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魔女の戦争  作者: 森戸玲有
第5章 魔女の戦争
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第5章 ②


「……で。貴方、一体何をしているんです?」

「ああ、貴方は……?」


 あれから七日が経った。

 怖いくらい、目まぐるしく日数だけが過ぎ去ってしまった。

 現実から、ほとんど遠ざかっていたアリーシャは、一瞬誰が何を言っているのか、分からなかった。

 それだけ自分に声を掛けてきた人物は意外だったし、機敏に反応できるほどアリーシャは元気ではなかった。


 この男は、セジの従者のシーファスだ。

 久々すぎて、アリーシャは顔を忘れかけていた。

 特徴的な切れ長の瞳が、静かに自分を睨んでいる。

 何か彼の勘に障るようなことをしたのだうろか。

 思い当たる節はないものの、謝ったほうが良いかと悩んでいると、彼の方が先手を打った。


「別に怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもないので、お気になさらずに……」

「はあ……」


 アリーシャは曖昧に返事をした。

 そうだった。

 思い返してみれば、シーファスは礼儀の正しい男だった。

 いきなり、人を睨みつけるような人間ではないはずだ。

 セジの待つ舞踏会に連れて行ってもらったときも、この宿営地で会った時も、そんなに悪い印象を持たなかった。


 ……ああ。

 暗かったからか。彼の顔はよく見えていなかった。

 得心して、アリーシャが頷いていると、咳払いされた。

 そうだった。

 会話の途中だった。

 しかし、何を訊かれたのだろうか?


「申し訳ありませんでした。質問が抽象的でしたね」

「い、いえ」


 慌てて笑顔を作ってみた。付け焼刃だったので、うまく出来たか分からない。

 少しだけ目が覚めてきたのだろう。

 窓の外の景色を見ているだけではなく、認識できるようになってきたようだ。

 アリーシャは部屋を出て、廊下の窓から外を眺めていた。

 部屋の窓からは、サンゼの軍が見えないからだ。

 もっとも、吹く風で砂が舞い上げられて、視界は良好とはいえないが……。


「確か、朝だったと思いますけど、シーファス……さんは、早起きですね」

「寝ていませんから」

「……そうですか」

「貴方も眠っていないのでしょう?」

「まあ……」


 何で分かったのかと、問うだけ無駄だろう。

 それだけアリーシャが酷い顔をしているという自覚はある。

 髪は昨日から梳かしていないので、ぼさぼさのはずだ。

 それに、眼鏡をかけているとはいえ、目の下の隈は、隠せないものとなっているだろう。

 身形には無頓着だと、自ら認めているアリーシャだったが、さすがにシーファスに遠回しに指摘されるのは痛かった。


「ええっと。……じゃあ」


 顔を隠しながら、退散しようとシーファスから距離を取る。

 しかし……。


「お待ちください」


 何故か、呼び止められた。


「は、はい?」


 心当たりがないだけに、真剣に呼び止められると、どうして良いか分からなくなる。

 しかも、アリーシャを止めたくせに、その後シーファスは口を開こうとしなかった。


 何を、ためらっているのか?


 沈黙に疲れたアリーシャは話題を探し、やがて思い出した。


「あっ。そうだ。滞在中の手配師の方に頼んで、貴方にセジ様の薬を届けてもらったのですが……、セジ様は、私の渡した薬を飲んでくれていますか?」

「飲んでいますよ。相変わらず、食事はあまりとってくれませんが、貴方の薬だけは飲んでくれています」

「食事をとらないというのは、考えものですが……。まあ、良かった」

「少しずつ、顔色は良くなっています」

「早くこんな戦いが終わってくれれば、彼も休めるんでしょうね」


 話しているうちに、沸々と実感した。


 こうしてはいられない。


 この一瞬こそが、行動を起こそうとしているアリーシャには、惜しかった。

 アリーシャは、今度こそすぐ後ろの部屋に引っ込もうとシーファスに背を向けた。――が、再び彼に引き止められた。


「何でしょうか?」

「正直、不思議です」

「不思議?」


 シーファスの意図がアリーシャには読み取れない。肩くらいまでの茶髪は綺麗に結い上げられていたが、所在なげに触れていることで、わずかに乱れてしまった。

 その仕草は、意外にあどけなく、彼が困っているようにも見える。


「貴方が来て、貴方はさっさと帰るか、甲斐甲斐しくあの人……、セジ様の世話を焼くだろうと思っていました。セジ様も何だかんだいっても、貴方に甘えて、貴方の提言を鵜呑みにして、結局、我々は都に帰るのだろうと、そう思っていました」

「泣くくらいで、彼を止めることが出来ないということは、私も学習していますよ」

「……まあ、確かにあの人は頑固だ。貴方のことを気にしているくせに、様子をうかがいに来ることもしない。でも、それを言うのならば、貴方だって、変でしょう。わざわざ都からセジ様を心配して来たくせに、あの方に会いに行こうともしない」

「――ああ。私は極力セジ様に会うのは避けていましたからね。セジ様に会いになど行ったら、何とかして帰れと言われるのが目に見えています」

「……では、貴方は都に帰りたくないと言うのですか?」


 おかしなことを訊く。アリーシャは微かに笑った。


「帰りたいですよ。当然です。でも、それはセジ様も一緒でなければ意味がないんです」

「貴方は面白い女性だな。私が抱く女性像は、泣いて縋って男を止めるものでしたが」


 シーファスも微笑した。

 目を細めると、なかなか優しい顔になるらしい。


「アリーシャ嬢。私に敬語など使わなくても結構ですよ。それに、私の前では、あの方を無理に様つけで呼ばなくても良い。かえって意思の疎通がとりにくくなりますからね」

「そうは言われても……」


 アリーシャは困却したが、その時点で敬語になっていないことに気がついて、口元を押さえた。


「それで? 貴方はセジ様を放り出して、七日間も一体何をやっているんです?」

「まだ……、セジは、体調が戻っていないんです」

「知っています。随分前から体調は芳しくないようですからね」

「とにかく私はセジを休ませたい。それに、戦争なんてどんなに大義名分があったって馬鹿げている。私の兄は戦争で命を落とした。だから、何とかしたいんです。戦争をやめさせることが出来ないというのならば、せめて、少しの間でも中断させたい。今、中断させることが出来れば、やがて冬が来る。冬の間は、戦いなんてしてられないんだから、少なくとも来春までは、平和が来るはずなんですよ」

「……では、貴方は中断させるために、奔走されていると?」

「実現できるか、分かりませんが……」


 シーファスは、当然鼻で笑うだろうとアリーシャは思っていたが、彼は訝しげに瞳を細めたものの、否定はしなかった。

 ……むしろ。


「それで、貴方の願望を実現するために、私達が協力できることは何かありますか?」


 驚倒するような一言を放った。

 アリーシャは、眠気に逆らえなくなりそうだった瞳をぱちりと開けた。


「それは、どういう……?」

「どうも、こうも……」


 シーファスは悪びれることなく、さらりと告げた。


「実は、あの人を見下していたんですよ。私は……」

「セジ……のことを?」

「最初ラティス公に、あの方の従者になるように命じられた時には、子守りをしろと命じられたのだと、失望したのも確かです」

「子守り……か」


 アリーシャは頷いた。怒りはなかった。セジはアリーシャよりも年下なのだから、いい大人のシーファスには、子供にしか思えなかったのだろう。


「今も尊敬するだなんて、殊勝なことは言えませんが、まあ、あの方はやはり次代のラティス公だとは思っています」

「一体、どうして?」

「剣の才があると感じたのが最初ですが、それくらいだったら私にも出来ると強がっていました。……でも、あの方、名前を覚えているんです。義勇兵の名前から、非戦闘兵の名前まで……。いちいちそんなものを覚えていたら、きりがない。だから、私は最初から覚えることを放棄していたし、今も覚えたいとも思わない。だけど、あの人は暗記しているんです。天才というのではないな。あの方は努力しているんでしょうね。……そして、貴方も」

「私が?」


 シーファスは、目を伏せた。肯定の意味らしい。アリーシャは首を横に振った。

 そんなつもりなど、まったくない。

 だが、アリーシャが眠っていないのは事実だったし、協力が欲しいのも確かだった。


「ユーディシアの軍で大砲を扱っているのは誰なのか、教えて欲しいんです」

「えっ?」

「出来れば、彼らに協力を……。私には大砲が必要なんです」


 シーファスは、腕を組んだ。

 窓越しに差し込む陽光が紺色の制服を、明るく染め上げる。詰襟の青色の徽章がきらきらと輝いた。そういえば、セジは金色だったか……。

 思い出すと、辛くなった。今頃セジはどうしているのだろうか。きっと見舞いにも来ないアリーシャのことを薄情だと思っていることだろう。


「何か、不都合でも? それとも、どういったことに使うか話さないと貸さないという条件があるとか?」

「いえ、不都合というわけではないのですが。まあ……、個人的にちょっとした因縁を感じただけです」


 また意味深なことを言う。


「大砲は後方支援に属するんです。正規兵は、あまり砲兵をやりたがりません。大砲は覚えることは多いわりに、命中率が良いとは言えない。武功を立てたい貴族はそれでは困ってしまいますから」

「もしかして、義勇兵が?」

「まさしく。初日に貴方とイリス嬢に絡んできた、あの兵士たちが大砲専門なんです」


 アリーシャは、その男達の顔を思い浮かべようとしたが……、無理だった。


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