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蒲公英と冬狼 番外編  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
翼をもがれて地を歩く
3/13

3



冷たい静寂に血の気を引かせたクラウスは、自分と同じように黙して佇むルシウスと、玉座から動かないレオニートを見つめた。

麻痺した思考と冷たく痺れたような身体は、全てが遠くにあるようで、アリューシャが逃げ出すのを見ても追いかけることも出来ない。

「追いかけなければ…」

声を絞り出し、ようやく動き出したクラウスを止めたのは、レオニートのそっけないほど冷淡な言葉だった。

「放っておけ。どうせ、この城から出ることはない。この外はアリューシャにとって卑しいと蔑む平民の住む世界だ。…逃げるためであっても、自死など考え付きもしないだろうからな、心配には及ばぬ」

アリューシャの高慢さを、レオニートは正確に理解しているようだった。今まで一度として誰も、彼女の口から人を蔑む言葉は出たことがなかったというのに。

盲目的な信頼…という、色眼鏡がなければ、行動にそのほつれは伺えたのだろうか?

立ち尽くすクラウスに、ルシウスが苦しげに呟いた。

「クラウス…すまん」

「ルシウス…」

その謝罪の意味を、今更、聞く必要はない。

首を横に振ると、クラウスは目を閉じ、一度深呼吸をしてから目を開けた。自失している場合ではないのだ。

「どういうことなのか、説明をいただけますか」

鼈甲色の瞳に全てを受け入れる強さを宿して、父親に問いかける。

賢君と名高いフメラシュ公の今回の行動は、あまりにも腑に落ち無い。

レオニートは頷き、思い出すように遠くに目をやった。

「さて、どこから話すべきか。きっかけは、カテリーナの死だ」

「母上の?…病死、でしょう?」

クラウスは眉間に皺を寄せた。数年前消化した悲しみを、今更蒸し返されるとは思わなかった。


この、タイミングで。


ぞわりと、背中を這い上がるのは、恐怖に近い。

「そうだな、表向きは。娘に毒殺されたなど、外には言えぬ」

「!」

「ルシウスは…運が良いのか悪いのか、最後の母の願いを聞いてしまったからな。残酷だが、現実を受け入れるしかなかっただろう」

気怠げに、公爵は玉座で頬杖をついた。

どんな思いでアリューシャに接していたのだろう。いつも言葉少なにアリューシャの頭を撫でていたルシウスは、硬い表情で床の一点をじっと見つめ、その視線を上げようとはしなかった。

冷静なのではない、ずっと、長い間、父と兄は二人で、その秘密を抱えていたのだ。

どこにも向けられない怒りと悲しみを、身の内にしまいこんで。

今更、表に出すことなど、できなくなってしまったのだろう。

急逝した母を看取ったのが、調子を崩した彼女を見舞いにきていたルシウスだったのは、クラウスも覚えている。

「あの時は、ルシウスも混乱していた。大切な妹が、大切な母を弑したのだからな。その理由を今になって知ることができたのは、…幸か不幸か。叱られるのが嫌だからと何とも子供じみた理由だったのでは、な。何ともやるせない話ではないか」

アリューシャが母を殺した理由は、今まさに牢に繋がれている侍女からルシウスが直接尋問して聞き出したものだ。

聞くのではなかったと、その後悔はきっとルシウスの中にも渦巻いているに違いない。記憶の中の妹は、とても柔らかい砂糖菓子のままなのに。



クラウスたちの母親であるカテリーナ公妃は、この国の伯爵令嬢であった。華やかな美しさを持った彼女は、周囲には、華美と饗宴を好み、ひらひらと社交界を渡る蝶のようだと揶揄されていたが、実際の事情は異なる。

社交界に積極的に参加していたのは、そういう場が実は苦手だった堅物の夫を手助けするためであった。情報を集め、人間関係を築き、協力者を得る。遊びを好む愚かな女性との妬みの籠った誹謗など意にも介さず、彼女はその誤解を積極的に解こうとしなかった。それでも、真実の彼女は、人の心を捕らえるのが上手く、聡明で、芯の通った逞しい女性であったから、親しくなれば弁解などしなくても誤解は解けた。浪費家と噂される原因となった、夜会で身に纏っていた絢爛な衣装や装飾品の多くは、実は彼女に惹かれた者たちが争うように送った貢物である。

男たちから贈られたものを、妻であるカテリーナが付けることを公爵が許したのは、所詮、物は物でしかないと、理解していたからだ。

「国庫は国民のために使うものですわ」あっけからんとそう言う妻を信じていたのもあるだろう。

誰をも魅了する人でありながら、それでも、カテリーナが何より望んだのは、賢き王でありながら、寡黙で生真面目で、とても不器用な男の、照れくさそうに伸ばされる手、だったから。

「どれほど多くのものを、他の方に与えられようと、私が欲しいものをくれるのは貴方だけですもの」

そう言って子供のように無邪気に笑う彼女は、レオニートと手を繋いで歩く人生を支え合う伴侶であり、そして、子供達にとっては平等に愛情を注ぐ、優しく大らかな母親であった。


しかし、彼女が母親になれたのは、40に届く寸前。

高齢の出産は母子ともに危険が高く、貴族であれば、生まない選択をすることがほとんどである。そのなかで、待望の我が子を授かったカテリーナは周囲の反対を押し切って双子を産み、妹が欲しいという兄弟の希望を叶えるように、末子に姫を産んだ。女の子が欲しいという、カテリーナ自身の希望に、レオニートも折れた形での2度目の妊娠だった。

通例通り子供たちは乳母が育てたが、公妃は積極的に育児に参加した。子供たちとの距離の掴めない夫の手を引いて、二人で子供たちを愛おしんだ。

そんな彼女が得意だったのは、物語の読きかせだ。読書好きの公妃は自身が作ったお話を語るのも上手だった。

幼い頃の子供たちは全員母の寝物語を聞いて育っていった。


クラウスと、ルシウスが政治に携わり始め、少しずつ宮廷の奥から足が遠のき始めた頃。

アリューシャの最も近くにいた母親は娘の欠点に気がついた。

自分を特別視するきらいがある娘は、我慢ができないところがあった。小さな頃であれば、可愛い我儘で済むが、与えることのできないその性格を、カテリーナは憂慮したのだ。可愛い妹を大切にする上の子たちも、当然ながら使用人たちも、見目可愛らしく、甘え上手な彼女を叱る者は少ない。政務に忙しい夫の手を煩わせたくなくて、必然的に、カテリーナだけが、彼女に厳しく接するようになった。

それでも、その内容は、公女としての責務に対する心構えについてであり、その手本は目の前にある父の背中だと伝えるもの。アリューシャはそれを聞こうとはしなかった。

表面上のものしか見えない彼女は、享楽に興じる母という噂こそを信じ、何故自分も同じではいけないのかと、不満に思っていたのだろう。

そのうちに、公女のもとに、魔法使いと呼ばれるようになるあの侍女がやって来た。

母よりも長く、彼女の最も近くに侍女は侍り。

カテリーナの願いも虚しく、アリューシャを、尊大で傲慢な娘にしてしまった。

寝物語を聞かされて育った公女は、お話が大好きだった。

それを、侍女は利用したのだ。

アリューシャは物語の主人公であり、彼女のために世界のすべてがあるのだと。


「あなたを幸せにするその手伝いのために、私はやってきたのです」


そんな風に優しく微笑んで、彼女の優越感を満たし、そして誰からも賞賛される慈愛に満ちた姫を作り始めた。勉強が嫌だと言ったら、政治に女性は口を出さない方が、殿方には好まれると誉め、与えられない性格には、与えてあげることで満たされる優越感を教える。人格など無視させ人形や愛玩動物だと思わせれば、周囲の人間に対する絶対的優位の立場に、好悪の感情など沸きはしない。ご満悦な公女はたおやかに可憐な笑顔を振りまく優しい姫に仕上がった。

中身など何もない、ただ、賞賛のためだけの虚飾の慈愛。

一度たりとも民に接することをせず、行動の伴わない空っぽのそれに、カテリーナは誤魔化されたりはしなかった。彼女は根気強く、諦めることなく娘を諭し続けた。


我慢が効かなくなったのは、アリューシャの方だ。





「お母様は私がみんなに愛されるから、嫉妬しているのね」

「では少し、休ませてあげたらいかがですか。殿下はもっと、お母上とお話されたい?」

「いいえ。もう、いらない・・・・

「そうですか」

そんな、簡単な会話で、カテリーナの命は奪われた。


娘を大切に思う母の思いは、踏みにじられた。








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