第3章 ①
セジは、幼い頃からアリーシャを慕っていたが、常に言いようのない苛立ちも抱えていた。
アリーシャは、いつもセジを子供扱いする。
――君は分かっていない。
――君はまだ知らないんだ。
決してセジを馬鹿にしているわけではない。
それは、幼い頃から権謀術数が渦巻く城内で育ったセジにはよく分かる。
でも、アリーシャがまったく自分を対等な相手として、考えてくれていないことには、心底苛立っていた。
セジはアリーシャの弟ではなく、都合の良い研究の助手でもない。
王族と平民。
そんなくだらない身分の壁を、彼女は簡単にぶち破ってくれたけれど、年下という壁を取っ払うことはしてくれなかった。
いつまでも、たかが一歳の差が越えられない。
セジには、それがもどかしくて。
でも、その感情が何なのか、自分にも分からなかった。
ただ……、アリーシャに自分を認めて欲しかった。
セジは、自分なりに努力をした。
言葉遣いをかえて、自分のことを「俺」と呼ぶようにした。
身分ではなく、彼女に自慢できるものが欲しいと、剣術にも力を入れるようになった。
それでも、彼女はまったく気付かず、時間だけが流れて、いつしか暗い現実が二人の繋がりすら奪い取ってしまった。
アリーシャは、セジと会うたびに辛そうな顔をする。
ならば、少しだけ距離を置こう。
――そう思った。
しかし、その期間は、セジの心中では本当に短い時間になるはずで、彼女の傷が少し癒えるまでのわずかな間のはずだったのだ。
すぐに、アリーシャもセジも痛みを越えて、元通りの関係に戻ることが出来るだろうと、セジは勝手に思いこんでいた。
でも、実際はそんな単純ではなかった。
二人を取り巻く環境は変わり、何もかもが目まぐるしく動いてしまった。
セジはアリーシャのことを気にかけていたが、会話を掴むきっかけすら失ってしまった。
このまま永遠に、アリーシャとは会話をかわすことすら出来ないのか。
諦念と足掻きのような感情が交互にわきあがり、セジを苦しめた。
そんな時だった。
アリーシャは学院を卒業し、舞踏会が開かれた。
わざわざセジが出席する必要もない舞踏会に顔を出したのは、彼女が誰と踊るのか見届けるためだった。
もしも、彼女がセジの知らない男と楽しそうに踊っていたら?
謎の不安がセジの頭に去来し、支配した。
けれども、足取り重く訪れた舞踏会で、セジの目に飛び込んできたのは、露台で一人お酒を煽るアリーシャの姿だった。
彼女は淋しそうにうつむき、何杯も酒を飲み干した。挙句の果てに、自分の杯に薬を入れて飲もうとしていた。
それが、彼女が自棄になっている証拠だと悟った時、セジは怖いくらい安堵している自分に気がついた。
今すぐ露台に行って、アリーシャに声をかけたかった。
――もし、相手がいないのならば、俺と踊りませんか?
しかし、それが出来るほど二人の間に親密さはなかった。
とにかく行動を起こそうと向かった露台で、セジはアリーシャが飲みかけにしていた杯を発見した。
この杯の中に、アリーシャが煎じた薬が入っている。
止めに入ろうとした従者を目で制して、セジは口に含んだ。
何の薬だったのかは、知らない。
だが、これで彼女との接点を掴んだのだと、セジは嬉しくなった。
薬の効能など、どうでも良かったし、体の心配なんかしていなかった。
アリーシャの作るものの中には、副作用を伴うものはあるが、飲んで毒になるようなものはないはずだ。まして、自分で飲もうとしていた薬に危ないものを混ぜるはずがない。
セジは何も考えないまま、翌日学院に赴いた。
今の自分なら、薬のせいだと言い張ることができる。
卑怯だと感じたけれど、もう自分を止めることは出来なかった。
そして……。
セジはアリーシャと向かい合った。
気遣わしげに揺れる金色の瞳を正面から見下ろした時、無意識に口をついて出てきた言葉は「貴方が好きです」の一言だった。
愚かなまでに、遅すぎだと、その瞬間になってから気がついた。
ここまできて、ようやくセジは自分の不可解な気持ちの名称を知ったのだ。
――自分は、どうしようもなく幼い頃からアリーシャのことが好きだったのだ。