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決意

 電話をかける声すら叫ばなければ聞こえない。あちらでもこちらでも旬の話題で盛り上がり、それぞれ取材攻勢をかけている。何しろ週刊誌は時間の勝負だ。今を追いかけなければ次の号が発行できない。


 締め切りを間近に控えた週刊春秋編集部は、文字通り修羅場を迎えていた。

 むろん、理香子もその中の一人として必死に相手と交渉を続けていた。といっても一年目のぺーぺーに与えられる仕事など、いかな老舗の出版社で理香子が優秀とはいえ、埋め草記事にしか過ぎなかったが。そこそこ有名人のコラムに、話題のネット記事。若者の流行。

 先週自分がしでかした梅村代議士への直接取材が、どうかばれませんようにと、理香子ならぬ気弱な気持ちを押し隠しながら、彼女は仕事を進めていた。





「理香子ちゃーん、例の件わかったよ!」

 同期の小仲が呑気そうに声をかける。今それどころじゃない!と、かなり険しい顔つきで振り返った理香子に、彼はにっこりした。悪い人間ではない。ただエスカレーター式の大学を出ているせいか、おっとり気味なのだ。


「大きな声で言わないでよ!編集長には内緒なんだから」

「せっかくボクが警視庁の記者クラブの先輩にコンタクトとって、わざわざ教えてもらった情報なのになあ。で、ご褒美は何?」

 わかったわよ、ラピーニャのランチでどう?彼女と行ってよね。面倒くさそうに理香子は言ってから、端末に指をかけた。小仲はにっこりして話し出した。


「津雲哲平が、現在関わっている組織は青龍会。舎弟関係を結んでいるのか敵なのか、その辺はよくわかってない。微妙な位置にいるらしい。それで、不思議なことなんだけど」

 小仲は理香子の耳にそっと口元を寄せた。そういった仕草も洗練されている。合コンとかでいかにもモテそうなタイプよね、記者なんか務まるのかしら。自分も新米のくせに理香子は辛辣な思いで彼を観察していた。

「若頭の加勢を始め、十数人の幹部や構成員が大怪我で入院しているらしいんだ。特に出入りがあった訳じゃない。そんなことあれば真っ先に丸暴に情報が入るだろう?なのに青龍会はその犯人捜しをしようとはしてないんだと」

「何それ、どういうこと?仲間割れ?」

「青龍会自体は会社として成り立っているから、別に加勢がいなくとも動いてはいるけれど、裏の仕事は事実上ストップしたまま」


 裏の仕事って何よ、と聞きかけた理香子に、そこまでしかわかんなかったよと小仲はのんびり答える。

「ラピーニャ取り消し!そこの華楽園の定食でいいわよね?」

 そんなあ、理香子ちゃん。じゃあほらその先輩、記者クラブの池辺さん紹介するからさ。泣き言を言う小仲を引っぱって「ちょっと出てきまーす」と理香子は大声で叫んだ。





 警視庁の記者クラブなんて、タバコの煙と麻雀卓のイメージがあったのはなぜだろう。実際の部屋はこぎれいな会議室に、思い思いに談話する記者たちとうなるPCの音。


 理香子は、あれがそうだよ、と教えられた池辺に臆することなく向かっていった。


 池辺はその中でも細身で、着くずしたスーツにはしわが寄っていた。ネクタイをだらしなく下げ、髪は天然パーマ。それでいて眼光は鋭い。どことなく哲平を思い起こさせた。

「初めまして。週刊春秋編集部、入社して一年目になります中村理香子と申します。池辺先輩、このたびは貴重な情報ありがとうございました。もう少しお話が伺えないかと思いまして」

 池辺はペットボトルの水を一口飲むと、けだるそうに振り向いた。大きな事件がなければここで日がな一日待機するのもなかなか苦労があるのだろう。

「春秋の中村?ああ、中村製薬のご令嬢ね。鳴り物入りでご入社あそばされた」

 前の理香子なら、この辺でかちんと来て帰っていたかもしれない。しかし哲平で免疫がついたのか、それともさすがに少しは世間にもまれたのか、にっこり笑い返した。

「覚えていただいて光栄です。実は教えていただきたいことがあるのですが…」

 おや、という顔つきで池辺は理香子を見返した。ただの世間知らずかと思ってでもいたのか。

「さっそくですが、青龍会の裏の仕事って何でしょうか。津雲とどんな関わりが?怪我をしたという幹部は…」

「おい!お嬢さん!」

 池辺は慌てて理香子の腕を引っぱると、廊下へと連れ出した。彼女はきょとんとした顔で彼を見つめた。


「あんなハイエナ連中の前で、でかい声出すなバカ!こっちだってやっと取ってきた情報なんだよ!それにその話はもう特集班が動いていてあんたの出番はないぜ?テリトリーを侵されることほど、プライドを傷つけられることはねえからな。よく覚えとけ、新人」

「真実の前に、テリトリーも同じ編集部内の争いも関係ないと思います。人が一人行方不明になっているんです。もしかしたら大きな事件が絡んでいるかもしれない」

 池辺はため息をついた。


「若さゆえの正義感、か?真実はときに人を大きく傷つける。それにな、スクープにこだわるより今は職場の人間関係を構築する方にこだわった方がいいんじゃねえのか?これから長く高文社に勤める気ならな。それこそ文化ジャーナルの津雲哲平みたいになるのがオチだぜ」

 まあ、結婚までの腰掛けだろうから関係ないか。ニヒルに笑う池辺を理香子はきっと見返した。


「行方不明になったのは私の知人です。仕事に私情を挟んではいけないことは重々わかっています。でも、どうしても助け出したいんです。仕事には迷惑をかけていません。今までの取材も全部プライベートな時間で行ってきました。お願いです。何らかのヒントだけでもいただけませんか?」

 理香子の真剣さに、池辺は少々たじろいだ。頼むから特集班と揉めないでくれよと念を押す。


「じゃあ、一つだけヒントをやるよ。青龍会が扱っていたのは……PSDだ」

「!。あ、あのラルク事件の?」

 よく知ってるな、唸る池辺に、人質の一人は私の妹だったんですと理香子は当時を思い浮かべて唇を噛んだ。


 彼の顔色が変わる。そりゃまた、奇遇というか、おまえさんが調べる運命だったのかもな。小さなため息。

 池辺は言葉を続けた。

「他の組織はとても恐ろしくてPSDなんざには手を出せなかった。だが、資金源も減り、このままではあとがない青龍会はこの話に飛びついた」

「どういうことですか、バックはいったいどこなんですか」

 誰にも言うなよ。その言葉に理香子はそばに寄ってきた小仲すら足で蹴飛ばすと、池辺に顔を寄せた。

「国防省だよ」

 理香子は息を飲んだ。





 夜道は危ないからと、後ろからちょろちょろ小仲がついてくるのを、考え事してるんだから邪魔しないで!と理香子は一喝した。

「でもさ、理香子ちゃん何するかわからないから…」

「心配しなくても、ほら、この名刺持ってって。これで入れるように連絡しておくから。彼女とどうぞ!」

 やった!ラピーニャのランチ。喜ぶ小仲に、理香子は苦笑した。

「バカね、ラ・ヴェラ・コンチネンタルホテルのディナーよ。情報ありがとう。助かった」

 理香子ちゃん…。その言葉に逆に小仲は真剣な顔つきになった。


「どうしたのさ、よくは知らないけれどこの事件けっこうヤバめじゃない?大丈夫なの?」

 やるしかないの!女の意地もかかってんだから。

 今度哲平に会うまでには、必ず成果を出してやる。その事実を突きつけてあいつに参ったと言わせなければ気が済まない。


 そして、梶尾くん。


 加奈子のためにはもう会わない方がいいに決まっている。大学に問い合わせたら休学届けが出されているというし。でも、病気であるはずがない。


 …そうは言っても、ジャーナリストのたぎる血とはやる心が、真実を追究したいという欲望を抑えきれないんだよねえ…


 ジャーナリスト、か。

 理香子はどうにかして青龍会に取材をする方法はないものかと、真剣に考え始めた。








 事実上青龍会が経営する堂島商事、そこへ単独インタビューでも申し込むか。一般の企業ならいきなり襲われることもないだろう。しかし、もし何か事件にでもなれば社の信用問題に関わる。理香子一人がクビを切られるだけで済むことではない。


 腕組みをして考え込んでいた彼女の自室のドアが、遠慮がちにノックされる。

「どうぞ、加奈子でしょ」

 おずおずと入ってきたのは、言葉通りに心なしか表情をくもらせた加奈子だった。

「どうしたの?眠れない?」

 もう夜の一時を回っている。すっかり夜遅く朝も早くが定着してしまった理香子にはなんてことないが、門限のある加奈子にしたら珍しい。

「お姉ちゃんゴメンね。綾也くんのことでいろいろ調べてくれてるんでしょう?」

 どうってことないの、気にしないで。それにね…。理香子は言葉を続けた。


「ことは梶尾くん一人ですむような話じゃなくなってるわ。何かわからないけれどものすごく大きな力が動いているような気がするの。こうなったら絶対に調べ上げてやる。もちろん、梶尾くんも救い出してあげる」

 自分に喝を入れるように理香子はきっぱりと言った。

「お姉ちゃん!ありがとう!」

「だからあなたは絶対に危ない真似をしちゃダメよ。誰かに話を聞いたり、訪ねていったりしないって約束できる?」

 うん、と子どものようにうなずいて加奈子はにっこりした。

 この笑顔にみんな弱いのよね、理香子はほんのちょっとほろ苦い思いで彼女を見た。天真爛漫で涙を知らない妹。この大事な子をあれだけ怖い目に遭わせたラルク事件。加奈子を助けた梶尾綾也。そして青龍会とPSD。

 私一人のプライドなんか、どうでもいい。どんな手段でもいいから真相を解明してやる。それがきっと、……ジャーナリスト。


 理香子は妹をぎゅっと抱きしめた。





「バカかおまえは!自分を何様だと思ってる?いつまでも学生のお嬢さまだと思ったら大間違いだぞ!」

 午前中、ぼちぼち人の集まりだした編集部に佐山の怒鳴り声が鳴り響いた。春秋の編集長に就いて三年、めきめきと実績を上げている。周りは何ごとかと、そちらを注目した。

 デスク越しに黙って聞いているのは理香子だった。しかし目だけは佐山の顔をにらみつけている。

「お願いします。私を小間使いでも何でもいいですから、青龍会と国防省がらみの特集班に入れてください。コピー取りでも電話番でもいいです。お願いです!」

 理香子も必死だった。昨夜ほとんど寝ないで考えた結論は、自分も特集班の一員として取材に関わるということだった。一年目の下っ端が単独行動などしてやれる範囲をとうに越しているのだ、この事件は。


「おまえはな、そりゃ中村バイオ様のご令嬢かもしれねえよ?でもな、ここじゃそんなこと関係ねえんだよ!春秋に入ってきたぺーぺーの一年ぼうず、何の役にも立ちゃしねえ。そこのバイトの丸尾さんの方がよっぽどこの社に貢献してるんだ。それにな、おれが何も知らねえとでも思ってるのか?」

 理香子の顔が引きつる。さっきからあまりの剣幕に口も挟めない。

「おまえ、衆議院議員の梅村代議士のところに勝手に取材に行ったそうだな。さんざん皮肉られたよ。若いお嬢さんもどんどん活用なさるなんてさすが天下の高文社ですわね、ってな。おれが知らないとも言えず、どれだけ話を合わせるのに苦労したかわかるか?おまえのしたことは会社の名前を勝手に騙った詐欺罪か?それとも社の信用を著しく毀損した信用失墜行為か?どっちにしても、たった今解雇されても文句は言えねえよな!」

 申し訳ありませんでした。理香子は深々と頭を下げた。


「これだから世間知らずのお嬢さんはよ!何でも自分の要求は通ると思ってやがるんだ。思い通りにならなかったことなんかねえんだろ?おまえなんかに雑誌記者なんぞできるか!」

 申し訳、ありません。理香子の言える言葉はこれだけだった。言い訳などできない。自分のしたことは社の信用問題に関わること。わかっていた、それでも。

「おまえなんか明日から自宅謹慎だ!いいな?」


 ちょ、ちょっと編集長…、佐山さん…、あちこちからベテランの記者たちがなだめにかかる。みな佐山よりずっと年が上だ。

 ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。泣くまいと必死に耐えながら理香子は歯を食いしばった。

 何を自惚れていたんだろう。私はまだまだ、そんな力などないくせに勝手なことをしでかしてしまったんだ。

 自宅謹慎、一週間か二週間か、それとも無期限…か。理香子は身を固くした。

 編集部の空気が凍り付く。


 そこへ庶務の麻美子がわざとのんびりとした声で佐山に声をかけた。

「編集長ー。中村さんの自宅待機は、三日間でつけといていいですかあ?」

 もちろん確信犯だ。

 目の前にいた同じ庶務の咲紀がぷっと吹き出す。やだ、まみちゃんたら。

 周りの記者たちも目で合図をしあいながら苦笑いする。何人もの先輩たちが理香子の肩を黙ってぽんと叩く。理香子はきょとんとしていた。


 佐山は怒りをどこへ持っていっていいかわからずに立ち上がると、「三日でも何でも勝手にしろ!」と捨て台詞を吐いて部屋を出ていった。

 庶務の女の子たちは、初めて見せる理香子の人間らしさに親近感を持ち、先輩の記者たちはおそらく、自分らも通ってきた道だと当時を懐かしんでいるのだろう。


「これ、帰りの車の中で食べてくださいね。けっこう評判のお菓子なんですよ」

 さっきの危機を救ってくれた麻美子が、にっこり笑って理香子に小さな箱を渡す。

「あ、ありがとう…」

 それまで我慢していたのに、とうとう理香子はぽろぽろと大粒の涙を流した。

 背中越しに、ゆっくり休めよ、温泉でも行け!と無責任な言葉と笑い声が起こる。

 これ以上いたら、もっと泣いてしまいそうだった。理香子は慌ててカバンを手に取ると、失礼しますと部屋を飛び出した。





 最初の一日目は、布団を頭からかぶってずっと寝ていた。家にはお手伝いの人たちが来てくれるから、家事の心配も食事も困らなかった。両親には流行性の風邪でうつしてはダメだから三日間休暇を取ったと話しておいた。

 この私が泣くなんて。人の温かさを感じたことは事実。多くの人に助けられているのだと思ったことも確かだ。でもその前に、なぜこんな簡単なことに気づけなかったのか、それが悔しかった。

 大勢の人に迷惑をかける。自分の信念を通そうと思えば。そして自分にはまだまだそれだけの力も人脈もないってことが。

 悔しい、悔しい。とても悔しい。このままじゃ私は誰一人救えない。


 真実を知らせ、本当に苦しんでいる人びとの実情を伝えることで何かができるはず、そう思って志願した社会学部だった。ジャーナリスト研究会に所属し、新聞記者か雑誌か、それしか頭になかった。私にならできるはず。そう信じてやまなかった。


 私には、津雲さんの言うように本当の取材なんてできないんだろうか。心がへこんだ。


 それでも二日目になって、気合いを入れて着替えをするとPCを立ち上げた。さすがに自宅謹慎の身で取材にも温泉に行く気も起こらなかった。ネットで拾える情報があれば……。





 そのとき、一階の仕事部屋の窓に何かこつんと当たった音がした。彼女たちの家はもちろんセキュリティ的にもかなり一般家庭より厳重な方だし、誰かが侵入してくるはずもないのに。

 理香子は父親から前にもらったゴルフクラブを手にして、そっと窓に近寄っていった。

もし強盗のたぐいなら、悪いけれど今の鬱憤を晴らさせてもらうわよ、剣道初段の腕を生かして。

 そうっと、理香子がカーテンを開けて外の様子をうかがうと、そこにいたのはよりによって津雲哲平だった。


「な!津雲さん!どっから入ってきたのよ?」

 あわてて窓を開けると、哲平はひょいと窓の縁に腰掛けた。

「どこって、ちゃんと玄関から入ってきたさ。高文社でいつもお世話になっております津雲と申します。お嬢さまとお約束がありまして。はい、ではお庭の方に先に回っておりますから、ってね」

 そういえば今日の哲平は、いつもの開襟シャツではなく濃紺のスーツをびしっと決めていて、一般の記者とも言えなくはなかった。


「詐欺師!」

 何とでも言え。タバコを取り出そうとした哲平に、禁煙ですから!ときつく言う。

「たまにはいいだろ、こういう登場の仕方も。ロミオとジュリエットみたいでさ」

 誰がどれな訳?意味がわからないし。理香子は頭を抱えた。

「とにかく、話なら応接室で聞くから」

「人前じゃ話せねえんだ。自宅謹慎くらったって?」


 どうしてそういう情報は早いのよ!理香子は思いきり不機嫌そうな顔をした。

「勝手に大物代議士を取材したのよ。それがばれて三日間」

 三日で済めば御の字だ。哲平は苦笑いした。


「どういうこと?」

「おれなんか、初めての記事を書いた次の日によ、『津雲、おまえ明日からひと月、編集部に来なくていいから』…だぜ?」

 その言葉にあっけにとられた理香子は、次の瞬間吹きだした。いったい何をすればそんなことになるのよ。

「そりゃもちろん、出版社の経費使いまくって取材相手のお姉ちゃんたちとどんちゃん騒ぎをだな…」

「津雲さんったら、すぐおちゃらけて!」


 ほんのちょっとだけ真面目な顔をすると、哲平は遠くの空を見つめた。

「……情報提供者の身元がばれちまって、組から執拗に追いかけ回されてよ。怪我させちまったんだ」

 理香子は息を飲んだ。

「まあ、全治二週間。そいつは今もぴんぴんしてるよ。だけどおれにとっちゃあ苦いデビュー戦だったなあ」

「津雲さんにも、そんなことがあったなんて」

「おれだって誰だって、十割打てるヤツなんか一人もいねえ。せいぜい三割がいいところなんだよ」


 どうしてわざわざ家まで来たの?へこんでる私を見に来たって訳?

 さっきより少し明るいトーンで理香子が問う。


 津雲哲平、不思議な男。


「いやなに、取材の進捗状況などをお伺いに。まあ、お嬢ちゃんには難しかったかな?」

「STE、そしてPSD」


 よくできました。哲平が拍手をしてみせるのに、バカにしないでと理香子は怒った。


「でもそれでデッドエンド……だろ?敵があまりにでかすぎる」

「敵って、国防省のこと?」

 驚いたように哲平が振り向く。理香子は口元を引き締めた。








 理香子はコーヒーを持ってきてもらうように頼むと、あとは仕事の打ち合わせがあるから近づかないでと念を押した。

「人払いなんてしちまっていいのかい?相手は業界ゴロで女ったらしの津雲哲平だぜ?」

「あら、今日は紳士の高文社社員じゃありませんでしたっけ」

 理香子もすまして答える。小さなテーブルには季節の花。ちょっとした応接室にも使える仕事部屋。


 哲平はいつものようにソファに浅く腰掛け、スクエア型のメガネを押し上げながら考え込んでいた。どこから切り出すか、どう情報を引き出すか。

「おとなしいんですね、今日は。津雲さんでもそんな格好をするとは思わなかった」

「一流の出版社にご勤務のご令嬢にお会いするんだ。礼はつくさねえとな」

 口調こそふざけていたが、メガネの奥の瞳は真剣に理香子をとらえていた。


「どこから手に入れた?バックが国防省だなんて。疑う訳じゃねえが、おまえ一人で調べたなんて言うなよ」

 口惜しかったが、理香子は正直に言った。青龍会と国防省との癒着の件でうちの編集部で特集班が動いていること、そこに何とかして入れてもらおうかとしたけれど大目玉を食らってそれっきりだと言うことを。


「でもSTEに関しては自分で調べたのよ。各地から優秀な子どもたちが大勢集められているということ、私はそれを国の息がかかったカルト宗教団体ではないかと考えて内偵を進めていたの。それで…」

「カルトに詳しい梅村智実代議士、か」

 そこまでばれてるなんて。理香子は唇を噛んだ。この人にはかなわない。

「いいかもしれねえな、カルト宗教ってのは。STEの本質をうまくごまかせる」

 ふと哲平はなぞめいた言葉を吐いた。

「ごまかせる? 日本ではあまり支援の対象にならないギフテットという知的能力の特出した子どもたちを、国家の支配者として早期教育の対象者に抽出し利用しようとしているのではないの?」

 その線で行けるかもしれねえな。哲平は独りごちた。

 しばらく黙りこくる。哲平にしたら珍しく言いあぐねているように。

 しかし意を決したかのように顔を上げると、彼は真っ直ぐ理香子を見つめた。

 理香子は身をすくめるように、目をそらすことができなかった。


「はっきり言って三流のコンビニ雑誌にいくら匿名記事を書き散らそうと、それで何かが変わるとは思えねえ。おれは、あんたの背負ってる看板が欲しい。高文社の名前がどうしても今、欲しいんだ。なあ、おれと手を組まねえか?ぶっちゃけた話、新入社員のおまえに力があるとは思ってねえ。その特集班とおれを顔つなぎしてくれ。今まで調べ上げた情報はすべて提供する。全部、春秋の名前で書いてもらってかまわねえ」

 ジャーナリストを気取っているんじゃなかったの?そんなことしてあなたに何のメリットが…。

 言いかけた理香子をさえぎるように哲平はつぶやいた。


「おれは……ただ、綾也を助けたい」


 調べてすぐわかったわ、元の奥様の交際相手なのでしょう。どうして一緒に住んでいるの?なぜ助けたいだなんて言えるの?

 たたみかけるように言葉をつなぐ理香子に、哲平は頭を押さえた。


「わからねえ。自分でもこんな感情持て余してるよ。おれは今まで人のためになんぞ動きゃしなかった。スクープを取る。署名記事を書く。取材相手を脅して金になるかどうか。そんな地の底を這うような生活をしてきた。だけどな、生きるのに不器用でいろんなヤツらに利用されながら、それでも人の優しさを信じることだけは忘れねえあいつを見てると放って置けねえんだ」


 あなたも…同じだから?これはとても大先輩に言える言葉ではないと、理香子は胸にしまっておくにとどめた。


「…梶尾くんは何らかの犯罪に関わっている、そう思っていいのね」

 冷静な理香子の言葉に、哲平は首を振った。

「半分は当たりで半分は、大はずれだ。あいつには何の罪もねえ。だか、客観的に見ようとすれば、あいつにはいくつもの罪状がつきまとう。これ以上罪を重ねさせることも、あいつに辛い思いをさせることもしたくないんだ」

 哲平はだいぶ冷めてしまったコーヒーを一口、含む。取り替えさせましょうか、理香子の言葉に苦笑いする。


「やっぱりあんたはお嬢さんなんだな。人を使うことに慣れてる。嫌みで言ってるんじゃないぜ、生まれも育ちも違う人間ってのがいるんだよ、この世にはイヤでもさ。おれはただのごろつきのフリーライターで、何の力もねえ。ちいとばかり人より鼻が利くからってそれが何になる?だからおれはな、世間とマスコミの力を信じてみようと思ったんだ」

 世間とマスコミの力?目を見開く理香子に彼はうなずいて見せた。


「普段は全く信用なんざしてねえよ。こんな仕事をしているくせにな。物事には必ず表裏があり、両方を報道するなんてことはまず無理だ。どうしたってニュース性のあるものに人びとは飛びつく。世間に伝わる前にもう情報の選択は行われているんだ。マスメディアの影響力も怖さもおれには十分わかっているつもりだ。すべてが公になったとき、世間はそれにどう審判を下すのか、正直おれにもそれはわからねえ。でも、あいつを取り戻すにはそれしか方法が思いつかねえんだ」

 同じように冷たくなったコーヒーを、理香子も口につけてみた。それはとても苦く、心を刺激した。


「津雲さんが若い私のような女性に弱音を吐く人には見えなかったけれど、意外ね」

「敵がでかすぎるんだよ。かなり参ってる。ヤツらが動き出してからでは遅いんだ。彼らは綾也というオールマイティのカードを手に入れてしまった。何かが起こる。起こってしまったら綾也はもう戻ってこない。だから急ぐんだよ」





 再び訪れる静寂。お互いの思惑が交差する。先に口を開いたのは理香子だった。


「彼は…梶尾くんはいったい何者なの?」

「言っても信じやしねえだろうよ」

 皮肉げに苦笑いする哲平に、理香子は質問をぶつけた。

「加奈子が言っていたわ。ラルク事件のとき、犯人は自分から手を動かしてたんじゃないって。何だかわからずに困っていたようだったって。そしてそのときの梶尾くんは…とても普通の穏やかな彼とは全く違う表情で、それで怖くて叫んでしまったのだ、と」


 哲平の目が真剣になる。ラルク事件…か。因縁ってものはあるのかも知れねえな、と。


「なああんた、超能力って信じるか?」

「テレビでよくやっている超常現象ってヤツ?構成としては面白い見せ物だけれどすべてトリックなのでしょう?」

「テレビに出てくるようなヤツはみんなインチキだよ。本物の超能力者は人に見せびらかしたりしねえ。自分の持つ能力に心ならずも怯え、街の片隅で誰にも知られないようにひっそりと生きている」

 それと梶尾くんの話と何の関係が…、言いかけて理香子はハッとした。

「まさか、梶尾くんがその…」

「そ、綾也は超能力者だ。それも半端な力じゃねえ。クレーン車は空中で破壊され、部屋中のものは舞い、人は突風に巻き込まれたかのように空に持ち上げられたあと地面に叩きつけられる。そして、自分の意に反して手が勝手に自分の手を締め上げてゆく。綾也の意のままに、な」


 まさか…。言葉を失う理香子に追い打ちをかけるように哲平は言葉をつないだ。

「あいつはそのことで苦しんでいる。自分の尋常ならざる力に怯えている。STEはその力を軍事目的に、あいつを操ろうとたくらんでいやがる」


 STEとは…、言いかけた理香子に一瞬の逡巡。

「国防省情報部直属の極秘機関。超能力者を軍事目的に活用するための研究かつ養成所。集められた子どもらはすべて、何らかの能力保持者の可能性を秘めた者たち。彼ら、彼女らは将来的に生物兵器として軍事目的に使用される計画だ」

 理香子の両手がぎゅっと握りしめられた。そんな、そんな酷い計画なんて。

「……じゃあPSDは?どうしてそこに合成麻薬などがついて回るの?」


 PSDの謳い文句は何だ?哲平はもうひとかけらも笑ってはいなかった。同業者としてのというよりも、人間として訴えたいもの。

「人間の潜在能力を極限まで高め……!潜在能力?」

 理香子は思わず立ち上がった。まさか、まさか。

「そうだよ、もともとあれは一般人のためのものじゃない。サイ能力保持の可能性がある被験者に実験的に与え、その能力を高めるために国防省がある大学と共同開発したものだ」


 ある…大学?理香子は次の言葉を待った。

「おそらく、東都大学医学部……」


 これだけの情報を、津雲哲平は一人で調べ上げたというのだろうか。人脈、そして取材能力。何よりも、綾也を助け出したいという熱い思い。

 理香子は取材というものの深さをかいま見たような気がした。








 神奈川県の山中にその総合病院はひっそりと建てられていた。


 敷地の横には広いヘリポートを持ち、著名な財界人、政治家などもおしのびで治療に訪れるといわれている。

 この病院の存在を知るものはあまりなく、それでも集められた医師、看護師らは一流の腕を持つエキスパートばかりだった。

 三階の手術室前には数名の若者と少女が、誰の付き添いもなく立ちすくんでいた。

 すでに手術が始まって三時間。中で何が行われているか、あえて詮索しようとするものはいなかった。やろうと思えばいくらでもやれたのだが。

 不意にドアが開いて、術着を来た助手らしき人物が出てきたときには、彼らにもさすがに緊張が走った。

「Rh+ABの血液が不足しています。出血が多いため対応に時間がかかっているので、もしご協力してくださる方はお願いいたします。職員等にも呼びかけてみますが」

 僕はABです。そう言って真っ先に手を挙げたのはアツシだった。

 おれも、すかさずトオルが横に並ぶ。ではこちらにと通された部屋に向かう二人へ、ルカがふくれた顔で文句を言った。

「みんなずるーい!あたしだけ違うの?」

 じゃあルカは何だよ、アツシがからかう。もちろん純正なB型よ!ルカは胸を張る。

「……なんか、納得」

 どういう意味よ、アツシ!怒って見せるルカに、ふと緊張が解けたようにアツシは笑った。


 ルカは、研究所内でサイ能力を持つもの同士の遺伝子を顕微授精で誕生させたもの。

 だから誰も彼女の生物学上の両親のことは知らない。もちろんルカ自身も。

 彼女はそのことについては全く気にしていないと言っていたが、いつまでも変わらない自分の容姿も、つねに新しい細胞に生まれ変わっているにもかかわらず衰えず成長することのない自分にも、とまどいを感じてきてはいた。

 実年齢で言えばもう十八歳。心は思春期をだいぶ過ぎたというのに見た目だけは幼い少女。

 これからどうアイデンティティを構築してゆけばいいかが彼女の課題だった。

 単に成長がゆっくりなだけなのか、それともこのまま一生、十歳のままなのか。

 そんな思いが、彼女にアンジェリック・プリティの服にこだわらせているのかもしれない。


 戦うためだけに作られた少女、ルカ。しかし彼女のサイ能力は綾也を上回るものではない。

 それが口惜しかった。崇拝するように慕っていた彼女が徐々に変わっていった綾也への思い。ふざけて大声を出しながらもそっと手術室を伺う。


 綾也が緊急手術を受け始めて三時間。誰もが限界だった。

 じっと待ち続けることも、助かることを願うことも、沈痛な面持ちで黙り続けることも。


「あは!やめろよ、ルカ!」

 ついアツシの声が大きくなる。

「うるさい!」

 そんな彼らを一喝したのは、最年長のレイナだった。レイナ…。三人はとまどいの表情を見せた。

「平和ボケもたいがいにして!私たちの置かれている状況がわかっているの?」

 つねにプロジェクトSのリーダーとしての役割を担わされてきた彼女は、今、STEの作戦本部にいる。


 Sは事実上、活動を停止していたのだ。


 何も動けないままのこの四年間、彼らは訓練のコーチや助手としての手伝いという位置に甘んじていた。

 それぞれが自身の訓練を続け、能力を伸ばしながらも。

 谷田貝教授殺害事件への関与は、だからSにしたらひさびさの活動であった。


 以前とは違い、長い髪をきりりとシニヨンに結い上げ、すっかりスーツ姿が似合うようになったレイナは、他の三人より焦りを感じていた。Sがどうなるか、そして自分たちの価値をどう高めていけばここにいられるのか。

 今さら一般人として市井に放たれて生きてゆけるとは自分自身も思ってはいない。

 自宅に帰ることすらすでに無理な話だ。私たちが生きられるのはこのSTEの中でのみ。だったらどうやって。

 レイナは左腕を看護師に任せた姿勢で、ルカに向かって厳しい言葉を吐いた。

「綾也がこちらの手元に帰ってくると言うことは、プロジェクトSが本格的に再始動するということ」

 細い管に赤い血液が通り過ぎてゆく。それを黙って見つめながらルカは唇を噛んだ。

「もう、失敗は許されないのよ」

 言い切ったレイナにルカはそっと告げる。もしかして、レイナもABなの?

「そうよ!悪い?呑気にそうやって無意味に浮かないでちょうだい、あんたって子は!」

 フリルとリボンだらけの白いドレスと、大人びた淡いベージュのスーツが対照的な二人。

 しかし、サイ能力があるというだけで普通人としての生き方ができないことは同じなのだ。


 それまで沈黙を守ってきたトオルがぽつりとつぶやく。

「しかし、順調に快復したところで綾也は素直にミッションに参加するのか」

 みながトオルに注目する。

「もうすっかり、一般人の生活にもうまく順応していたんだろう?東都大生として研究に打ち込んで。今さら戦いの日々にあいつが好んで戻ってくるとは、到底思えないんだが」

 アツシは静かに答えた。彼の反応などとうにわかっていたから。

 乱暴に脳をかき回すスキャンと違って、内言語をなでるように読み取ってゆく作業。

 アツシにとっては何でもないことであった。

「戻ってくる。ボクたちもあいつも、しょせん凪いだ穏やかな生活とは相容れないさ」

 どんなに外の世界を望んでも、帰ってくるのはこのラボラトリ。

 あきらめにも似た感情がみなの心に拡がってゆく。


「……お兄ちゃまをどうしても仲間に引き戻さなくてはダメなの?」

 ルカ…。他の者らがそちらを向く。

「お兄ちゃまは一度STEを捨てた人間よ。またいつ裏切るかわかったものではないわ。サイコキノならあたしがいる。もともとのスタートだってこの四人で始めたものじゃない!」

 複雑な心境のルカに、レイナは冷静に言った。

「同じサイコキノだからこそ、綾也の力の強大さはあなたが一番わかっているのではなくて?ルカ。戦力としてはもちろん、少なくとも敵には回したくない相手ね」

「欠点だって変わってない!まるでコントロールなんて利かないじゃない!あいつは、あいつはあたしを殺そうとしたのよ?」

 レイナはつと視線をはずすと、遠くを見つめた。


「……だからこそPSDが必要なのよ」





 不意に手術室のライトが消えた。足で押された自動ドアがそっと開く。たくさんの管をつけられ、輸液と輸血を受けながら出てくるのは痛々しげな…綾也。

 Sのメンバーは黙って彼の周りに近寄る。

「責任者の方は…」

 執刀医と思われる医師から声がかかる。レイナが私ですがと手を挙げ、二人はカンファレンスルームへと入っていった。


「しばらくは術後管理が必要ですので、面会はご遠慮下さい」

 看護師に遠ざけられる前にさっとアツシが彼の脳内をスキャンする。意識はない。レイナの瞳を通して中継をするかのように、全員の脳裏に綾也の表情を映し出す。

 痛みにゆがむようなきつくつむられた目に、その場に不似合いなシルバーフレーム。


 居場所のなくなった三人は病院の外へと出てみた。風がやや冷たくなってきていた。

 普段は何者も近寄れないほどセキュリティの厳しい建物。

 誰もが無言だった。


 プロジェクトS。


 あのミッションでの失敗で解散が確実かと思われたのに、綾也以外のメンバーは、まるで飼い殺しのようにいつまでもラボラトリの中にいる。

 先の見えない焦りを誰もが抱え、思い浮かべていたのは綾也と漆原博士。

 どちらともシブラク大統領襲撃事件以来一度も会ってはいなかったのだ。


 その綾也が帰ってきた。どんな形であれ。彼らの胸の内がどれだけ複雑か、想像するのは簡単だった。


 アツシがレイナからの合図を受信しつつ、みなへ現況を説明する。怪我自体は命に関わるほどではなかった。

 折れた三本の肋骨が肺に刺さり、本来なら危険な状況になってもおかしくないのに。

 また、二発の銃弾も一つは貫通し、もう一つは大動脈の手前で止まっていた、と。

 それを取り除くのに慎重さを要求され、どうしてもこれほどの手術時間がかかってしまったということであった。

 彼は何者かに守られているのだろうか。

 つねに命を落としてもおかしくない状況に置かれても、救われる者として。


 選ばれし神の子。


 それはつねに自分らに言い聞かせていた言葉。

 弾かれざるを得ない恐ろしい悪魔の子ではなく、我こそは正義なり、と。


 色づいた木々の葉に囲まれた空は、あくまでも高かった。







 三日間の謹慎を終えた理香子は、哲平を連れて出社した。いつまでも一着のスーツというわけにも行くまいと、既製品で間に合わせたそれでも哲平にはとても買えそうもない服。

「戦闘服、ということでいいかしら」

 ありがたくもらっとくよとつぶやく彼と理香子は、苦笑いをしながら編集部のドアの前に立った。


 これからが正念場。


 何があっても綾也を救い出してやる。そのためには繋がなきゃならない多くの絡み合った線がある。

 どこまで春秋がそれに乗ってくれるか。哲平はひさびさの緊張感にネクタイを締め直した。

 中からすでに編集長の怒声が聞こえる。週刊誌はいつも戦場。戦う場所と武器は違っても、みな、何かを守る為に必死なのだ。

 理香子はすうっと息を吸うと大きな声で思い切りよくドアを開けた。


「おはようございます!」

「おお、謹慎娘!温泉はどうだっ……」

 からかおうとした古参の記者が絶句した。皆の視線が、理香子ではなく隣の男に集まる。

 そのまま二人は編集長のデスクに向かった。佐山が火をつけようとしていたタバコが口元から落ちる。


「…津…雲…」

「ご無沙汰しております、佐山さん。その節は大変お世話になりました」

 哲平はニヤリと笑うと、そのままおとなしく頭を下げた。眼光だけは相変わらず鋭い。

 スクープをとり続けた伝説の男。その取材力と人脈は計り知れない。


「おまえ、どうして……。中村、これも中村グループの力、か?」

「違います、編集長!私は私なりに取材を重ねて」

「さすが春秋さんの記者ですね。一年目とも思えない。取材の途中で彼女と偶然知り合いましてね、じゃあ協力し合いませんかという話になったんですよ」


 こんな大物引っぱってくるなんて。他の記者たちの言葉にならないつぶやきが聞こえる。

 彼らにとっては、津雲哲平はただのごろつきなどではない。どこからどう取ってくるのか、その情報収集能力の高さと幅広い人脈に、みな恐れをなしていたのだ。


「僭越ながら私の方で調べ上げた情報はすべて春秋さんに提供させていただきます。ことは国防省と青龍会との癒着にはとどまらない。その裏にもっと大きなものが動いていることをご存じですか?そのためには私個人の力ではどうにもならない。どうか春秋さんでこの事実を公表していただきたい」

 いつもより丁寧に、それだけに凄みのある声で哲平は佐山に迫った。

 一匹狼は返上か、さすがの佐山もそう返すのがやっとだった。


「誰が発表しようと、署名が誰であろうとそんなことはどうでもいい。今、国防省の中で大変なことが起こっているんです。何があっても阻止しなければならない危険なプロジェクトが。それを公にしたい。そして中で苦しんでいる被害者たちを救い出したい。私の思いはそれだけです」

 津雲、久しぶりだな。古株の遠藤が苦々しそうな顔つきで寄ってくる。哲平の表情がわずかに曇る。ちきしょう、まだこいつもいたのか。

「遠藤さん、大変お世話に…」

「ああ、お世話になったよこっちの方が。一年かけて追い込んだネタを横からかっさらわれて。あんたもあのときはずいぶんもうけだだろうよ」

 おかげさまで金一封をいただきました、社長から。それだけですよ。哲平はうそぶいて余裕の笑みをもらした。

「何をたくらんでる?おまえが金にならないことをするはずがねえ。おまえのバックは青龍会か?とうとう堕ちるとこまで堕ちて舎弟にでもなったか?」

 ひどい、理香子がつぶやくのを手で制して哲平は静かに言った。


「おれもシャバを離れて二年、社会正義ってヤツを骨の髄までたたき込まれましてね。こりゃ一丁、世の為人の為に一肌脱ごうかと」

「ふざけるな!」

 遠藤が怒鳴る。編集部は物音一つしない静寂に包まれた。

 しばらくしてようやく哲平が口を開く。いつもより落ち着き払って、まるで本物のここの記者のように。


「国防省、青龍会、PSD、STE、東都大学谷田貝研究室、シブラク大統領襲撃事件。さて特集班さんは何処まで押さえていらっしゃいますか?」

 特集班キャップの金子の顔が青ざめる。


「ま、まさかあんたはそれを、一人で?」

 佐山の机の上に哲平は資料をどさりと投げた。どうぞご自由にお使い下さい、それでは私はこれで、と。


「待て!いや、待ってくれ津雲。あんたは今はフリーなんだろ?」

 佐山さん!叫ぶ遠藤を無視するような形で佐山は哲平に詰め寄った。


「フリーというか、フリーターというか、まあヒモといった方が正しいかもなあ」

 こんなときにすら余裕を忘れない哲平を、ある意味すごいと理香子は呆れつつも感心した。

「春秋の契約記者ということでどうだろうか。この事件の特集班に入ってもらいたい。頼む。うちとしてもこのヤマは普通の事件とは違うと感じているんだ。ある意味、社運をかけて取り組むべき大きな問題と思っている。あんたの協力があれば秘密を暴くのもぐんと可能性が高くなる。どうだ?」

 しばらく考えたフリは、哲平の演技だろう。いいですよ、ただし条件がある、と言い出した彼に、やはり金かと吐き捨てたのは遠藤だった。


「このお嬢ちゃんをお借りしたい。なかなか優秀で使い勝手も良さそうだ」

 にやにや笑いながら哲平は理香子を見た。何その言い方!理香子は絶対にスーツ代は回収してやると心に決めた。佐山は大きなため息をついたが、まあいいだろう連れてってくれ、それとこのお嬢ちゃんはすぐすっ飛び出しちまうから、小仲もおまけでついていけ、と付け加えた。

「えーっ?何でボクが!」

 小仲は大層不服そうだったが、他に手の空くような記者はいない。三人が加わって大所帯になった特集班は、さっそく隣の会議室でのミーティングに向けて動き出した。






 柔らかな光が差し込む病室に、四人のかつての子どもたちは集まっていた。

 もう一人のあの頃の子どもは白いベッドに横たわって。


 それぞれが違う能力を持ち、別々の環境に育ちながらも、つねに恐れられ忌み嫌われていた存在であることには違いはなかった。いつしかその結束は固く、強く、いつまでも続くものと思われていた。


 プロジェクトS。


 しかしその仲間も、ある意図を持つ大人たちによって作られたもの。誰もが無言で、彼らの仲間を見下ろしていた。


 銀フレームに光が当たって反射したのがまぶしかったのか、綾也はそっと目を開けた。

 アツシ、トオル、ルカ、そしてリーダーのレイナ。

「お帰りなさい、綾也」

 彼女はそう言うと。優しげな瞳を彼に向けた。

「レ…イ……」

「無理に話すことはないよ。ボクに伝わるから」

 アツシがゆっくりと話しかける。テレパスである彼が綾也の脳に負担をかけないよう、そっと内言語をスキャンしてゆく。それを他の全員に伝える。

 でも彼らに言葉はいらなかった。

 静かなときが流れる。

 穏やかな綾也と能力を使わないで過ごせる四人と、このままのときがずっと続けばいいのに。

 けれど無情にも、大人たちは彼らを見過ごしていてはくれないのだ。


 …カエリタイ…

「どこへ?あなたの帰るところはここよ。ラボラトリであって、そしてSの仲間たち」


 …ボクハモウタタカエナイ…

「警察も青龍会もおまえを追っている。もう戻れないんだ」


 …タタカイハイヤダ。ボクハタダノケンキュウシャトシテ…

 こほっ、わずかな咳が傷に響いたのだろう。綾也の顔が痛みにゆがむ。

「今はそんなことより、早く怪我を治しましょう。辛かったでしょう、でももう大丈夫よ」

 まるで子を見守る母のように、レイナは温かな声をかけた。

 離れていた間の溝が埋まってゆく。ルカ一人が表情を硬くしていた。


「ほら、そんな顔するなよ。やっとみんなが集まったんだ、ルカ」

 アツシの声にも唇を噛んだまま。

「ゴ…メン…ネ」

 苦しい息の元、綾也がルカに声をかける。その言葉に彼女は一粒だけ涙を流した。


 そのとき廊下を規則正しく歩くカツカツとした靴音が聞こえてきた。誰もがハッとしたようにそちらを振り向く。まさかあの足音は…。

 ドアがかちゃりと開けられる。姿勢の良い長身の鍛え抜かれた男。


「先生!いつ日本に帰ってきたの?」

 ルカが嬉しそうに声を上げる。

 博士、漆原先生!それぞれが思い思いに呼びかけるのに視線を向けただけの彼は、真っ直ぐベッドサイドへ歩いてゆく。


「プロジェクトSはふたたび本格的に動き出す。準備をしろ」


 その言葉に、誰もが息を飲んだ。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved

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