あの日夕暮れのバイク事故 特大オムレツと近所のおばちゃんの思い出(父のフルート・続編)
「父のフルート」で少し書いた、交通事故。あれは確か、中学2年の秋ごろだったかなあ。
部活を終えて、夕暮れに帰宅した。
いつもなら母の方が帰りが遅い。でもその日は、なぜか玄関のカギは開いていて。
あれ?お母さん早いんだな、って思ってうちに上がったら、そう、やっぱり母がいた。
「ただいま」
「あ、おかえり」
母は、居間の続きの和室に据えてある白木の桐ダンスの前に居た。
引き出しを開けて、紙袋やら大き目の旅行バッグやらに、せっせと何かを詰めこんでる所だった。
「?」
なにしてんだろ?お父さんの演習の荷づくり、手伝ってるのかな?
陸自隊員の父は、しょっちゅう「演習」や「当直」「災害派遣」で家を空けてたから。
いつものこと、延長かな、って一瞬思った。
でも母は、その時はちょっと慌ててるようなそぶりで、困ったような、神妙な顔をしてた。
母が私の姿を見て、口を開いた。
「お父さん、事故に逢ったって。」
「〇〇病院に運ばれたんだって。今連絡もらったの」
「命に別状ないそうだけど、入院だって」
「様子が分からないけど、今から行ってくるから」
母の口から出たのは、思ってもみなかった衝撃の言葉たちだった。
「え!なんでっ!?」
私の頭の中は一瞬真っ白、そして次の瞬間には。
うそ、何で、どうして、どんなケガ、大丈夫なの、死んじゃったりしないよね!?
大量の想いが一気にぐるぐると頭を駆け巡った。
だって父はとても慎重な人で、陸自隊員として日々鍛錬しながら安全には人一倍気を配って。
絶対に無茶な運転とかしないし、交通事故なんてあり得ない!
信じ難かった。
「おとうさんのバイク、帰りに交差点で車に巻き込まれたんだって」
「救急車で運ばれたみたい」
・・・うそだ、そんなわけない!お父さんにかぎって。人違いじゃないの?「ただいま」って、元気に帰って来るでしょ?ほら、いつもみたいに!
そんなことも、考えてた。
タクシーを呼んでいたのか、近所の人が乗せてってくれたのか覚えてない。
母は、驚きで返事もろくすっぽできないでいる私に向かって
「お兄ちゃんと留守番たのむね」と言い残し、旅行カバンと紙袋を両手に持って、やってきた迎えの車に乗りこんで夕闇迫るなか病院へ向かっていった。
蛍光灯の明りの下、シンと音のない部屋に残された私、ネコ。
台所のテーブルには、急いで作ってくれたらしい2人分の夕飯が用意されていた。
まだほんのり温かいまま ぽつんとおかれてた。
何だったかなあ…アジの開きと味噌汁とか、そんなだったかなあ・・・。
母を茫然と送り出して、一人家に残されて。兄はまだ、帰宅していない。
家族が交通事故。生まれて初めての経験で、事態を全然飲み込めてない。
何をして良いやらわからなくて、何もできなくて。お腹が空いてるのもすっかり忘れていた。
ただそのテーブルの上の夕飯を、味もよくわからぬままに口へ運んだような気がする。
ピンポーン。
玄関チャイムが鳴った。
えっ!
おとうさん、帰ってきたの?やっぱり無事だったの?間違いだったんだよね?
一瞬、そう願った。父の姿がそこにありますように。
箸をおき小走りで玄関ホールに向かう。
と、こちらから開けるより先に、ガラスの引き戸がガラガラッ!と勢いよく開いた。
そうか、母がでたあと、鍵をかけてなかったんだ…。
「るなちゃん、ようちゃん、いるー?」
大きな声が、そう聞こえてきた。
2軒向こうの、近所のおばちゃんだった。子供たちは私と兄と同学年で、遊び友達でもあった。
白い割烹着がパツパツ、ちょっとふくよかなおばちゃんの手には、大きな銀のカレー皿が一枚。
そこにはたっぷりと赤いケチャップを纏った、こちらも福々しい大きな黄色いオムレツが、湯気を立ててどかん! と乗っかっていた。
「お父さん大変だったね!いま、うちのおとうさんから聞いたからさ。お母さん、行ったんでしょ?これ、二人で食べなよ!」
おばちゃんはちょっとハスキーな聞きなれた威勢のいい声で、ばーっと早口に言うなり そのカレー皿をこちらに差し出した。
「あっ・・・ありがとうございます。
・・・えっと、ごちそうさまです、いただきます!」
予想もしない展開に、そういって受け取るのが私にはやっとだった。
それ以上言ったら、我慢してた涙が だーっと零れてきそうだったから。
それ以上何も、言えなかったんだ。
「困ったことあったらいつでも言いなね!お互い様だからさ!」
「お母さん、助けてやって! しっかりね!」
おばちゃんはそういってちょっと眉間に皺を寄せ、そのあとは大らかな笑顔になって、玄関戸をまた自分でガラガラっと閉め足早に戻っていった。
受け取ったカレー皿を持ってわたしは上がり框に佇んだまま、おばちゃんの閉めて行ったガラス戸をしばらくの間、茫然と見ていた。
あっ、玄関灯、点けてなかった・・・。おばちゃんが去ってから、ようやく気付いた。
いつの間にか外は とっぷりと日が暮れて、青い闇が辺りを包んでた。
ずっしり重たいカレー皿を片手に持って、表の玄関灯のスイッチを入れた。
薄闇に包まれてた玄関たたきが、地模様の入ったガラスを抜けてくる光で仄かに明るくなった。
しばらくして、兄が帰ってきた。
「お父さん事故で〇〇病院に入院したって」
「大丈夫みたいだけど、入院だって。荷物もってお母さん今出かけた。」
「うっそ。大丈夫かな。」
このとき兄とどんな会話をしたかは、あまり覚えていない。
ただ、心配と不安で心がワサワサとっ散らかってる私と違い、年上なだけあって兄はワリカシ、冷静だった。
「武田さんがさっきオムレツくれた。二人で食べな、って」
「おー、ウマそうじゃん!」
制服を脱いだ兄は早速食卓に着き、母の作り置いてくれた夕飯と大きな大きなオムレツを切り分けて、食べはじめた。
「うめえ」
さほど動揺するような様子もみせず、彼はパクパクと食べた。なんかいつも通りの兄、だった。
「心配じゃないのかな?図太いやつだ」って妙に感心した。
けど、私もそんな兄の様子を見てちょっとホッとしたのは事実だ。
食べ終えた兄が食器を洗い自分の部屋に戻ると、私も、オムレツの残り半分に手を伸ばしてみた。
我が家のオムレツとは全然、別物だった。
卵を幾つ使ったのかなぁ、ふんわりおおきく膨れた薄焼き卵は銀皿からはみ出しそう。
そのなかに、ひき肉と玉ねぎを炒めたやつがギッシリと詰め込まれてた。
中のひき肉もまだ、ほわほわと湯気が立つくらいに温かかった。
てっぺんにたっぷりと載せられた、真っ赤な甘酸っぱいケチャップと一緒に、大きなスプーンですくって食べた。
あ。そうだ、このスプーンも、おばちゃんが一緒に持ってきてくれたやつだ。
カレースプーンくらいなら、うちにもあるのにな(笑)。
へええ、オムレツってこんな中身入れたりするんだ。うちじゃいつも卵だけのオムレツだもんなあ(笑)。
うちと味付け、全然違うんだなぁ。
こんなにおっきなオムレツ見たことないや。
一口、二口。大きなカレースプーンでオムレツを崩しながら、そんなことをぼんやり考えた。
急に、ボロボロボロ、って涙が零れだした。
おばちゃんのオムレツ、温かくて、なんか面白くて、なんか、涙が止まらなかった。
翌日、母と一緒に病院へ見舞いに行った。
大部屋の窓際のベッド。
これから手術をするという右足は天井から吊られ、右手にも頭にも、ぐるぐる巻きの包帯。
あちこちにガーゼと絆創膏。
痛々しい姿だった。
でも、思ったよりも元気そうに、笑顔を交えて話す父がいた。
父が言うには。
50㏄バイクで信号待ち。青で直進する父を見落とした右折車に交差点の真ん中で巻き込まれ、バイクごと数十メートル、引きずられたらしい。
車が止まったあと自力で立ち上がって、慌てる車の運転手に現場保全と安全確保の指示をしたんだそうだ。警察と救急車を呼ばせ、それからこの病院に運びこまれたと。
小さな事故ではなかったけれども、ヘルメットとバイク用グローブをしっかり装着していたことが、幸いしたとのことだった。
それでも右足と右手薬指を複雑骨折、各所裂傷、入院1か月半。結構重傷だった。
退院後父は、車で通勤するようになった。バイクはもう、乗れないし、乗らない、と。
あのときの衝撃、恐怖や不安とか、痛々しい姿やリハビリの様子とか、やっぱり思い出すとちょっと切なくはなる。
でも、あの時おばちゃんが持ってきてくれた、銀皿いっぱいの超でっかいオムレツ。
どかんと太っ腹、ホッカホカのあったかさは、これから先もずっと忘れないと思う。
ちょっと味薄めだったけどね、
ほんと 美味しかった。
武田のおばちゃん。
あの時は本当にほんとうに、ありがとうございました。