表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/22

悲痛

「理香子ちゃーん、いくら何でも早すぎない?」

 ハンバーガーをパクつきながら小仲が情けなさそうな声を出した。

 地味な白い軽自動車、こんな車悪いけれど運転したことない。理香子は雑誌記者って何でも経験なんだわとため息をつきながら、小仲にケリを入れた。

「うっるさいわね、先輩たちと同じことやっていたらいつまでたっても進歩はないでしょ!少しでも現場に先に来て様子を伺う、そのくらいの努力をしようとは思わないの?」

 でも、怪しまれたら逆効果じゃん。まだぶつくさ言う小仲に冷たい視線を向ける。

「だからあんたを連れて、あたかも彼氏と昼食を安くあげてるんだみたいな格好させてるんでしょうが。マック代払ってもらうわよ、それ以上文句言うと!」


 理香子たちは青龍会のビルがかろうじてのぞける位置に駐車して、様子を観察することにしたのだ。

 特集班たちが取材に入ると約束を取り付けたのは午後の一時。

 いつまでも足手まといの下っ端でいるつもりは理香子にはこれっぽっちもなかった。

 十二時にはここに来て、二人はじっとビルを見張っていた。

 実家の運転手の自家用車を借り、作りの華奢なハンドルに顔を持たれかける。外国でまず運転免許を取り、A級ライセンスも持つほどの理香子には縁のないクラスの車。

 しかしこうやって街中にとけ込むにはとても都合がよい。一つくらい自分用に買おうかと、さすがの理香子も疲れてどうでもいいことを考えていた。


 セキュリティの厳しい堂島商事のビル。警備員だけでなく監視カメラも数台。映り込んでいたら怪しまれるだろう。近くで見られないのが悔しい。

 哲平とまでは言わない。せめて歳の近い先輩程度には役に立てるように。足手まといなのはいやと言うほどわかっているのだから。


「理香子ちゃんはさ、家の会社継がないの?」

 細身のくせに、ピクルスを抜いた特注バーガーを三つも平らげて、のんびりと小仲が問う。

「そんな気さらさらないわよ。小仲くんこそ、なんで高文社に入ったの?」

 有名私大を出て、その気になれば何処にでも就職できただろうに、かなり真剣にこの出版社を受けたのだという。

「そりゃあ、理香子ちゃんに会う為にだよね。運命かなあ」

 へらへらと能天気なことを言う小仲にもう一度ケリを入れる。緊張感がないのかこいつには。


「ボクはさ、まず編集者を経験してから作家活動をしたいと思ってるんだよね。文芸部志望がなぜか週刊誌になっちゃったけど、まあそれはそれで緊迫感あふれる作品が書けるかなあと思って。ね?僕って前向きでしょ?」

 にこにこと悪気のない顔で笑われると気が抜ける。理香子はため息をついてもう一度ビルの方を向いた。


「?」


 警備員の動きが変だ。今までいた場所を離れ、右往左往している。何があったというのだろうか。

 理香子はすぐさま車を降り、ビルに駆けよる。

「ちょ、ちょっと理香子ちゃんまずいよ!先輩たちが来てから」

 後ろからあわてて小仲がついてくる。そんなもの相手にしている暇はなかった。





 警備員たちはみな上を見上げている。理香子も思わず顔を上げた。

 ガラスの破片がぱらぱらと落ちてくる。恰幅の良い大柄の男性が背中を見せている。


 いや、実際の状況はそうじゃない。


 彼は宙に浮いていた。

 かろうじて足元を高い階の窓のふちに掛け、ほとんど全身を空中に乗り出していたのだ。不自然な格好。こんなこと尋常じゃない。


「小仲くん!警察と消防に電話して!いい?レスキュー呼んでもらうのよ、人が落ちそうだって。それから先輩たちに電話してすぐ現場に来てもらって!今すぐやるのよ!」

 小仲だってだてに記者をやっているわけではない。その理香子の言葉だけですぐに携帯電話を取り出す。

 理香子はこんな状況に対応しきれない警備員たちに大声で叫んだ。


「何かマットか何かないの?応接用のソファでもベッドでも!落ちてくるわよ!」

 そう言うと正面玄関から走って階段に向かう。驚いた顔の社員たちに同じ言葉をくり返す。

 おそらくあれは、小暮。そして普通の人間があんな状態を保っていられるはずがない。だとすれば、現れたのだ。


 Sが。


 さすがの理香子もその部屋に着いたときには息が切れていた。ドアをバンと開ける。

 驚いたように振り向くのは三人の男女と少女。

 一人の男が目を細めて理香子を見つめる。途端に彼女に襲いかかる酷い頭痛。理香子は頭を抱えてうずくまった。

「や…やめ…」

 まるで脳をかき混ぜられているかのような酷い不快感。

「こいつも記者の一人みたいだよ。津雲の手下だ。どうする?」

「一般人に手を出す必要はないっていつも言っているでしょう、アツシ。それより何か情報は?」

 冷ややかな声が微かに聞こえる。津雲の…手下。こいつらやっぱり。ああダメ、何も考えちゃ。

「へえ、こいつ僕らのことを知ってるみたいだ。一緒にやっといた方がいいんじゃない?」


 そのとき、窓で小暮らしき男を操っていた少女が叫ぶ。

「警察とレスキューが来たわ!やるわよ?」

 全員が窓に集まり、少女はふっと力を抜いた。窓の外に浮かんで騒いでいた男はそのまま落下していった。と同時に、四人は雲をかき消すように消えていった。


「理香子ちゃん大丈夫?」

 直後に部屋に入ってきたのは小仲だった。理香子は床に手をつき、肩で息をしていた。

 もうあの不快感は消えてはいたが、頭痛が酷く起き上がれない。

 それでも彼女は小仲に叫んだ。

「早く現場の写真を撮って!窓の辺りを中心に全体をくまなくよ、わかってる?」

 複数の警官らが飛び込んできて小仲と言い合いになる。

 しかしこれでも彼だとて春秋の記者の一人には違いない。意地でも写真を撮り続けた。

 どうしましたか、そう声をかけてもらったことだけは覚えている。

 気丈に起き上がろうとした理香子は、しかしそのまま警察官にもたれかかり、意識を失った。





 電波状況の悪い場所で連絡をもらった特集班の面々は、それでもさすがに何が起こったのか瞬時に察したようだった。小仲の回りくどい説明を途中でぶった切るとすぐさま堂島ビルに向かった。

 特に哲平にとってはイヤな思い出がよみがえる。

 あのときと同じ、谷田貝教授は自殺と断定され処理された。

 哲平がいくら言い立てても。


 また同じ手を使う気か、ちきしょう!


 哲平たちがタイヤをきしませてビルにたどり着いたときには、もう既に警察もレスキューも来ていた。

 ただ規制をかけられる前だったのは運がいいというか、小仲の手柄だろう。

 そのままどさくさにまぎれてビルに近づく。

 それぞれの記者には警察付きではなくとも強固な人脈がある。

 パアッと散った彼らが思い思いの情報を得ようと動き出す中、哲平は人混みをかき分け、落ちた当の本人に走り寄った。


「おい!近寄っちゃいかん!」


 おれを知らねえなんて、新入りかてめえ。ドスを利かせるとさすがの救急隊員も一瞬ひるむ。

 その一瞬の隙が欲しかった。哲平はかろうじて意識があった小暮に声をかける。


「おい!小暮さん!何があった?」

 もう既に目はうつろで小暮の意識は混濁していただろう。助けようもないほど身体があらぬ方向にねじ曲がっている。

 それでも哲平に精一杯のメッセージを託したのは、一代で青龍会をここまでにした不動の精神力か、己をこんな目に遭わせたヤツらへの恨みか。


「…バケ…モ…ノニ…ヤラレタ」


 化け物?その一言に哲平の背中が凍り付く。頼む、どうか綾也が関与していませんようにと。

 あの大怪我だ、まだ動けるはずがねえ。それでも払拭できない疑念。小暮のむせ返るごぼごぼとした音にハッと我に返る。


「ウ…ウル…シバ…ラガ…」

 ヤツがどうした?叫ぶ哲平に最後の言葉。ほとんど聞こえない言葉にならない微かな声。

 …ニホンニカエッテキタ・PSDヲタイリョウニ…


 あとは哲平も小暮から離されてしまう。しかしその言葉だけで十分だった。

 シブラク大統領襲撃事件の失敗の責任を取らされ、国外へ出向させられていたはずの漆原博士。

 そして、PSDの大量…その先は何と続くのか。大量実験か、大量製造か。


 始まってしまった、とうとう。


 どうすればいいんだ。あっちには綾也がいる。そして漆原博士が帰国した。

 PSD計画が本格始動する。その計画がどこを向いているのかさえおれたちにはわからないのに。


 哲平は怒りを何処にぶつけて良いかわからず、こぶしを握りしめた。








 白い病室は、わずかばかりの機械音が響くだけの静かな空間だった。光が綾也の淡い瞳にまぶしすぎないようにと、紗の掛かったカーテン。彼は眠ることなく唇を噛んだまま天井を見つめていた。

 ベッドサイドに専門書を持ち込んで、ぱらぱらとめくっていたアツシはそっと彼の脳に直接話しかけた。

「いいよ、何もしゃべんなくて。そのためにボクが残ったんだから」

 綾也の表情がわずかに不快感にゆがむ。


「そうだったね、綾也は昔からテレパスにスキャンされることが嫌いだったね。大丈夫、無理に侵入したりしないから、気を楽にしてればいい」


 …カエリタイ…

「帰るところなんて、ラボラトリ以外にあるの?外に出た結果がこれ、だろ」


 …ボクヲダイガクニ、イエニカエシテ…

「それは無理だよ、青龍会も警察も検察も、みんなメンツや思惑が絡まり合っておまえの行方を必死に捜してる。ここは大丈夫だよ。警備は完璧だしボクらも守れるから」


 …ボクハモウタタカエナイ…

「おまえもボクらも、何も起こらない穏やかな日常を暮らすなんて無理だ。そうだろ?」


 その言葉に、綾也は目をつぶった。彼の内言語もしばらく無言だった。何も考えまい。常人には無理だが、STEの子どもらの訓練には必ず加えられているメニュー。

 世界には、知られていないだけでサイ能力を持つ人間が存在するのだ。表に出ないというただそれだけのこと。


 どれだけ時間が過ぎたことだろう。そっと綾也がアツシに問いかける。もちろん口を動かして声を出すということではない。


 …アツシハココニイテイイノ?…

 アツシは珍しく目をそらした。しかしゆっくりと視線を戻すと綾也に話しかける。


「あの事件のあと、ボクらプロジェクトSのメンバーの立場はずっと微妙なんだ。サイ能力者を実戦に使うことの是非も問われている」

「ごめん…な…さい」

 肉声で思わず綾也はつぶやいた。途端に襲う痛みに顔をしかめる。

「綾也のせいじゃないよ。ボクらだってどうしていいかわからなかった。生身の人間を殺すということが何なのか、わかっていなかったんだ。いい経験になったよ」


 その言葉に、痛々しそうに目を細める。彼らを人殺しにさせてしまうSTE。それがいいはずもない。綾也が三年間すごした通常の生活には無縁の世界。なぜ当たり前の日常が僕らにはできないのか。

 それらの言葉を拾いながら、アツシは静かに話し出した。


「ボクがラボラトリに来る前、どうしていたか話したことあったっけ?」

 たとえSのメンバーであろうと過去のことは話さない。それが暗黙の了解だった。ずっと一緒にいたというのに。

 アツシは自嘲めいた皮肉な表情を浮かべた。


「児童精神科に強制入院させられていたんだ。大量の向精神薬を飲まされて、ボクが恐ろしい妄想と空想癖から逃れられるように、って」

 綾也は息を飲んだ。胸が痛む。それは傷だけじゃない、たぶん心も。


「他人が思っていることは、誰かが口に出すまでは確定されたことじゃない。だからそのことについて話してはいけない。そんなルールでさえ誰も教えてくれなかった。ボクは周りの人間が思っていることは、誰もがわかっていると信じていたんだ。だから当たり前に話し、ボクもそのことについて答えた。みんなぎょっとしたようにボクを見たよ。それから必ず、気持ち悪い、と。何で気持ち悪いの?と訊けばその次は決まったように怯えてそばに寄らなくなった。ボクは傷ついて傷ついて、やっと話していいことといけないことを自分で見つけた。他人と暮らせるようになるまでボクの払った代償は大きかった。周りには誰もいなくなった」


 …アツシ…


「ラボに来て、ボクだけじゃないことがわかったときにどれだけ救われたか。おまえだってそうだろ?ルカがいる。他にもサイコキノはいる。そりゃおまえほどの力を持つものはいないけど、持たざる者が圧倒的に多いこの世の中で、ボクらはいつでも少数派であり、追われる側なんだ」


 …デモボクハ…


「自分だけは違うっていうの?この三年間、外で暮らせたから?だからなんだよ。このまま一般人の中でうまくやっていけるとでも言いたいのか。じゃあ何で、おまえはここにこうしているんだ?普通の人のように穏やかな暮らしをしているはずのおまえは、なぜ銃で撃たれて大怪我をしてここに寝ているんだ?結局トラブルのど真ん中で、ひどい嵐を引き起こしているのはおまえじゃないか!」


 アツシの声が思わず大きくなる。いつもちょっぴりシニカルで冷めているはずの彼が。

 その声に、綾也はほうっとため息をついた。

「ごめん…それで…も…ぼくは…たたかえな…い」

 アツシは思わず立ち上がる。彼の怒りのイメージが直接、綾也に流れ込んでくる。

 そばにあったマグカップがふわりと持ち上がり、一度天井近くまで上っていったかと思うとすっと落ちた。

 がちゃんと大きな音を立てる。


「あーあ、気に入ってたのにな」

 その音で自分を取り戻したのか、アツシは苦笑いをした。

 …ゴメン…

「ばかだな、うそだよ」

 その音を聞きつけてスタッフが駆けつける。何でもないんですと言うと、彼女はさっとカップを片付けにかかる。

 アツシもその手伝いにいったん部屋を出る。

 ふっとアツシのスキャンの気配が消えた。


 漆原博士が帰ってきたということは、彼はSにいたのではなかったのか。PSD計画が本格的に動き出すといっても、完全な構造式はそろってはいない。山田に託したUSBは無事哲平に渡ったのだろうか。哲平なら必ず何とか危機を回避してくれるはずだ。そう信じたかった。

 そして、僕さえいなければ。いっそこのまま怪我が治ることなく、僕など役に立たないとベッドに縛り付けられていれば。いや、僕がこの世からいなくなれば。

 そう、僕は母とあのときもう既に死んでいたはずだったのだ。僕が母を殺した。僕を憎み抜いた父は何故、僕の息の根を完全に止めてはくれなかったのか。


 綾也は深い深い思考の海に沈み込んでいった。





 病院の回転ドアを係員に押してもらいながら、みすずは一人で外へ出た。東京の空を外で見るのは何ヶ月ぶりだろう。あの頃の自分と今では、全く違った人間になってしまったかのように、彼女は寂寥感を感じていた。


 不意に、両手に下げた荷物の重さが消えた。

 あわてて顔を上げると、そこにはちょっとふてくされたような複雑な表情をした哲平がいた。


「…哲平、どうして」

「今日退院するって聞いたんでな。結局事件はもみ消しか。青龍会が狙っているのでなければ、しばらくは安心だろう」

 みすずはかつての明るさが嘘のように、しおらしく下を向いた。傷は痛むか、との問いに首を振る。

「優しいのね、哲平」

「おれはなあ、綺麗な女性にはとことん優しいんだよ」

 わざとふざけた声を出す哲平に、妻には冷たいのにねと苦笑いを返す。


「どうすんだ、これから」

「福岡の兄のところにいったん帰るつもり」

「また店に勤めるのか?」

 そう問いかける哲平に、身体中傷だらけでドレスなんて着れないわ、見てみる?と寂しそうにつぶやく。

「はん、病み上がりを裸にするほど女に飢えちゃいねえよ」

「ふふっ、ばか」


 しばらく黙って街路樹の下を歩く。タクシーを拾ってやるというのに、駅まで歩くとみすずは言い張った。

 体力をつけなくちゃね、と。


「これでも貯金はあるから、小料理屋でも開こうと思って。田舎ならそれで十分食べていけるでしょ」

 銀座のナンバーワン、まだまだこれから花開く頃だろうに。哲平は複雑な気持ちで横を歩く彼女を見つめた。

「じゃあ、さ。…腕のいい調理師はいらねえか?」

「無理よ」

 静かに、それでもきっぱりとみすずが言う。

「かーっ、即答かよ。もう少しためらうとか考えるとか。なあ、おれともう一度…」

 みすずは立ち止まると、哲平の顔をじっと見た。さすがの彼も一瞬ひるむ。

「あなたは小料理屋の主人になんかに納まる人じゃない。もっと広い世界で一人で戦う人。そうでしょう?」


 おれは。言いかけた哲平の唇を指でそっと押さえる。

「あなた変わったわ。何がどうとは言えないけれど、前とは違う。もっと素敵かな」

 なんだよそれ、おれは振られたんだろう?ため息をつく哲平を見てころころ笑う。

 わずかに前のみすずの片鱗。

「綾也と一緒に住んでるんですって?刑事さんに聞いたわ。そのせいかもね。あんたたち、どこか似てるもの」

 哲平はどう話したらいいものか逡巡したが、思い切って彼女に問うてみた。

「なあ、どうして嘘なんかついたんだ?綾也がおまえを刺しただなんて」


 みすずは一瞬、遠くの空を見上げた。何処までも高い澄んだ青さ。まぶしそうに目を細める。

「嘘じゃないわ。全部本当のこと。綾也自身の手であたしは何度も何度も、刺され続けた…」


 みすずの答えに、哲平は言葉を失った。








 店よりも外の風が気持ちいいと、二人で駅の近くのベンチに座る。何事もなかったかのように。

 みすずの表情は穏やかだった。恐怖もおびえも恨みさえも、とうに忘れてしまった、そんな感がした。

 何か飲むかとの問いに、みすずはそっと首を振る。襟元から見える包帯がまだ痛々しい。傷は治っても服を着るためには傷口を隠したかったのだろう。

 哲平はあえて何も言わなかった。


「あの日、手料理が食べたいなんて言い出したのよ。僕は手伝えないけどって笑いながら。だから安心して買い物をして…」


 みすずは遠くのビル群を見つめながらそっと話し出した。

 これから帰る場所にはこんな高い建物などないだろう。都会で華やかに暮らしていた女。

 哲平は視線を落とした。





「ちょっとお、本当に何もないのねこのキッチンって。もしかして調味料類も何もなし?」

 すみません。心底申し訳なさそうに頬を赤らめる綾也はいつもとちっとも変わりはなかった。

 みすずは自分のエコバッグから砂糖や醤油などを取り出し、買ってきた鍋をよく洗う。

「リビングで座ってて。すぐできるから。ご飯はまさかジャーを持ってくるわけにいかないからおにぎり握ってきたわ。それでいい?」

 ありがとうございますという照れたような声。みすずはこのときまで本当に何一つ疑ってなどいなかったのだ。

 綾也はいつものように銀フレームのメガネをかけているし、表情も落ち着いている。

 決して瞳は朱く燃えていることもないし、ごく普通の大学生の男の子。

 他人のために料理するなんて何年ぶりだろう。みすずはそのことが少しばかり嬉しかった。


 つと、綾也が立ち上がる。

「何?」

「ごめんなさい、途中で。ミネラルウォーターを取ってもいいですか?」

 そう言うと綾也は着色された錠剤を取り出した。

「どうしたの?どこか具合でも悪いの?まさか、あたしの手料理食べさせられるくらいなら、胃薬でも飲んでおかなきゃって言いたいんじゃないんでしょうねえ!」

 わざと彼の耳をぎゅっと引っぱる。いたた、違いますよ!綾也が笑いながらリビングに逃げ帰る。

「先輩の実験にみんな付き合わされているんです。どれかはプラシーボだし、当たった人にはビタミン剤+αが入っていて、あとで血液検査をさせられる。これでもう一週間ですよ。毎日誰が当たるか戦々恐々としているんですから」

 みすずにはプラシーボも何もよくわからなかったが、綾也の笑顔だけがまぶしかった。


 本当によく笑うようになった。それが嬉しくてもっと喜んで欲しくて。

 先のない、計算ずくで近づいただけの男の子なのに。

 だからこそもう止めようと思った。華恋も辞める。小暮には話してある。そう、これで終わり。

 みすずは鼻の奥がつんとして、あわててキッチンに向かった。


 ごくごくと水を飲み干す音。かなり大きめな錠剤なのだろう。

 大学生も大変なんだわと、みすずは材料をシンクに入れて洗いはじめた。水気を切ろうとざるを取り出す。


 ばしゃん。

 水気のあるものが落ちた音。ミネラルウォーター?

「ちょっと何やってるのよ、ほら台ぶきん!」


 彼女はてっきり綾也がペットボトルを落としたものと思い、ふきんを手に後ろを振り返った。


 その顔すれすれに突き出されたナイフ。

「ひっ!」

 みすずの声にならない声がキッチンに響く。


「な、何やってんのよ。あ、危ないでしょうが。刃物は人に向けないって…お、教えてもら…わなかった…の…?」


 みすずの声は既に震えていた。綾也の表情がどんどん変化してゆく。いつもの彼ではない。

 メガネをかけているにもかかわらず、人を見下すような冷たい視線。


「は…刃物は苦手なんでしょ?無理、無理しないでこっちによ…よこしなさい!」

 手を出すみすずに綾也はあざけるような笑い声を出した。

 そしてそのままそっと、フレームの端を持ってはずす。

 朱く燃えたぎる、細められた異形の瞳。


「ちが…う。あんたは綾也じゃない」

 そうつぶやくみすずに、彼はためらいもなくナイフを振りかざした。

 急いで逃げようとした彼女の服が大きく破ける。腕にはうっすらと細い赤いすじ。

 みすずは手当たり次第その辺にあった、買ってきたばかりの鍋や食器類を投げつける。

 もちろん綾也には当たるはずもなく、すべてその手前で不自然にたたき落とされた。


 綾也の手は動かない。ただナイフを握りしめ、みすずへと近寄ってゆく。


「あ、あんた誰よ!何者なの?」

 彼女の叫び声に、低く唸るような声で返事をかえす。


「僕が本当の梶尾綾也だ」

 みすずの顔は青ざめ、立っているのもやっとだった。

 さっきまで穏やかに微笑んでいた綾也と同じ顔、同じ身体。けれど瞳も表情も声も違う。ぞっとした。


「違う!本当の綾也はそんな目をしない!あいつは穏やかで優しくて、甘えん坊の寂しがり屋で!あんた、あんたみたいな……恐ろしい冷たい目なんか…」

 もう一度綾也が腕を振り上げる。今度は反対の腕側の布に亀裂が入る。みすずの頬に赤い血が飛び散る。

 みすずは恐怖で一歩も動けなかった。いや、何ものかの力が彼女の身体を固定していた。


 自分の意志では動かせない。逃げたくとももがいても、どうしようもなかった。

「ククッ、おまえに何がわかる。僕のことなど何も知りはしないくせに」


 それでも満身の力を込めてみすずはその場を必死に離れようとした。ほんの少しだけ身体が動いた。

 急いでドアノブを開けようとするが全く回ろうとはしない。


「いやあ!誰か助けて!」

「僕から逃げられると思ってるの?」

 何度も見た、あのアルカイックスマイル。綾也の持つ恐ろしい力。

 わからない、何故それがあたしに向けられるのかが。みすずの瞳から涙がこぼれる。


「何故こんなことするの?あたしを憎んでいるとでも言うの?あたしの好きな綾也は何処行っちゃったのよ!」

「結局そうやっておまえも、僕の陰の部分など見ようともしない。認めようともしないのだろう?僕を忌み嫌う多くの虫けらどもと一緒だ」

 部屋中のものが辺り一面を飛び回る。もう制御できない。

 見えないはずの朱い炎と、燃えさかる鳥たちの羽ばたきの音が聞こえてくるようだ。


「いやよ、来ないで。お願い、身体が動…かない」

「どんな僕でもおまえは受け入れると言ったはずだ。忘れたとは言わせない。僕を愛しているんだろう?」

 あたしの愛した綾也は。そう、どんな綾也もみすずにとっては大切な人だった。

 たとえものが飛び回ろうと、目の前で車が壊れようと、驚きはしたけれど綾也には変わりないと思っていた。


 今の今までは。

 しかし、愛情よりももっと原始的な恐怖がみすずを包み込んでしまっていた。


 殺される!


 これでも裏社会にいた人間なのだ、怖い目にあったことなど何度もある。

 本気でもう死ぬかも知れない場面に遭遇したことも。でもそれでもいいと思っていた。

 ここで死ねるのなら楽になれるのなら、と。


 けれども、この恐怖は言いようのない別の感情を引き起こした。恐ろしい。


 ここにいるのは綾也ではない。人間ではない。ニンゲンデハ…。

 思わず次の瞬間、みすずは叫んでいた。おそらく無意識に。言ってはならぬ言葉を。


「いやああ!あんたなんか綾也じゃない。恐ろしい、恐ろしい化け物よ!」


 綾也の顔つきが変わる。それまで飛び散っていたすべてのものどもは床に落ち、音を立てて割れた。

 彼は両手でナイフを持ち直し、思いきり振り上げるとみすずの背中に深々と突き刺した。


 彼女は悲鳴を上げることなく、口元から血を流しつつ床に倒れていった。ゆっくりと。

 そのまま這ってでも逃げようとするみすずを、何度も何度も綾也は刺し続けた。

 痛みを感じる間もなく、彼女の意識は遠のいてゆく。薄らぐ視界に何人かの人の姿が見える。

 綾也は彼らに抱きかかえられるようにして、いつしかかき消えていった。

 手を伸ばし、携帯を握りしめたところでみすずの記憶は途絶えていた。





 すべてを話し終えて、みすずはほうと息を吐いた。

 警察には言ったのか、との哲平の問いに「綾也に刺されたとだけは、ね」と下を向いた。


「彼は今どこにいるの?引っ越したんでしょう?」

「行方不明だ」


 目を丸くするみすずに、まあ、あてはあるから安心しろとつぶやく。

 もうおまえのところに現れることもねえだろうよ、とも。


「騙すつもりが本気になっちゃった。罰が当たったんだわ」

 しんみりとみすずが言う。恨んでるのか、ヤツのこと。哲平がそっとつぶやくのに首を振る。


 しばらく二人とも無言だった。

「もう行くわ」

「ホームまで送らせろよ」

 言いかけた哲平に、いつもの癖で指を唇に当てる。寂しそうに微笑んでみすずは歩き出した。

 痛々しげな歩き方。まだ身体も本調子ではとてもないはずなのに。


 哲平は動けなかった。直前に綾也が飲んだクスリがPSD…か。

 つねに意識と記憶が連続しているはずのヤツの理性を吹っ飛ばすのが、そいつの仕業だというのか。

 そして、事情をよく知るみすずを始末するとともに綾也に対する実戦訓練としたって訳なのだろう。

 彼が初めて愛した女を、その自分の手で始末させる。人を殺すことへのためらいをなくさせるために。

 何にせよ、計画を立てたヤツは確かに悪魔に違いない。空恐ろしい。


 PSD、そいつを使って国防省は何をするつもりだ。ちきしょう。


 駅の方角から新幹線の発車メロディーが流れてくる。


 みすずが無事でよかった。そしてできれば、この記憶が綾也に伝わらずにいてくれたら。

 彼らしくもないが、思わず哲平は両手を握りしめ強くそう願った。








 週刊春秋の会議室は分煙、禁煙などと言う言葉とは全く無縁で、理香子は途中で逃げ出したくなった。

 実際お茶を配るという名目で部屋からいったん出て、大きく深呼吸したくらいだ。

 それくらい、特集班の誰もが問題の大きさにとまどい、どこから手をつけていいか考えがまとまらずにタバコばかりふかしていたからだ。


「とりあえず小仲の大手柄で写真入りの記事が出せたことはうちのリードだが、まさかまだこの段階で国防省は出せまい」

 キャップの金子は苦虫を噛み潰したような顔で独りごちた。

 僕の手柄じゃなくてあれは中村さんの…小仲の発言は無視され、青龍会の扱う合成麻薬がネット世代の若者に蔓延の線で行くしかないか、とあきらめの声も聞こえた。

 それまでくわえタバコで腕組みをし、黙りこくっていた哲平が灰皿を引き寄せた。吸い殻をねじ込むとおもむろに手を挙げた。皆の注目が集まる。


「ちょっといいですか。中村の調べてきた資料に面白いものがあるのですが。説明してくれ」

 急に話を振られて理香子は胸がどきりとした。しかしここはようやく発言の機会を与えてもらえたのだ。

 すくっと立ち上がると、STEとギフテット教育、そしてカルトとマインドコントロール、それらのキーワードを何とかわかってもらおうと必死に伝えた。


「それじゃ何かい?お嬢ちゃんは国防省が将来の軍事エリートを国民に内緒で養成していると。それもカルト集団まがいの酷い訓練を施していると言いたいのかい?」

 木之元のからかい気味の声にも平気な顔をして、理香子は力説した。


「そうです。ですので直接国防族や衛生族から攻めていくよりは、ここは教育問題に強い梅村衆議院議員とコンタクトを取って国会で取り上げてもらうというのはどうでしょうか。ことを大きくすれば春秋で特集を組む意味も高くなり、話題にもなりやすいと思われます」

 合成麻薬だけじゃないのか、エリートと麻薬がどう絡むんだい?あちこちから質問が飛び交う。無理もない。特集班だって全容を掴んでいるわけではないのだ。

 おそらくすべてを知っているのはここにいる哲平だけ。彼は自分から表に出ようとしない。別に春秋の正社員でないから遠慮しているわけでもないだろう。そんな弱気なはずがない。理香子にしゃべらせることで何らかのメリットがあると計算しているに決まっている。だったら自分はその役割をきちんと果たすべきだ。理香子は必死だった。


「PSDの効用は人間の持つ潜在能力を高めるため、と聞いています。潜在能力とはもともと一般人相手ではなく彼らギフテット対象だったと思われます。それを一般大衆に広めることで国防省は広く浅いマインドコントロールの実験を行っていたのではないでしょうか。そのための青龍会との癒着であり、麻薬の広がりの野放しだったのでは」


 言葉を続ける理香子に、遠藤がするどく問いかける。

「お嬢ちゃん、すべて憶測か?そういうのは妄想って言うんだよ。ニュースソースはどこだ。証拠は、根拠は。きちんとそれが出せないって言うんなら、記者なんか辞めて今すぐ推理作家にでもなるんだな」

「それは…」


 哲平は真実を知っている。理香子も体験している。しかしそんな話を誰が信じるというのだろうか。彼女は悔しさに唇を噛んで黙った。


「それに、俺が調べたこととお嬢ちゃんの言うことにはちょっとした齟齬がある。お嬢ちゃんはギフテットと言った。要はただの天才児だろ?俺はSTEという教育研究所も調べたよ。そしてそこに通うというか収容されているガキどもの追跡調査も行ってみた。いま配ってもらっているのがその結果だ」


 さっと小仲が全員にA4のレポートを配り歩く。目を通し始めた記者たちの顔色が変わる。

「千里眼、念動力、心を読む少女、サイコロの目を必ず当てる少年。どの子どもたちも家で学校で持て余され、中には地域の生き神様としてお告げをさせられていたガキまでいたよ。親が新興宗教を興してな。確かに頭もとんでもなくよかった。しかしそれだけでは説明できない。そこまでは調べなかったのか。それとも知っていて黙っているのか、中村。いや津雲。どうせ全部てめえの差し金だろうが」

 全員の視線が哲平に向けられる。理香子一人で調べたとは誰も思ってはいないだろう。悔しいけれどそれが今の私の実力。理香子は素直に腰を下ろした。


 ゆらりと哲平が立ち上がる。それだけで誰もが息を飲む。存在感というよりもどこか殺気すら感じる。いつものへらへらした表情など、かけらも見あたらない。理香子も小仲ももう黙って見つめるしかなかった。


「さすがだな、遠藤さん。そうだよその通りだ」

 おもむろに哲平が口を開く。まさか綾也のことを公にするつもりなのか。理香子は動悸がさらに酷くなった。


「ただの天才児と超能力者、と呼んでいいんだろうな。どっちがよりセンセーショナルか、部数が取れるか。シャバにいなかった間、ずいぶん勘が鈍ったんじゃねえのか、津雲。国防省がもし本気で超能力者を集めて訓練研究をしていたとなれば大騒ぎになる。そしてそれが真実に近いと俺は踏んでいるのだがね」


 遠藤が哲平を睨め付ける。哲平は不敵な笑いをもらした。


「遠藤さんよ。それが真実だったとして、春秋が記事に書けますか?ましてや一般大衆がそれを本気にしますか?人はちょっと変わった記事には飛びつくが、あまりに自分とかけ離れたことには警戒して引いてしまう。こんな一流週刊誌が超能力なんて言葉を出した時点で、叩かれるのはこっちですよ」


 なんだと?いきり立つ遠藤を周りがなんとかなだめる。


「まあ遠藤先輩の名誉のために言っておきます。真実はあんたの言うとおりだよ。あそこにいるのはみんなサイ能力者、世に言う超能力者ばかりだ。それもピンキリでね、ちょっと勘のいい子ども程度から、実戦段階にいる者までいる」

「実戦段階?」


 その言葉に紫煙ばかりの会議室が揺れた。どういうことだ。百戦錬磨の記者たちの動揺。


「超能力で人が殺せる。何も研究しているのは日本だけではない。むしろこの国が本格的に取り組み始めたのは遅すぎると言っても過言じゃねえ。他の国ではいくらでも研究がされている。おれはそれを……知っている」


 どういうことだ。金子の声はかすれていた。


「正直金づるにするつもりで、いろいろ調べ始めた。そしたらとんでもないサイ能力者が複数いることがわかった。彼らが好きで人殺しをしていると思いますか?ましてや研究は始まったばかりということは、彼らのほとんどは年端もゆかぬ子どもばかりです。一番最初の被験者がようやく成人したかしないか。彼らを世間に引っ張り出して超能力呼ばわりすることが果たして一出版社のしていいことなのかどうか」


 ばん!机を叩いて遠藤が立ち上がる。


「じゃあてめえは何が目的だ?なんのためにこんなややこしい真似までしてここの特集班に潜り込んだ!真実は発表しねえ、しかし国防省は告発したい。やっぱりてめえは青龍会の手下か?」


「おれは…助けたいだけだ」


 激しさを増す遠藤と対照的に、哲平は静かに言った。その言葉の悲痛さにみな黙った。

「調べれば調べるほど、中の子どもたちに普通の生活を送らせてやりたい。そう思った。人とちょっとばかり違うってだけでなぜ人殺しの道具にさせられなきゃならねえんだ?おおよそおれらしくないって言われたよ。でもこれが正直な気持ちだ。私怨かもしれねえ。たまたま年若い友人も中にいる。彼らの苦しみを知っているからこそ、サイ能力のことは伏せたいんですよ。非人道的な訓練によるギフテットの軍事エリート養成、『児童の権利に関する条約』にも十分反する問題でしょう。この国は教育の差別には敏感だ。それだけでちゃんと大衆は興味を持ってくれる。国防省の計画を止めるにはそれで事足りる。おれはそう考えた。最初はちょっとした話題提供でいい。ヤツらの暴走を止めたい」


「そのために…梅村衆議院議員ですか?」

 オズオズと、この中では若手の鮎川がつぶやく。哲平はうなずいた。

「あくまでも教育問題として取り上げるというのはどうでしょうかね。ここはね、つつくととんでもない蛇どころか魑魅魍魎を引き出してしまう恐れがあるんですよ。そうなれば有無も言わさず政府内部で処理されて終わりでしょう。物事は何も解決することもなければ変わることもない。国民だけが知らされず、軍事国家へと突き進んでいく可能性だってないとは言えない。だから慎重に…」


「ずいぶん偉くなったもんだな、津雲。高文社の社長じゃ満足できずに総理大臣気取りか?」

 どれだけ遠藤から嫌みを言われようとも、哲平は冷静だった。素直に頭を下げてお願いしますとみなに協力を要請する。


 キャップの金子が考え込む。確かにな……聞こえるかどうかのほんの小さなつぶやき。

「よし、その線で行こう」


 金子さん!遠藤が叫ぶのに彼は目を向けた。その表情がすべてを語っていた。その場にいる者全員の気持ちが。最後には遠藤も黙るしかなかった。

 金子はさっそく、分担をちゃっちゃと分けてゆく。哲平たちに割り当てられたのは梅村議員を口説き落とすというえらく面倒な、それでいて一番重要な仕事。


「いい気になるなよ、津雲」

 吐き出すようにすれ違いざま遠藤が捨て台詞。それにも哲平は頭を下げた。

「さすがっすね、先輩。STEをあそこまで調べ上げるなんざおれでもできなかった」

 見え透いたセリフに白い視線を向ける。遠藤は自分の持ち場である青龍会と警察がらみの取材へと向かっていった。





「怖そうな人ですねえ、遠藤さんって」

 バカ、聞こえたらどうすんのよ!あわてて理香子が小仲にケリを入れようとして脚を上げる。その姿に哲平はにやにや笑いながらタバコをくわえた。

「いいやねえ、若いってのは。小仲ちゃん、こういう堅物はね意外な面を見せるところっと行くからな。こうなんっつうのか、おめえが力を出してるとか意外と頑張って取材するとか。まあがんばれや」

 な、なに誤解してるんですか?

 今度は哲平に向かって真っ赤になって理香子は反論し始めた。

 遠藤さんとは何があったんです?小仲は空気も読まずに平気で哲平に質問する。その無邪気さに理香子の方があわてた。


「あん?ホントに大学の先輩だよ。マスコミ研のな。そりゃあもういじめ抜かれたの何のって」

 ネクタイをゆるめながら、いつものだらけた表情を見せる。えっ?遠藤さんってワセダでしょ?津雲さん、とてもそうは見えないなあ。小仲のセリフはどこまでもストレートでさすがの哲平も苦笑いした。

「ちょっとあんたは黙ってて!すみません哲平さん、あの…」

「いいんじゃなーい?お似合いで。あーおれが邪魔なのかあ。取材は二人で行ってもらうとするかなあ」

 周りからもよく言われるんですけど、理香子ちゃん照れ屋だから。恥ずかしげに頭をかく小仲に耐えきれず、理香子は本気でケリを入れた。

 そのまま編集部に戻って、すっかり仲のよくなった庶務の麻美子たちのところに逃げ込む。

 哲平の前であんなこと言うなんて。無神経な小仲に向かっ腹が立ったのだ。


「どうしたの?理香子さん顔が赤いよ」

 入れてもらったダージリンはいい香りがした。ふと我に返り、どうして哲平の前だといけないのか自分でもおかしくなった。なに考えてんだか。まあいいや。


 理香子はこれから忙しくなるという良い意味での緊張感に身を引き締めた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ