57忘れていたこと
「お願いします。慎吾さん」
「お願いします」
社長から永徳の護衛の継続を言い渡された次の日、実乃梨と相沢は、永徳の待つ駐車場に向かっていた。永徳は二人を乗せると、無言で車を発進させる。そういえば、相沢と永徳は婚約したと言っていた。実乃梨の送迎を終えて、二人は自分たちが暮らす二人の家に帰るのだろうか。
「相変わらず、疑問が顔に出ていますよ。私たちはまだ、婚約しただけで一緒には住んではいません」
「僕はまだ、婚約者が亡くなってから日が浅い。一緒に住むのはまだ早いと判断しました」
「あっ」
実乃梨は二人に関して、重要なことを忘れていた。二人の婚約に驚いている場合ではなかった。
「私はあなたたちに裏切られた。だから、罰として、選択肢を与えていたはずです」
どうして、今まで忘れていたのだろうか。相沢に関してはあの日、地獄を味わっただろうから、実乃梨の罰は免じてもいいかもしれない。ただし、永徳に関しては。
「忘れていたとか、先輩って、相当おまぬけさんですね」
「僕は忘れたままで構わなかったのに」
二人は、実乃梨の言葉に面白そうに笑っていた。思い出した途端、はらわたが煮えくり返って、目の前の平然としている《《ただの人間》》たちをどうにかしてしまいたくなる。とはいえ、ここは車内で永徳が車を運転している。運転中に何か仕掛けるのは得策ではない。永徳に関しては、自分のストーカーであり、すぐには手を出さないだろうと判断し、この場はおとなしくしていることにした。代わりに、疑問に思ったことを口にする。
「二人はどうして結婚したのですか?愛し合っているようには見えませんが」
「先輩って、不老不死になるべくしてなった、みたいな典型ですね。私たちを殺したそうな顔をしていたくせに、次の瞬間にはコロッと態度を変えている。空気が読めないことこの上ない」
「そんな先輩だからこそ、僕は」
相沢は呆れたような表情で、永徳はなぜか顔を赤くして、ミラー越しに実乃梨のことを見つめてくる。自分は間違ったことは聞いていないと思うものの、なぜ二人にそんな目をされるのかわからない。
「人それぞれ、結婚には理由がありますよね。お二人の関係に口出しするべきではありませんでした。変な質問をしてすいませんでした」
最終的に、実乃梨は謝ることで、その場を乗り切ることにした。二人も結婚の理由について実乃梨に話すことはなかった。
「送っていただき、ありがとうございました」
「いえ、仕事ですので。ではまた明日」
「明日もお仕事、頑張りましょうね」
車を駐車場に停め、そこで実乃梨は永徳たちと別れ、自分の住んでいるアパートへ足を運ぶ。家には和音がいるはずだが、何をしているだろうか。家に人がいる生活など、両親のもとを離れてから一度もない。
「別に自分の家に人が待っているなんてことに、うれしさを感じているわけではない」
ただ、相沢たちの罰を和音に相談したいから。
妙に気分が高揚していることを自覚しつつ、実乃梨は言い訳のように独り言をつぶやきながら、家に入る。
「ただいま」
家に入ると、玄関の明かりは消えたままだった。実乃梨の挨拶に応える声はない。今朝は実乃梨と一緒に朝食を取り、出ていく気配はなかった。しかし、彼女にも用事ができたのかもしれない。実乃梨は部屋のあちこちの照明をつけながら和音の姿を探す。
「これは……」
リビングの照明をつけると、机の上に黒い封筒が置かれていることに気付く。
『私にはまだ用事が残っている。実乃梨さんと一緒に暮らすのはもう少し後になりそうだね。不老不死の女性たちの救済だけど、実乃梨さんに会って、なんか自分のしていることが馬鹿らしくなっちゃったから、やめることにしたわ。じゃあ、用事が終わったらまた会いましょう』
メモの内容を確認するが、和音の用事とやらは見当がつかない。裕福な家系の出とか言っていたが、それと関係があるのだろうか。
『追伸:私の名前は不和和音だけど、最初に電話を掛けたときに名乗った『ドン・ハーモニー』の由来を話していなかったわね。あれは』
調停者のボス
「意味がわかるような、わからないような偽名ですね」
聞いてもいないことを教えられた実乃梨は思わず笑ってしまう。しかし、和音がいないこの部屋にまた一人で生活することになる。
「今日はもう、寝るか」
永徳の護衛の任務が続けられ、その護衛と会社の後輩の相沢が婚約を決めた。彼らに対しての罰も思い出した。そして、和音が実乃梨の前から姿を消した。
今日だけでいろいろなことがありすぎた。頭がパンクしそうになった実乃梨は、夕食を適当に食べ、風呂に入って寝ることにした。




