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魔女の戦争  作者: 森戸玲有
第1章 魔女の動揺 
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第1章 ②

「アリーシャ。今年もドレスを着るのかい?」


 すり鉢の中で勢いよく擂粉木(すりこぎ)を回していたアリーシャは、驚いて顔を上げた。

 その弾みで、落ちそうになった眼鏡を、慌ててかけ直す。

 後ろを見遣れば、祖母カナテが柔和な微笑を浮かべていた。


「どうして?」


 訊くまでもないのに、訊いてしまった。

 分かりきっている答えをカナテはゆっくりと言い返す。


「寝台の上に、ドレスが出ていたからね。今年も舞踏会があるのかと思ったんだよ」

「……舞踏会は、毎年あるんだけど」


 卒業生の記念行事である舞踏会。

 下の学年は、舞踏会の準備役として若干名必要ではあるが、卒業生が出向く必要などまったくない。大抵の生徒は、同級生を一緒に踊る相手に選ぶ。


 ……なのに。


「そういえば、今年はセジ様がご卒業されるらしいの。お客さんが噂していたな」


 さすが、カナテだ。情報が早いし、頭の回転も早い。

 セレス家は、祖父の代から都で薬屋を営んでいる。

 カナテは、アリーシャの両親よりも中心的に店で働いていて、実質的、経営者のようなものだった。


「……で。お前、セジ様に、誘われたのかい?」

「えっ?」


 アリーシャは動揺して擂粉木を床に落としてしまった。


「オババだって知っているさ。だって舞踏会だろう? 一人で踊れるものじゃない。去年お前は打ちひしがれて帰って来たけれど、今年も行くことが出来てよかったねえ」

「いやー。あの、おばあちゃん?」

「なーに。隠すことはないさ。お前の両親と違ってオババはお前の味方だ。黙っておいてあげるから行ってくればいいさ」


 どんな味方だか、知れない。

 どうやら、カナテは頭の回転が早すぎて、とんでもなく話を飛躍させてしまっているようだった。

 カナテになら、すべてを吐露して反省しても良いのかもしれない。

 けれども、アリーシャは結局何も言うことが出来ずに黙った。

 それを、カナテはまた誤解して、深い溜息を漏らした。


「いまだにお前も気にしているのかい? リュークが死んだことを」

「………………私は」


 アリーシャは、視線を上げた。

 壁にぶらさがっている薬草の中に埋もれるようにして、部屋の隅に小さな肖像画がある。器用なカナテが子供の頃のリュークを描画したものだった。

 茶目っ気のある笑顔を浮かべている兄と目が合って、アリーシャは何とも言えない気分で顔を逸らした。

 太陽のような人だった。

 明るい日差しで常に家族中を元気にしてくれるような兄だった。

あんなに威勢の良かった兄が死ぬなんて、アリーシャは考えたこともなかった。


「アリーシャ、気にすることはないんだよ。リュークは事故に遭ったようなものだ。あの子以外にも人は大勢死んでいる。誰を責めても仕方ないことだし、まして、ラティス公のせいなんかじゃない」

「おばあちゃん」


 曲がった腰を、とんとんと叩きながら、祖母は調合部屋の古い揺り椅子に腰をかけた。

 この狭い離れ屋は、元々カナテの部屋だった。

 薬の調合部屋に模様替えした今でも、カナテの私物がさりげなく置いてある。


「それは……、私も分かっているんだ」


 アリーシャは暗い気持ちで、石床に落ちていた擂粉木を拾い上げた。


「兄さんは、自らの意志で戦争に行った。別に強制されたわけじゃなかったんだ。それを、ラティス公のせいにするのは、間違っていると私は思う」


 アリーシャより五つ年上の兄、リュークは成人すると同時に義勇兵に志願して、半年後に戦死した。

 ユーディシア公国は、決して平和というわけではない。

 ユーディシア公国に火種があるわけではないのだが、両隣の大国が穏やかでなかった。


 ――サンゼ帝国とスティリア王国。


 ユーディシアはこの両国に隣接していて、両国は犬猿の仲だった。

 二百年も前から小競り合いが続いていて、戦争しては、一時停戦を繰り返している。

 数年前に勃発した血みどろの戦いも、つい先日何とか停戦に持ち込んだばかりだった。

 元々、ラティス公の祖は、サンゼ帝国の有力貴族だった。

 広大な領土を持ち、荘園の支配などで財を成したラティス公爵は実力をつけ、ユーディシアを一国として周辺国に認めさせたのだ。

 スティリア王国と小競り合いをしていたサンゼ帝国は、ラティス公に隙をつかれた格好で、渋々ユーディシア公国の独立を認める羽目になってしまった過去がある。

 そんな気の遠くなるような昔の話はどうでも良いのだが、ユーディシア公国はサンゼ帝国と浅からぬ縁を持っているということで、代々ラティス公は妻をサンゼ帝国から迎えるという伝統のようなものが出来てしまった。

 現ラティス公もそれで、ラティス公の妻であり、セジの母親でもあるミザラ妃は、サンゼ帝国の王女である。

 つまりサンゼ帝国の国王の娘婿でもあるラティス公は、スティリア王国とサンゼ帝国の戦争に加担せざるを得なくなってしまった。

 実際、大国であるサンゼ帝国に追従していなければ、逆にスティリア王国に目をつけられてしまうという小国の悲哀もあったのかもしれない。

 戦争は、ややサンゼ帝国側が優勢であり、現在は均衡状態を保っているが、ユーティシア公国にも犠牲者は沢山出た。


 アリーシャの兄もその一人だ。


 リュークは、本来迫害されるような北方の魔女の一族であるセレス家を、温かく迎えてくれたラティス公に深い恩義を感じていた。同時にアリーシャがセジと仲が良く、その父親であるラティス公の魅力に惹かれていたようだった。

 国の役に立ちたいと意気揚々と旅立ったが、二度と家族のもとに帰ることはなかった。

 それを、アリーシャの両親はラティス公のせいだと罵った。

 元々、リュークが兵士になることに両親は反対だったのだ。


 ―――息子をたぶらかした。


 ラティス公は、悲しみを憤怒に変えた両親の格好の矛先になってしまったのだ。


「母さんも父さんも間違っている。そんなに腹を立てているのなら、都を出てディアナの森にでも帰ればいいじゃないか」

「もう魔女の森には住めないよ。あいつらも分かっているんだ。私達はここに来て楽な暮らしを覚えてしまった。今更森の中に引っ込むことなど出来ないだろう。それがまた腹立たしいんだろうな」

「…………セジが可哀相だ」


 アリーシャの両親は、表向きはラティス公への忠誠を貫いていたが、アリーシャがセジと仲良くするのを嫌った。

 住む世界が違うと、今更なことを言って、セジとアリーシャの仲を裂いた。

 セジの母がサンゼ帝国の王女だということも、腹立たしかったようだ。


「ああ、本当可哀相だったね。セジ様は何の関係もないのに、お前に謝ってくれた」

「……うん」


 アリーシャは、今でも覚えている。

 セジは涙ながらにアリーシャと家族に詫びてくれた。

 リュークとも仲が良かったセジだ。彼だって悲しかったはずである。

 ……なのに、自分のせいだと言って、アリーシャと家族の前で頭を下げた。

 アリーシャは、セジのせいではないと慰めながら、セジと一緒に泣いた。

 あの時、二人の間で、お互いに対する気持ちは変わらなかったはずだ。

 明日も、明後日もまた会えるはずだと思っていた。

 けれども、二人の関係はそれ以降、徐々に壊れていった。

 アリーシャはセジと会うことに何となく後ろめたさを覚えるようになり、二人の話す時間は減っていった。

 気がつけば、擦れ違う時に軽く会釈する程度になっていた。

 元々、セジはラティス公の子息であり、しかも一歳年下だ。

 お互いの意思がない限り、二人が会う時間なんて最初から用意されていないものだったのだ。


「お前といったら、あれからほとんどセジ様と話すこともなくなっていたみたいだけど、また話すようになったんだろう?」

「……話すというか」


 口説かれていると口にしたら、さすがにカナテも腰を抜かすかもしれない。

 いや……。

 今の調子なら勝手に喜ぶかもしれない。

 アリーシャは、困り果てていた。

 その様子をどういうふうに受け止めているのか、カナテは揺り椅子を子供のように激しく揺らして、声を上げて笑った。


「まあ、舞踏会には行ってらっしゃいな。お前の父さんも母さんも、うまく誤魔化しておいてあげるよ。オババが作ったドレスを今年も着てくれるのなら、大歓迎じゃ」

「……あ、有難う」


 アリーシャは乾いた微笑を浮かべて、沢山壁にぶら下がっている薬草の中から、深緑の大きな葉っぱを選び、すり鉢の中に入れた。


「おや、二サラの葉を何に使うのかね?」

「ちょっとね……」


 カナテの問いを適当に聞き流しながら、アリーシャは調合に集中しようと、気を高めた。

 今回こそは、失敗するわけにはいかないのだ。

 確かに、セジが出席する舞踏会には行こうとは思っている。しかし、それは祖母が考えているような意図ではない。ましてや、セジの偽りの好意に浮かれるつもりもなかった。

 アリーシャは自分自身の手でけじめをつけるために、行くのだ。

 今の心境と言えば、戦いの前の緊張感といったところだろうか……。

 思いを馳せると、自然と腕に力が入る。

 元々、混ぜていた黄色の花の根を隠すように、アリーシャは擂粉木でニサラの葉をすり潰した。


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