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蒲公英と冬狼 番外編  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
蒼天の空に何を見る
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蒼天の空に何を見る 3



ノックもなく無遠慮に開かれた扉に驚いたのか、座っていた女が慌ててソファから腰を浮かせた。

アウラ・ピリス・フォロイ。

公女に魔法使いと呼ばれていた侍女である。

褐色に近い金髪はきっちりと編み込んで後頭部で纏められており、身に纏うのは侍女服だ。年の頃は20代も半ば、不器量というわけではないが、薄い化粧のせいか花はない。信用の置けない瞳が警戒を滲ませて、無言で入室するルシウスへと向けられていた。

獄中からわざわざ宮殿の一室に移されたことに、疑問と僅かな期待が混ざり合い、心を揺らめかせているのが手に取るようにわかる。

立ち上がりかけたアウラに「座れ」と命じると、ルシウスは向かいのソファに腰を据えた。同行してきたマティウスが閉めた扉の前に立ち、不動の姿勢を取る。その目は侍女の行動をつぶさに監視していた。

ルシウスは侍女の顔色の悪さに疲労と動揺、そして先行きに対する不安を見抜く。だが、どこを探しても反省の二文字だけは見つけることができなかった。

尋問を始める前から、落胆が胸に落ちる。

黒の伯爵が公爵家へ向けた忠誠と友情は、どうやら彼女には無縁のものらしい。


国外では悪名の方こそ轟いてしまっているが、フォロイ伯爵家はフメラシュ国内では薬学の専門家を輩出する名門である。毒の研究などという物騒な研究を主とするその家を公爵家が冷遇しない理由は、かの黒の伯爵エイブラハム・ドートランド・フォロイにあった。彼が、多くの農奴を死に至らしめたのは真実である。だが、それは噂されているような残虐な狂気のためではない。彼の目的は強心剤の開発にあった。しかし、原材料となる毒草の毒性が余りに強く、調合方法と、微細で緻密な配合対比を発見するためには非常に困難な難題が付きまとった。文献によれば、彼は非常に時間を気にしていたという。「早く見つけなければ」と、焦りの言葉が記録に残る。その焦りは彼に倫理を欠いた、多くの実験を強行させた。20年にもわたる研究の末に薬の開発は成功し、それによって助けられたのは、何を隠そう公爵家なのである。長く近親結婚を繰り返してきたためか、遺伝的に心臓疾患を持つ者が少なくはなかったのだ。エイブラハムが人生をかけ、多くの者を犠牲にしてまでも成し遂げようとしたその熱意が、忠誠であったのか、個人的な友情であったのか、それとも、……愛情であったのかは、定かではない。だが、今日まで無事公爵家の血を繋ぐことが出来たのは間違いなく、彼の功績である。

数代前から近親婚を避け、外部の血を入れるようになり、現フメラシュ公の家族の中には誰ひとり心臓に病を持つ者はいないが、これまで功績と、そして、現在の薬学知識においてフォロイ家の持つ飛び抜けた専門性は高く評価するに値する。

フォロイ家の方も、資金提供及び被験者の確保を優先的に行ってくれる国主に対して、反発はなく、良好な関係を築いてきたのだ。薬学の先駆者である自負と、黒の伯爵が行った事への反省があるからこそ、超えてはいけない境界線というものにフォロイの者は敏感である。

だから、自分の快楽のためにその知識を悪用したアウラには、決して、誰からも救いの手が差し伸べられることはない。


「お前が、罪人として拘束されている理由を確認しよう。我が同盟国であるオルフェルノにおいて、毒の精製出来る薬草を王家の庭から掠め取り、その毒を使って冬狼将軍の婚約者を殺害しようと企てた。間違いないな?」


強張る女の表情を無表情で見つめ、ルシウスは前置きもなく、口を開いた。

抑揚の少ない声に、アウラは身体を震わせ、それから大きく頭を振った。

「首を振るだけではわからん。反論があるのなら言葉にしろ。発言を許す」

高圧的な言葉でありながら、彼の口調には威圧する強さはない。それに助けられるように、彼女は、初め小さな声で、それから少しだけ声音を強めてその質問を否定した。

「わ、私は本当に知らなかったのでございますっ。あれが毒になるなど、思ってもみませんでした。私は唯、可憐な花に惹かれただけです。毒殺などと恐ろしい真似が出来るはずありません」

「フォロイの娘が知らんというか。毒に対する知識を買われて、この城に上がったと思っていたが…どうやら、とんだ買いかぶりだったらしい。まあ、毒に対する無知はこの際許すとして、貴族としての常識さえ足らぬ愚か者を公女の傍に侍らせたケイウス侯爵はまこと、見る目がなかったのだな」

誰よりも毒のことは知っていると、周囲の無知を嗤っていたのはアウラの方であったはず。

向けられた落胆の言葉に、女の表情が緊張とは別の意味で強張っていく。自尊心の高い女だ、ルシウスの言動は間違いなく、彼女のその自尊心をズタズタに切り裂いていることだろう。

それを承知で、ルシウスは敢えて気がつかないふりをする。

「では、アリューシャのためではなく、己のために、王家のものを盗んだというのだな?」

「!…知らなかったのです。む、無知と言われようとも、ただ、可憐な花に手を伸ばしただけ。…そ、そうです!アリューシャ殿下に良くお似合いになると、そう思って」

「王家のものという忠告は既にされていた。知らぬと思うな。お前は知っていて手を伸ばしたのだ。王家のものを盗むということは重罪である。それも、お前個人の欲望であれば、何の情状も認められん。覚悟しておけ」

言い訳は、ルシウスの容赦のない言葉に遮られた。ちらりと、アリューシャのためだと匂わすあたりが、浅ましい。

青くなる侍女に逃げ道は与えない。

(さて、どうする?)

このままでは、彼女は「無知な愚か者」の烙印を押され、憐憫の目を向けられながら罪を償うことになる。


だが、もし、真実を語ったのであれば?

公女を悲しませたくないから行ったのだと、そう告げたのならば?

……心象は一気に変わる。


そんな、女の中に生じた迷いをルシウスは、沈黙を貫くことで揺さぶった。

まだ、アリューシャの処遇をこの女は知らない。今までのように絶対的な立場を誇っていた妹を笠に言い逃れることがこの窮地から脱する最良の方法だと思い込ませる。公女に名すら覚えてもらっていなかったという思いはすでに、アリューシャに対する敬意を失っているはずだ。

何が何でも自分が助かるために、遠慮なく妹を利用するだろう。

「ああ、殿下を誤魔化すことは出来ませんね…。アリューシャ殿下の失意、悲しみを近くで見て、どうして何もせずにいられましょう。相手は平民でありながら、将軍に媚を売り婚約者の地位についた売女でございます。どう考えても、殿下の方が将軍に相応しいというのに、その娘は流石に狡猾なのですわ。説得は叶いませんでした。私はアリューシャ殿下のため、ひいてはこの国のために苦渋の選択をするしかありませんでした…」

ルシウスの予想は外れることなく、彼女は顔を覆って涙を流しながら、自身の言葉を翻した。

唾棄すべき相手に、実際に唾を吐きかけなかっただけでも褒めてもらいたいものだ。と、誰にともなく、ルシウスはひとりごちた。

上手く動かない表情筋を今ほど役に立つと思ったことはない。

…まだ、聞くべきことはたくさんある。

感情のままに罵倒するわけにはいかないのだ。

(耐えろ)

自分に言い聞かせると、ゆっくりと一つため息を付く。

「……では、毒になると知っていて、婚約者を殺害するためにその花を摘み取ったのだな?アリューシャのために」

「は、はい!その通りにございます。私の行動の全ては、姫の為に」

うっとりと従順で誠実な使用人の顔をして、濡れた目元を拭いながら女狐が笑う。

ルシウスは失笑を隠した。なんともまあ、都合の良い涙だ。

「一つ聞きたい。他国でなかなか接触を図れない娘にどうやって毒を盛る気だったのだ?毒を作ろうが、それを飲ませられなければ、アリューシャのためにはなるまい」

「炊く、という手段があります。直接、接することは困難でしたが、彼女の部屋も調べ、その鍵も手にしておりましたから、あとは毒の材料さえ手に入れば、何ら問題はありませんでした。無味無臭、時間の経過によって、残った炊き屑は毒性のないものに変化致しますから、調べられても別段問題はありません」

機密情報も含まれる文書を侍女長から奪い取ることは出来なかったが、協力者のいるうちに、部屋の鍵を手に入れることは出来ていた。数百とある部屋の一室の鍵をくすねたところで気がつかれるまでには時間がかかる。その間に鍵の複製を作り、鍵は本来の場所に返しておいたのだ。

「…なるほど。女にしておくには惜しいほど、知恵が回る。今までもそうして、アリューシャの望みを助けていたか。なるほど、妹が手放さないはずだな」

「勿体ないお言葉」

褒めてはいない。だが、相手はそうは捉えていないのだろう。

恭しく頭を垂れる女は、伏せた顔に喜びを隠し、安心するように肩の力を抜いた。

危機を免れたと思うなら、大間違いだ。

後がない女は、ぺらぺらと良く喋ってくれた。もう、いいだろう。

……我慢もそろそろ限界に近い。


「そう思うと、母上の時には、随分と杜撰だったのだな」


口調は、変わらない。


だが、切れ味の鋭い切り返しに、瞠目したアウラは顔を上げた。

女の瞳に映るルシウスはまだ冷静に見える。

私情に、湧き上がる憎悪を消しきれない。だが、それでも、公子であることを忘れてしまえば、それこそ母に顔向けできない。そして、殺しても殺したりないほど憎く思う相手の処遇を誰かに託さねばならなかった、冷徹な将軍を思い出せば…憎しみに霞んだ思考も鮮明になる。

「アリューシャからの贈り物の茶葉や菓子。それから、母上の亡くなる直前に食べた食事。あれもしばらく経てば毒物が無害化するのか?いや、宮廷薬師長はそうは言っていなかったから、そうではないのだろう?母上の場合は不審死に近い。それを本当に調べないと思っていたのか?」

「公妃陛下は、ご病気でいらしたではないですか…っ!いつ亡くなってもおかしくないほど衰弱してきていたと聞き及んでおります。毒殺など…」

「致死性の低いものには、蓄積すると死に至るような毒もあるらしいな。客観的に見ると、病を患ったように見えるとか。母上の遺体を調べるわけはないと、お前は高を括っていたのだろうが、お前以上の薬草の専門家はこの宮殿には多くいる。母上の身の回りの物を調べるだけでも証拠はいくつも上がった。毒の安定性に問題があって、なかなか死なない母上にお前はあの手この手で毒を盛っただろう?おかげでお前と見つかった毒との関連を裏付けることも出来ている」

「わ、私、は…」

「アリューシャを庇うために母上が口を閉ざしているのだとわかって、続けたのだろう?行動が今に比べて杜撰に見えるのは、慣れていないからだな。自分よりも権力を持つ者の命でさえ自分の掌の上で転がせると、愉悦に浸るのは楽しかったか?…人を陥れることに快楽を感じるような下衆の心の内など知りたくもないが」

今まで向けられたことのない眼差し。オルフェルノで受けた殺気も恐ろしかったが、汚いものでも見るようなルシウスの眼差しは更にアウラを恐怖と混乱に陥れた。

恐慌のあまり立ち上がると壊れた人形のように首を振り、彼女は叫ぶ。


「違う!殿下が、言ったのです!もう、いらないと!お母様に叱られるのはもう、うんざりだと…っ!私は唯、殿下の望むことを手伝ったに過ぎませんっ。私が望んだんじゃない…っ!」


耳に届いた言葉の意味を反芻したルシウスは、それを理解することができなかった。










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