第4章 ⑥
「ここには、寝床がないんですよ。俺の部屋は一つ下で、ここは執務室なんです」
「……部屋に戻れば?」
「さぼっている姿を部下には見られたくありませんからね。だから俺は、貴方の膝枕が良いんです」
アリーシャは閉口した。
めちゃくちゃな理屈だ。突っ込みどころが、満載である。
……が、熱っぽくなっているセジの目元を見やれば、薬が効く前に、セジの熱が上がっていることも察することが出来た。
このままでは、いけない。
「き、君。わがままだぞ」
「病人の特権ですよ。目が覚めたら、きっと俺は後悔するんでしょうけど」
後悔するようなことを、提案しないで欲しい。
……困った。
だが、アリーシャが了承しない限り、この話題は終わらないだろうし、アリーシャも心配で自分の部屋には帰れない。
暫時、無言で見つめ合ってから、アリーシャはようやく覚悟をした。
ここは自分が譲歩するところだ。
「……私も、旅のせいで汚れている」
アリーシャは、軽くドレスの汚れを払った。
紫のドレスを着ていたおかげで、汚れは目立たなかったが、砂埃の被害は受けているはずだ。
「構いません」
セジはあっさりと言った。
仕方ないだろう?
相手は病人なのだ。
渋々、アリーシャがその場で座ってみせると、セジはすぐに外套を脱いで横になった。
一瞬、こいつは楽しんでいるのではないかと、疑ったくらい自然な所作だった。
思ったよりも熱を持った額の温度が布越しにアリーシャの膝に伝ってくる。
「これで良いんだね」
「ええ」
簡単に肯定してのけた、セジの表情はアリーシャにも分からなかった。
セジが横を向いているせいだ。
黙っていると、どうしようもなくアリーシャは緊張した。
「まったく、こんな子供のようなことを。今日、再会した時は、一段と大人っぽくなったなって、感心したのに。いまどきの教院の生徒だって、こんな甘えたことはしないぞ」
「……だって、貴方が望んだことじゃないですか?」
「私が?」
セジは振り向かなかった。
けれど、言葉だけはちゃんと返ってきた。
「貴方は、大人の俺は嫌いなんでしょう?」
「嫌いって……?」
何だか、また話の成り行きが怪しい。
考えてみれば、いや考えるまでもなく、先ほどからのセジの言動、そして、この膝枕は不自然だ。
何故、アリーシャに?
舞踏会以前のセジに戻ったかのようにも感じられる。
あの薬の副作用を受けていた頃に……。
「君が……。私のことが一因で、ここまで来たのは知っている。どうして教えてくれなかったのかと悔やんだくらいだ。だって、私たちは幼馴染だ。そう簡単に嫌いになれるわけがないじゃないか」
「では、多少は俺に愛情は持っていると考えても良いんですね?」
……ね?
――って、一体セジは、何を念押したのだろうか。
無意識に、鼓動が高鳴っている自分が怖い。
他のことを考えようと、視線を漂わせていると、机上に置かれている空になった薬の包み紙が目についた。
ああ、そういえば……。
アリーシャは、ぼんやりと思考を巡らせた。
今更ながら、セジに手渡した薬の成分を脳裏に描き出していた。
一年前に、セジに渡してしまった薬と、今飲ませた薬には共通して、「ニサラの葉」がある。
よくよく考えてみれば、「ニサラの葉」は万能薬であるが、人によっては興奮作用を伴う場合がある。
……もしかしたら?
更に熟考しようと、アリーシャが痺れ始めた足を崩した瞬間、セジが仰向けになって、こちらを向いた。
澄みきった湖面のような色をした双眸は、艶めいた熱を孕んでアリーシャを離そうとしない。
「そう、確かに、俺がここに来るまでには、いろんなことがあった。だけど、あなたには関係のないことでしょう。魔女を差しだせと言われて、腹が立ったのは俺の私情です。死んだって、貴方を見知らぬ国の男なんかに渡してたまるか……と思った。だけど、しょせんは勝手な思いで、一方的な私怨です。他の誰にも言わないつもりだったし。まして貴方には……。封じ込めることなら出来たはずなんです。全部。……なのに」
「…………あっ」
アリーシャの手を、セジは強引に自分の額に押し当てた。
「どうして、貴方はここに来てしまったんです? 貴方と再会した時の俺の気持ちなんて、貴方には分からないでしょう? 今だって、俺はただ貴方に虚勢を張っていたいだけなんだ。でも、貴方はそれすら許してくれない。俺は一体どうしたら良いんですか?」
熱い……。
セジの体温が。
心が……。
「……セジ」
セジは、目を閉じて自嘲気味に笑った。
身じろぎすら出来ないアリーシャの心に染みこむように、セジは熱っぽく告げた。
「俺は貴方が好きなんですよ。……アリーシャさん」
この告白が嘘だなんて、アリーシャには思えなかった。
――どうしてだろう。
自分にも、理解不能な感情が激流のように胸の中に広がっていくのだ。
――苦しい。
セジは頑張り続けるだろう。
この争いの終わりが見える日まで。
命を落としても、独りだって戦うはずだ。
戦いが始まる前から、苦労を重ねてこの有様なのに、強情だから、弱音を吐こうともしない。
幼い頃から、そういう性格だった。
それは、彼の美徳だけれども……。
このままでは、どうなるか分からないではないか……。
セジも兄・リュークのようになってしまうかもしれないなんて、考えたこともないし、考えたくもなかった。
――セジを救いたい。
この感情に何と名付けたら良いのか、アリーシャにはさっぱり分からないけれど、これが恋だというのならば、否定はしない。
――どうにかしなくては……。
一体、自分に何が出来るのか……。
気を失ったセジを前にして、アリーシャは返そうとしていた首飾りをドレス越しに、震えながら握り締めた。
…………もう、首飾りを返そうとは思わなかった。