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魔女の戦争  作者: 森戸玲有
第4章 魔女の看病
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第4章 ③

 整備されていない道を進んでいるので、途中で車輪がぬかるみにはまりこんで、止まってしまうことは間々あるのだが、今回のはおかしかった。


 外で声がする。


 その声は、穏やかなものではなく、いつの間にか怒声と殺気のこもるものと変化していた。


「先生?」

「……イリスですよ」


 扉に手をかけたアリーシャを、イリスが止めた。


「待ってください。こんな所にいるのは、味方の兵以外考えられませんから」

「でも、言い争っているみたいです。きっと、前を進んでいた手配師(てはいし)

と何かあったんですよ」

「そうかもしれません。でも、私達が出て行くほうが、よほど分が悪いですよ」

「だけど……」

「しばらく待ちましょう」

「…………分かりました」


 アリーシャは、渋々扉に置いた手を放した。

 元々、戦場に女が来ること自体、有り得ない暴挙だ。

 前方を行く手配師の青年達が、しかるべき身分の人間に会うことが出来るまで、アリーシャ達は潜んでいなければならないのだ。


 イリスの言い分はもっともだ。

 現場を混乱させるために来たわけではないのだから……。


 しかし、締め切った窓の覆いの隙間から、アリーシャがこっそりと外を覗いた直後に異変が起きた。


 体重を傾けていた窓が扉ごと、すっと外側に引かれたのだ。

 思わず、転げ落ちそうになったアリーシャの頭上から刺すような視線が降って来た。


「………………女?」


 アリーシャは顔を上げた。


 褐色の髪とこんがり日焼けした肌。まだらな顎髭が印象的な大男がそこにはいた。

 深緑色の上着と下穿きは、アリーシャが持参した兄リュークの軍服と、同じものだ。

 彼はユーディシアの義勇軍ということなのだろう。


 ……リュークと同じ。


 ――こんなことを、兄もしていたのだろうか。


「ま、待て!」


 アリーシャ達を先導していた手配師が声を張り上げた。

 しかし、顎髭の男は、反応を返すことなく、背後に並んでいる男達に冷たく言い放った。


「ふーん。男所帯に女の差し入れというわけか? 俺達に拝ませてくれなかったということは、お偉方さんたちの独占の品か?」

「くそっ。羨ましい限りだな。上流貴族は……。戦場でも、ちゃんと女遊びができるんだからなあ」


 十人くらいはいるだろう、男達は、口元を歪めてそんなことを言い合った。


「はっ?」


 同じ言語を喋っているはずなのに、まったく言葉の意味が理解できない。

顎髭の男は、アリーシャの顔を間近で覗きこんだ。


「…………眼鏡かよ? お偉い人の趣味は分からんな」

「無礼者!」


 アリーシャの背後で怒声を轟かせたのは、イリスだった。


「我々はラティス公と、その妃ミザラ様の名代で、キーファの都より、この地にやって来たのだ。我々に対する無礼は、即ちラティス公への侮辱と見なす!」


 堂々とした口上に、毅然と胸を張って、イリスはアリーシャを庇うようにして、前に出た。


 凄い。

 アリーシャは、改めてイリスを尊敬した。

 だが……。

 男達にはまるで効果はなかった。

 相変わらず、下卑た笑みを浮かべている。


「今度は子供か?」

「やっぱり、変わった趣味だな」


 雑言が飛び交い、イリスの耳朶がみるみる赤くなっていった。

 普段は童顔であることを気にも留めていないイリスだったが、さすがに初対面の男達に揶揄されることには、耐えられないらしい。


「イリスさ……!」


 今度はアリーシャが止める番だと思ったが、不可能だった。

 突如、馬車からイリスは飛び降りると、顎髭男の背後で自分を子供呼ばわりした男の腕を取って、いきなり投げ飛ばしてみせた。

 前方に停まっている馬車の荷台に体を打ちつけた男は、仰向けに倒れて、気絶した。

 僅かに動いた気配があったので、生きてはいるだろうが、おそらく重傷のはずだ。


 これは……。


 確かに強い。

 さすが、ミザラ妃の護衛をしていたことはある。


「だけど……」


 アリーシャは、頭を抱えた。


 ……やりすぎだ。


(先生~)


「何だ。この女!」

「こんな女が王の名代だって? 嘘だろ」


 男達は口々に叫んだ。


「信じられないのなら、体で覚えてもらうしかないですね」


 一方のイリスは、やる気満々だ。

 ここで大人しく、話し合おうという選択肢がないようだ。

 人間離れした跳躍力で、飛び上がったかと思うと、イリスは次々と足技で男達を気絶させていく。


「待て。本当にそのお方はだな!」


 手配師の青年や、御者をしている男達が何とかイリスと義勇兵の間に入ってくれたが、直後に荒っぽい男達の肘鉄によって、二人とも気絶してしまった。


 ……まるで、頼りにならない。


「いやいや。違う」


 アリーシャは首を振って、我に返ると、馬車から降りた。

 ここは、自分で何とかしなければならない場面なのだ。

 人をあてにすること自体がおこがましい。


「ちょっと待ってくれ。私の名前は、アリーシャ=セレス。私はセジ=ディ=ラティス様に用があってここまで来たんだ。だから……」


 上擦りながらも、何とか自分の意図を伝えようと、腹の底から声を絞り出す。 

 しかし……。


「お前……?」


 いきなり背後から、顎髭の男がアリーシャの両目を覗き込んだ。


「よく見りゃあ、目が金色だな」

「…………あっ」


 抵抗する間もなく、ひょいと、アリーシャの眼鏡を取ってしまう。


「そうか。お前、魔女の子孫だな。都で暮らしているディアナの森の魔女一族……って」


 否定も出来ないが、肯定もしたくない。

 男は、戸惑い、後退するアリーシャとの距離を追ってきた。


「ふーん。なるほど。そうか、お前が魔女の」

「な、何を……?」


 小声だったので、男の言葉がよく聞き取れなかった。

 それがアリーシャの恐怖心を更に煽った。

 味方の兵士ではあるが、まったく心が通じない。

 しかも、何だか危害まで加えられそうな予感がする。

 鞄は馬車の中だ。

 薬草を煎じて気体にした眠り薬など、いろんな薬を発明してはみたが、手元にないのなら、意味がない。


 男がアリーシャの腕を掴んだ。


 ―――刹那だった。


「……いい加減にしてくれないか」


 いつの間にか、男の首筋には、長剣の切っ先があてられていた。

 真っ赤な血が一筋、男の鎖骨の辺りまで伝い、深緑色の軍服をどす黒く染めた。

 アリーシャは、その光景に息を呑む。


「誰だ?」


 抜き放った剣を、首の皮一枚斬ったところで、止められる技量。

 優れた腕の持ち主だということは、素人のアリーシャにも分かったが、味方なのか、敵なのか、まったく見当もつかなかった。


 しかし、剣の遣い手は、すぐに飽きたように、髭面の男の大きな顔を片手で押しどけると、アリーシャの眼前に姿を現した。


「………………セジ!」

「久しぶりです。アリーシャさん」


 懐かしかった。

 深い青の瞳に、漆黒の髪。

 夕陽の逆光を孕んで、細い髪がきらきらと輝いている。

 紺色の軍服が緑色の集団にあって、ひときわ異彩を放ち、肩口で銀色の金具で留められている黒の外套は、そよそよと風になびいていた。


 今まで何度も心の底で繰り返してきた疑問も、悩みもすべて忘れて、ただ駆け寄りたい衝動にかられる。


 けれども、アリーシャは動けなかった。

 セジはアリーシャを見ていなかったのだ。

 すぐさま、アリーシャの眼鏡を男の手元から取り戻してくれたが、何処かよそよそしい。

 それに、表情は氷のように冷たかった。

 僅かに垣間見せたのは、苛立ちだけだ。

 眉間に皺を寄せて、厳しい面持ちで、イリスによって倒された男達を睨んでいる。


「お前たちは一体、何をしている? 敵兵を見張れと指示が出ているはずだが? いつから義勇兵は、手配師まで見張るようになったんだ」


 そそくさと、剣を鞘に収めたセジは髭面の男に目を据えた。


「彼女達は、ラティス公の名代だ。お前達の行為は軍法会議ものだ。沙汰があるまで謹慎でもしているんだな」


 セジは手振りで、アリーシャとイリスに馬車に乗り込むように指示を出すと、頃合良く現れた馬を連れた従者の手を借りて、颯爽と馬に跨った。


 しかし、義勇兵達も負けてはいない。

 上体を起こして、皆嘲笑を浮かべている。


「…………指令様がおでましだよ」

「こんな時だけか?」

「一体、いつになったら、総攻撃なんですかね?」


 一斉に野次が飛んだ。


「セジ……?」

「放っておけば良い」


 セジは言葉通り、素知らぬ顔で男達の声を無視して、馬を歩かせた。

 セジの後方に控えていた従者が、気絶しているアリーシャ達の馬車の御者を、前の手配師の馬車に放りこんだ。

 アリーシャとイリスが乗っている馬車の御者台に座る。よく見れば、従者はアリーシャの知っている男だった。


「貴方は確か……」

「シーファスです」


 茶髪の男は、セジと同じように冷たく声を返した。

 アリーシャは、まだ馬車に乗っていない。

 こういう位置関係にいると、シーファスに見下されているようだ。


「私は、セジが療養していると聞いて来たんですが?」


 もしかしたら、このことは兵士達には極秘事項なのかもしれないと、アリーシャは、声を小さくした。

 だが、シーファスは別段気を遣うでもなく、普通の声色でさらりと答えた。


「療養していると、嘘をついたのは私です。一刻も早くキーファに戻ってもらいたかったので」

「……はっ?」

「ははあ。やっぱり。……そうだと思ったんですよね」


 ドレスに付着した砂埃を払いながら、イリスが冷静に言う。


 アリーシャは、大勢の取り巻きを引き連れながら、どんどん暗がりを進んでいくセジの後ろ姿に、思わず目眩を起こしそうになった。

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