前編
闇の中、薄紅の花びらが舞い踊る。
視界を覆いつくすような桜の花びら。
ただ綺麗だと思いながら、両側の桜並木を眺め歩いていた。
最初はどこにでもあるような白の桜吹雪が、気付けば薄紅に色づき、進むたびにその色は深さを増していった。
一体どこまで続いているのだろうと考えながら歩いていると、目の前に突然それまでのとは雰囲気の違う桜の木が現れた。
ご神木と言っても過言ではないような立派な桜の木なのに、それはどこか不安を掻き立てる色をしていた。
真紅。
まるで血をそのまま吸い上げたかのような、かつて見たことも無い色。
その木に寄り添うように、根の絡まった巨石が佇んでいた。
桜の下には鬼が住む。
実しやかに語り継がれてきた物語。
この桜の下ならばその物語も真実味を帯びる、と思わず肩を震わせた。
言い知れぬ恐怖から足を止めようとしたはずが、その意思に反して足は止まることなく桜の木へと向かって進んで行く。
木に近づくにつれ、その色の鮮やかさは鮮明になっていった。
恐ろしいほどの、それれでいて何か言い知れぬ恐怖ではないものを内包した存在感。
桜の木の下に誰かが立っている事に気付いたと同時に、それまで意思に反して進んでいた足も止まる。
木の下に立っていたのは、白い着物に面を付けた男が一人。
――おや、人の子か
――待ち人か
違った。
二人、居た。
同じような面を付けた女が、男の背から姿を現した。
――この場所に至るものが現れたとき
――それは時が満ちたとき
――だがまだ遠い
――まだ足りない
意味不明な言葉を交わし続ける二人。
二つの面をよく見ると、その表情が違うことに気付いた。
一つは笑い面、一つは泣き面。
――今は我が表
笑い面の男が言った。
――今は私が裏
泣き面の女が言った。
――表と裏は引き離せぬ
――裏は表があるがゆえに存在を許される
――光あらば影は現れ
――光が強ければ影は闇となる
謳うような言葉の羅列に、声をはさむことも出来ずただ耳を傾け続ける。
――相反しながらも引かれ合い
――切り離すことの出来ないもの
――相剋の関係でありながら
――相生かす関係
気付けば二人は刀を持ち、軽やかに振り回し刃を打ち鳴らした。
――これは始まり
――これは終わり
――我は終焉の調べ
――私は萌芽の音
――転変すれば我は繁栄
――転ずれば私は衰退
二人は優雅に刃を打ち鳴らしながら舞い踊り、朗々と謳い続ける。
気付けば二人の面はまったく様相の違う面へと変わっていた。
一つは憤怒の表情を浮かべた鬼の面。一つは真紅の花が一輪だけ描かれた真白の面。
――刃を交え ――舞い踊り
――謳い ――紡ぐ
――今 我らに語るべき言葉は無く
――己が道を歩みてここに至る時を待つ
――いずれにせよ時はもうすぐ
――力が満ちるときはもうすぐ
―― さあ人の子よ ここに至る時 お前は何を望む? ――
二人の重なった声の問いかけと同時に、目の前が桜吹雪に覆い隠された。
息をつくのもままならない。
必死にもがき目を開けると―――そこは自分の部屋だった。
ゆるゆると起き上がりあたりを確認し、ようやく先の出来事が夢なのだと信じられない思いで頭を一つ振った。
もうすぐ夜が明ける時間だ。
「一体、何だったんだ?」
ふと視線を枕元に向けた時、そこには季節はずれの薄紅の桜の花びらが一枚あった。
**** ◇◆ ****
とまあ何とも言いがたい夢を見たのが、前日の朝の事だ。
それが原因なのか何なのか分からないが、この日から俺の平凡な日常生活は一変した。
まず俺はどこにでも居るようなありふれた下町の住人の一人だった。
気付いたときには父親は居らず、母さんの言葉を借りるならば、親父は生きているが諸事情により一緒に暮せなかったのだそうだ。
居ない存在を別段当てにはしていなかったので、母親と共に力を合わせて生きていた。
そして俺を女手一つで育ててくれた母さんは俺が11歳の時に亡くなった。
流行り病で突然の別れに、大いにうろたえたのはもう懐かしい思い出だ。その後は近くに住んでいた奴らが面倒を見てくれたおかげで立派に、というと語弊があるがそれなりに成長はすることができ、あと一ヶ月足らずで17歳になろうとしていた。
だから親父に関しては、もし偶然でも出会うことがあったならば母さんの最後の言葉ぐらいは伝えてやろう、という程度の感情しか抱いていなかった。
下町での暮しに些細な不満はあれども、仲間達と楽しく暮し続ける。そんな日々が続いていくのだと信じていた。
本当に、どこで間違えたんだろうか。
この世界には人を襲う妖魔と呼ばれる恐ろしい存在があった。
いつどこに現れるかも分からない。時折城下にも現れ無作為に暴れ人々を傷つける妖魔は、力無い者達にとっては恐怖に震える存在だ。
だがそんな妖魔を討ち払う存在があった。
それが<妖鬼師>。
妖魔を撃ち滅ぼすために力を揮う者達の事である。
妖鬼師は血統によって選ばれる特別な存在。そのため、この国では何よりも尊ばれる存在だった。
という突然の説明を展開するのはそれなりの理由がある。
一応そういう有名人たちがいる事は知っていた。城下の平和を守護するすごい人達、という認識で知ってはいたが一生係わり合いのない雲上人だとばかり思っていた。
どういうめぐり合わせだったのか、その日は朝からついてなかった。
まず朝の意味不明な夢から始まり、次には仕事で些細な失敗を繰り返し、そして何かに躓き足を挫くという失態。更に追い討ちをかけるかのように、仕事終わりには人生初の妖魔遭遇という些細な不運の連鎖の果ての不幸の集大成を経験する事になったのである。
足を挫いていたために逃走は不可能で、人生これにて終わりだと諦めていたとき、妖魔を追って現れた妖鬼師に救われたのだった。
そこまでは別段問題は無かったようにも思う。たぶん。
助けてもらった礼を言ってさようならとすぐさま別れれば話は終わっていたはずなのに、俺が誰かに似ているという話から俺が持っているペンダントが何たら~、と相手が勝手に話を進め、果ては何がどういう事でどうなったのか状況が掴めないままあれよあれよという間に大きな屋敷へ連行されたのである。
あまりにも急すぎる展開について行けず、屋敷の中で呆然としたまま放置される事しばし。ようやく詳細を説明してもらうと、このお屋敷の主がどうやら俺の親父らしい、という話だった。
まさかという思いと今更という思いのまま面会すると、母さんの名前を呼んで号泣する渋いイケメンが一人。
……どうやら、これが俺の親父だったようです。ハイ。
流石の俺もこの事態をどう収束すればいいのか分からず口をつぐんで話を聞いていると、なぜか勝手に俺がこの家の後継者として立つことが決定しそうになっていたので、これには抗議の声を上げた。
どうやら親父の子供は俺ともう一人の異母妹の二人だけだったらしく、家を継ぐのは男という決まりがあって後継者について悩んでいるところに丁度見つかったと親父は喜んで俺を後継者として挙げようとしたようだ。
まったく、迷惑極まりない。
ひとまず後継者云々の話は保留ということにして、夕食でも一緒にと誘われたので一食浮く喜びに思わず肯いていた。最近あまりいい物を食って無かったので、本気で渡りに船だとありがたく思っていた。
人生初の豪勢な食事に作法なんてものは一切無視して舌鼓をうちつつ、聞かれるままに俺のこれまでの事を色々と話したのである。
母さんが亡くなった事を話したときには親父は目に見えて肩を落とし、寂しそうに「間に合わなかったのか」という呟きは聞こえなかったふりをした。
その姿を見て、親父が母さんを望んで捨てた訳ではないのだと理解した。
だがそれとこれは違う。
母さんに「もしお父さんに偶然でも、万の確率でも会うことがあれば、絶対に伝えてほしい言葉がある」と厳命された言付けがあった。
そして母さんは、こうもよく言っていた。
自分によく似た顔の俺が言った方が一番効果的なのだ、と。
事実その通りとなった。
母さんの最後の言葉を聞いた親父は、崩れ落ちてしばらく内に引きこもった。
母さんそっくりの俺が発したというダメージも上乗せされていたから尚更だったのだろう。
ちなみに、最後のお言葉を要約すれば以下の通り。
「ヘタレはヘタレのままか」
この言葉を聞いた瞬間の親父の表情は一生忘れられないかもしれない。
……親父には言わなかったがさらに続きがあって、
「あのドヘタレめ。本気で見つける気があるのか?本気で探す気があるのだったら5年ぐらいで見つけないか」
ってぼやいていたのは、流石に息の根を止めそうな気がしたから言わなかった。
まあ母さんも探し出してほしかった、というのもあったからこその言葉なんだろうけど、これにはさすがに同意しかねるのでこの点においては親父に味方したいと思う。
言っては何だが、母さんは優秀だった。むしろ優秀すぎたと言っても過言ではない。
そんな母さんが本気で逃げて本気で隠れたりしたから親父は完全に見失ったんだと思う。
後で詳しく捜索範囲を話のネタ半分で聞いたら、なんだか止めを刺すことになったのはもうどうでもいい話だろう。
最近探した場所が幼少期に住んでいた場所だった、なんて事は一生の秘密にしておくべきだった。
そして母さんがこの屋敷から出て行った理由だが、それは大きな家には付き物のありふれた理由だった。
親父の母、つまり俺の祖母にあたる人が母さんを嫌ったからだ。
名家の親父に出自不明の母さん。
そりゃ誰だって反対するに決まっているだろう。
だが祖母はかなり悪質だったようで、果ては命を狙われるようになった事に危機感を抱いた母さんは、お腹の中にいた俺と共にあっさりこの家から逃げ出したのだそうだ。
その後、親父は許婚と結婚する事になるのだが、それでも俺達の行方を密かに捜索していたらしい。
まあ、すべて無駄だったが。
そんなわけで、これが親父との初対面から今日の終わりまでのやり取りのすべてだった。
そしてその日、ある決意を固める出来事が続けざまに起こった。
一つ目は、屋敷に足を踏み入れてからだ。
小汚い下町の小僧が何故こんなところにという視線。
小汚いのは自分でも分かりきっていたことだし無理やりここに連れてこられたため半ばやけっぱちになっていたのもあって、それほど気にも留めなかった。髪もあまり手入れされていない状態だったし、薄汚れた格好は下町暮らしの貧乏暮らしならば仕方の無い事である。
それよりも一番堪えたのが感覚が違い過ぎる、世界が違い過ぎる、すべてがあまりにもかけ離れすぎている。
下町育ちの野生児と言われるのはその通りだったから別段何とも思わなかったのだが、こう一部の人間のお高くとまった姿と投げかけられる言葉と地味な嫌がらせに、最終的には投げやりになる気持ちは理解してもらいたい。
だから風呂上りの後、すれ違った誰もが二度見し信じられないといった表情を浮かべたのにはさすがに笑ってしまった。
二つ目は、若い男達の射殺すような視線だ。
あんな奴らに剣を向けられた場合、さすがの俺でも無傷では済まない気がしたので何も気付いてない風を装って逃げた。
本気で一生関わりあいたくないような奴らだった。
横目で確認したのだがいくつかのグループに分けれた。
平凡顔のグループは比較的危険度が低めだと思ったが、それでも無力な一般市民は全力で逃げるべき雰囲気だった。
それよりも一番危なそうなイケメン揃いのグループだったが、それ以上の危険度を誇ったのが人物が居た。その人物は物静かな雰囲気なのに、本能では絶対に近寄るまいという決意を抱かせる人物だった。俺の野生の勘は鋭いんだ!
そして顔のいい奴なんて友人の一人だけで十分だよ!!
三つ目は……もうなんだろうな、とぼやきたくなった。
話がひとまず通った後で遭遇したなんだかえらそうな奴らにくだらない暴言を吐かれたこと。
まあ一言で言えば、こんな突然現れた何も知らないガキに当主が務まるか、ということだ。
その通りだから内心で舌を出しながら聞き流した。
親父との話の中にあったのだが、この日どうやら娘の婿候補が何人か訪れていたらしく、嫌味を散々吐き捨てて行ったオッサン共の年代から察するに、婿候補の親父達なのだろう。
相手としてはこのまま俺が現れなければ次の当主は自分の息子だった、という夢破れた苛立ちからだろうとあたりをつけといた。
だから俺は継ぐ気は無い!
最後は、夜の出来事が止めだった。
偶然出会ったのが、異母妹。
はっきり言って、性格は最悪な美少女だった。
突然降ったように現れた異母兄に、彼女は嫌悪感を隠すことなく言い放ったのだ。
「こんな下賤の馬の骨の子供が、この家の跡継ぎを名乗るだなんて許されることではないわ」
親父の話を聞く限り、男しか後継者とは認められない。そういう事で、ここぞとばかりに嫌味を散々吐いてくれたのである。
誰も好き好んでこの屋敷に足を踏み入れたわけではない、と声を大にして言いたかったがひとまず口をつぐんで高飛車に立ち去る彼女の背を見つめながら決意を固めた。
そして次の日の朝。
朝餉を親父と共に取り終えた後、
「何か俺ここでは歓迎されて無いみたいだし、気楽な生活とも無縁みたいだし、命の危険も感じるし、俺の性格とは合わないと思うから飯食ったら出て行くわ」
とついでのように言った瞬間、親父の「は?」と呆けた表情は昨日に続いて面白いものを見せてもらった。
言うべき事は言ったと早々に立ち去ろうとしたのだが、親父が異様な執念をみせ引き止めたのである。
たとえ血縁の親父でも男にすがられるような趣味は無かったので、きついのを一発お見舞いしたら予想だにしない反応が返ってきた。
懐かしい衝撃だ、ともだえる親父を見て母さんはこれが原因で逃げたのではと一瞬疑った。
彼女に散々殴られたのを思い出す、と鼻血を出しながら頬染める姿を見た瞬間、割と本気で他人のふりをしたくなった。
そんな一瞬の隙に再び縋り付かれ、その力の強さにうんざりしていたので嫌々ながらも一応話をする事になったのだが、そんなのんきな事をせず問答無用の全力逃走を図るべきだった。
しばらく話し合ったがどう話そうとも結局は平行線で終わり、時間の無駄だったなと立ち上がったとき、視界の隅に何かが映った気がしたのでそこへ視線を向けながら無情な別れの挨拶をしたのが悪かった。
「どう話し合っても、俺には荷が重いし相応しくないと皆が言ってる。それに俺には普通の暮らしが一番だから当主なんて面倒そうなことをやる気も無い。という訳で、俺は……かえ、る、ぞおおおぉぉぉ!!!???」
何か巨大だが動いているので生き物なのか?と興味半分で視線をめぐらせ、それと視線が合った事に言葉の最後は思わず絶叫してしまっていた。
目が合ったのは、見たことも無い白銀の鱗を持つ綺麗な龍だった。現実逃避したためか、神々しいとはこういうのを指していうのだな、とずれた感想を抱いていた。
後の説明で発覚したことだが、この銀龍は通常の者達の視界はおろか、普通の妖鬼師の目にも映らないほど存在を薄くしていたというのに、それを俺は見破ったという時点で、俺の将来はほぼ半分決定していたのである。
俺の驚愕に震える様子に親父は何かに勘付いたようで、背後にいた巨大生物と視線を合わせ「まさか……」と呟いたことで、ようやく自分の失態に気付いた。
「そういう訳で親父、俺は帰る!なんと止められようとも、俺は帰るからな。じゃあな!!!」
そう宣言すると同時に、引き止めるような親父の声を振り切って走り出した。
この屋敷から早々に逃げ出すべきだ。
本能がそう告げていた。
だから全力疾走で道なき道を駆け抜けたのが大失敗だった。
そこらへんの人を捕まえて道案内を頼んで出て行く事こそが最善策だったのだが、見つかったら問答無用でつかまると思い人目を避けて外を目指した。この時すでに屋敷の人間すべてに俺を見つけたら即座に報告が厳命されていたので、この考えは正解だったのだが、どちらにしろ俺はこの時点で色々選択を間違え引き返せない場所にいたのだ。
すぐ隣にあった森の中を突っ切れば出て行けるという短絡思考の末に、ついでに追手も撒けると入り込んだのが最大の失策だった。
「何?ここ、何処??」
結果、光も通さぬ闇に沈む森の中を彷徨う羽目になったのである。
手入れぐらいしろよとぼやきながら、今度は出口を探すために延々と彷徨うことになった。
迷った末に驚きの遭遇をする。
迷子になっているのだから、生きている人に出会える事は願ってもない事だが、目の前の人物はどう考えても希望の星ではなかった。
『この場所に人が訪れるのはどれほどぶりかのう』
巨石の上に座す女性が一人。頭の上からのぞくフカフカ金色の耳に同じ色の立派なモフモフ尻尾、それが彼女が人ではない証だった。
出会いたいのは出口を知っている普通の人間だ。間違っても人外に用はない。現状を鑑みて、一番会いたくないのが人外だった。
そして教えてもらいたいのは出口の場所だけ。それ以外の情報は必要なし!
だというのに相手は余計な親切さを発揮して、知りたくも理解も出来ない情報を色々もたらしてくれた。
『お主には力があるようだ。それに、どうやらお主が継ぐ者であるようだな』
そう言って彼女が指し示した俺の懐から現れたのは、前日の朝枕元にあった筈の桜の花びら。気付けば消えていたので、幻でも見たのだろうと記憶から抜け落ちていた。
そんなものが何故、という疑問を抱いている間にもめまぐるしく目の前の光景は変化し続けた。
『ならばお主は答えを持ち、かの地に立たねばならぬ』
内心疑問符を飛ばしながらも否定と拒否の意味を込めて首を必死に横に振っているというのに、一切合財無視で話が勝手に進んでいった。
目の前に浮かんでいた謎の桜の花びらは、気付けば鞘に桜の装飾が描かれた一振りの刀に変わっていたのである。
『さて。これを受け取るがいい。お主のためのものだ。だがお主はまだ力に慣れておらぬ様子。しかと力を付け、時を待つがいい』
意味不明の宣言と強制的に押し付けられた物に呆然としていると、目の前の光景が一瞬にして変化していた。
あたりを見回すと、どうやら立っている場所は散々迷った森の入り口のようで明るい場所に立っていた。
巡らせた視線の先に親父が苦笑を浮かべ立っていたのをみて、思わずホッとしてしまったのは一生の秘密である。人外に巡り会うより同じ人種の親父の方が百倍ましだと思ったからだ。この考えは数分後、即座に改めたが。
「まさか普通にここに入りこむとは思わなかったよ」
見失ったという報告を聞いた親父はまさかと思いここに来たのだが、そのまさかの予想が大当たりだとは思ってもいなかったらしい。
「ここには結界が張られており、唯人も力の足らぬものも入る事すら叶わぬ特殊な場所なのだ」
あまりの突然の出来事に、ただただ今までの常識から大きく離れた状況をガリゴリとかみ締めながら理解しようとしている最中のこの台詞に、俺は間の抜けた「はい?」という返事しか出来なかった。
「ここの奥の方に認められてこそ初めて当主としての資格を得る事になる。そして証を受け取れば、それは後継者の証となるのだ。貰ったんだろ」
何を、とは聞かれなかった。
聞かずとも、それまで持っていなかったものを手にしていれば誰もが認めざるをえないだろう。
「俺が認めたくないんだが」
「拒否権は無いよ。それは望もうとも望まざるとも選ばれたものに強制される権利なのだよ」
その言葉を聞いて肩を落とした。意味は考えるまでもなく、どう足掻こうとも逃げ出せない枷を付けられたと同じだった。
本気の涙目で「いらねぇ」と力無く呟く俺の肩を親父は優しく叩き、こう声をかけてくれたのだ。
「という訳で、明日から修行だな」
死刑宣告だった。
**** ◇◆ ****
逃亡失敗からの日々はあっという間に過ぎて行った。
と言うより、それまでの日常からは想像も出来ないような日々がやってきた。
強制的に親父の家業を継ぐ事になったのだが、そうなったからにはやってやろうじゃねえかと、とにかく必死になった。
別に大きな家を継ぎたいわけでもなく早々に無能判断されて廃嫡でも何でもされてもよかったんだが、自分にしか出来ないことだと言い含められ、美味しいものが食べたいだろと誘導され、なし崩しのようにここまで来た。
無縁だった仕来り云々なども、無い脳みそに必死に叩き込んだ、というより叩き込まれた。それはもう飴も鞭もフル出勤のスパルタで。
どうでもいい話だが、日常の最中に見せられる親父の格好いい姿と真逆のヘタレっぷりのギャップに別の意味でへこたれそうになった。
嫌味を聞くのは日常茶飯事。
そして守護役とかいう奴らのキツイ視線と、嫌がらせに近いしごきも新しい日常の出来事の一つに加えられた。
時折本気で腹立たしくなるのだがこの守護役達、顔で選んだのかと言いたくなるような美形ぞろいだった。というか初日に見た俺の本能の危険度上位にランクインしていた奴らばかりだった。
ちなみに危険度筆頭だった物静かな雰囲気の年齢不詳の男性は俺の剣の師匠となり、俺の危機察知本能は確かだったという確認が取れたのは、今となってはあまり意味の無い情報だ。
どうもイケメン様達は、腕前二流の俺が次期当主というのが不満らしく、散々やってくれた。他にも色々理由はあっただろうが、一番の理由がそれだったようだ。
まあそれも当然の反応だろうと何とか耐えていたが、俺にも普通に我慢の限界はある。
何度目のやり取りかもう覚えていないが、イケメン共の毒がたっぷり詰まった激励に俺の中にあった堪忍袋は見事破裂し、下町育ちの雑草魂に火をつけた。
反骨精神を燃え上がらせ隙を探り盛大にやり返したりしたのは後に有名な話となったのだが、俺にとってはあまり語り継がれたくない歴史である。
そんなやり取りがあったおかげか、今では彼らとはいい関係を築けている。
初仕事の日にはそりゃもう必死に食らい付いて、何とか無様な姿をさらしながらも仕事を成し遂げてやった。
失敗することを一部の人間が大いに期待していたので、それを裏切る事に成功し思わずガッツポーズをしたほどだ。
ザマーミロ。
その後の仕事も色々はあったが、何とかこなした。
どんな無様な形でもこなせなければ恐ろしい事が起きるのだ。というか失敗した場合、師匠の恐ろしいお仕置きという名の扱きが行われるので、それはもう全力で回避するために必死にならざるをえなかった、ともいえる。
にこやかな笑顔を浮かべ薄皮一枚ずつ切り裂いていく日もあれば、森の奥にしか生えていない植物や生き物を取って来い、という罰を下される時もあった。森の中は街中には現れないような妖魔も住みついており、半ば命がけの採取作業なのである。
そんなこんなで否が応でも上達せざるをえない状況に追い込まれたおかげで、最終的には中級以上上級未満には一人で応対しても遅れを取らない程度の腕前にはなった。
枕を涙でぬらした回数はもう忘れた。
扱いが少し問題になっていた異母妹だったが、こっちも何とかなった……?たぶんなったんだと思う。
彼女はあまり構ってもらえなかった反動できつい物言いをするようになった、とは彼女のそばに控えていた男の言葉である。
原因は残念母親のせいだった。どうやら少々頭の足りない人だったらしい。
そんな母親のようにはなるまいと反面教師にしてはいたのだがコミュ障を患い、結果ツンがきつすぎてどこでデレを挿入すればいいのか分からない、という人になったそうだ。正直どこでもデレとけばよかったんだと思います。
そして彼女が望んでいたのは、そばに控えていた男だった。ついでに男の方もまんざらではなかったらしいのだが、こっちは鈍かった。
まあその辺は色々あったんだがうまく事は収まった、という訳で詳細は省略だ。勘違いで刃を向けられたり、誤解を受けたり色々あったが、もうすべては過去の話だ。
他人のラブシーンなど砂を吐きながら眺める趣味は無い!
もう一つ。
後で説明されたのだが、森の主に与えられた刀の形をした当主の証は俺以外には決して使えない代物だった。その上、最低最悪のおまけがついていて、この森を含んだ広大な領地をそっくりそのまま統治する権利が与えられていた。ついでに、どう足掻いても返品不可な代物、というおまけ付きで。
この森、実は危険山盛りお宝も満載というモリモリな場所だった。
それと“他の誰も使えない”という事実は公にされていないことだとも後で説明された。
というのも初代が面白半分にそう決めたらしい。人生スリリングなスパイスは必要だよな、という理由で。
だから誰もが血眼になって欲しがるんだな、と遠い目をして項垂れた。
皆さん知らないせいで俺の人生スリルが付きまとうようになり、命の危機に陥る羽目になったのである。
仕事の妨害もあったし、毒も盛られたし、とっても素敵なプレゼントも貰ったし、暗殺者を差し向けられたし……。
真っ当な人生を送りたい人間に、スリル満点なスパイスは必要ない。そしてこんな殺伐とした人間関係も欲しくない。
顔も知らない初代当主に、無理でも本気で怨念をプレゼントしたかった。とりあえずこの屋敷で肖像画を発見したら、盛大に落書きをしてやることは俺の中で決定している。絶対にやる!
とまあ当初は受け入れたくも無い日常だったが、次第に俺はその日常に慣れて馴染んでいった。
強制的だった後継者としての立場、無理やり押し付けられた守護役達との騒動の中ではぐくんだ友情。
危険との隣り合わせの妖魔退治。
手を変え品を変え色々と差し向けてくれる親類縁者御一同様。
身辺の変化のせいで昔の仲間達と一時は疎遠になったが何とか友情を回復した後、下町へ時折脱走するのが俺の唯一の心の癒し。
この一部平和でもない日常を一ヶ月、二ヶ月と月日を重ねる内に、気付けばこれが俺の新しい日常と受け入れていた。
そして…………。
『待っていたよ』
目の前に広がる光景に、すべてが狂った始まりの日に見た夢を思い出していた。
「あれ、は……」
声が震えるのが分かったが、それよりも目の前にある夢だと思っていたものが現実に存在した事に驚きが隠せなかった。
夢の中で初めて会った時と同じように、桜の木の裏から一人の男が現れた。
『お帰り』
穏やかな声を聞きながら、夢の中で聞いた声を思い出していた。
―― さあ人の子よ ここに至る時 お前は何を望む? ――
とりあえず言い訳みたいなもの。
あっさりと読める王道のような話を考えただけなのです。
定番のような設定を入れて書いてみたかっただけなのです。
だから短編で投稿したというのに……。
蓋を開けてみれば、前半だけで一万字軽くオーバー。
書き続けてみれば、さらにもう一万ほどプラスになることが発覚。
あっさりじゃねぇ……。
という訳で、上書きでなく改めて投稿という形を取らせていただきました。
ひとまず前後編プラスおまけで終了予定です。




