第1章 ④
夢中で人ごみをかきわけて、アリーシャがたどり着いたのは、露台だった。
――去年と同じ行動だ。
何をやっているのだろう……。
講堂の露台は、そんなに広くない。
数人並ぶことが出来るか出来ないかの狭い空間だ。
露台と講堂を結ぶ扉は小さく、皆舞踏会に集中するので、人気はないのだ。
今年も、無人だ。
アリーシャは、膝に手をついて、呼吸を整えた。
誰かが石作りの露台に置きっぱなしにした透明な飲み物が目につく。
「本当、馬鹿だな。……私は」
前回とまったく同じ道を自分は歩んでいる。
去年も、こうだった。
余りにも自分がみすぼらしくて、悲しくなって、こうして露台に逃げてきた。
そして。
ここで自棄になって酒を煽り…………、持ってきた薬を手にした。
それは、アリーシャ自身が煎じたもので、自分でもくだらない効能を持つ馬鹿げた薬を作ったものだと嘲笑していたものだ。
――服用した人間が魅力的に見える薬。
思い出しただけで、身悶えしてしまう。
アリーシャの趣味は、祖母が持っていた古の魔女が作っていた薬を自分で読み解き復活させることだ。
とにかく片っ端から作って試していたが、その薬だけは試せないでいた。
何が悲しくて、そんな薬を試飲しなければならないのか。
だけど、あの時は自分が自分ではなかった。
どうかしていたのだ。
気休めに持って来た薬を、本気で飲もうなどと考え、杯の中に入れた。
でも、まさか、それを誤って、セジが口にしてしまうなんて、そんな恐ろしいこと、どうして予見できただろうか?
「酷いじゃないですか。置いていくなんて」
「うわっ! セジ!」
驚いた。
あの混雑を、こんな短時間で抜けてくることが出来るなんて、アリーシャは思ってもいなかった。
だいたい……。
「セジ。君は今回の主役だよ。やっぱり主役らしく真ん中の席にいるのが一番だと思う」
「おかしなことを言いますね。主役は卒業生ですよ。俺だけじゃないです」
「分かってないな」
「分からないのは、貴方だと思いますが……」
セジは生意気に反駁しながら、アリーシャの腕を引っ張り、講堂内の明かりが漏れていない露台の死角に追いやった。
「これで大丈夫」
「何が大丈夫なものか。みんな君を捜し回るだろうよ」
「曲が始まったら、出て行きますよ。貴方も一緒に」
「私も?」
恐ろしいことを、言ってくれる。
「やめてくれ。私はこれ以上無駄に目立ちたくないんだ。ただでさえ、目の色だけでも面倒なのに」
「俺だって、目立つのはあまり好きじゃないですけどね。仕方ないらしいです。何しろ生まれた時から環境が環境でしたから……」
「……あ」
そうか。
アリーシャは、即座に頭を下げた。
「そうだな。君もそうだった……」
セジは、好き好んで、ラティス公の息子に生まれたわけではない。
もしも、そんな生まれでなければ、アリーシャともあんな形で溝を作ることもなかっただろう。
ラティス公は息子を生粋の貴族として育てることに違和感を持って、セジに庶民の生活を体験させたらしいが、そのせいでセジも苦しむことが多かったはずだ。
「失言だった。すまない」
「今更、何を神妙になっているのですか」
暗がりと、眼鏡がないせいで、アリーシャにはセジの表情がうかがえなくなっていたが、どうやら、微かに笑ったようだった。
「何がおかしいんだ?」
「貴方が余りにも、昔と変わってないから」
「…………そう、かな?」
そういえば、セジの様子が変になった一年間もこんなに密接に二人で話したことはなかった。常に周囲に人目があったし、アリーシャはセジといる間も、セジを元に戻すことで頭が一杯だった。
「そうだ。セジ。二人で乾杯でもしないか。ええっと、何か飲み物を持って来て」
アリーシャは、ようやく本来の自分の目的を思い出した。
こんなふうに優しいセジも、すべては幻だ。
アリーシャにとって、セジと二人でいることは懐かしいことだ。
でも、本物のセジにとっては迷惑なだけかもしれない。
「何が良い? 君ももう成人だし、酒が良いよな。カティス酒辺りが良いかな」
「俺は、喉は渇いてません」
「別に飲むのを目的として、乾杯するわけじゃないさ。卒業の記念に乾杯をして、祝おうと私は言っているんだ」
「でも、俺は嫌ですよ」
「はあ?」
作ってきた薬を、飲み物の中に混ぜるしかないと考えていたアリーシャは狼狽した。
まさか、乾杯をしようという至極真っ当な申し出を断られるとは予想もしていなかったのだ。