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魔女の戦争  作者: 森戸玲有
第3章 魔女の出立
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第3章 ②

「セジ様」

「その呼び方は、やめろと言っているだろう。シーファス」


 セジは朝日が差し込む窓際から、顔を背けて振り返った。

 背後には、この世の暗い出来事を一身に背負ったような不機嫌な表情の男がいる。


「失礼しました。指令(しれい)


 詫びているとは思えない態度で、シーファスは一礼すると扉側から室内に一歩足を踏み入れた。

朝から葬式に遭遇したような気持ちになって、セジは口を出さずにはいられなかった。


「入るときは、扉を叩くくらいの礼儀は弁えてもらいたいものだな。そうしたら俺も心構えくらいは出来る」

「一応、何度か叩きましたが、貴方の応答が一切なかったので、仕方なく失礼させて頂きました。何やら思索を巡らせていたようで?」

「余計な詮索も、しないで貰いたい」


 戦いのことならともかく、アリーシャのことを考えていたなんて、絶対に知られたくない。

 セジは不機嫌に眉根を寄せたが、シーファスには効果がないようだ。

 その涼しい顔が腹立たしかった。

 何もかも分かっていて、おかしなことを言っているのではないだろうか。

 他に何か突っ込んでやりたいが、この男には責める材料がないので歯痒かった。

 今日も、隙一つない。

 高く結い上げている茶髪は乱れがなく、紺色の軍服は洗い立てのようで、目立った皺はない。

 詰襟に縫い付けられている徽章も真っ直ぐで、黒の網靴は磨き上げられている。

 この男所帯の軍営で、そんなことをしてくれる家人はいないし、セジの世話もこの男はしているわけだから、すべてシーファスがこなしているのだろう。

 大柄な彼が、ちまちまと裁縫をしている姿を想像すれば、微笑ましいというより、セジはおぞましかった。


「……で。何だ?」


 ひどく、ぞんざいな口調で訊くと、シーファスは逆に尋ねた。


「朝食がまだのようなので、お部屋にお持ちしてよろしいでしょうか」

「いらない」

「しかし……」

「結構だ」


 もう少し愛想があれば、セジも思いやりを持って接することが出来るのだが、事務的に問われると、つい意地悪く答えてしまう。


「別荘を借りてはいるが、ここは一応軍営だ。お前は自分のことだけ考えてくれ。俺のことまでやっていたら、命を失うぞ」

「ラティス公の命令です。まだ跡を継いでいない貴方の指示に従うことは出来ません」

「ああ、そうか」


 母といい、従者といい、どうしてこう温かみのない人ばかりがセジの周囲には多いのだろうか。

 きっと、父が物好きなせいだろう。

 レーク=シーファスは、将来的にシーファス家の男爵位を継ぐ長子だ。

 身分は高くはないとはいえ、生活に不自由しないくらいの地位も権力も持っている。

 実家に帰れば、世話をしてくれる従者も侍女も大勢いるだろうに、わざわざセジの子守りをする理由はラティス公の命令以外考えられない。

 数年前に、ラティス公直々の命により、セジ専用の使用人として配属されたシーファスは、そつなく仕事はこなすが、仕事以外はまったくやる気のない人物だった。

 だからこそ、セジは好き放題することが出来たわけだが、さすがに今回はシーファスもまいっているようだった。

 好き好んで、セジの従者になったわけでもないのに、戦場にまで引っ張りだされてしまったのだ。

 おまけに、命の危険までついて回っている。

 ただラティス公の信頼を得て、次期後継者のセジに媚を売ろうと考えていただけならば、迷惑この上ない話だろう。

 自分が死んでしまったら意味がないし、セジが命を落としてしまったら、それこそ骨折り損だ。何のために子守りをやっていたのか、分かりもしないだろう。

 しかも、セジは一方的に継承権を放棄して、都を飛び出してきた。そうでなければ、ラティス公の跡目であるセジが簡単に戦場に来ることなど出来なかったのだ。

 戦場に来てからというもの、シーファスはいつにもまして機嫌が悪い。

 しかし、この男の機嫌を取るために、セジは生きているわけでもないのだ。


「ですが、しっかり召し上がらないと、持ちませんよ。指令」

「お前、俺を馬鹿にしているだろう?」

「とんでもない。たとえ名誉職であったとしても、ここの師団長よりも、騎士団の総長よりも権威のあるその階級。一介の貴方の従者である私が馬鹿になど出来るはずがない」


 その言動の何処をとれば、自分を敬っているといえるのだろうか?

 軍部に「指令」などという階級はない。

 軍隊経験のないセジのために、設けられた名誉職である。

 肩書きはあるが、戦略を立てられるほど軍功があるわけでもないので、実質的な権限があるわけでもない。

 しかも、油断していたら戦場にも出してもらえない予感なので、困り果てていた。


「敵も動きませんからね。これは長引きそうですよ」


 いつものように、抑揚のない冷めた声に、わずかに呆れが混ざっていた。


「お前は、俺に城に帰れと言いたいのか?」

「そんなつもりはありません。ですが、長丁場になる可能性がある戦地で、御旗でもある貴方が参ってしまっては、兵士達は困ってしまうのではないでしょうか?」

「適当に食べるさ。指図されたくない」


 急に寒くなってきたせいか、体力が落ちて、食欲が衰えている。

 分かっていても、どうも食べる気がおきないのだから仕方ない。

 セジは、用件はそれだけかと窓の外に目をやった。


 ユーディシアの都キーファから、国土を横断しているラクス大河を渡り、南下を続けて二月。サンゼ帝国とユーディシア公国の国境は、アナベア平原だ。

 ここを越えて、ユーディシアの領地に入らない限り、サンゼ帝国はユーディシアの隣国スティリア王国に侵入することも出来ない。予てから、サンゼ帝国との共同戦線のために、兵を駐屯させていたのだが、今は味方から敵に関係が変化している。

 セジは貴兵舎を卒業したわけではなく、軍事について無知に等しかったが、見晴らしの良い平地は、戦いに向いていないことは分かっていた。

 サンゼ側の軍営は、ここからでも垣間見ることが出来てしまう。あちらも同様だろう。


「何だか、よく分からないな。何故こうもにらみ合いが続くのだ?」

「こちらと同様、帝国側でも素人が指揮をしているようで……、ああ、失礼」

「失礼だと自覚しているのなら、とりあえずお前の知っていることをすべて、話してもらおうか。シーファス」

「ご存知ないのですか?」

「皆まで言われていないことに、否定も肯定も出来ない」

「……ひねくれていらっしゃる」

「お前に言われたくはない。早く言え」


 シーファスから顔をそらし、窓の景色に目をやる。

 苛々が隠せず、セジが軽く窓枠を叩くと、彼は面倒そうに口を開いた。


「今、名目上、帝国の軍勢を率いているのは、第二皇子のようです」

「そうか」

「我が国からは、貴方が出てきたので、帝国も見習って兵士の士気を高めようとしているのかもしれません」

「あんな帝国の放蕩息子と、一緒にして欲しくはないな」


 その名称が出てくるだけで、セジの心中で怒りの炎が燃えあがる。

 ユーディシアに、無理難題を押し付けてきたサンゼ帝国。

その中で、戦場にユーディシアの女を寄越せとか、魔女を献上しろと言ってきたのは、女好きな第二皇子だったらしい。

 ふざけるなと、そいつの顔をぶん殴って、息の音を止めてやりたかった。

 一体、サンゼ帝国は、ユーディシア公国を何だと思っているのだろうか。

 ユーディシアの女性を犠牲にするつもりなど微塵もない。

ましてや、アリーシャをサンゼ帝国に差し出すなんて、冗談じゃない。

そんな軽薄な男に、セジが大切に見守ってきたアリーシャを渡してたまるか。


 北の果てに現存している魔女の森をくまなく捜せば、セレス家以外の魔女も存在しているかもしれない。それを、サンゼ帝国に献上するという手だてもあるが……。

 しかし、セジがそんなことをしたのだとアリーシャが知れば、幻滅するだろうし、セジだって絶対に嫌だった。


「それにしても、どうして、そういう重要な話が俺の耳まで入ってこないんだ?」

「簡単でしょう。貴方には、戦のことなど一切知られたくはないのですよ。軍部は……。ここにいるのは、戦争の玄人。素人である貴方には何も言いたくないし、下手に出張られて怪我でもされたら一大事だと思っているのでしょう」

「くだらん。俺も気に留めておくが、もしも戦場に打って出るときに奴らが俺に黙っているようだったら、知らせてくれ」

「私は彼らが間違っているとは思いませんけれど? 変に出張って貴方に傷の一つでもつけてしまったら、ラティス公に申し訳がたたないじゃないですか」

「俺は、ただの戦争のお飾りになるために、ここまで来たわけじゃない」

「…………貴方、まさか」


 シーファスは、いつもよりも一層剣呑な表情を浮かべた。


「失恋の傷心で、自殺するおつもりなのですか?」

「失恋? 何だ。本当、面白いことを言うな。シーファス」


 セジは低い声で、わざとらしく笑った。


「お前の方こそ、俺に斬られて自殺でもしたいみたいだな?」

「違うとおっしゃるのなら、良いのですが。そんな個人的な感情で挙兵されたら、国民はたまったものではないですからね」


 この男には、遠慮というものは存在してないらしい。

 本気で昇進するつもりがあるのだろうか?


「サンゼを敵にした理由は、溜まりたまったものが爆発した結果だ。…………それに、失恋だって? 残念だが、俺はまだふられたわけじゃない」


 強がりではなかった。事実、セジとアリーシャの関係は、何一つ始まっていなかった。


 セジが一方的に終わりにしたのだから……。


 迷っていた。


 アリーシャは好きだ。しかし、あの夜、セジはサンゼ帝国と戦う覚悟を固めていた。

 少し前まで、アリーシャとは会っていたのに話しかける勇気すらなかったのだ。そんな自分が遠く離れて、待っていてくれなんて、調子の良いことを彼女に言えるはずがない。


 そもそも、セジはラティス公の嫡男だ。直情的な感情は、わがまま以外の何ものでもない。アリーシャに指摘されるまでもなく、セジには分かっていたのだ。


 …………分かっていたのに。


 何故、後腐れたっぷりに、首飾りなんて渡してしまったのか。


「俺が悪いんだ……」

「はっ?」


 唐突なセジの懺悔に、シーファスが背後でよろめいたのを感じた。

 なるほど、この男には強気で怒るより、落ち込んでみせたほうが効くらしい。


 ――セジは狡猾だ。


 別のことを考えながら、そんなことも脳裏で冷静に計算している。


 彼女の優しさにつけこんで言い寄っていたくせに、これからのことを考えて肝心なことをあえて告げなかった。


 愛を囁き、彼女の心に何とかして入り込もうとしているくせに、一方で、自分が彼女の前から姿を消すことも考えていた。


 だからだろう。

 何もかもが中途半端になってしまった。

 求婚を意味する首飾りだけを強引に渡してきたところで、アリーシャには宝石の表す意味すら、分かっていないに違いない。


 もう二度と、セジは彼女と会うことはないかもしれない。


 そう感じれば感じると、アリーシャが恋しくて、彼女を抱き締めた時の感触を探してしまう。


 抱擁だけじゃ、足りなかった。


 もし、セジがここから二度と帰ることが叶わないのなら、せめて一生に一度、口付けくらいはしてみたかった。

 もっとも、アリーシャがまったくセジに興味がないのなら、そんなことされたら、たまったものじゃないだろうが……。


「あの……」


 おそるおそる、シーファスがこちらをうかがっているようだった。


「ああ、そろそろ軍議だろ。どうせ俺がいたら奴らは、口を割らないだろうが、舐められないように、精々虚勢を張って……」


 言いかけて、セジは肩を震わせた。


「セジ様?」


 何かが喉に引っ掛かったような感触に、鳥肌が立って、嗚咽のような咳が出た。

 涙ぐんでも、止まらない。

 乾燥した風が、セジの弱っている体にはこたえるのだろう。


「お加減が悪いようですね」


 シーファスが渋々、水差しの水をコップに汲んでいる。

 この男が差し出して来た水だけは飲みたくないと、苦しい息の下で、セジは思った。


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