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魔女の戦争  作者: 森戸玲有
第1章 魔女の動揺 
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第1章 ⑦

 涼やかな夜に、清らかな音色が流れる。

 少しだけ照明が落とされ、音楽が奏でられている講堂内に、セジはアリーシャを先導した。


 てっきり彼が怒っていると感じていたアリーシャは、その丁寧な物腰にセジがアリーシャの言い分を受け入れてくれたのだと確信した。

 それはきっと喜ばしいことだ。

 しかし、心の奥底にはアリーシャにも分からない得体の知れない暗いものが沈んでいた。


 何も悲しいことなんて、ないはずだ。

 ――なのに、何がそんなに心を暗くさせるのだろう?


 講堂の後ろでは、学院の下級生が楽器を奏でている。

 今年はラティス公も足を運ぶとあって、気合が入っていた。

 優雅な音楽に、着飾った男女が合わせて踊っている。

 中には、同性同士で踊っている生徒もいて、アリーシャの視線を奪った。

 そういう手もあったのだと、今更ながら思い知ったのだ。

 セジが優しくアリーシャの小さな手に手を絡ませてきて、衆目が一斉にこちらに集まった。

 豪放磊落なラティス公は笑っていたので、アリーシャも安堵したが、ミザラ妃の方はセジと同じ色の瞳を冷たく眇めて、アリーシャをじっと見ている。


 子供の頃、何度かアリーシャはラティス公に会ったことがあるが、妃には一度も会ったことはなかった。

 ……避けられていたのかもしれない。

 そう認識すれば、やはりセジとは仲良くしてはいけないんだと、暗い感情がアリーシャの心中に満ちる。――それに……。


「セジ様は今日も素敵ね」


 そんなことを囁き合っていた少女達の黄色い声が、アリーシャの存在を知った直後に黒い声に変化したのを、アリーシャは敏感に感じていた。

 羨望の眼差しがいつの間にか嫉妬の睨みに歪んでいく。こんなにも貧しい女を、どうしてセジ=ディ=ラティスは相手にしているのか。

 眼鏡がないことも不安だった。アリーシャは視力も悪いが、分厚い度の入った眼鏡は、魔女特有の金の瞳を、光の具合に誤魔化してくれるのだ。

 カナテや両親は、魔女として開き直って商売をしているが、まだアリーシャには、堂々と魔女として生きていくには、覚悟が足りない。

 アリーシャが大人しく地味に生きていれば、周囲の目も寛容だ。

 けれど、こんなふうに目立ってしまっては、この金色の瞳がセジをたぶらかしたのだと、評判になってしまうだろう。

 ……それも怖い。


「セジ。残念ながら私は、踊るのは下手なんだ。授業で少し習ったんだけど、てんで駄目で。今日も最初から君の相手になろうなんて思ってもいなかったんだ」

「卒業の舞踏会ですよ。王族の改まった会ならともかく、適当にその辺をぐるぐる回っていればいいじゃないですか」

「それは……」


 確かに、彼の言っていることは正しい。

 卒業生の人数はそんなに多くはないが、学院の講堂だ。無駄なものは今日だけ撤去されているが、元々勉強するための部屋で、大勢の人間が踊ることを計算して作られたものではない。だから、みんな極力小さく回るのが精一杯の状況だった。


「でも、それじゃあ君が恥をかくじゃないか」

「その程度で、城を追い出されるのなら俺は喜んで出て行きますよ」


 アリーシャは、その一言にセジの本気を感じて何も言えなくなった。

 出来ることなら、逃げ出したい。

 しかし、思いとは裏腹に、いつの間にか曲に合わせて踊っているような形にはなっていた。

 セジがうまく誘導してくれるから、何とかさまになっているのだろう。

 感謝をしても良いくらいだったが、セジはアリーシャをぐっと引き寄せて、放してくれないので、アリーシャは、ただ彼が踊りとかこつけて、アリーシャと密着したいだけなのではないかと疑ってしまう。

 ……まさか。そんなはずはないのだが……。


「やはりね……」

「えっ?」


 アリーシャが顔を上げると、至近距離にセジと目が合って、心臓が震えた。セジは満面の笑みで言った。


「アリーシャさんは、踊るのは苦手だろうと思っていました」

「何を根拠に、そんなことを?」


 アリーシャはあえてつっけんどんに返したのだが、セジは気にしたふうでもなく、更にアリーシャの反応を楽しむように、耳元に唇を寄せて囁いた。


「運動苦手じゃないですか? 昔から貴方、何もないところでも普通に転んでいました」

「それは妖精の悪戯で」


 強がりを言うアリーシャにお返しとばかりに、更に体を押し付けてくる。

 身じろぎして離れようとしたアリーシャを、セジは強引に抱えなおした。


「いまだに、そんな言い訳を使うなんて、貴方は子供だな」

「君だって、私の言い分をいまだにちゃんと聞かないじゃないか。甘ったれでわがままなところはまったく変わってない」

「そうですかね?」


 アリーシャの苛立ちにも、セジは涼しい顔だ。だから、少しでも動揺している顔が見たくて、アリーシャは次の言葉を紡いだ。


「昔……、君が風邪をひいて寝込んだ時、私の実験に付き合ったせいで風邪をこじらせたんだって叱責の手紙が届いた」

「ああ、そういえば」

「思い出したかい? 私は慌てて、君を看病しようと城に飛んで行った。勿論自分のせいだと思っていたから、従順に君の要求に答え続けたはずだ」

「従順? 一度で良いから見てみたいものですよ。そんな貴方を」

「私は従順だったよ。君だって仮病だったんだから、覚えているだろう? 床払いをした日に侍女の女性に何と言ったか覚えていないのかい?」

「さあ、何でしょう?」

「君は、私の大掛かりな実験に協力したことを、叱れることが怖くて、風邪のふりをしたんだ。しかも、その間暇だったから、適当な理由をつけて、私を呼びつけた。私はこの耳でちゃんと聞いたんだ」

「…………へえ」

「今度は忘れたふりかい?」


 頬を膨らませたアリーシャに、対抗するように、セジは眉を顰めた。


「そういえば、そんなことがあったような気もしますが、でも、あれは、元々、貴方が城の大砲を盗んだりしたから話が大きくなってしまったんですよ。大掛かりな実験にも程があるでしょう」

「あれは……。盗んだんじゃなくて、借りたんだ」

「どちらにしても、壊れてしまったんだから同じことじゃないですか」

「違うよ。セジ。私は壊すつもりなんてなかった。自分が使える魔法薬と、大砲を組み合わせたら、凄いものが出来るんじゃないかって思っただけだ」

「凄いことにはなりましたよね。大砲を壊したんですから」

「大変な大目玉を食らったんだ。君が風邪だと仮病を使って早々に逃げたものだから、私一人で叱られる羽目になったんだ。殺されるかと思ったよ。でも、君だってあの場にいて、大砲の場所まで私を手引きしたじゃないか? 私と一緒に実験を見届けたんだから、同罪だろう? なのに、仮病を使うなんて」

「あの時、俺はいくら貴方でも本気で実行するはずがないって思っていたんです。でも、貴方は本気で実験を始めてしまったじゃないですか。正直貴方が怖くなりましたよ」

「話をそらさないでくれ。恐怖心を抱くくらいなら、止めてくれれば良かったじゃないか」


 アリーシャは不機嫌に言い放つ。

 ――が、実際は楽しかった。

 周囲の目など気にならないくらいに、懐かしかった。

 思い出は相変わらず温かくて、話すこともなかった二人の六年間を埋めてくれる。

 セジが昔のことを覚えてくれたのは、嬉しかった。

 同時に、こんなにも昔のことを覚えているのに、薬に操られているのだろうかと疑う気持ちも芽生える。


 もしかしたら、この一年間、セジは本心からアリーシャに接近して来たのではないだろうか?


 だったら、アリーシャを好きだという気持ちも本心からで……。


 思考が一つにまとまらない。


 でも、これだけは言えた。


 だからといって……。

 もしもすべてが事実だったとして、アリーシャがセジに対して何か出来るわけでもないのだ。


 分かっているのに……。


 音楽が小さくなり、ゆっくりと演奏は終了した。

 微妙な距離を開けて、アリーシャとセジは向かい合う。


 その時になって、アリーシャは気付いた。

 きっと、アリーシャの緊張感を和らげるために、セジは話しかけてくれたのだ。


「セジ……。君は」


 無意識に昂ぶっている心臓を右手で押さえて、アリーシャは勇気を出して切り出した。

 ただ、もう一度セジの本心を確認してみたかったのだ。

 しかし……。


「薬……」

「えっ?」


 セジは、目を丸くしているアリーシャに胸ポケットから取り出した眼鏡をそっとかけた。


「貴方は、俺に解毒剤を飲ませたいのでしょう?」


 そうだ。薬を……。

 首尾よく、セジの背後にやって来た従者、シーファスがアリーシャに鞄を差し出した。

 露台に置きっぱなしにしてしまった鞄を回収してくれたらしい。気が利くことだ。


「有難うございます」


 アリーシャはゆっくりと小ぶりの鞄を受け取ると、セジの差し出された掌に吸い寄せられるように、薬の包みを置いた。


 セジはさっさと包みを開く。


 ……と、水も含まずに一気に白い粉薬を嚥下した。


「あっ……」


 困惑するアリーシャに向けられたのは、今までの友好的な笑顔ではなかった。

 目を疑いたくなるような、冷たく、仮面のような微笑だった。


「…………魔法、解けてしまいましたね」

「セジ?」


 どういう意図でその言葉が放たれているのか、アリーシャには想像もつかなかった。

 しかし、次の言葉は決定的だった。


「貴方とは……、もう、完全にさよならです」

「………………えっ?」


 その言葉は、今までの一年間がすべて夢だったことをアリーシャに証明してくれた。


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