第3章~ざわつく心~
9月8日(月)の午前。2時間目。1年1組では英語の授業が行われていた。サンガンピュールこと「塩崎ゆうこ」の座席は1組の最も窓側に位置していた。彼女はそれを良いことに、座席から運動場の様子をジロジロと眺めていた。
彼女にとって英語は一番の得意科目だ。そもそも自分の母語はフランス語だ。英語は、そのフランス語から大量に単語を取り入れているのだ。少し想像力を働かせれば英単語のそれぞれの意味は容易に答えの予想がつく。おかげで先日の実力テストでも英語だけは高得点の自信があった。他の科目は、知らない。そのためか、英語の授業がつまらないと感じるのも確かだった。そのため、時々外の様子を眺めることがあったのだ。
学年問わず、体育の授業は男女別になっていた。この日、男子は運動場で、女子は体育館での授業だった。改めて運動場を眺めると、3年生のとあるクラスの男子が体育の授業でサッカーをしていた。サンガンピュールは、サッカーボールの飛び交う様子を眺めていた。彼女は心の中で
「オリンピック・リヨンを応援していた頃を思い出すなぁ・・・」
とフランス・リヨンで生活していた頃を思い出していた。今は亡き父もオリンピック・リヨンのサポーターだった。彼女がイギリス旅行の際に落雷に遭遇し、Kに保護される以前のことである。そのためか、懐かしさも感じられた。
「・・・あの名前の読み方、難しそう」
と、サンガンピュールは小さい声でつぶやいた。目を向けた生徒の体育着には「神原」と書いてあった。
英語担当の安田先生は時折、教科書付属のCDなどを活用して、生徒に英語の音声を聞かせている。だがサンガンピュールには耳に残っていないようにも見えた。
「・・・でも『かみはら』だっけ?『かんばら』だっけ・・・?」
授業を受けなければいけない時間なのに、サンガンピュールは体育着の名字の読み方が気になって仕方がなかった。すると、
「塩崎、何ジロジロ外を眺めてるの?」
安田先生に見つかってしまった。サンガンピュールと安田先生とは1学期に大きなトラブルを起こした過去がある。サンガンピュールがイラク戦争勃発の際に、国家としてのアメリカに嫌悪感を抱き、そこから発展して、自分たちのクラスに来たアメリカ人のALTに対して「アメリカ人はみんな戦争が大好き!」と暴言を言い放ったことは、いまだに忘れられない。
「塩崎、ず~っと外眺めてたぞ。2学期始まったばかりだけど、集中だよ」
「あっ、はい・・・すみません・・・」
サンガンピュールはひとまず謝った。安田先生はこの返答を聞いて、
「まあいいや」
と、気持ちを切り替えた。続けて
「塩崎には次の英語の文章、読んでもらおうか」
ひかり中学校で採用されている教科書「New Horizon」の指定された英文を読むよう、指示した。
「あっ、はい」
ページを開いたが、いかんせん授業を聞いていなかったせいか、今、何ページなのかを全く把握していなかった。
「That doesn't look like a rocket.」
ひとまず読んだ。しかし、
「違う、違う、そこじゃない!」
安田先生から注意された。クラスメイトの中には「ハハハハハ」と笑う者もいた。サンガンピュールにとっては屈辱のような気持ちだった。
「えっ・・・どこでしたっけ・・・」
必死になって探すが、全く分からない。ひょっとしてこの文か。
「Hey, what's this big yellow button?」
別のページの会話文を音読してみる。これに対し、安田先生は
「そこも違う」
と答えた。教壇に立ち、右手にチョーク、左手に教科書を持っている安田先生の顔は、呆れたような表情だった。すると、
「ゆうこちゃん、そこ、もう先週で終わってるよ!」
岩本あずみが助け舟を出した。サンガンピュールは、全く違うUnitの本文を音読していたのだった。スーパーヒロインは、ひどく赤面した。こんなことになるんだったら、せめて外見てないで、黒板を見るべきだった。
授業終了後。美嘉がサンガンピュールに近寄ってきた。
「ゆうゆう、さっき注意されてたね」
「・・・悪かったわね・・・」
サンガンピュールはいかにも不機嫌だった。美嘉がまた質問した。
「ところでさ、ずっと外見てたじゃん。何かあったの?」
「3年生の男子がサッカーしてた」
「男子の様子を見てたんだぁ。・・・あれ、ひょっとして、ゆうゆうってさぁ・・・」
「・・・何よ」
「面食いじゃない?」
この美嘉の唐突な発言を、日本語能力に今でも難のあるサンガンピュールは理解できなかった。
「・・・面食いって何?」
「面食いって・・・う~~ん・・・」
美嘉は自分で説明できなさそうだ。そこで
「春~~、ちょっと来て~~」
初台春が呼ばれた。美嘉が事情を説明した後、春が意味を教えた。
「『面食い』っていうのは、容姿端麗な人だけを好きになる人、という意味だよ」
サンガンピュールは、またポカーンとした。
「それじゃ、ゆうゆうは分かんないよ。もっと分かりやすく伝えようよ」
春は気を取り直して、
「そうだったね。・・・つまり、イケメンな男の人が好きな女の人、ということ」
サンガンピュールは、やっと理解した。
「あたしが・・・イケメン好き・・・」
スーパーヒロインはますます赤面した。もうしばらく他人と顔を合わせたくなかった。自分の席にうつ伏せになったまま、足をジタバタ動かしていた。
「何、も~~~~う、ゆうゆうったら可愛い~~~」
「うるさぁぁぁい!!もういいから!!」
サンガンピュールの甲高い声が教室中に響いた。