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微睡む牙古鳥の随筆

生苦の果てに死を感じ

 日々をなんとなしに過ごしていたら、何か知らんうちに年末の足音が近付いている。


 人の世というものは――というよりも、我々が生きている「現実」と呼ばれる不明瞭な実存は、我々自身の随意によって観測されながら、果たして思い通りに動くわけではない。故に、それを望むと望むまいとにかかわらず、所謂いわゆる「時間」という名で認識されているものは、ただ一様に流れていくのである。

 そういったわけで、今年も夏あたりから特に何もしてねえな……とぼんやり過ごしているうちに、いつしか外の気温も随分と過ごしやすく、時に肌寒さすらおぼえるような、冬と年の終わりが近付きつつあるのだ。


 ところで、先程「時間」というものはただ一様に流れていくのだ、と言ったが。

 実際のところ、我々の感覚知覚による「時間」概念の把握は、必ずしも一様に流れていくということはなく、分かりやすく言えば


「つまんねえ時間は一向に終わらないじゃねえか」


 とか、


「楽しい時間はあっという間に過ぎていくじゃねえか」


 とか、少なくとも主観的時間経過の、認識的単位時間に対する量というものは、そこに伴う感情や、その他の不明な何かの影響を受けて増減するものだと言える。

 それでも、時間の流れていく方向(・・・・・・・)については、極一般的な解釈において平等で、変わらず普遍の不変であるものだとされる。一次元、数直線上の正と負の――即ち認識している今その瞬間をゼロとした、過去マイナス未来プラスのみが、暗黙的に我々に共有された価値観として、意識的か否かに依らずそこにあるわけだ。……まぁ、たぶん。


 そんなどうでもいいことはさておき、大事なのは時間が逆行したり、あるいは止まって変わらずそこにあるわけではないという点で、そのために我々の如き「死を有する生物」という存在は、望むと望むまいとにかかわらず、そのうちは死ぬ。

 厳密な意味において、我々が死を恐れる理由というのは定かではないが、人間の大体の価値観において共通しているだろうと楽観しているのは、即ち


「死んだら、現世で何かをすることは出来なくなる」


 という、当然に出来ていた何かが奪われる、そういう系統の望ましくなさであると思っている。


 ……でも、実際にはどうなんでしょう。

 死が基本的に望ましくなく、好ましくないものであるという価値観は、今生きているという事実に対してほぼ逆説的に保障されるものであるわけだが(じゃないと死んでそうだし)、それが何故(・・)そうであるのかに関しては、日常会話の範疇において共有されることは珍しいだろう。

 というか、そういう系統の思案については、半ば「意識しない」のが明確な正解ですらあるので、たとえそこに厳密で明確な意志や思想が伴おうとも、それを公然と表明して議論するなんてことは、そういう機会を企画でもしない限りは発生しない。

 故に、我々にとって「生命の価値」というものは――あるいは「死に対する忌避」というものは、語られるまでもなく当たり前のものであると同時に、その正体が共有されていない、一種の禁忌(タブー)として、触れられることがないのである。



 知りもしないのに知った気になり、知らないとは言えない風潮を作り出すうち、まるでそこに明確な正解があって、それを持っているかのように錯覚をする……そんな愚かな生物の一翼として。

 ただ明確にわかっている、私は私自身が死にたくないと思う想起を握りしめながら、最近あった話をしようと思う。


----


 以上、導入終わり。

 毎度のことながら、放っとくと思想の話しかしない。こういうのは、誰かに聞くから楽しいものだと思うのに、じゃあそういう話を実際にする相手が存在するかというと、勿論いないのである。


 ……いや、友達がいないとかそういう話じゃなくて。潤沢にいるかっていうと、いないけどさ。

 そもそも、こういう系統の話は人を選ぶ。相手の思想に触れて想い感じ、そこにある違いをたっとびながら只管ひたすらに意味もなく話す……そういうのをやるより、普通は普通に馬鹿話をするであったり、遊戯などに触れながら時間を過ごす方が優先される。極めて当たり前だ。


 そんなことは良いとして、そう。

 たまに、近所の回転寿司屋に行くんですよ。自転車……ママチャリというか、シティサイクルというかで年齢がわかりそうな、そうでもないような感じがする、あの足漕ぎ式の二輪車。軽自動車(※)に分類される乗り物ですね。それに乗って。


 昔、名前をつけた気がする。「蒼天號」とかだっけか。よく晴れた昼前の空のように清々しい空色の車体を持つ、良い感じの自転車。値段は当時で弐万円とかくらいだったか。

 つまり、初代ポケモンの自転車の2%くらいの価値(※)ですね。

 豪華客船サント・アンヌ号のチケットの切れ端程度の価値しかない、というと本当にゴミカスのようなものと言えそうだか、そもそも自転車の引換券は別に存在するので、全く関係ないと言える。

 ポケモンだいすきクラブの会長の長話の2%の価値と考えると、あるいはそれくらいの価値と言えるかも知れなかった。入手の所要時間的な意味で。


 ……何の話だ。まぁなんにせよ、愛用の自転車に乗って十五分程度か、あるいはもっと短いかもしれないが(というか多分流石にもっと短いだろうが)、ヒイヒイと息を切らしながら、近所の回転寿司屋に行くのである。

 そして、カウンター席を希望する札を発行して、待ちがなければそのまま席につき。


 ……そのまま、息を引き取った。


(完)



----


 いえ、死んではないんですけど。


 ただ、ここ三回ほどは、毎回死にそうにはなっていた。

 いやね、体力が凄まじく落ちてるんですよ。数年前から続くリモートワークの影響と、そもそも全く運動をしようとしない性質が合わさって、ついでにそこに老化の影響も重なると、人は本当に弱る。元々別に大して強くもなかったのに、スーパー最弱さいよわ人って感じ。


 死にかけの時は、大体視界が終わる。

 眼の前にブロックノイズのような、見えない部分が動いて見える。それが、視界の全体に広がって……これが広がりきったとき、そのまま意識を失うことが分かるような、死に片足を突っ込む、あの感覚。


 あの感覚に触れるとき、とても悲しくなるものだ。


 世には正しい生き方というものがあって、即ち次代をして、継いで終わる。何かを遺して、消えていく。

 私には、それがない。そして、今後もないまま消えていく。

 死を間近に感じる時、それが暗闇から顔を覗かせて、命の価値を問い掛ける。


「お前の諦観は、本当に正しかったのか」

「その死を誰にも恥じないと言えるのか」

「期待を裏切って捨てるのか、恩知らずが」

「ああ、寂しいね。寂しいままに、無価値に塵芥ゴミへと還るのか」


 そんな声も聞こえてくるものだ。

 誰がそんな事を言うのかといえば、それは当然私自身だ。


 無価値さも、無意味さも。私の矜持が、私の嫌う私自身を殺そうとしている。

 かつて誰かに向けた正論が、正しくなんかない私を殺そうとしている。


 いや、最初から。私が殺そうとしたのは、果たして私一人だけだった。

 他の連中がどれだけ間違っていようと、私は私自身が間違っていなければそれでよかった。私の矜持は、私にだけ向けられた憎悪だ。


 ……死に悔いがなければいいけれど。

 ……死に瀕した今、去来するは呪いばかりだ。



----


 という感じに、一頻ひとしきり死にそうになった後、


「今日はもう食うってテンションじゃねえな……。少しだけ食って帰ろ……」


 と飯をぽつりぽつりと食ううちに、本来の調子を取り戻し、満足行くまで食って、そして腹一杯で帰る。そういう事があったわけだ。大体一週間前、令和五年の霜月、三日のことです。文化の日とかだっけ?

 会計額が三千円ちょっとになってたのは憶えている。一人で食うには高過ぎんかと思わんでもないが、まぁ物価の影響という解釈をしておきます。


 秋だったので、さつまいものスイーツがそこそこあったんですよ。パフェとか、スイートポテトとかね。超美味かった。なんでさつまいものスイーツってあんなに美味しいの? 芋って凄いよね。凄い。



 結局のところ、何が言いたいのかとかは別にないっちゃないんだけど、それでもやっぱり人の人たる感情というものは、その瞬間の体調にも強く影響してそこにあるんだと思う。


 死にそうな時には碌な事を考えないし、満ち足りて幸せならば、幸せでしかない。

 仮に抑え難い怒りが日常を侵食するのなら、それはもしかしたら疲れてるのかもしれない。耐え難い哀しみが消えないなら、体が壊れてるのかもしれない。


 幸せに生きたいなら、体が健やかでなくちゃならない。


 不満足が夜更かしの原因であるのなら、勇気を出してさっさと寝よう。それが一番良いんだよ、やっぱり。

※軽自動車:軽車両の間違い(自動車であってたまるか)

※百万円の自転車:初代ポケモンのハナダシティの自転車屋で売られている。ゲームシステム的に購入は不可能で、引換券との交換によってのみ入手可能。

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