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片恋い 1



オルフェルノ王国の冬は厳しい。

北に大きな山脈を抱くからだ。オルフェルノを横断しスナヴァールに掛かって終わる。北からの侵略を防ぐ峻厳たる自然の防壁は、しかして、この国を冬将軍が長く居座る厳冬の国にする原因にもなっていた。

山脈にぶつかった気流が雪を降らせ、逆に北から振り降りる風は強く冷たい。

海に面した西の地域は、流れ込む暖流のおかげで比較的温暖な気候であるが、内陸であるアズラエンにはその恩恵も届かない。しかし、それでも今日のように、その寒さが和らぐ日もあるようだった。

陽光は、眩しくあっても刺すような強さはなく、ささやかな温もりを降り注ぐ。

風はなく、しばらくは雪雲を運んでくることはないだろう。

手でひさしを作り、彼は太陽を頂いた空を見上げる。

雪に覆われた世界では、空の青さが夏とは異なる存在感でそこにあった。

夏の鮮やかな色合いはない。

秋の淡い白さも、そこにはない。

ただ、明るく水色に澄んだ空が、ちぎれ雲を浮かべて、そこに広がっていた。

肩の上に乗っていた荷物を下ろすように、肩の力を抜く。

空を映すのは、鼈甲色の瞳だ。明るいその瞳は、陽の光の下で貴石のように輝いていた。

クラウス・アウリオ・フメラシュ、フメラシュ公国の第二公子である。

オルフェルノ王との謁見を終え終えた彼は、滞在先の慣れない部屋に落ち着かず、ひとり王城の庭に出てきていた。

湖面の中央に浮かび上がる王城スヴェライエは外観から想像するより遥かに広い。

雪化粧した庭園の冷たく静かな景観と、雪の間から顔を覗かせている緑が目に優しく、クラウスの高揚した心を鎮めてくれるかのようだった。

さくさくと、足跡のない白い雪を踏みしめて、ゆっくりと歩く。

温暖な気候のフメラシュにはあまり雪は降らない。降っても積もることはほとんどないから、あまり経験のない雪上の不安定さに、足を運ぶのも自然と慎重なものになる。

だが、それにも直ぐ慣れ、クラウスはのんびりと周囲を見渡した。

見事に調和した箱庭のような世界は、角度によって全く違う顔を見せる。

散策路のトピアリーの隙間を抜けると、突然、前が開けた。

どこにこれほどの空間が隠されていたのかと、一拍驚き、足を止める。

植栽や垣根、花壇が綺麗に並び幾何学模様を描き出し、一枚絵のようだった繊細な世界が一変し、背の高い木々が脇に並び立つ、真っ直ぐに敷かれた広い通路が目の前に広がっていた。

閑静なその世界で、装飾は噴水だけのようだ。

雪に閉ざされる冬に噴水は動かしてはいないのだろう。水面は凍りつき、噴水口である彫像にも雪が降り積もって、いったい何を模しているのか判別できない。

わずかに見えるヒントから、精霊か妖精の像かなと想像して、噴水の前まで歩み寄るとその縁に積もる雪を払い、座り込んだ。

人気の無さに安心して、ふうと溜め息を漏らす。脳裏には先ほど謁見したばかりの、まだ若きオルフェルノ王の姿が浮かんだ。

(5つしか歳も違わないというのに、なんとも自信に満ちた威厳のある姿だろう)

そこにあるのは憧憬にも似た尊敬と感嘆だった。


クラウスの立場はフメラシュの第二公子であり、次期公爵は双子の兄、ルシウスが継ぐことになっている。

政治には興味があるが、君主の座にそれほど興味はない。自然と補佐に落ち着き、多忙な父、兄に成り代わり、こうして他国の使節を務めることも少なくはなくなっていた。交渉の場につくことは多く、慣れている。

だが、今日は。

緊張のあまり、身体が震えた。

オルフェルノ国王アルムクヴァイド。大貴族からその支配権を取り戻し、オルフェルノを大国スナヴァールから守り通した若き獅子王だ。その豪胆さは言うに及ばず、国民を大切にするその誠実な姿勢と卓越した統治能力で、国民の支持を一心に集めている。

国を豊かにすること、国民が平穏に暮らせること。

言葉にするのは容易なそれが、どれほどの難題であるのか、他人事ではないからクラウスにも理解している。

だからこそ、それを現実にする力を持つこの国の王に、尊敬の念を抱くのだ。

その感情が先行し、今回、その王と直接謁見できる行幸に、情けないことに浮ついてしまっていた。

性急だったクラウスを嗜めるだけで収めた王が寛大な方で良かったと思う。

「アリューシャには残念な話だが…仕方がないか」

不興を買わずに済んだ事に安堵する一方で、落胆は確かに胸に燻っていた。

この国に妹が嫁ぐことを、クラウス自身もまた、望んでいたからだ。

妹の幸せを願う思いは事実。

だが、それだけでなくオルフェルノと縁を繋ぐことは、フメラシュにとって非常に大きな益がある。

今までは父の卓越した外交能力のおかげで、フメラシュは独立を貫いてきたが、反面、武力に頼らずにいたために防衛能力は高いとは言い難い。

戦争経験はなく、国境での小競り合いも中央との繋がりの薄い敬虔な修道会が対応してきたから、騎士団には圧倒的な経験不足が否めないのだ。加えて、事実上の国防を担っている修道会は国への忠誠ではなく、国境に生きる人を助けるために立ち向かう独立した集団でしかない。現実問題、戦争ともなれば、各修道会がいくら強かろうとも組織化され、軍備の整った国の軍隊に勝ち目などあるはずがないのだ。

故に、実戦経験に乏しい騎士団の強化は急務であり、父はオルフェルノへ騎士の派遣を望んだ。

この国の歴戦の騎士たちとの訓練は、彼らを大きく成長させるはずだ。

奴隷たちの反乱の機運が高まる今であれば、軍備の増強も他国からの反発を招きにくい。この期を逃さず、自発的に国を護る兵士を育て上げ、修道会と騎士団という二つの組織間に良好な関係を構築し、共闘できる体制を整える。

それが、フメラシュが今望む未来図だ。

異なる二つの集団を上手くまとめ上げるということは、なかなかに難しい。

しかし、不可能ではない。

オルフェルノの騎士団と傭兵部隊『ロヴァル』。

対立することなく、共存し、共闘している成功例が目の前にある。

フメラシュはそれを参考にすればいい。

「やはり…惜しいな」

考えれば、考えるほど、妹の婚姻が成功しないのは惜しい。

戦時下の追い込まれた最も過酷な状況下で、二つの組織を的確に指揮し、終戦後も軋轢を生じさせることもなく協調関係を作り上げた。この一点だけでも、この国の将軍の能力の高さは、窺い知れる。

彼の知性と騎士としての強さは非常に魅力的だ。

オルフェルノの獅子王アルムクヴァイド、そして、冬狼将軍ヴィルヘルム。

勇名を轟かせたこの二人によって、スナヴァールとの戦争後、オルフェルノ王国はどの国からも一目置かれている。

軍事だけでなく、交渉でも彼らは高い能力を発揮し、若い王の統べるこの国を、侮る国は少ない。

だからこそ、将軍へアリューシャの降嫁が成れば、フメラシュ侵攻の抑止になることは間違いなかった。

だが、王のあの様子からして、どれだけ言葉を尽くしたとしてもその意志を変えさせることはできないだろう。

取り付く島もないとはこのことだ。

ふう、と座ったままクラウスは、頭を抱えるように俯いた。

アリューシャの縁談は破談となった。

ならば、クラウスの役割は今まで以上に重要となってくる。

オルフェルノ王の覇気に飲まれるばかりではなく、フメラシュの代表として母国の利益を守り、親交も深めるという大役を果たさなければならないのだから。

どんと肩に重く伸し掛るものに、クラウスは、なかなか頭を上げられずにいた。

しばらくそうしていた彼に、かけられたのは。

とても、控えめな女性の声だった。

「あの…大丈夫ですか?」

涼やかな鈴の音のように澄んだ響きに、ほっとさせるような落ち着いた口調。

顔を上げると、侍女服を着た少女が心配そうに佇んでいる。

その姿は、声から予想していたよりも、とても幼いものだった。

「気分でもお悪いのですか?」

どうやら、調子を崩して休んでいるものと誤解させてしまったらしい。

妹よりもまだ年下だろうか、貴族の娘とは思えないくらい線が細く、化粧など無縁そうなあどけない少女だ。

(こんな幼い娘が侍女として働いているのか?いや、王城の侍女であれば貴族の娘なはず。社交界に出ていなければここには来ていないか…)

訝しむというよりは困惑が、少しだけ反応を返すのを遅らせてしまった。返事のないクラウスに、少女は本格的に体調が悪いのだと思ったようだった。

表情を曇らせた彼女は「誰か呼んできますね」と言って、急いで踵を返そうとした。

「違うんだ」

慌てて、立ち上がり腕を伸ばす。

「待ってくれ。気分が悪いんじゃない。考え込んでいただけだから」

思わず掴んだ手首は、折れそうなほどに細い。

なんて華奢な身体だと、どことなく庇護欲を誘うそのか弱さに、引き寄せることを躊躇う。

腕をとられた侍女が立ち止まり、振り返る。

その至近距離で顔を上げ、クラウスを見つめた。


その大きな目に、予期せず、心を奪われる。


太陽の下、水面のように淡く輝く藍緑アクアマリンの瞳。

その目を縁取る黒い睫毛がぱさりと瞬きにあわせて羽のように震えた。

陽光に柔らかく透ける黒髪に、形の良い顔立ちは幼さも相まって、人間というより、空想上の妖精を思わせる。

けれど、驚いて、戸惑って、少し困って。くるくると変わる表情に、きょとんとした眼差しが、親しみの持てる可愛らしさを感じさせて、目が離せない。

引き止めた所で固まったように動かなくなったクラウスに、侍女は小さく首をかしげた。

「クラウス殿下?大丈夫ですか?」

真っ直ぐに返される瞳は、今まで向けられたどの眼差しとも違う。

公子という立場ある者への遠慮のある気遣いではなく、そこあるのは、ただ、純粋に相手を心配する気配だけ。

初対面のクラウスでさえも、優しい娘であると確信してしまうほど、美しい瞳には柔らかな光が灯っている。

耳に心地よい可愛らしい声が、もう一度。

己を、名を紡いだ。




その瞬間。



頭の中で、鐘の音が鳴り響いた。

一瞬にして、世界が鮮やかに輝き出す。

冷たいはずの空気さえ、仄かに熱を帯びた気がした。


自己主張の激しい動悸に胸を叩かれ、足元はまるで雪どころか雲の上のように頼りない。


愛の天使が空を舞い、ラッパの音が高らかに鳴り響く。

騒がしくも、華やかに、空を舞い上がるような上昇感。


そう。

クラウスは今、この透明な眼差しの少女に。



恋に、落ちたのだ。










「お前の好みは、可愛らしい女性だからな」

兄ルシウスの声が、耳元で聞こえた気がした。






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