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『高知脳カラス』

作者: 游月 昭

『高知脳カラス』



〈ぼくは、タケシ君と工場地帯の、ヒミツ基地に行きました。タケシ君が入って行ったらぼくが入ったら、突然コンクリートが落ちて入口が閉まりました。ビックリしましたけど出られませんでした。ぼくとタケシ君は泣きました。……〉


 小学校の教室は少年達にとって封建社会そのものだった。大抵の子は、第一徒党の動向を看過しながら、第二徒党の世界で喜怒哀楽に勤しみ、第三世界へと落ちないよう、暗黙の教室制度を遵守する。 努めて第一徒党の乱暴者とは関わらないようにしながら、当たり障りの無い学校生活を過ごす。無論、下克上はもってのほか。頑丈な身分制度の元にいびつな大人社会にも似た秩序が保たれていたのだ。


 小学時代、私の親友だった猛は、強い近眼で黒縁眼鏡をかけていたことと運動能力が低く痩せていたことに加え、特別に仲良くならない限り無口なこともあって友達が少なく、私が転入した時は既に教室の皆んなの彼に対する態度は冷ややかなものだった。彼は私に対してだけは粗暴な態度や楽しそうな表情を見せたりするのだが、別の少年に話しかけられると無表情になり、あまり言葉を発することがなかった。私がいつも猛と行動を共にしていたことで、いじめの対象からは外されていた筈だが、私の作文が教室で発表されてからは、二人共教室の皆んなから嘘つきと思われ、担任の教師でさえその内容が事実だと信じてくれる事はなかった。

「面白く書けたな。上手いぞ。《小説》というのがあってな、お前の作文は、その小説だ。小説では、人が空を飛んだり、恐竜の世界に行ったり出来るんだ。だから、お前は良い小説を書いたという訳だ。大事に取っておくといいぞ。」

 そんな教師の言葉がきっかけで、その日から私は教室のみんなに小説家と呼ばれるようになり、猛と共に第三世界の住人となった。とはいえ、二人がいじめられていたかと訊かれればそんな事実は殆ど無い。教室の彼らとは関わりが無くなったということに過ぎないのだから。


 それから三十年ほどが過ぎ、私は結婚をして幸せな家族に恵まれた。小学校を卒業すると猛とは中学が別になって会うことも無くなった。幾度か彼に年賀状を送ったのだが、彼の性格からか一度も返事は無く、それっきり疎遠になってしまったので、彼が今どこでどうしているかは分からない。

 私は、来月の転勤のため、引越しの準備をしていたのだが、荷物をダンボールに詰める作業をしていると、不意にあの問題の作文が出て来た。私は休憩と称してコーヒーを飲みながらその作文を読んでみた。それは、大きな文字で書き殴られた稚拙な作文ではあるのだが、嘘などは一つも書かれていなかった。


 秘密基地といえば、当時の子供たちなら誰もがそう称していた場所があった筈だが、私たちにも、二人だけの秘密の空間があった。それは、建て替えの為に一時放置された工場の、隅に置かれた瓦礫の山の隙間に出来ていたのだが、私たちは、ある日が来るまでは、毎日のようにそこへ通っていた。

 学校の帰りの会が終わると直ぐに教室を飛び出し、ランドセルの中の物を小刻みに鳴らして軽やかに走り、コウモリ傘をライフルに見立てて、見えない敵を撃ち倒しながら秘密基地へと向かったものだ。猛が、自分はナチスドイツ軍の兵士だと言うので、それなら私は日本軍の兵士となり、同盟を結んで作戦行動をするのが当たり前だった。


 ある日、作文に書かれた事が起こった。

 放課後、二人はいつものように戦争ごっこをしながら寄り道をした。辺りを警戒しながら走っては物陰に隠れ、また飛び出して傘を撃ちながら走るという遊びを繰り返しながら、工場の秘密基地へと急いだ。工場の敷地に着くと、ランドセルの端に刺した竹製の物差しを中途半端に引き出して猛が秘密基地本部と交信をする。

「本部、本部、応答願います。タケシとアキラが帰還します。援護を願います!」

 猛の援護要請が終わると、私はリコーダーを取り出して望遠鏡にして辺りの様子を窺う。誰も居ないことを確認すると、無言のまま腕を前へ振って前進を促す。そして、二人は身を屈めながら走り出し、時々匍匐前進をしながら秘密基地に近づいて、いつもの様にランドセルに傷を付けながら二人は瓦礫の中へと入って行く。

 その日、猛は太い針金に引っかかるからと、ランドセルを脱いで先に瓦礫の中へと放り投げた。

「何しよん、ランドセルがぼろぼろになるんやないん?」

 当時、私はいつも親から、物を大切にするように厳しく言われていたので、猛のようにランドセルを放り投げるような乱暴なことは思いもつかなかった。

「別にオレのやけ良いやん。」

 そう言うと猛は瓦礫の中に素早く入って行った。私はそんな猛のことを時々、人の言うことを聞かない子供だと少し軽蔑することもあった。意固地になった私は、ランドセルを背負ったまま中へと注意しながら潜り込む。しかしその日は運悪く、太い針金がランドセルの横の帯の所に知恵の輪のように掛かってしまい、ランドセルを背負ったまま手を後ろに回しても、針金はなかなか外れてくれなかった。イライラしていた私はヤケになり、体ごと勢いをつけて一気に外そうと試みた。

「あっ!」

 針金は外れたが、その振動のせいで、瓦礫の蓋が大きくずれ、出入口を塞いでしまったので、私はびっくりして叫び、途方にくれてしまった。

「どうしよう……」

「何しようと?どうしたん?」

 猛が出入口に顔を近づけて覗き込んだ。しかし子供の体ですり抜けられるほどの隙間さえ既に無くなっていた。中は隙間だらけで暗くはないのだが、出られなくなった恐怖がじわじわと込み上がり、しばらくの沈黙の後、申し合わせた様に二人は泣き出して父や母を呼び叫んだ。しかし、そこは誰もいない廃工場。声が届く筈がない。ひとしきり泣いた後、二人は泣き疲れていつの間にか眠っていた。


 一時間ほど経ったのだろうか、外でセメントのかけらが転がるような音がするので、私は瓦礫の隙間から外を覗いてみた。すると、カラスが何かを探す様にして不器用に足を前に進めながら瓦礫の上を跳ねたり歩いたりしていた。それを見た私は慌てて、音を立てない様に猛を起こして言った。

「猛、カラスが来とう。あれ使えるんやないん?」

「あ?何で?デンシャバトやないのに無理やろ。オレたちはここで死ぬんっちゃ。無理、無理。」

 猛は涙声でそう吐き捨てると、泣き腫らした顔を背けて諦めた様子だったが、私はカラスが必ず助けてくれると妙に確信していた。

「カラスは頭が良いっち言うやろ?転校してくる前の家で、カラスがぼくに《バカ!》って言ったんよ。絶対あれ頭良いっちゃ。」

「そんなわけないやろ。カラスは《カー》っち決まっとうと。ウソ言うな」

「違うっちゃ、《アホー》ちも鳴くんばい。」

「うるせえ、それはアキラがバカやけやろうもん。」

「なんか?きさん、ふざけんなっちゃ。」

 二人の取っ組み合いの喧嘩が始まったが、場所が狭くて思うように動けず、コンクリートに腕をぶつけて時々中断して痛みを堪えた。結局馬鹿らしくなって喧嘩はやめたのだが、また何もすることがなくなり、カラスのことを思い出して、もう一度外を覗くとカラスは既にいなくなっていた。


 しばらく沈黙の時間が続いたが、猛が素っ気なくポツリと呟いた。

「なんか手紙書いて外に飛ばしたら良いんやないん?」

 猛が言った言葉に私は閃いて言った。

「あ、そうよ猛、手紙を書けば良いんよ。カラスに。」

「……はあ?もう、バカやないん。もう、バッカじゃないん。ほんとアホやないとう?カラスが手紙読むわけなかろうもん、オマエ、ああもういい。」

 私の突拍子も無いアイデアに猛は頭を抱えて丸くなり、不貞腐れて地面に転がった。

「ああ、もうどっちでも良いっちゃ。猛は誰かに手紙書きい。ぼくはカラスに手紙書くけ。マジック貸して。」

「ああ、もう。」

 猛は大きくため息をつきながら起き上がると、ランドセルの背を開き、ぐちゃぐちゃのノートの奥に手を突っ込んでマジックを取り出した。そして二人の手紙作戦が始まった。

 猛は面倒くさそうにぶつぶつ言いながらノートをちぎり、人宛にサインペンで書いた手紙飛行機を作り、私はカラス宛にマジックで貼り紙を書いた。そして猛は飛行機を飛ばし、私はセロハンテープで鉄骨に貼り付ける。助かるための行動を完了した充実感に浸りながら、私は軽いため息をついて、まだ不貞腐れている猛に訊いてみた。

「猛は何ち書いたん。」

「は?えっと、助けてって。」

「他には?」

「もう良いやん。」

「何で、良くないっちゃ。」

「ここから出して、っち書いた。」

 怪しい、と思った。

「ここって、どこ。」

「ここよ。今おるやん、分からんと?バカやないん。じゃあ、アキラは何ち書いたんかっちゃ。」

「ぼくはカラスが読める様に漢字を使わんかったんやけどね、《カラスさん、ここからだしてください。おれいにタマゴをあげます》っち書いたばい。」

「オレの方が良いやん。」

 猛はそっぽを向いてそう言った。

「良い訳ないやん。」

 私はもう喧嘩をする気力も無くなっていた。猛が紙飛行機を飛ばす前に検閲をしなかった自分も馬鹿だと思った。そして、その時猛の手紙を諦めてカラスに賭けたことも、今考えればとんでもない。


 再び辺りの様子を伺うために私は入口に顔を寄せてみた。すると、カラスが目の前に居て、じっと私の方を見ていた。転校前に遭遇した《バカ》烏が、母の指を嘴で突いて怪我をさせたことを、私は覚えていたので、自分の目を突かれるのではないかと恐ろしくて、緊張したままゆっくり後退りしながら、口を小さく開け小声で猛に言った。

「とぅけし、クルスがきとぅ。」

「何ん?それ、英語?またオレが分からんと思ってから。」

 猛はランドセルに両肘を突き、ぼんやりとして焦点の合わない顔をもたげていた。

「カ、ラ、ス、」

 私がもう一度小声ではっきりと言うと、猛は塞がった入口の辺りに目をやった。

「あ、」

 猛にもカラスが見えたようで、後ろの地面に手をついて目と口を丸く開いたまま動かなくなった。私はやがて後退りのスペースがなくなり、ゆっくりとしゃがみこむと、カラスが中に入って来ないように心の中で懸命に叫んだ。


 時が止まったように動きのなくなった舞台の袖で、劇場内を覗いている主人公のカラスただ独りにスポットライトが当てられている。

 カラスは、首を傾げながら、入口に突き出した瓦礫を嘴で二、三度突いて、二柱の仁王像と化した二人へ順番に目を向けた後、勢いよく地面に飛び降り、観光を楽しむかのように体を左右に揺らして足を上げては下ろし、ゆっくりと二人の前をやり過ごす。カラスの背中の羽根は、少し前に亡くなった祖父の、ポマードをつけ櫛で真っ直ぐに揃えられた髪のように黒々と綺麗に光っていた。二人は至近距離で我が物顔に闊歩するカラスになすすべがない。カラスはそのことをよく理解しているのか、警戒する素振りを全く見せずに時々嘴で地面を突いたり、大きな鳴き声で《カア》と鳴いたりしていた。

 ふと、カラスは私の顔を見て、幾度か顔を傾げた後、まるで合点がいったかのようにまた《カア》と鳴き、頭を下げたまま空間の端へと不器用に歩いていく。そして何かを探すように、端に溜まったゴミや枯葉などを嘴で避け始めた。猛の顔は相変わらず引きつっていて瞬きをしていない。私は軽い恐怖心を覚えながらも、興味深くカラスの行動を見守っていると、カラスは自分で掘ったゴミの穴に体を突っ込み抜けなくなったのか、バタバタと暴れ始めた。私が助けようと両手を差し伸べた瞬間、詰まっていたゴミの山が崩れ、瓦礫のバランスが崩れたのか、セメントのかけらなどが外側に倒れて、子供がやっと通れるくらいの隙間が出来た。私たちは顔を見合わせ驚いて喜んでいると、一度外へ出ていたカラスがまた戻って来て、私たちに向かって一度だけ鳴いた。

《バカー》

 呆気に取られた二人を残し、カラスはまた外に出て行った。


 そうして私たちはカラスのおかけで脱出することが出来たのだが、猛は、カラスが最後に鳴いた《バカ》という声を覚えていなかった。そして彼はいつもの調子で私に言うのだ。

「バカやないん。カラスは《カー》やろ。」


 それからというもの、カラスが電柱の上から見下ろしていると、私は冷蔵庫から卵を持ちだし、玄関先のカラスが見える位置に置いたりというようなことを暫くやっていた。勿論、私たちは工場へは二度と行くことはなく、秘密基地は橋の下に移ることになった。

 二人はもしかすると教室の皆んなに疎外された代わりに二人一緒に居たことで幸せな思い出を手に入れることが出来たのかもしれない。

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