安全無欠の勇者
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幼少の頃、彼は空想の世界に憧れていた。
正確には、空想の世界で活躍する主人公に憧れていた。
主人公と呼ばれる者は皆、自分の信念を貫く強さを持っていて、優しい性格でたくさんの人々を助けていた。
誰からも信用され、信頼できる仲間がいて、慕ってくれる彼女がいて、共に戦ってくれる戦友がいる。
懸命に戦い、そして勝利し、全員を幸福の笑顔で満たす。
それは英雄でも良いし、勇者でも良い。だが時として英雄でも勇者でもなり得ない座。
彼はそんな主人公になりたいと、そのために様々な努力をした。
例えば子供の頃、正義感のために鍛え上げた力で、苛められっ子を助けた時。
「もうよわいものいじめはやめろ!」
「くそっ、豚のクセに……覚えてろよ!」
「大丈夫? もう安心だよ!」
子供が夢見る正義の味方という意味では、極めて模範的な行動だった。
彼の想像では、この後は苛められっ子の少女に感謝され、好意を寄せられる。
「なんで……」
苛められていた女の子は立ち上がって、涙ぐんだ瞳でにらみつけた。
「なんでワタシがあんたみたいな醜男にたすけられないといけないの!? サイアク!」
あまりに正反対な出来事に、彼は少女の姿が見えなくなるまで、思考もままならなかった。
彼女はどうやらイケメンの白馬の王子様に助けてもらうことを夢見ていたらしく、彼では役者不足だったようだ。
例えば、煙草のポイ捨てを注意した時。
「はっ? ウゼェんだけど」
「すぐそこにコンビニがあるよ。こんなところに捨てなくてもいいだろ?」
そこから言い争いになり、殴られたので殴り返し、気付けば喧嘩になった挙句、警察の御用となり、説教を受けた。
「君もね、余計なトラブルを起こさないでくれるかな」
「えっ、僕はただ注意を……」
「それが余計だって言ってるの。正直ね、迷惑なんだよ。正しいことも時に人の迷惑になる。勉強になったな」
例えば公園で泣いている子に声をかけた時は。
「うぇーん!」
「君、どうかしたの?」
「ちょっと、ウチの子に何してるわけ?」
「えっ、いや、この子が泣いてたんでどうしたのかと」
「アンタが泣かせたんでしょ!? この変態! あっ、おまわりさん!」
「ちがっ、僕は何も……」
そして通りがかりの警官のお世話になった。
どれほど善行を積もうとしても、そのどれもがなぜか裏目に出ていた。
おそらくは容姿、というか顔のせい。
自分で見ても、どう贔屓目に見てもイケメンとはほど遠かった顔の造形は、時に人を怖がらせ、人に不快な思いをさせてしまうことがあった。
それでも両親から貰った大切な体。大きな病気にもかからず、鍛えれば強くなれる丈夫な体だ。
その証拠に不良に喧嘩で負けたことはない。
身長が足りなくて夢だった警察官を諦めることになったのも些事。
両親も自分のことを愛しい我が子だと思ってくれているから。そう思っていた。
「どうして痴漢だなんて……あなたはそんな事をする子じゃないと思っていたのに」
「違う、違うんだよ母さん。僕は痴漢なんてしてないんだ! 無実なんだ、これは冤罪なんだよ!」
「……そう、そういうこと」
「か、母さん?」
「そうよね、あなたをそんな顔で産んでしまった私が悪いのよ。あんな男の子供なんて産むんじゃなかった」
その時の母の顔は、まるで汚らわしいものを見るようで、女性が彼に向けるものとそっくりだった。
正しいことをしているのに報われない。主人公のようになれない。顔が悪いというだけで。
それでも主人公になることを諦めきれなかった彼は、正義を掲げる革命家の集いに参加した。
無実の罪を着せられ、それでも主人公になれるならと、理不尽を飲み込んででも己の正しいと思うことを選び取った。
政治家の汚職、暴力団の跋扈。警察の怠慢、女性蔑視。戦う理由はいくらでもあった。
主人公は常に弱者の味方だ。だから強きを挫き、悪を砕く。
醜悪だから、きっと正しいやり方では何も出来ないだろう。だから仮面を被って戦い続けた。
弱者を救い、守るために戦い続けた。この命が尽きるまで戦うと己の理想に誓った。
そして、彼はこうして死に掛けている。
「た、助け……」
体中を惨いほどの痛みが襲っている最中にも、縛られて身動き一つ出来ない体に土が被せられていく。
夜道に背後から襲われ、目隠しされたままにどこかに運ばれた。
目隠しを取られるとそこは、何処とも知れない倉庫のようなところ。
複数人の仮面を被った人に様々な責め苦を受けた。
誰かが撮影をし、誰かが実況をし、誰かが心底楽しそうな笑い声を上げながら彼は痛めつけられる。
挙句の果てに、主人公が聞いて呆れるほどに助けてと叫んで、それでも爪を剥がされ、肌を剥かれ、筋を断たれ、肉を裂かれ、骨を折られ……それから何をされたのかは、もう覚えていない。
もはや疲れ果てた。
ここまでされればもう病院に行ったところで手遅れだろう。そう思うと、泣き叫び、助けを請うのも馬鹿らしくなる。
しかし、不思議なことに彼の心に後悔は無い。
やれるだけのことはやった。むしろここまでやってダメなら、きっと無理だったんだろうとさえ思う。
もうちょっといい顔で生まれてくればこんなことにならずに済んだかもしれないが、所詮は仮定の話、妄想にすぎない。
ただ、それでもやっぱり、主人公になりたい。あと少しで死ぬ今でも思う。
彼はどうしても、それだけが手放せなかった。
どれだけ痛めつけられても、そのことだけが頭の中から消えなかった。
だからきっと、来世ではきっと主人公になれますように……
そして、彼は機会を掴んだ。
これは主人公の座を諦め切れなかった彼が築き続ける、伝説の物語。
ここは理想の世界。
あらゆる世界、あらゆる次元と時空において理想を抱き、諦められず、しかし果たすことが叶わずに力尽きた者たちが転生し、再びその理想を叶える機会を得る世界。
転生者は皆、その理想に伴った容姿と能力を与えられる。
凶暴な鬼神のごとき存在になりたいと思っていたならばそのようになるし、一切の手を加えずとも男を問答無用で魅了する傾国の美女となりたいと思っていたならば、やはりそのとおりになる。
彼もまたその一人。
この理想郷アルカディアに居を構える青年を、人は安全無欠の勇者と呼ぶ。
かつては安直だの幼稚だのと嘲笑された称号も、現在となってはこの世界で最も広く轟き、尊敬される理想人の名である。
そんな彼がごく普通の二階建て一軒家に住んでいると聞くと驚くのが、彼にとっては非常に愉快だった。
「クロード、起きてるか? 今日は確か合同練習の日だったはずだ」
安全無欠の勇者、クロード。
扉のノックと共に、彼にとって馴染み深い声がその名を呼ぶ。
「うん、起きてるよ。どうぞ」
扉を開けて、一人のエルフが部屋に足を踏み入れる。
セミロングの綺麗な金髪と、翡翠のように透き通った緑の瞳に端整な顔立ち
彼よりも頭一つ分高い身長に、鋭く尖った耳
安全無欠の勇者の一人で、僕の大切な仲間であるエルフ、エル・フォレスト・メイヴ。
「なんだ、もう支度を終えていたのか」
「うん。女の子を待たせちゃいけないと思って……なんでちょっと残念そうなの?」
そう、今日は合同練習の日。
かつて理想人だった彼は、理想郷アルカディア国の王から特別な仕事を任されている。合同練習はその一環だ。
だから今日は太陽が顔を出すよりも少し早く起床し、支度を整えていた。
「なんでもない。確認だが、私は今日は朝食を作らなくていいのだったか?」
「うん。向こうで出してくれるらしいから」
「そうか」
クロードは、やはりどこか残念そうなメイヴに首を傾げる。
とある友人からは、乙女心が分かっていないと指摘されたことがあるのを思い出す。もしかして、また何か不味いことをしてしまったのかと不安にかられたクロードは、乙女心に難敵の予感を抱く。
「まだ出発までは時間がある。コーヒーでもどうだ?」
「あっ、それじゃあ頂こうかな、ありがとう」
「ふふっ、気にするな。私とお前の仲だからな」
不機嫌そうだったメイヴの表情は一転して穏やかな笑みへと変わり、彼女は一階のリビングに向かった。
コーヒーで一服したあと、他の仲間を起こし、家を出た。
アルカディアは大きな壁に覆われた国で、東西南北の区画と、中央の城で成り立っている。
クロードたちはその中の西区の家で生活している。
今日は合同練習のため、西の大通りに出てからまっすぐ城の方へと向かう。
この世界にいる人間、人外は、そのほとんどが前世に何らかの理想を抱いて、それを果たせずに果てていった者だ。
クロードたちも漏れなく理想によって転生した一人だ。
例えばメイヴは、女王として妖精界を統一する理想を抱いていた。
今ではその理想は同じ女王であるエルフ、エル・リーフ・ティターナに任せている。
今の理想がなんなのか、それを知るのは本人のみだ。
「合同練習とはいえ私達は安全無欠の勇者クロードの仲間だ。無様な敗北は許されない」
「相変わらずお堅いのう」
クロードの右手側を歩くメイヴに、飄々とした声が答える。
翡翠の瞳が鋭さを増して、クロードの左隣を歩く人物に向く。
目立つ褐色の肌には棘のような黒い刺青が走る。更に濃いブラウンの荒れた髪。
狩猟民族であるアマゾネスの彼女の肉体は男よりも強靭でしなやかな筋肉を持ち、それでいて健康的な肉付きをしている。
そしてその眼光は獣の如く鋭い切れ長で、すれ違う獣系のモンスターや獣人を怖がらせてしまう。
「リューテ。安全無欠の名に泥を塗るつもりか?」
「抜かせ。無論、負けるつもりは無いわ。ただお前の言い方があまりに弱腰だったものでな」
アマゾネスの元女王・リューテ。
今は娘であるレイアに一族を任せている彼女も前世から理想を抱き続けている理想人だ。
彼女の理想は女性中心の社会を築き上げること。
女性中心社会を広めようとしたリューテは、前世で男にその理想を断たれた。
でもレイアという娘はあまりそういったことに興味は無いみたいだから、きっとリューテの理想も変わっているのかもしれない。
「常勝無敗というわけではないんだ。用心するのは当然だろう」
「戦う前からそのような弱腰では士気にも関わろう。常にこちらは狩る側であるべきなのだから。なぁ、クロード?」
「えっ、ああ。いやでも油断は出来ないよ。ほら、僕たちは安全無欠だ。誰一人欠けるようなことがあっちゃいけない」
勝利するにしろ敗北するにしろ、誰一人として欠けず、失わないように戦う。それが安全無欠という理想であり、安全無欠の勇者と呼ばれ始めたキッカケだ。
クロードの理想。それは主人公になること。
前世でたくさん目にした夢物語の主人公は、その誰もが己の正義を信じ、仲間を大切にし、平和を守っていた。
自分もあんな格好良くて、誰からも頼られ、そして可愛い女の子に慕われる主人公という存在になりたい。
そんな理想を抱いて、前世でも正義と平和のために戦っていた。
最期は呆気なく裏切られて死んでしまったものの、今では同じ理想を抱く理想の仲間達と共に戦っている。
「僕はメイヴもリューテも死なせたくない。だから油断しないよ」
「それは……儂も同じだ。お前を死なせる気は無い。何せお前は儂の本妻にして、ハーレム第一号なのだからな」
内心ありがたい申し出に、クロードは苦笑で誤魔化す。
一方、メイヴは呆れたように言う。
「お前、男のハーレムなんて本気で……」
「当然だ。優れた遺伝子は多いほうが良い。それにクロードが望むなら特別にアマゾネスから女を見繕ってもいい」
「もうお前はアマゾネスの女王じゃないだろ……」
アマゾネスの女王の座は、とっくにリューテの娘であるレイアに渡っている。
「前女王の権限でなんとかする」
「引退した親に注文を付けられるなんて、娘さんが本当に不憫だ」
エルフとアマゾネスは、このアルカディアよりも東方にある森に住んでいる。
その森は広大で、エルフ、アマゾネス、そして天狗といった三つの勢力が存在し、昔は縄張り争いが過熱していた。
今では沈静化し、互いに友好関係を築こうとしている。
「それに、儂はまだ認めたわけではない。彼奴もな」
リューテの意味深な語り口に、思わず歩みが止まる。
メイヴも同じく止まるが、リューテだけはそのまま歩き続ける。
「儂の娘もきっと、アマゾネスが最強であることを証明するために戦い続けるだろう。そしてプライドの高い天狗はそれに釣られ……エルフはまあ戦う理由は無いだろうが、仲良くする理由も無い。気に入らなければ突っかかることもするだろう」
「アマゾネスはチンピラか何か?」
呆れかえるメイヴ。さすがの僕も何も言えない。
なにせ、リューテの言うことに偽りは何一つ無く、淡々と純然たる事実であったから。
平和を求める者が全員ではない。
時に戦いを求め、戦ってでも求める者がいる。この理想を叶える世界では、むしろそれが普通なのだ。
「だがまあしかし、戦いといっても今は殺し合いではなくなっているようだ。お前が心配せずとも、奴等は上手くやるだろう」
クロードは驚きのあまり後ずさる。
リューテから人を気遣うような言葉が出てくるなんて。
リューテの言うとおり、世代が交代してからは優劣の付け方が戦争ではなく決闘方式になり、またやはり戦争で優位性を示したいとなると西方にある理想郷、ユートピアが主催する戦争ごっこに参加することになる。
だが、戦争ごっこでは以外にも傭兵が最も勝率が高いらしいし、アマゾネスどころか主催者側であるユートピアの理想人ですらあまり勝率が高くないという。
「今となっては、儂はお前の牙にして爪。種族のことは若人に任せ、儂らは安全無欠の理想がために敵を狩るのみよ」
歯をむき出しにする肉食獣のような凶暴な笑み、その上に鋭い犬歯は、見る者にナイフをチラつかされているような錯覚を与える。
かつての野心家で、天狗もエルフも全員屈服させようとしていた。あの頃に比べれば、リューテはかなり変わったとクロードは感慨に浸る。
「うん、そうだね。今は……」
今、彼らが共有している最も重要な理想。
理想を叶えた彼らが、次に目指す理想。
「この世界を、皆の理想を神の手から守り続けること」
西洋風の街並みの中央に建つアルカディア城は、ユートピアの摩天楼にも引けを取らない高さと広さを持つ。
彼らがその一室である円卓会議の部屋に通されると、香ばしい匂いに出迎えられた。
「やあ、安全無欠の勇者。一番乗りだね」
朝食が並べられた円卓の先、最も上座の位置に彼の王は座っていた。
金糸のような髪に薄っすらとした笑みは自分と同じ青年のように見えて、目に見えない威風はしっかりと感じ取れる。
「おはようございます。アルカ王」
「おはようクロード。ちょうど朝食の用意ができたところなんだ。是非味わってくれ、我らが勇者」
理想国アルカディアを治める全能王、アルカ。神をも凌駕する理想を叶えた万能の王。
クロードたちは席について用意された食事を頂くことにした。
食器を手に取ろうとすると、会議室の扉が開かれる。
「クロード!」
「むぐっ?」
フレンチトーストを頬張ったところに急に声をかけられる。
扉の方を見ると、そこには古風な魔女の姿があった。
「あっ、魔耶。おはよう」
「おはようクロード、お久しぶり」
森羅魔性の魔女、魔耶。彼女も安全無欠のメンバーの一人だ。
艶やかなバイオレットの髪とパープルの瞳。
黒のとんがり帽子とワンピース、そして肩から下を隠すマントとブーツ。
頭の先から爪の先まで魔女一色。
「実家の方はどうだった?」
「ええ、家も倉庫も異常なしよ。そちらは、まさかお猿さんや淫魔に誑かされてなんてないわよね?」
「あはは……相変わらずだね」
魔耶はさらっと言葉で刺す。
だがリューテはキツいことを言われているのにもかかわらず、相手がメイヴの時よりも余裕をもった返しをする。
「そうしたいのは山々だが、生憎と雄猿の貞操観念がしっかりしすぎていてな」
「ふふ、でしょうね。だからこそ落とす甲斐があるのよねぇ?」
「うむ、まったく」
変な部分で二人は波長が合っているらしい。
ところがメイヴはこうなると完全にアウェイ状態だ。
「淫魔とはなんだ!」
「メイヴってエルフでしょ? エルフと言えばニンフの一種だし、ニンフっていえばよく人間に惚れる恋する乙女って感じだし」
「へ、偏見だぞ!」
「女性の過剰性欲のことをニンフォマニアって呼ぶんでしょ?」
「人間が勝手に造った言葉だろうがっ!」
メイヴの突っ込みも妖艶な微笑で受け流し、アルカに軽く挨拶をしたあとにメイヴの隣に座って食事を始めた。
「まだ何名か足りないが、先に始めよう。神を退けるための会合を」