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蒲公英と冬狼 番外編  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
翼をもがれて地を歩く
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「お父様!」

「お帰り、アリューシャ。戻ったのだな」

「戻るつもりはありませんでしたわ。ですが、お兄様が無理やり…」

「しかし、オルフェルノの将軍はお前との婚約を断ったのだろう?婚約者が居たそうだな」

柔らかい眼差しは、いつもの娘を甘やかす父親のようにも見える。

クラウスは、父を見て、それから、双子の兄を見つめた。

神経質そうな鋭い目つきに、表情の乏しい顔は、同じ顔をしているのに全く違う雰囲気を醸し出す。昔から愛嬌があるとよく言われたクラウスとは異なり、ルシウスは人見知りで、あまり表情を出すことのない兄だった。

さすがに人見知りは克服したが、社交的な人当たりの良さというものは未だに習得できず、不器用な兄はぎこちない笑顔を作っては、アリューシャとクラウスの笑いを取る…という穏やかな日常を、当たり前のように送っていたのだ。思い出されて、切なくなる。 

口数は少ないが、優しい兄であるルシウスの目の中にある葛藤に、クラウスは兄もアリューシャの事を知っていたのではないかと、そんな疑念が頭を掠めた。

「婚約など、仮初ですわ。だって、彼女は市井の娘。それも、姓すらない孤児だというのですもの。奴隷と変わらないわ。そんなものを、一国の将軍の妻になど喜劇にもならないでしょう?私が選ばれるに違いないのに、お兄様ったら私を無理やり連れ帰ったのです。お父様からも言ってください。そろそろ、妹離れをしなさいって」

アリューシャから向けられた、困ったような視線と、曖昧な微笑み。

いい加減、妹の言葉に言い返す気力が沸かない。

優しく、ことさら優しく、父レオニートがそうか、そうかと、頷いた。


…この父であっても娘には甘くなるのか。


アリューシャの言葉を否定しない父を前にして、クラウスの身体にどっと虚脱感が押し寄せた。

虚しさに息をつこうとして、だが、ふと。

その優しさに、既視感を覚える。

それは、つい最近、感じたばかりの感覚だったはず。

考え込んだクラウスを置き去りにして、会話は穏やかに進んでいく。

「だが、優しいアリューシャらしくないな。市井の娘を奴隷というか」

アリューシャは父親に甘えるように、可愛らしく頬を膨らませた。

「だって、私と彼の幸せを邪魔するのですもの。彼女は自分の幸せだけしか見ようとしない愚か者。お父様、私、今回のことで学びました。平民は知性が足らず、差し伸べた慈愛の手も、言葉も理解しないのです。誰だったかしら…何処かの伯爵が言っていましたわ、下層の者たちは鞭で打って痛みでしか、成長しないのだと。その言葉は真実なのね。あの娘は頭を垂れ、祝いの言葉を告げるどころか、私を辛い目に合わせたのだもの」

「お前を祝福するのは、当たり前、か?」

「当然ですわ、私は高貴なる公爵の娘ですもの。私が幸せなら皆も幸せになれるでしょう?私は皆の幸せのために幸せにならなければなりませんもの」

さらりと、アリューシャは言って微笑んだ。

「高貴なる、か」

ぽつりと、零された言葉には何の感情も伴っていなかった。

それが、クラウスには恐ろしい。


ぞわりと背中を這う悪寒。

既視感の理由がやっとわかった。


同じ、なのだ。


将軍の無関心の優しさと、父の…それが。


「高貴なる者には常に義務が付き纏う。アリューシャ、お前はその義務を果たしたか?」

ここに来て初めて、ルシウスが口を開いた。

アリューシャは振り返り、首を傾げる。

「ちゃんと、晩餐会にも参加したし、毎日のように挨拶に来る貴族たちの相手もちゃんと致しましたわ」

「視察には?」

「それは、クラウスお兄さまの仕事でしょう?」

「では。将軍の婚約者を蔑ろにしたその言葉に対する謝罪は?実際に危害を加えようとしたお前の侍女と騎士たちのその罪に対して、お前はどんな義務を果たした?」

平民の出自であろうとも、アリューシャが相応しくないと思おうとも、その娘はオルフェルノ国王も認めた将軍の婚約者なのだ。それを害しておいて、公女だからと許されるはずもない。

「彼らは、私のために行動を起こしてくれたのに…それを罪だというの?ルシウスお兄様まで」

アリューシャは基本的なことを理解していない。

オルフェルノにとって、彼女は大切でも、特別な人間でもない。ただ、他国の貴賓でしかない。それをわかっているからこそ、ルシウスの表情は厳しい。

「言うとも。お前の行動は、友好国であるオルフェルノ王国を侮辱し、この国にも多大なる恥辱と、実害を与えたのだから」

「恥辱?」

「剰え反省もなく戻ってくるとは…」

ルシウスが何に怒っているのかわからず、首を傾げるアリューシャに、レオニートはにこりと微笑んでみせた。

「公女という立場がお前にそれを理解させぬか。ならばちょうど良かったな。アリューシャ」

「お父様?」

「お前の結婚が決まった。ポートデイル司祭に降嫁せよ」

瞬間、意味がわからなかったのか、アリューシャはきょとりと目を瞬かせた。

「私は、ヴィルヘルム様の妻に、」

「相手から断られたのだ。彼と結婚できなければ、修道院に入るのだろう?ならば、お前の望み通り、修道院に送ってやろう。ポートデイルは貴族の出だが、すでにその特権を全て返上し平民として国境域の厳しい環境で生活をしている。鞭で叩かれなければ理解できないそうだと、それも彼に伝えておく。安心しなさい」

自分の声を遮られて、初めてアリューシャは顔色を変えた。微笑む父の目には、冗談の色はない。

彼はフメラシュの君主。

その言葉は絶対のもので、例えアリューシャであっても、容易く覆すことはできない。

予期せぬ未来が、急に現実感をともなってアリューシャに押し寄せ、心の中に映る幸せの鏡像に亀裂を入れる。

彼女は嫌々と首を振った。

「私が、何故…なぜ、そんなことになるの?!…みんな、騙されているのですっ。彼女は魔女かもしれないわ。魔法使いがいるのですもの魔女だっていてもおかしくないでしょう?!だって、その娘は全然美しくもないのだもの。私のほうが全然、魅力的なのっ。ルシウス兄様もお父様も。見れば納得するわ、私のほうが将軍に相応しいって」

アリューシャは悲しげに、涙を浮かべた。守りたくなるような弱々しさ、庇護欲を感じるその儚さは変わらないと思っていたが、父と兄を交互に見つめるその瞳にあざとさが宿っていることに、クラウスは初めて気がついた。

守ってと願いつつも、並べ立てられるのは、相手を貶める言葉ばかり。

そんなふうに比べる必要がなかったからこそ、発せられなかった悪意。

この国の王宮の奥で守られていたからこそ、アリューシャは慈愛に満ちた姫でいられたのだ。

「ルシウスの言葉すら理解しないか。婚約者の問題ではない。お前は他国において、公女として問題を起こした。ならば、公女として、その結果の責任は取らねばならぬ。騎士が、侍女が勝手にしたことだという言い訳は聞かぬ。その程度の人間も扱いきれぬお前に、公女として何が出来る?出来るとことは、責任を取ることくらいだろう」

「そんな…っ」

「公女だから。それを理由に今まで生きてきたのだ。ならば公女として、その責任を果たせ。……お前が物語の中で生きているとは、なかなか将軍も面白い喩えをする。アリューシャ、お前の物語は幸せな恋物語などではない。愚かな公女が平民となり罪を償う贖罪の物語だ」

「…お父様は、私が愛おしくないの?」

追い詰めるばかりの父を信じられないような目で見つめながら、それでも、アリューシャは信じていた。甘い蕩けるような瞳を潤ませて、悲しげに上目遣いに父を見る。

厳格なフメラシュ公も、彼女にとっては優しい父親でしかない。

稀にしか会わない父だが、それでも愛されている自信があった。

「愛おしいとも。カテリーナと儂の愛すべき子。カテリーナの望んだ娘。幸せの具現」

「ならば!何故守っては下さらないのっ!」

公女だから守られる、それが覆され彼女には父親に、子を守る親にすがるしかない。

「言ったであろう?責任は自分で取るしかないのだ」

「それでは、答えになっていませんわ。お父様は、まるで私に幸せになって欲しくないみたい」

愛された娘は、当然のように、その言葉が否定されると思っていた。だからこそ、自分の言葉が、自分に止めを刺すとも知らずに、彼女は言い放ったのだ。


レオニートは微笑んだ。



「その通りだ、アリューシャ。ようやく、気が付いてくれたか」

優しく、それでいて怠惰な声が、アリューシャの耳に届いた。

驚愕に目を見開く娘の蜂蜜色の瞳に映る父はいつもと同じように優しい。

ただ、アリューシャにもわかった。愛おしいと言いながら、彼の瞳の中には暗い影が落ち、自嘲めいた笑みが口角を歪めていた。

「お前が、後悔を覚えてくれることをずっと望んでいた。…人のために、それが出来ないのであれば、これからの長き人生を、己への後悔にまみれて生きればいい」

裏切られたと思った。

「酷い…、なぜ」

なぜ、その理由をレオニートは答えなかった。

「諦めなさい。誰よりも、…何があってもお前の味方だったお前の母はもういない」








―――もう、いらない。


ふと、自分の言葉が頭の中に木霊した。

そんな。

あの時に、失ったというの?幸せになる資格を。


顔を引き攣らせ、後退るアリューシャの耳元で、柔らかな声がその名を呼んだ気がした。

もう聞こえないはずの、声。

カテリーナお母様。…アリューシャにとっての、物語の語り手。

厳しくも優しい母の手のぬくもりが、そっと肩を包む感触を思い出す。

煩わしいと思っていたその手は、温かく。

そして、今はもうないのだと、アリューシャに知らしめて、…打ちのめす。

慟哭というものは、暗闇の中から始まるのかもしれない。

真っ暗な闇がアリューシャの心を引き裂き、深い昏冥の中へと飲み込もうとしているかのようで。


その、恐怖に。


絹を裂くような悲鳴を上げ、次の瞬間、彼女は全てを拒絶するように、その場から逃げ出した。









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