた。
今日、こうしてふたりきりで話すの、たぶん初めてだから。
「模擬戦、付き合ってくれるんでしょ?」
「もちろん。手加減はしないけどな」
「ふっ、そんなの望んでないわ。全力で来なさい、イッセイ」
木剣を交える音が夕焼けに溶けていく。
汗が額を伝って、空気がひりつく。でも、それが心地いい。
この人と剣を交えると、昔の自分が思い出される。
強がって、誰にも甘えられなくて、心を閉ざしてた私。
でも今は――
「……ちょっと休憩」
息を切らしながら、私はタオルを投げてよこす。
イッセイはそれを受け取って、口元に汗をぬぐう。
「なあ、セリア。騎士団時代のあの誓い、まだ覚えてるか?」
「……当たり前でしょ。あの時、わたしが言ったのよ。『誰かを守る剣になりたい』って」
「その“誰か”って、今は――」
「……うるさい」
遮るように私は言ったけど、顔はきっと真っ赤だ。
ごまかすように口を開く。
「わたしさ……昔は意地ばっか張ってて、あんたにも偉そうにして。
優しくされても、跳ね返して……全部、自分のせいだって思い込んで。
バカだった。ほんと、バカだったわ」
タオルを投げて、拳をぎゅっと握る。
ずっと抑えてた言葉が、とうとう溢れ出す。
「でも、今は違う。あなたと旅して、仲間と笑って、戦って――
わたし、ちゃんと見つけたの。守りたい人。守りたい“場所”。そして……」
言葉が詰まった。
喉の奥が熱くなって、目の前の夕焼けが滲んで見えた。
「セリア……」
イッセイが近づいてきた。手を伸ばそうとした、その瞬間。
「――っ! 動かないで」
私は一歩、踏み込んだ。
そして――
「……バカ。責任、取れよ」
その言葉とともに、私は背伸びして、彼の唇に自分の唇を重ねた。
奪うように。抗うように。でも、たしかに、想いを込めて。
びっくりした顔してた、イッセイ。
でも、それも一瞬で、すぐにそっと受け入れてくれた。
あたたかかった。優しかった。
それなのに、心の奥は燃えるように熱かった。
剣を振るとき以上に、体の芯が震えるほど、強くて柔らかくて――
この瞬間のために、生きてきたって、思えるくらい。
唇が離れて、目を開けると、イッセイが小さく笑っていた。
「セリア……お前、すごいな」
「な、なにがよっ……! い、今さら後悔しても遅いんだから……!」
「後悔なんて、するわけないだろ」
その言葉に、私は耐えられず、ぷいっと背を向けた。
でも、背中越しに伝わる温度が、なんだか心地よかった。
「……これからも、あなたの剣でいさせて」
心の中でそっと呟いて、私は小さく拳を握った。
騎士としてではなく、一人の女として。
この想いは、きっと、もう止められない――。