死にたくなかった、だから契約した
「ーーーあ」
何とか絞り出せた声は呻くような物に近く、すぐに周りの音にかき消されて消える。視界に広がるのは燃え盛る炎の赤一色、肌に感じるのは家を焼き自分を焼き尽くそうとする炎の熱。
夢だと思いたい。これは悪い夢で、目を覚ましたらベッドの上で気がついて夢で良かったと安堵し、父と母にこんな夢を見たと報告し、そんな事あるわけ無いだろうと笑い飛ばしてほしい。
だが、これは間違いなく現実。父と母は自分とここには居ない姉の身を案じながら死んで今では炎に包まれて焼かれている。そしてーーー胸に生えた剣とそれに伴う痛みが嫌でも現実を押し付けてきた。
どうしてこうなったのか、そんな事は分からない。父と母、自分と留学してここには居ない姉の四人で貴族として暮らしていた。貴族だかれと下の身分の者を見下す事無く、それなりの関係を気付けていた筈だった。
だというのに、突如として押し入ってきた賊によってまず母が殺された。父は自分を守ろうと応戦したが数の暴力には勝てず、四方から剣に貫かれて死んだ。そして賊は幼い自分の胸に剣を突き刺して、灯りとして使っていた蝋燭を倒して逃げた。火事でも起こして証拠の隠滅を図ろうとしたのだろう。
「どう……して……」
家族だけが知っていた自分の秘密、これが二度目の人生だという事。日本という平和な時代で実の両親から蔑まれ、暴力を振るわれ、学校からも厄介者として爪弾きにされていた。そして神を名乗る存在に戯れだと、転生してやると言われて新たな人生を得た。
二度目の人生は理想的なものだった。暖かく、優しい家族。ちょっとした事で笑い合い、くだらぬ事で悩み合う。そんな、日本にいた頃に夢見ていた家族とともにあれて幸せだった。
なのに、壊された。
父と母は殺された。姉は無事なのか分からない。姉の身を案じている自分も、急所こそは外れたものの後数分で出血多量か火に包まれて死ぬ事は目に見えている。
「ーーー死に、たく、ない……」
死にたくなかった。前世では死にたいと考えていたが、今世で幸福の味を知ってしまったから。死んであの暖かな日々を失う事を恐れた。
「ーーー死にたく、ない……」
力の入らない身体でゆっくりと手を伸ばす。そこには何も無い、だが手を伸ばさずには居られなかった。今世で得られた幸福が逃げてしまっているように感じたから。
だからーーー
『ーーーへぇ、こんな子供がこんなに強く願うだなんて……いや、子供だから強く願うのかしらね?』
炎に包まれて生きているのは自分しか居ない筈なのに聞こえた声に、
『ーーー聞くわ、貴方は生きたいの?生きても苦しみしか無いというのに、生きたいと願うの?』
ーーー迷わずに手を伸ばした。
「ーーーっち、あの日の夢かよ」
窓の隙間から差し込む朝日によって目を覚まして最初に出たのは悪態だった。あれからもう十年以上も経つというのに未練がましくあの日の出来事を夢見る自分の女々しさに苛々する。
寝ぼけている頭を起こそうとガシガシと寝癖の付いている頭を掻きながら身体をベッドから起こして木で出来た窓を開ける。
窓を開けて視界に映るのは草臥れた街並み。いわゆるスラム街と呼ばれる場所で、ここの外の住人からは倦厭されているものの住めば都というもので、慣れればそう悪く無い。
予め取っておいた水で顔を洗い、申し訳程度に寝癖を直す。母譲りの銀髪は柔らかく、水でなでる程度で簡単に寝癖は取れた。
寝巻きにしていた服を脱ぐと目に入ったのは胸に残っている大きな傷跡。知り合いの医療系の魔術師からこれは治せないと言われたが治すつもりは無い。この傷跡を無くしてしまえばあの日の事を忘れてしまいそうで怖いから。
上半身裸の状態で軽く身体を動かして寝起きで固まっている身体を解す。そして適当にそこら辺に置いてあったシャツと、愛用している赤色のコートを羽織って部屋から出る。
『今日もギルドに行くの?真面目だね〜』
「ウッセェ、働かなきゃ食えねぇんだから働くのは当たり前だろうが」
誰も居ない筈なのに聞こえた声にて手荒く返す。こんな口調ではあるがこいつに恩を感じているのだ。あの日、こいつが気まぐれに声を掛けてくれなかったら俺は炎に包まれて焼かれて死んでいた。そうしてみればこいつは恩人という事になるだろう。まぁ口調が荒いのはそれだけの関係だからという事で。
借家の家から出て朝日を浴びながら今日も生きるための一歩を踏み出した。