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時枝家奇想図譜  作者: 涼澤
1話 1章 3月3日
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《虎図屏風》 1






『あや!』

 客間の障子戸を後ろ手で閉じ切ると、待ち構えていたように大きな影が跳びかかってくる。

『あやー』

 熱烈な歓迎を受け止めようと両腕を広げるが、体当たりの勢いに負けてバランスを崩してしまう。

 咄嗟に踏ん張って背中の向きを変え、障子に倒れ込まなかった自分を褒めたい。

 どさりと床に倒れ込む。

「うっ!」

 背中を打って、一瞬息が詰まる。

『あや! ごめん! だいじょうぶ?』

 心配そうに覗き込んでくるのは、実物よりもやけに愛嬌のある虎。

 両頬を掴んでわしゃわしゃと撫でまわす。

「平気だよ」

『……ごめんなさい』

 しゅんと項垂れる虎に言い聞かせるように「平気だ」と繰り返す。

「虎、久しぶり。元気そうだね」

 撫でる手を止めて、両頬に添えて煌めく月の瞳を覗き込む。

『英も元気そうで良かった。誕生日おめでとう、英』

 虎は笑うように目を細めてから、胸に顔を擦り付けてくる。墨の清らかな匂いに包まれる。

『英が屋敷に来たのすぐにわかったんだ。でも、書斎から動かされたってことは僕がいちゃいけないんだって思ったから、ここで大人しくしてたんだよ』

 会いに来てくれて嬉しいと声と行動で甘えてくる虎を「えらい、えらい」と褒めながら、手の届くところをめいいっぱい撫でまわす。


 虎と言われれば、確かに虎に見えなくもない。

 ある種、伝統的とも言える写実的ではない愛らしい顔。

 顎から腹にかけて白く、背中や足の外側には薄墨に黒い模様が走る。

 微かに紙と墨の匂いを纏う、人語を解す白黒の虎。

 幼い頃からの英の友だ。


《虎図屏風》

 六曲一隻の屏風。時枝紫英異端の傑作。

 京都の古刹によく似た虎が描かれている江戸時代の襖絵ふすまえがある。

 紫英と京都の襖絵を手掛けた画家やその流派との関わりはよくわかっておらず、更に、紫英の作品群に水墨画は片手で数えられるほどしかなく、その中に《虎図屏風》と同じ作風のものが無いために「異端」と称されている。

 虎の愛嬌のある顔は生きいきとして、少ない筆致で毛の一本一本の質感がよく描かれており、構図なども含めて傑作と呼ぶにふさわしい逸品でもある。

 人の目に触れれば人気になること間違いなしと英は思っているが、紫英の遺言により、ある時まではこの屋敷から出してはいけないと決められており、《桃花》同様、実物を見たことがある者は少ない。

 しかし、普段から晴三郎の書斎に置かれており、祖父は自宅で取材を受ける時などは書斎を使うため、限られてはいるが、人の目に触れる機会はある。

 画集などにも、《桃花》は絶筆として名が載るだけで画像が出ることはなく詳細も記されないが、《虎図屏風》は画像が公開されているため、幻とまでは言われていない。


 屏風から抜け出して屋敷内を自由に闊歩している白黒の彼は、この屋敷で過ごす幼い英の遊び相手だった。

 虎曰く、「その顔なら子守が得意そうだ」と晴三郎からこの家の子の守り役に任命されているそうだ。

 晴三郎以外で屏風から出て来た虎の姿が見えるのは英だけだったそうだが。

 晴三郎が亡くなってから二十数年の間はこっそり見守るばかりで子守の任も果たせず、話し相手もおらず、たまに祖父が独り言のように声をかけてくれるが、会話できるわけでもなく、平穏な時枝家を見守っていられるのは嬉しいが、単調で寂しい日々を送っていた。

 それもあってだろう、英がこの屋敷で過ごす時はいつもそばにいてくれた。

 学校などで、ふと自分から虎の墨の匂いを感じるくらい、虎は英に寄り添ってくれていた。

 友人であり、兄のような存在でもある。

 本家を訪れなくなって寂しい思いをさせているのは分かっているが、どうしてもここに気軽に来ることは出来なくなってしまった。






【六曲一隻】

 Wの両端にもう一角加え、下側を正面として見た形。

 面が六あるから六曲。

 一隻いっせきは対になっていない単体のもの。

 対になっているものは一双いっそう

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