第6章 ③
「まさかお許しになるとは、思っていませんでした」
「許すも何も。お前がアリーシャさんを手引きしたせいだろう。シーファス」
馬に跨ったセジは、前を見据えた。
全軍がセジを先頭に、弓状になって集結しつつある……はずだ。
辺り一面、強風で砂煙が舞っているせいか、晴れているとも曇っているともいまいち分からない。自分が保持している兵力すら、視界の悪さで確認しきれないくらいだ。味方と敵の区別がつくかが心配だった。
幸い、味方の兵士は紺か深緑の目立つ軍服を着ているはずなので、どうにかするしかないだろう。
「私の予想では、貴方はおおいに反対されて、それでも諦めない彼女が行動を起こすのではないかと、そう踏んでいました」
「お前でも、簡単に彼女が諦めない性格だということに気付くんだ。許すも許さないもないじゃないか。ああ、頑固では手のつけようがない」
「似た者同士……ですか」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
シーファスは飄々と話題を変えた。
「私は、もしかしたら貴方は彼女と気持ちが通じたことに舞い上がって、適正な判断が出来なくなってしまったのかと、少々案じておりました」
「気持ちが通じたと実感するほど、舞い上がるようなことは、まだ何もしていないぞ」
「それは……、多分年頃の男子としては、健全な思考なのでしょうね」
「シーファス」
「はい?」
「今、俺のことを案じたと言わなかったか?」
「幻聴ではないでしょうか?」
「そうだろうな……」
セジは小さく笑った。
どうしようもない重圧はのしかかったままだ。
ラティス公の子息であるセジが出ることで、自分なりに士気を上げることは出来たと思う。
あちこちで歓声が上がっているのは、セジにも聞こえていた。
今日が決戦の時だというのも、兵士達は自覚できただろう。
だが、ここで自分が殺されてしまっては、すべて水の泡だ。
「生きたい……とは思っているんだがな」
「はっ?」
「だけど、それは、この状況で俺に決められるものでもないだろう?」
「ずいぶんと弱気ですね」
シーファスは淡白に言い放つ。セジも否定はしない。
多分……。
味方の兵の数に比べて、眼前に集っている敵の兵の方が圧倒的に多いはずだ。
初陣で、この有様は酷い。
怖気づかない心意気が欲しいとも思う。
「そう……、俺は小心者で弱気だよ。どうしても彼女だけは守りたいんだ」
「どういう意味ですか?」
「風が吹いているな。シーファス」
「吹いていますね。それが?」
「お前は良く知らないだろう。後方支援をあてにしたこともなければ、軍人でもない」
「馬鹿にするのならば、もっと時と場所を選んで頂きたい」
その一言こそ、時間の無駄だと感じたが、セジはこれ以上ややこしい説明をするつもりはなかった。
「大砲は優れた兵器ではないんだ。鉛の弾を詰めて、火薬を使い、少し近くのものに当てて潰すだけの使い勝手の悪いものなのさ。ちょっとしたことで、着弾地点が左右されてしまうから、強風の時は使われないものなんだ」
「……ご指摘を受けてみれば、ごもっともですね」
「今日、大砲は使えない」
「そうですか。それは知りませんでした」
「―――昔の話だ。彼女が大砲を壊したことがあってな」
「はあ?」
「それで、俺も少し大砲について調べた。もっとも、その時はこんな知識が役立つとは思ってもいなかったが……」
「でも……」
振り返ると、シーファスは顎を撫で、考え込みながら言った。
「もしも、アリーシャさんが強行したら、どうします? 狙いの定まらない大砲の餌食になって我々が死ぬかもしれませんよ」
「それは、仕方ないだろう」
「仕方ない?」
「アリーシャさんに殺されるのならば、俺は本望だ」
「私は本望ではないのですが……」
「俺は彼女を信じているし、それくらいの覚悟はしているつもりだ」
「貴方の愛情の深さを語られても、私は困るんですけど」
「だから、お前は帰れと言っているんだ。シーファス。お前は、この戦いとは何の関係もない。付き合う必要はないんだぞ」
セジは馬の手綱をひいて、前に進んだ。
本当は、逆方向に走り去ってしまいたい衝動も抱いているが、逃れられるはずもないし、逃れるつもりもない。
「お前は兵士じゃないんだ。領地に帰って小領主にでもなればいい。ここから先も俺に従えとは……、さすがにお前の父も言わないだろう」
「無理ですよ」
「何が?」
シーファスは素早く一蹴した。セジにとって意外な反応だった。
「アリーシャ嬢に託されたんです。自分は指令と一緒に先陣を切ることは出来ないから、よろしく頼むと……。仕方ないですね。正直、剣術に関しては自分を護るだけで精一杯ですが、弾除けくらいにはなると自覚はしています」
「邪魔くさい弾除けはいらないん」
この男を弾除けなどに使って、死なせてしまったら、末代まで祟られそうな気がする。
セジは眉間に皺を寄せた。セジの苦悩を糧として、シーファスは機嫌が良さそうだった。
「では精々、相手を傷つけないで勝とうなんて、子供のような発想はしないで下さいよ。死にますから」
「分かっている」
「貴方が死んでしまったら、どうなるんでしょうね。あんな荒くれ連中の中にアリーシャ嬢はいるのですから。イリス嬢をつけたとはいえ、……危険ですよね?」
「…………シーファス」
セジは固まった。
分かりきっていることだが、改めて指摘されると、腹立たしい。
アリーシャの指一本すら、知らない男に触らせたくない。セジだって、まだ何も手を出せないでいるのだ。
「くそ。未練ばっかりだな。俺は……」
戦いに支障が出ると、アリーシャを責めたいくらいだが、アリーシャのために死ねないと思えるのだから、セジにとっては、良いことなのかもしれない。
けたたましく喇叭の音が鳴った。
開戦の合図だ。
セジは馬の腹を蹴って、ただ敵陣目指して走った。
「俺に続け!!!」
喉が枯れるほど振り絞って叫べば、応える声は大海の波のように広がっていた