第6章 ⑤
とんでもないことを、仕出かしてくれた。
クラシスは、心底やる気なくとぼとぼと馬を歩かせていた。
純白の軍服が目立って仕方ない。しかも頭も派手に銀色なので、きっと悪目立ちしているはずだ。
……狙い撃ちされたら、どうしてくれるのだろうか。
本当は、軍営にこもっていたかったのだ。
それが、ユーディシアの「指令」が出張ってきたおかげで、クラシスも行かざるを得なくなってしまった。
――指令。
ラティス公の息子の軍部での役職名らしい。
確か、名前はセジと言ったか……。
名誉職であることは、誰の目から見ても瞭然としているのに、何故こいつは頑張るのか。
……やってくれたものだ。
冬を理由に、ユーディシアと、スティリアには一時停戦を申し出る予定だった。
クラシスは、戦争ほど、非生産的なことはないと思っていた。
もっとも、有益な戦いもないことはない。
武器の生産や、輸出は、武器商人達を潤し、ついでに国を富ませてくれる。
為政者としては、認めざるを得ない部分があるのは確かだ。
しかし、この泥沼の戦いに一体何の利得があるというのだろうか。
スティリアとはサンゼ帝国の有史以来といっても良いほどの、犬猿の仲だ。
今まで戦況が互角だったから良かったものの、スティリアは少しずつ力をつけはじめている。じわじわとサンゼ帝国は、押され始めているのだ。
それを、ちゃんと見極める目を持っていれば良いものの、歴史馬鹿が雁首揃えている側近達は、徹底抗戦を一歩も譲らない。
そして、その馬鹿達を、説得出来ずに率先して煽っているのはクラシスの父だ。
言うなれば……
「大馬鹿クソ親父……」
――である。
これもまた帝国の有史以来初の放蕩皇子と評判のクラシスが口にする言葉ではないが、頭の固い父親には、丁度良い敬称だった。
どうして、そこで和議の一つでも結べないのか。
北端のユーディシアは良い。だが、幾多の国に挟まれ、ある意味、監視されている状態の帝国は、領土は広いとはいえ、一枚岩ではない。
戦況がこちらに不利と分かれば、すぐに瓦解してしまうだろう。
そこを付け入られたら、おしまいだ。
だからこそ、ユーディシアには何処かにいってもらいたかったのだ。
歴史馬鹿達は、ユーディシア公国という忠義の国が一国でもあれば、大丈夫だと思っている。少々の無理難題も引き受けてくれる国がいるからこそ、サンゼは増長しているのかもしれない。
ユーディシアが揺らぎ、裏切れば、今度こそ慌てふためくはずだ。
放蕩息子のわがままだと唾棄しながら、政治以外のことには、自分に甘い父はクラシスの言い分を通すだろう。
ユーディシアには愛想を尽かされ、これは戦争どころではない、内政に目を向けなければならないと、父親の目を覚まさせるつもりだった。
しかし、表立って意見をすると、兄にあらぬ疑いをかけられる。
兄との間に波風を起こすつもりなどなかった。
だからこそ、クラシスはユーディシアとの友好が崩れた瞬間、すぐに都を離れ、帝国軍に合流した。
巧妙に計画は立てたはずだった。
………………それなのに。
一体、何処で何が狂ってしまったのだろう。
軍部が痺れを切らして、勝手に突入してしまった。それを為すがまま、何も出来なかったクラシスにも非があるが。
…………あるけれど。
「本当、馬鹿げてるな」
正直なところ、ユーディシア公国がここまでやるとは思っていなかった。
元、同盟国だろう。
ラティス公の妻は、クラシスの叔母にあたる。
帝国に腹を立てているとはいえ、今まで敵だったスティリアとうまく共同戦線を張ることが出来るはずもない。すぐに帝国に泣きついて来るだろうと、確信していた。
何をはりきって、セジという男は戦っているのだろうか。
「殿下! 我が軍が圧しているようです」
「あっそう」
「あっ、そう……とは?」
報告に戻ってきた新参の若い兵士が小首を傾げていた。
クラシスの憮然とした態度に、信じられない面持ちをしている。
面倒だなと、自分の前から笑顔を見せている愚かな兵士達を下がらせようと思ったが、彼らがいなくなってしまえば、クラシスは敵を前に丸裸になってしまうようなものだから、いてもらわなくては困る。
むっつり黙っていると、新参兵士は気を利かせて、勝手に話を進めてきた。
「あっ、失礼しました。これもクラシス様のおかげです。クラシス様が全兵士のために、立ち上がって下さったおかげで、兵士達の士気も上がったのです。何でも、ユーディアの指令とやらは、我らの姿に怯えあがって、本軍とぶつかる前に撤退したそうですよ」
「…………はっ?」
クラシスは、考えた。
今の棒読みの台詞の何処かに、聞き逃せない一言がなかったか?
「ユーディシアが、何だって?」
「はっ」
兵士は、あかさらまに慌てていた。
「我々を前にして、逃げたようです。今、総軍で追撃していますが、ユーディシアはもう終わりかと……」
「何を……?」
その時、クラシスにはようやく言葉の意味が理解できた。
――撤退だと?
ラティス公の息子は、約束された将来の地位まで捨てて、ここまでやって来る謎の根性の持ち主だ。そう簡単に退くはずがない。
「クラシス様!」
耳慣れた声が迫ってきて、嫌な予感にクラシスは顔を曇らせた。
「退却を!!」
「将軍、何をおっしゃっているのですか!?」
しかし、怒鳴りつけていた側近達も、すぐに異変を察知した。
煩わしかった風がやみ、遠く前方で煙が上がっている。
「何だ?」
目を凝らしていると、衝撃が起こって、馬から落ちそうになった。
耳を劈くほどの大きな音に、目眩がする。
……どうやら、最前線で砲撃を受けているようだ。
風向きが変わったのだ。
兵士をひきつけて、砲弾を撃つ。
……陽動作戦だ。
しかし、砲手は死を覚悟しなければならないし、大砲なんて狙いの定まらない、飛び道具だ。負ける公算の方が高い。
何か仕掛けがあるのか?
「ただの砲弾ではないようです! 早く!!」
「やはり……」
アイオールがクラシスの隣に並んだ。
暴れている馬の手綱を強く握り、懸命に制御している。
「敵の新型兵器か?」
のんびりと、偵察しているクラシスに血走った目がぎらりと剥いた。
「分かりません。とにかく、クラシス様は退却を!」
言う通りにしなければ、こちらの身が危ないと感じるほど、アイオールは殺気を放っていた。クラシスは、何とも言えない感情を抱えたまま、来た道を戻り始めた。
アイオールが前を行く。
――少しだけ……。
クラシスは、用心深さも人一倍だと自負があったが、好奇心も人一倍だった。
気になって、背後にちらりと目をやる。
いつの間にか、視界が開けていた。
雲が立ち込めていた空から、一筋、二筋と光の筋が延びて、地上に神々しく、降り注ぐ。
丘陵となっているせいか、少しだけ前線の様子もうかがうことが出来た。
気持ち悪いくらい密集していた味方の兵士達の姿は、綺麗に消え去っていた。
退却しているせいもあるが、皆、その場に倒れているらしい。
……死んだのか?
分からない。
味方の兵士達は、波のようにクラシスの方に迫っている。
正直、逃げてくる兵士が邪魔だと思った。
クラシスは、もくもくと立ち込める白煙の中に、人影を発見したのだ。
――砲手だろう。
クラシスの自慢は、女を口説く才と、目の良さなのだ。
…………間違いない。
恰幅の良い男達が数門の大砲の前で、両手を挙げて、こちらに存在を主張している。
気持ちとしては良いものではないが、いきなり鉛の砲弾を飛ばして来ないだけ、まだましだろう。
……だが。
「クラシス様!!」
アイオールが叫ぶ。
てっきり、覗き見ていることが発見されたのかと思ったが、そうではなかったらしい。
凄まじい速さで、何かが自分の頬を掠めて、地面に突き刺さった。
「矢……?」
頬を伝う液体で、はっと目が覚めた。
――血だ。
誰かが自分を狙ったらしい。
……一体、誰が?
強引に背中を押して先を促すアイオールを無視して、クラシスは馬の腹を蹴り、後ろに姿勢ごと変えた。
「…………まさか?」
一際小さな影が白煙の中にはあった。
弓を構えているのは、恐らく女だ。
若い頃から女と遊ぶことに明け暮れていたクラシスが若い女を見間違えるはずがない。
クラシスはその女に少しだけ接近した。
悲鳴とも怒号ともつかない声が背後でこだましているが、関係ない。
軍営に助けを求めに退却してくる兵士達が、クラシスの無謀な行動に目を丸くしている。
クラシスに交戦の意思など毛頭なかった。
ただ、確認したいだけだった。
帝国と同じで、ユーディシア公国では女性が軍隊に入ることは禁じられているはずなのだ。
「あれは……?」
女の隣に、一人だけ他の兵士とは違う黒馬に跨っている黒髪の男がいる。
金糸の刺繍が入っている黒の外套が、目に鮮やかで、眩しい。
あの男が「指令」。
ラティス公の息子セジ=ディ=ラティスだ。
聞いた情報と一致するのだから、本人に違いない。
「アイツが……」
ユーディシアの熱血野郎。
さすがに表情までは見えないものの、生真面目さが滲み出た面白味のない顔をしていたような気がする。
「……ん?」
しかし、クラシスにとって重要なのは、そんなことではなかった。
そいつの馬に同乗している人間がいることだ。
…………またしても、女のようである。
亜麻色の髪を一つに結い上げた、ごく普通の少女のようにも見えた。
けれども、女の外見はどうであれ、やることが愚直で、つまらない男のように感じていた次期ラティス公の女性関係が華やかなのは意外だった。
「セジ……指令か」
ある意味、面白い男だ。
クラシスが口元に笑みを浮かべていると、しかし、突如その女が片手を上げた。
「なっ!?」
大砲隊の空気が変わったのを、クラシスは肌で感じた。
……まさか、あの女が大砲隊を指揮しているのか。
「馬鹿な……」
とんでもない女だ。
考えてみれば、セジもまた敵を前にして、のんびりとあんな所で佇んでいるのだから、命知らずもいいところだ。
こちらの命がいくらあっても足りない。
地面が揺れて、馬が均衡感覚を崩す。
慌てて、退こうとしたクラシスだったが、ふと気付いた。
女が陽光に乱反射して、目印のようになってしまった眼鏡を、ひょいと取ったのだ。
「…………あの女!?」
「クラシス様!!」
駆けつけてきたアイオールの鋭い目から逃れながら、クラシスは決断した。
「……停戦だな。それがいい」
「…………まっ、待ってください」
「事は一刻を争う。恐いのは、敵の新型兵器だけじゃない。あそこで寝転んでいる兵士達だ。見たところ外傷はなかった。死んでいるかもしれないが、生き残りが大勢捕虜になれば、こちらは、ユーディシアの条件に譲歩せざるを得ないだろう」
「…………嬉しいですか?」
「嬉しい?」
クラシスは、涼しい顔で聞き返した。馬の歩みは止めなかった。止めてしまったら、今度こそ、ユーディシア軍かこの男のどちらかに殺されそうな気がしたからだ。
「クラシス様の思惑通りになったわけではないですか?」
「貴公も、なかなか言うな」
この男くらいは、クラシスの意図するところを掴んでいるだろうと思っていたので、別に驚くことはなかった。
ただ、あまりにも苦々しげにアイオールが言うので、クラシスは身の危険も考慮しつつ、反論したくなった。
「アイオール殿。私を責めている暇があったら、兵士達に戦功を急がせ、ユーディシア軍を深追いしてしまったことを悔いることだ。大体、今までの我が国の戦い方は野蛮すぎた」
「存じております。敵国に対する我が軍の傲慢な仕打ちの数々。だから、殿下が女性を戦場に連れて行こうとするお気持ちも……」
「何?」
クラシスは、唖然とした。
「今回の件も、兵士達の暴走を止められなかった私のせいでしょう。――ですが、私は軍人として、背負わされた戦いには勝ちたかった」
「アイオール……」
てっきりアイオールはクラシスを責めてくるだろうと思っていたのだが、この男もなかなか芝居がうまいようだ。
戦争に発展するきっかけとなった小競り合いも、この男が一枚噛んでいるに違いないと睨んでいたのだが……。
もっとも、クラシスにとって、今更、そんなことはどうでも良かった。
結果的に、停戦に持ち込めれば、クラシスがこの男に言うことは何もない。
……それにしても。
「……あの女」
「はっ?」
いまだに聞き耳を立てていたらしいアイオールが尋ねてきた。
聞かれたのならは仕方ないと、クラシスは告白する。
「……私は、たった今、ディアナの森の魔女に会った」
「魔女……ですと?」
予想通り、アイオールは力というより魂の抜けきった顔をしていた。
聞き違いとでも思ったのだろうか、先を走っていたクラシスの馬に近づいてくる。
クラシスは笑った。
笑うしかない。
別に、すべてに楽観しているわけでもないのだ。
今回、敵味方、双方に血が流れたのは事実だ。そして、痛手を負って、敗退するような格好となったのはサンゼ側だ。都に帰ったら、責任者であるクラシスは、父に叱りつけられる程度では済まないだろう。
でも……。
あの瞳の輝きは、一見の価値はあったのかもしれない。
……それほど、あの白煙の中に差し込む光の中で煌く双眸は幻想的だった。
「―――魔女は、やはり男を魅了する金色の瞳を持っているらしい」
あの瞳を……。
ラティス公の息子に無条件でくれてやるのは、少しだけ妬けてしまいそうだった。




