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機密

「あら、高文社って言うから誰かと思えば哲平くんじゃない?」

「よお、梅村のばばあ。相変わらず厚化粧だな。暗がりの熟女パブならまだ十分通用するぜ」

 梅村代議士の顔がさすがにぴくりと引きつる。理香子は気が気ではなくて、冷や汗をかいた。

 哲平さんたらなんて口を。当選回数でいけば大臣になってもおかしくないほどの大物代議士に向かって。

 しかし言われた当の梅村は、親しげに哲平の頬をつねった。


「ずいぶんとマシな格好してるじゃない?この不景気に一流出版社に潜り込めたなんてすごいわね」

「イヤミかよ。おれが正社員になれるタマじゃねえのをわかっていやがるくせに」

 私のときはあんなに時間を気にしていたのに、これが人脈の差?何だか違うような気もするけれど。理香子はどう話を切り出していいかわからず、頭を抱えた。

 しかしそこは気の強い彼女のことだ。二人の放っておけばいつまでも続きかねない応酬に割って入った。


「先日は失礼いたしました。春秋の中村です。それで、梅村先生。STEのことなんですが…」

「あなた、中村藤一郎氏のお孫さんなんですって?道理でしっかりしてらっしゃると思ったわ」

 もう調べたのか、私のことを。理香子は頬が熱くなってゆくのを感じた。


「祖父と私とは関係がありません。私はあくまでも高文社の一社員に過ぎませんし」

 政界、財界に顔の利く祖父のことも、中村バイオファーマの社長である父のことも、理香子たちは言われるのを嫌がった。自分の実力から確実にマイナスされるからだ。七光りどころではない。だからこそ全く畑違いの職種で働きたいという思いがあったのも事実だった。


「渡しといた資料は見てくれたんだろうな、センセ。話がでかくて申し訳ねえけどよ」

 わ、渡しといた?哲平さんたらいつの間に。


「ギフテットの子どもたちを集めての非人道的な訓練、その目的は軍事エリート、将来の指導者の育成。その能力を高める補助としての合成麻薬PSDの開発。それらを国防省が国民はおろか政府にすら秘密裡に推し進めている、ということでいいのかしら?」

 さすがばばあだ、話が早ええや。哲平はニヤリと笑った。

「ついでに、それ以上は突っ込むなってことなんでしょう?何たくらんでんのよ」

 梅村は発色のいい高級ブランドのスーツをすらりと着こなし、腕を組んで彼をにらみつけるフリをした。憎めないやんちゃぼうず。彼女は哲平をそんなふうに扱っていた。こんなふうに政治家と親密になるにはどうすれば。

 哲平には哲平のやり方がある。私には真似したって無駄なこと。自分のやり方を見つけよう。理香子は気を引き締めた。


「実はね、議員の一部の中でも国防省の動向に目を光らせているものも出てきているのよ」

 ホントか?そりゃ初耳だ。どこまで本気なのか哲平が驚いて見つめる。

「不穏な動きが見られるってね。まあ、解散総選挙でもない限り、委員会と本会議で質問してみるわ。そのためには、もう少しマシな資料を渡しなさいよ!」


 へいへい。哲平は首をすくめた。


「あ、あの、解散総選挙があったら質問はなしってことですか?」

 しどろもどろになりつつも小仲が発言する。何か言わなくてはというより急に心配になったのだろう。実際、あちこち走り回され膨大な資料をまとめさせられたのは、この小仲なのだ。苦労が報われなければさぞかし…。


「あのね坊ちゃん。国会議員だろうが、町議会議員だろうが、選挙落ちればただの人よ。年内解散がないことを祈っててね」

 にっこり笑うと梅村はお付きの者を従えて部屋を出ていった。

 




 哲平は首の辺りを揉むと、お偉いさんの相手は肩凝って仕方ねえやと独りごちた。


「ちょっと哲平さん!選挙があったらボクの調べたことはみんなパーですかあ?」

 情けない声出すなよ、哲平が呆れ顔で小仲に視線を送る。

「だから急ぐんだよ。とにかく一刻も早く世間にこのことを知らしめる。ほんのちょっとの取っかかりでいい。おれはそのチャンスにかけたいんだ」

 彼の表情が次第に変わってゆくのを、理香子はただ見つめていた。





「ルカは…どうしているの?」

 アツシに支えられながら綾也はベッドから身体を起こした。話すことも歩くこともできるようにはなったが、とても快復したとは言えなかった。身体中が悲鳴を上げていた。しかし一番ズキズキと鼓動を打つように痛むのは綾也の心だった。

「トレーニングルームにこもってるよ。おまえに負けたのがよほど悔しかったらしい」

 アツシはふっと苦笑いをすると、綾也のために背中にクッションを差し入れてやった。

「ルカに酷いことした」

 どうせあいつが先に仕掛けたんだろ?想像がつくよ。アツシの表情は変わらない。

「僕は自分の力をコントロールすることができない。致命的な欠陥だ」

 そのためにPSDが…。アツシはレイナの言葉を思い出していた。

「Sにとって僕が必要だとは到底思えない。戦う気もなければその力もない。破壊をくり返すだけの殺戮兵器など、制御不能で廃棄されるのがオチだ。そうだろう?」


「じゃあお兄ちゃまは、どうしたいのよ?」

 ふんわりとした風が窓から入り込む。いつのまにかルカがその全体像を浮かび上がらせていた。


「ルカ、おまえトレーニングルームにいたんじゃ」

 アツシの声に視線を向ける。唇をとがらせるさまはまだあどけないほんの少女。しかし彼女の内面は考えられないほど急激に成長を遂げている。

 大人としての女性の心と、Sのサイコキノとしての使命感と。他を知らない彼女は戦うことが自然なことなのだ。


「力をつけるわ、何としても。お兄ちゃまになど負けない。そのためにならどんな過酷な訓練でも、開発途中の薬物でも試してみる。あなたにその覚悟があるの?」

 ルカは天井すれすれのところに浮かび上がりながら、綾也を見下した。

 彼の力を我に。どれだけ渇望しても叶わぬ願い。ルカの焦燥感は計り知れないものがあった。

「僕は……」

 綾也はしばらく下を向いていたが、思い切って顔を上げるときっぱりとルカに向かって言った。


「お願いがあるんだ、ルカ。聞いてくれないか?」

 同じサイコキノとしてつねに比べられる存在。年下だから、しょせん遺伝子操作で作られた人工的な能力でしかないから。下に見られるのはもうたくさん。ルカの瞳はまっすぐに綾也をとらえた。


「私にお願い?戦いを挑もうとでもいうの?どちらがより力を持つか、今度こそ決着をつけようとでも?」

 静かに首を振ると綾也は穏やかな目を向けた。


「ルカ、僕を殺して…」

 その言葉にアツシもルカもハッとした。何を、何を言い出すのだ、このS最強の戦士は。


「僕はもう戦えない。人を苦しめるのも傷つけることも二度としたくない。ましてやこのままでは近いうちに必ず僕は人を殺すだろう。僕の存在が他の人たちの悪意を呼び起こすのなら、やはり僕が生きていること自体、罪なのだろう。僕のせいで母は死んだ。父は僕を憎んだ。大勢の人たちが僕を巡って恐ろしい計画を練り、運命を狂わされている。ならば僕さえいなければ、死んでしまえば、少なくとも被害は少なくなる。ね?だからどうか僕を。どうせなら大好きなルカの手にかかって死にたい。僕の最後のお願いだ。僕を殺してくれないかい」

「綾也だけ逃げる気?Sのみんなを放り出して、また一人で救われようとするの!」

 アツシの悲痛な叫び。外での生活を知るものにとっては、どちらも地獄。生きていることそれ自体の苦痛。それから逃れるには。誰もが一度は思うであろう願い。


「うぬぼれかもしれない。でも僕さえいなければSだってそんな危険なミッションをしなくたってすむ。そうだろう?アツシ」

「私が戦おうといったのはそんな意味じゃなくて!」

 じゃあ、こうしよう。綾也はふらつく足で立ち上がった。アツシの差し伸べる手を払いのける。

 息も荒く、立っているのがやっとのくせに綾也の瞳は少しずつ朱みを帯びてきた。

 そのままフレームに手をかける。


「お兄ちゃま!」

「綾也!」

 綾也がメガネを投げ捨てる。そこに現れたのは朱く燃える瞳を持つ異形の者。


「僕を倒してみたら?そこまで言うのなら。弱っている今なら格好のチャンスだ。それともルカの力など取るに足りないとでも言うのか?」

 最後の言葉にルカはカッとなった。思わず目を見開く。漆黒に輝く肉食獣の瞳孔が細くとがってゆく。

 綾也の身体がふわっと持ち上げられ、そのまま壁に突き飛ばされる。

 ゴボッという音とともに綾也の口元から血が吹き出す。

「よせ、ルカ!止めるんだ」

 必死のアツシの制止にも、一度発動してしまったルカの戦闘モードは止められない。

 肩で息をしながら、綾也が挑発する。


「これで終わり?子どもだましだな」

「綾也もいい加減にしないか!これじゃ本当に!」


 言いかけたアツシに向かって綾也が視線を向ける。それだけで彼が吹き飛ばされる。そのまま顔をルカの方向に動かすと、眼を細める。ルカの手がぎりぎりと自分の首に向かって動いてゆく。


「その手には乗らないわ、お兄ちゃま!」

 ルカは目を無理やりそらすと思いきり飛び上がる。綾也の視界からいったん出ることによって、彼の力から逃れようとする。その足元を綾也は見つめるだけで引きずり下ろす。

 ルカが床にたたきつけられる。

 叫び声はもはや人間のそれではない。ドレスが汚れるのもかまわずに彼女は下から綾也をにらみつけた。


 綾也の顔が苦痛にゆがむ。歯を食いしばり痛みに耐える。ルカが彼の身体を締め付けているのだ。

 このまま、この状態で骨ごと砕かれてしまえ。綾也は頭の隅で自らの死を願った。自分の良心が残っている間に。まだ少しでも人間らしい心が消えてしまわぬうちに。


 しかし、その願いはただ一つの足音に虚しく打ち消されてしまった。





 カツカツと規則正しい音を立てて廊下を歩くその人物の気配に、三人はふと我に返った。落ちていた綾也の銀フレームを拾うと、その人物は壁に寄りかかったままの綾也にかけさせた。


「酷い有様だな。気が済んだか」


 冷たい響き。

 先程まで清潔そうに敷かれていたベッドシーツは血にまみれ、パイプはゆがみ、窓のカーテンはびりびりに破けていた。あちこちの壁は衝撃を受けた箇所に穴が空き、三人はそれぞれ息をするのもやっとの状態だった。


 綾也は、なぜか動けなくなっていた。


 彼の元にいれば、僕は殺戮の道具。わかっていながらどうしても逃げ出せない。彼の姿を見るたびに足がすくみ、それ以上何も言えなくなる。


 そこに立っていたのは氷よりも冷たい瞳の漆原博士だった。感情を全く感じさせない冷酷さで彼は諭し聞かす。

「有事下において戦うことは正義だ。おまえの力は人びとを救う福音になる。現にあのシブラクの事件では独裁者が去ったあと、虐げられてきた多くの人びとが絶望の淵から生還した。おまえが彼らを救ったのだ。絶対的な悪を一人殺すことで、何千何万もの罪のない人びとを救うのだ。どれだけ有意義か言うまでもないだろう」


 ……博士……


「戦わなければおまえは石を持って追われる。正義の側にいなければ、おまえはいつまでたっても得体の知れないモンスターだ。おまえたちはつねに戦い続けなければならない」

 三人のかつての子どもたちは、その言葉の響きに身体を震わせた。何度も何度も言い聞かされてきたその意味を、戦い始めてようやく実感しつつある。

 僕らは異形のもの。この世では生きてはゆけない。

 ラボラトリに守られ、正義として戦い続けるしか存在理由はない。

 そう信じでもしなければ、彼らの本来は繊細な精神力はずたずたになってゆくことだろう。彼らにとってのアイデンティティー。


 そっと綾也が目をつぶる。


「それでも、僕は…」

 言いかけて彼は壁に寄りかかったままずるりと床に倒れ込んだ。治りきっていない傷が開いたのだろう。白い壁紙が血の跡で染まる。

 そのまま綾也は意識を失った。


 ほんのわずかなため息をついて漆原はドクターを呼んだ。その耳元に何かささやく。

 こんなに離れていても、テレパスのアツシにはイヤでもはっきりと聞こえてしまった。


 綾也へPSDの大量投与を。


 作戦は次の段階へと進もうとしていた。








 昼下がりの霞ヶ関は足早に通り過ぎるスーツ姿の役人らであふれかえっていた。

 誰もが余分な動き一つ見せず、目的地へと向かう。それだけ活気があるというより緊迫感に包まれているのだろう。


 哲平は理香子からもらったスーツに身を固め、タバコも吸うことなく、じっとターゲットが現れるのを待っていた。

 約束があるわけでもない。出てくるかもわからない。しかし必ず動き出す。彼らしくもなくそんな不確かな情報だけで、哲平はここに立ち続けていた。

 ゆうべ耳にした貴重なたれ込み。ニュースソースはあかせないが、単独で動かせてくれと金子に直談判した。

 皮肉げな遠藤の視線を感じたが、彼もさすがに何も言えなかった。


 春秋は高文社でもトップを守り続けている看板雑誌。それの特集班と言えば生え抜きの先鋭集団。

 なのに津雲哲平一人がどこからか持ち込んでくる情報に、勝てる者はいなかった。

 悔しいが、これが裏社会を知り尽くした男の実力か。次第に彼らは哲平の力を認めざるをえなくなっていた。

 佐山がまんざら冗談ではなく高文社への入社を勧めると、一人の方が気が楽でね、とあっさり哲平は首を横に振った。


「佐山さん、一人だからこそできることもある。守るべき何もないからこそできることも。ここにいる大先輩たちは違うでしょう?それはただの立場の違いですよ。おれはおれのやり方でしかできない。それを黙認してくださって感謝してますよ」

 そう言って珍しく素直に哲平は笑った。

 もう既に戦友の一人、そう思えるほどこの事件への思い入れは誰もが強くなりつつあった。





 ようやく、立派な正面玄関から彼が出てきた。警備隊が他の省よりも幾分多いと感じられる国防省。

 まさかここに直接突っ込むバカはいないだろうが、ここから出てくる役人の誰もが眼光鋭く、隙を与えないのはさすがと言うか末恐ろしいと言うべきか。


 哲平は彼の横にすっと近寄って小声で話しかけた。

「国防省情報部の郡山さんですね。週刊春秋の津雲と申します。少々お話が…」

「人違いではありませんか?私がお話しするようなことは何もないと思いますが」

 視線を横に向けることなく、郡山は静かに言った。取り乱すことさえない。

 そんな態度にひるむ哲平であるはずがなかった。こちらもすっとぼけた真面目な顔つきで郡山に食らいついてゆく。


「漆原博士が帰国したと聞きました。それについてお訊きしたいことがありまして」

 途端に郡山は無言になった。無言はときに何の言葉よりも雄弁に胸の内を表す。

 動揺すらしなかったが、哲平は確実に手応えを感じていた。たたみかけるように言葉をつなぐ。


「郡山さんはSTEに反対の立場とお聞きしています。私どもと利害関係が一致すると思いましてね」

「……どういう意味だ?」

 郡山のポーカーフェイスは変わらない。しかし言葉遣いは微妙に変わりつつあった。


「我々はSTEを潰したい。そう言っているんですよ」

 そのセリフに初めて郡山が横を向いた。


「何を知っている?」

 低い、威圧感のある声。とても普通のお役人とも思えない。情報畑をずっと歩いてきたキャリアの威厳。

 哲平はニヤリと笑って、あらかたのことは、とささやいた。


「カマをかけてもダメだ。素人が手を出せる話じゃない」

「あいにく私は細かい駆け引きが得意ではなくてね。単刀直入に言いましょうか。プロジェクトS、そして…梶尾綾也」

「!」


 郡山の表情があきらかに凍り付いた。ただ者ではないと見抜いたのだろう。


「あんた、本当に春秋の記者か」

 もちろん、社員証でも出しましょうか。哲平がうそぶく。

「大手がこんな危ないヤマに手を出すはずがない」

 哲平が差し出す名刺には目もくれず、郡山は自分の携帯電話を取り出した。

 高文社の代表電話を調べ、春秋の編集部に回させる。


「こちらは総務部広報課の郡山と申します。そちらの津雲記者をお願いしたいのですが」

 あいにく津雲は外を回っておりまして、こちらから折り返し……庶務の麻美子の声が微かに聞こえる。

 哲平は心の中で手を合わせる。サンキュ、まみちゃん。その調子で頼むぜ。


「身分認証は合格ですか?」

「ここで話せることではない、来てもらおうか」

 郡山は哲平の腕を掴むと、すばやくタクシーに押し込めた。





 都内ではあるが、隠れ家的な高級レストラン。そこの奥にひっそりと小さな部屋。

 見るからに高そうなインテリアが、柔らかいライトを浴びて輝いていた。

「ひええ、高そうな個室だぜ。春秋の交際費で落とせるかねえ。ダメならあとでこれでもかと綾也に請求してやる」

 哲平はぶつくさ口の中だけで独りごちた。今日はどうやっても自腹だろう。急にカードの限度額が心配になった。

 店の者は慣れているのだろう、特にオーダーを訊くこともなく下がってゆく。


 郡山は椅子に座ると、哲平をまっすぐに見た。

「記事にしてどうするつもりだ。とても一流の週刊誌に載せられる内容とも思えないが」


 哲平は行儀悪く肘をテーブルにつくと、身体を乗り出した。距離を縮めることが話しやすさを生む。

 とにかく国防省内部にくさびを打ち込んでおきたい。

 これだけの無謀なプロジェクトだ。一枚板というわけでもあるまい。


「エリート養成と銘打って、親元を引き離しての過酷な訓練と非人道的な扱い。児童条約にすら抵触しますね。子どもたちの人権問題と騒がれてもおかしくない。これじゃ新興宗教のカルト集団とやっていることは変わらないでしょう。我々が世論に訴えたいのは、とらえられている子どもたちの解放。それだけですよ」

 熱く語る哲平の話に、郡山はフンと鼻を鳴らした。

「訓練の内容まで知っているとでも言うのではないだろうな」

「もちろん知っています。しかし私自身はそのことに触れるつもりは全くない。彼らには未来がある。あの子たちに普通の人間らしい生活を取り戻してやりたい。願うのはそれだけです。義憤、ってやつですかね」


 郡山はそっと首を振った。たかが一般の記者が知り得るわけがないとでも言いたげに。

「ただのエリート教育だと思っているのか」

「まさか。はっきり言わなければ私の言葉は信用ならないと?では言いましょう」

 哲平は手を組み替えてあごを乗せた。


「超能力の軍事利用」


 きっぱりとした彼の言葉に、郡山は苦々しげに横を向いた。


「……どこでそんなデマを」


 コーヒーが運ばれてくる。一瞬、会話は途切れ無言が続く。郡山が店員に手を振る。人払いの合図だろう。

 二人きりになった個室で、哲平は郡山の目をじっと見つめた。相手を震えさせるという本気の視線。

 ここで線を繋がなければならない。彼も必死だったのだ。


「白々しい会話はよしましょうや、郡山さん。おれは彼らを助けたい。そのためにはなりふり構わずことを公にしますよ。そうなればSTEもプロジェクトSも崩壊するきっかけになる。PSD計画は頓挫する。違いますか?」

「誰も信じないだろう、こんなバカげた話は」


 哲平は余裕を見せるフリを装って、コーヒーを一口飲む。本当はかなりの綱渡りだった。彼にとってでさえも。


「国防省が軍事目的にエリート養成、それだけで十分です。この国の一般大衆は差別されることに慣れていない。飛び級すら受け入れられない。ギフテット対象のスペシャルエデュケーションは不可能なんです。世論が騒いでくれれば国防省もSTEを見直さざるを得ない。そこに隙ができる」

 視線の鋭さは郡山も負けてはいない。だでに情報部にいるわけではないのだ。素直に哲平の話を信じ切れるほどのお人好しではない。


「何が目的だ」


 冷たく、切るような言葉。哲平は歯を食いしばってプレッシャーに耐える。

「言ったでしょう?義憤だと」

「白々しい会話はよすんじゃなかったのか。金か、売名行為か、それともバックに誰かいるのか。一人で乗り込んできた勇気は評価しよう。だがな、あんたを操っている黒幕は何者だ?まあ、素直に言うタマにも見えんがな」


 郡山が口元をゆがめて苦笑いをする。

 哲平は腹をくくった。


「正直に言います。研究所内に、まだ年若い友人がいるんです。おれは彼を助けたい。そんな力さえ出さなければ気の弱いごく普通の青年です。あいつに当たり前の生活を取り戻させたい。おれにバックなんぞいない。どうかおれに力をください」


 哲平は深々と頭を下げた。

 郡山がSTE反対派と聞いてから、ほんのわずかの可能性でもかけてみようと思った。

 国防省にわずかでも食い込みたい。


 哲平の言葉に、郡山は腕を組んで深く黙り込んだ。








「私はもともと反対だったのだ。そんな荒唐無稽な話を信じろという方がどうかしている。君もそう思わんか」

 このカップだって、かなり値の張る物なのだろうな。緊張をほぐすためにどうでもいいことをあえて頭に浮かべ、哲平は郡山のよく通る声を聴いていた。


 荒唐無稽か。確かにな。


 おれだってこの目で見なきゃ信じられなかったさ。哲平は軽く目をつぶると、その情景をうっすらと思い浮かべた。一瞬も気の抜けない駆け引き。彼は額に指を置くとそっと揉む。

「そう…ですね」

「金をドブに捨てるようなものだ。予算を取り、人をあてるほどのこともない。省内でも反対意見は多かった」

 だが、計画は継続された。低く唸るような哲平の声。それに重みのある頷きを郡山が返す。


「梶尾綾也……。彼の存在がすべての流れを変えた」

「シブラク大統領襲撃事件、ですね」

 郡山は大きなため息をついた。

「いったいどんな情報網を持っているのだ、君は。長生きできそうには思えんな」

 その言葉に苦笑いで応えると、哲平はよく言われますとつぶやいた。

「あの事件でSTE、もっと言えばプロジェクトSは微妙な立場に置かれたのではないのですか?」

 郡山の瞳がまっすぐ哲平をとらえる。普通の者ならたじろぐばかりのするどい視線。

 しかし結局口を開いたのは郡山だった。


「逆だ。彼らの能力があなどれないということを、決定的に省内へ印象づけた。まあ、国防と公安との仲は非常にまずくはなったがね。たった一人の少年が警察先鋭部隊を全滅させてしまったとなれば、彼らの立場もあったものではないからな。梶尾綾也の潜在能力は計り知れない。コントロールさえできれば十分に軍事利用できると判断された。彼は監視下に置かれ、どう制御していけばよいか長期計画の元での検討が始まった」


「監視下?ちょっと待ってくれ。梶尾綾也は不適格の烙印を押され、STEを放逐されたのではないのですか?」

「東都大学医学部谷田貝研究室は、もともとSTEと深い協力関係にあった。君もそこまで知っているのならわかるだろう?」


 なんてこった、あいつは本人自身も気づかぬだけで、ずっと網の目の中だったというわけか。

 形式上の責任を取らせて漆原博士を海外へ出し、綾也本人は谷田貝の元へ。

 その間ずっと、綾也は自由という名の鎖に縛られ、時が満ちるのを待たされていた。

 見せかけの平凡な日々。張りぼての平和。あいつにとっては期限付きのただの休暇。

 そしてPSDの開発は続けられた、と。


 どこまで国防省は、いや漆原は綾也を利用尽くそうという気なんだ。


「なぜ郡山さんはSTEに反対の立場を?」

 ストレートにも程がある哲平の訊き方に、郡山はこの一風変わった記者へ少しずつ心を開いたかのように見えた。

「不安定要素がありすぎるからだ。確かに梶尾少年の力は底知れぬパワーがある。しかしいつそれが発揮され、また上手に制御できるか、現段階では誰も掴めてはいない。集められた数十人のサイ能力の可能性を持つであろうと言われた子どもらに、梶尾少年ほどの力はない。我々はたった一人にすべてをかけるほど甘くはないのだよ。組織とはそういうものではないのかな、津雲さん」


 すべての計画は徒労に終わるだろう、それが我々、反STE派の主張だ。

 そう言いきると郡山はコーヒーを飲み干した。

「出せる範囲でのSTE関連の資料なら、見せることは可能だ。それでどう書いてもらってもいい。STEに金をつぎ込むくらいなら、検討段階で止まっている空母配備についてもう少し話を進めたいと思っている方だからな、私は」

「そして郡山さんは、情報部内きってのSTE推進派である陣内氏の失脚をも望める、と。そういうことですか?」

 ようやくいつもの哲平らしさが戻り、にやっと笑って自分よりよほど老練なこのキャリアを睨め付けるように見た。


 郡山の頬が引きつる。この男は……。


 連絡先のやり取りを終えて、伝票を当たり前のように哲平が受け取ると、郡山は一足先に店を出て行った。


 珍しく哲平は、深々と椅子に座り込むと胸の奥から大きなため息をついた。





「どうだアツシ、スキャンは終わったのか」

 いつも無口なトオルが珍しくそう問うた。

 白いラボラトリ内の一室で、PSDによって深く眠らされた綾也が横たわるそばにアツシは立っていた。

 いつもの彼らしくもなくかなり乱暴に綾也の脳内に分け入り中を探り回っていたが、ふっと力を抜くと目をつぶった。

「もう無理だね。彼はわざと隠してるんじゃないよ。どこにもない。この分じゃ本当に綾也は知らないんだと思う」

「もっと良く調べてみなさいよ!この子の記憶方法はグラフィックメモリーなのだから、脳内にきちんとファイリングされているはずでしょう?」

 そんなに簡単に言うなよ、レイナの声にアツシはふくれた。

「普段だったら綾也の内言語にだって近寄せてもらえないんだぜ?あいつはスキャンされるのが大嫌いなんだから。PSDのおかげで、こんなに頭ん中かき回して探して、それでないんだからないんだよ」

「じゃあ、お兄ちゃまは意図的にPSDの構造式と製造方法の一部を見なかったってこと?」

 ルカが口を挟むのに、そういうことだねとアツシは肩をすくめた。

「どこかに隠したのか、隠されたのか。それを探し出さない限り完全なPSDは作れないということね」

 レイナは腕を組みながら独りごちた。


 それぞれが深い沈黙に落ちていった。Sのメンバーはそれでももともとの潜在能力が高かったため、不完全な今のような形でのPSDでもある程度の効果は望める。

 しかし、このラボラトリにいる他の仲間たちにとって、作戦に参加できるようになるにはもっと純度の高い製品が必要となってくる。

 でなければ彼らは辛い訓練だけを施され、一般社会では受け入れられず、中途半端な立場で一生ラボラトリにいなければならない。

 ならばせめて、我々とともに戦うことができれば。彼らに存在価値を与えてやりたい。正義の立場に立たせてあげたい。いつまでも恐れられ怯えられ、石を投げられる存在でいさせたくない。

 レイナの思いは、漆原博士の思いでもあった。彼女がここへ来てからそうずっと諭されてきたのだ。

 アツシは一人複雑な思いでレイナのわかりやすい表層言語を読み取っていた。

 そして、誰にも言わずにいた綾也の奥深い記憶について思いをはせた。





 それは一面の花畑。咲き誇る黄色い花はなんという名なのか。しゃれた洋館に続く庭。

 決して昼間ではないけれど、夕陽が落ちる直前の薄明るい中を、本当に幼い子どもと母親が笑い声を立てている。

「マム、マム!見て見て!」

 まだ口もよく回らないその子は、淡い朱い瞳を通してものを見る特性を持っていた。

 白く透き通るような肌は太陽の光には耐えられないのだろうか。

 母親は嬉しそうに微笑みながら彼を見つめるばかり。


 そのうち、幼子は黄色い花びらを集め始めた。最初は拙い指先で一つずつ。集まりだしたところで両手ですくう。しかし何せ小さすぎるその手のひらからは、たくさんの花びらがこぼれ落ちる。


 じれったくなったのだろうか、その子はふっと手をかざすとそれらを中空へと浮かび上がらせた。

「ほらマム!きれい、きれい!」

 にこにこ笑う子どもに、母親は急いで駆けより思いきり抱きしめる。


「リョウヤ…。つかってはだめ、そのちからはみせてはだめ。あなたはふつうのこどもなのよ。おねがい、まむのいうことをよくきいて」

 母親の両目から涙が流れ落ちる。痛いほど抱き寄せられてリョウヤと呼ばれた子どもは、いやいやをするように身体をよじる。


「リョウヤ、かわいいわたしのぼうや。かわいそうなわたしの…」





 だからイヤなんだ。深く深く分け入るように脳内をスキャンなんかするのは。

 アツシの心は重くなっていった。綾也の記憶は映像だから母親の顔さえ浮かび上がる。彼によく似た美しい人。


 忘れろ!忘れてしまえよ、綾也。そんなものなんか覚えているから辛いばっかりなんじゃないか!

 アツシはどこにもぶつけられない思いを吐き出したくて、乱暴な足音を立てて部屋を出て行こうとした。


 ドアを開けると、そこに博士の姿を認めてアツシは珍しく激しく動揺した。


「おまえでさえ、読めない心があるとはな」


 漆原博士の精一杯の冗談なんだろうか。笑えるはずもなく、アツシは顔をひきつらせた。

 レイナが簡潔に状況を説明する。すべてを聞き終える前に漆原は冷ややかにみなへ告げた。


「PSDの残りの一ピースを探し出せ。まずはそこからだ」

「まず?そのあとどうするつもりなの、先生」

 あどけない声に気を許すような漆原ではないだろうが、それでもルカに視線を向けると彼はこれ以上ないほど、冷酷な言葉を続けた。


「本格的にPSDを新薬として流通させる。最終的には衛生省および国防省に存在する反対勢力は、すべて排除だ」

 排除とは……。誰も声には出せなかったが意味することは否が応でも伝わった。


 そこにいる全員が、その重みに言葉を失った。








 夜もだいぶ回った編集部で大量のコピーを取りながら、小仲は首を左右に曲げていた。連日の取材というか、彼の場合は単純作業で疲れもたまっていることだろう。

 理香子は珍しく彼のためにコーヒーを運んでやった。


「こんなに毎晩遅く帰って、おまけに必ず休日出勤。彼女怒らない?」

 その言葉に小仲は、心底なさけなさそうな顔をした。

「もうとっくに振られましたよ。文芸部に異動する話はどうなったのよ!デート出来ないのは仕方ないけど、メールにも返信できないなんて信じられない!だって」


 あらら、おかわいそうに…。理香子はこれっぽっちも心のこもっていないなぐさめを口にした。

 恨めしそうな小仲の表情。


「だいたい理香子ちゃんが特集班に入りたいなんて無茶言うから、ボクまで付き合わされたんでしょうが。責任感じない?」

「全然、別に。だってあんた、マスコミ関係なんてどこ行っても一緒でしょう?この職業を選んだ自分が悪い」

 理香子ちゃんは鋼鉄の心臓の持ち主だもんなあ。せいいっぱい悪態をつく。


「ふふっ、哲平さんが『小仲はいい記者になる』って言ってたわよ」

 ホント?小仲は単純に飛び上がりそうになって喜んだ。


「ねえねえ、ボクのことなんて言ってたの?」

 内緒。意地悪そうに理香子は涼しい顔で自分用のコーヒーをついだ。

 …単純バカで素直でお人好しで使いやすいだなんて、いくら気のいい小仲くんでも本人には言えないわよ…

 何だかこうやって小仲をからかっていると、自分まで哲平のような気分になってくるから不思議だ。

 このまま努力し続ければ理香子自身もあんなふうに、いつかは取材に回れるのだろうか。それとも。


 将来のことは考えないわけではない。祖父が興した製薬会社。でも私のやりたいことは、この戦場のような取材現場で生の人間に触れ合うこと。

 まだ若いのだから、今は好きなことをしなさい。そう送り出してくれた父に感謝しつつ、とにかくやれるだけのことはやろうと理香子は心に誓った。


 何の気なしに、小仲のコピーしていた紙を一枚手に取る。


 理香子は息が止まるかと思うほど驚き、もう少しでコーヒーをぶちまけるところだった。


「どうしたの?理香子ちゃん」

 不審げに小仲が声をかける。

 その資料は哲平がどこからともなく手に入れてきたというSTEの内部資料。

 PSD計画の概略が書かれている。こんなものが存在することも、それを一介の記者である哲平が手に入れたということも不思議でならないけれど、それよりも。

 コピーは最後のページだったらしい。計画の協力機関および企業の羅列。


 その一つには…中村バイオファーマ。


「悪い!私、先に帰る!」

「ちょ、ちょっと理香子ちゃん?そっち終わったらコピー手伝ってくれるって言ってたじゃん!」

 小仲の声など聞き流し、理香子は地下の駐車場へと急いだ。





 久しぶりの緊張から解放されて、なじみの店で一杯引っかけてきた哲平は鼻歌交じりに自室の鍵を開けた。

「あらよっと、靴を脱ぐのもめんどくせえなあ。風呂もパスだ、パス。このまま寝てやる」

 一人暮らしの気楽さにも慣れ、でかい声で騒ぎながら顔を上げた哲平は、途端に凍り付いた。

 玄関を開けるとすぐに広い真っ白なリビング。白い大きなソファ。


 そこに一人の男がゆったりと腰掛けていた。

 銀フレームのメガネの奥は朱く燃え、口元はゆがみ、微笑みと言えば言えなくもない。

 細身の身体を黒いタートルネックのシャツに包み、ブラックデニムをすらりと履きこなした脚を組んで、哲平の帰りを待っていたのは…。


「りょ…う、や」


 哲平の表情には既に笑顔はない。彼との再会をこれほど望んでいたのではないのか。


「久しぶり、哲平さん。いつもの饒舌さはどうしたの?」

 嘲るような綾也の声に、哲平は押し黙った。


「せっかくの再会なのに話すこともないの?ずいぶん冷たいんだね。しょせん僕らの関係はそんなものだったという訳ですか」

「ヤク中のてめえなんぞとしゃべりたかねえよ。他の大切なお仲間様たちはどこに隠れてやがる」

 歯を食いしばり、その間から絞り出すように哲平は唸った。こいつは、こいつは確かに綾也じゃねえ。


「僕一人だ。それとも僕のことは信じられないとでも?」

「本当の綾也が帰ってきたのなら信じもするさ。だがてめえはただの綾也によく似た人形だ。漆原っつう本物の狂人に操られた、な」

 その言葉を聞くと綾也は彼なりの微笑みを引っ込めた。能面のような無表情さ。それは整いすぎた彼の美しさを、邪悪なものに変えてしまっていた。


「結局あなたも、僕をまるごと受け入れてはくれない。見てくれのよい優しげな人畜無害の腰抜けがあなたたちのお気に入りで、本来の梶尾綾也という存在は許しがたいものなのでしょう?」

「今のてめえに何を言っても、おれの言いたいことなど通じやしねえ。おまえらはあの博士にうまいこと使われているだけだ。本当のおまえに戻れ。そうしたら心から歓迎しておまえが帰ってきたことを祝福してやるよ」

「僕は僕だ」

 いくぶん苛立たしげに綾也は吐き捨てた。


「どうして哲平さんでさえも僕を拒絶するんだ!僕だって人を憎んだり、殺したいと思ったり、どろどろした感情をも持ち得る存在だとなぜわかってくれない!」


「誤解するな、綾也。おれはな、おまえがいいヤツでいつも穏やかだから助けたいと思っているわけでも何でもねえ。人間らしくあって欲しいと願っているだけだ。イヤなことはイヤだと言え。憎むべきヤツはきちんと憎め。おまえの父ちゃんなんか、今すぐにでもイギリスに行ってぶん殴ってこい!それが人間だ。おまえはいつもそれを抑えつけてきた。理不尽なことも端で見てて辛い出来事も不幸なことでさえも、黙って受け入れてきた。そんな辛さからおまえを解放してやりたい。だがな、それはおまえを殺人機械にするようなことで解決するわけがねえんだよ!」


 思わず吐露した哲平の本心。

 笑顔の下で苦しさから辛さから目をそらし、涙をこらえる綾也だからこそ、放っておけなかった。

 哲平にとってPK能力など何の関係もない。ただ、人間らしく。それだけが彼の望みだった。


「僕の力を知っていてそういうことが言えるあなたについては、ある意味感心するね」

「皿が飛ぶくらい何だ。ボルトだろうがヒモだろうが、何でもあるもの使って縛り付けとけ。おまえはもともとそういう人間だ。それを勝手に人殺しの道具に使おうとしているのは…!」


 ばしゅっ!

 こらえきれずに綾也は目を思いきり細めた。哲平の身体が玄関のドアに叩きつけられる。


「これ以上…博士について言及するようなら」

「するなら何だ?おれを殺そうってのか?ああ、今すぐそうしてくれ。どうせ畳の上じゃ死ねねえと覚悟の上だ。こんな危ねえ綱渡りばかりして、そうは長くないなと言われたばかりだよ。てめえに殺されるなら本望だ!」





 …落ち着け、綾也…


 隣の部屋から彼らを監視していたSのメンバーらは、アツシを通して必死に綾也に呼びかけた。

 PSDに今一番近いのは、おそらくこの男。

 そのために彼を揺さぶって情報を引き出そうとしているのだから。

 会話を長引かせて。レイナがそう願うのをアツシは伝えながら同時に哲平をスキャンしてゆく。


 レイナは部屋の中を丹念に透視していった。リビング、ダイニングキッチン、寝室、彼らの個室。

 哲平のそれは資料にあふれ、どれがどれだからわかりかねるほど乱雑だった。

 それでも時間を稼いでもらえれば、哲平の思考がどこを向くかによって大切な資料の場所が特定できる。

 レイナもこれだけの能力を使って透視を行うのは初めてだった。

 額には汗が浮かび、はかどらぬ作業に唇を噛む。


「アツシ、どうなの?あの男の頭の中にPSDの資料のありかは見つからないの?」

 いらいらしながらルカが声をかける。PKの彼女にできることは今はない。

 それが悔しくてみなをせかすばかりだった。

 見つからない。レイナがほうとため息をつく。

 あとはアツシのテレパスとしての能力を信じるしかない。全員が彼を見つめる。

 アツシはかなり乱暴に哲平の中に分け入っていったが、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


「どうしたのよ、アツシ!あいつの中に何があったの?」

「ル、ルカになんか言えないよ!」

 何しろ、対人関係に希薄な生活を送っている彼らなのだ。

 アツシにとってはあまりに刺激の強すぎる言葉や映像の数々に、彼は混乱し狼狽しきってしまった。

 恥ずかしさに顔が上げられない。


 哲平は、Sがどうせその辺にいるだろうと思っていたものだから、口では綾也を挑発しながらも頭の中でPSDどころか、とんでもなく過激なシーンを思い浮かべてやっていた。

 おそらくその手の話題には全く免疫のないであろう純情なSの青少年のために。


「こうなったら、あたしが直接乗り込んであいつを締め上げてやる。お兄ちゃまになんか任せておけないわ。かなり酷く痛めつけていいんでしょう?何としてでもPSDの情報を手に入れなくては」

 ルカの声に、みなはあわてた。

「早まるなルカ。ここで津雲哲平をつるし上げたところで素直に話をするような相手じゃない。間違ってあいつを殺そうものならPSDの情報はそこで途切れるんだ」

 普段はあまり口を開かないトオルに説得され、ルカはしぶしぶ黙り込んだ。



(つづく)

北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved

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