蒼天の空に何を見る 5
「これで、全て終わりましたね」
「いや、…まだだ。もうひとり。…クラウスも償わなければいけない」
「殿下!」
「…刑罰だとかではないよ。ただ、自分のしたことの顛末くらいちゃんと知っておくべきだろう?」
「やっぱり、そういうこと?」
ひどく曖昧な笑みを浮かべて、クラウスがそこに立っていた。初めから待ち合わせていたのだろう。人気のない中庭で、景色だけがとても長閑だ。
マティウスは、何か言おうとして…言うべき立場ではないと口をつぐんだ。
双子の公子は向かい合うと、鏡に映したかのようにそっくりだ。髪も瞳も同じ色をして、その面立ちも寸分違わず、背格好もまるで同じ。だが、滲む表情が、二人に別の人格が宿っていることを知らせるのだ。
柔らかく、困ったようにクラウスが微笑んだ。
「うん、自分の失態は自分が一番よくわかっているよ」
「…オルソは将軍の婚約者に会って謝罪したそうだ」
「うん、知っている。俺は逢わせてもらえなかったけれど」
「何故だと思う?」
「?」
「なぜ、将軍はお前に会わせなかったと思う?」
ルシウスの質問の意図が読みきれず、困惑を浮かべてクラウスは答えを探した。
「それは…彼女の幸せを奪おうとした俺が、彼女に謝罪をすること自体がおこがましいと、そう思われたんだろう。とても優しい子のようだから、俺を許してしまうことが嫌だった…多分そういうことだったんじゃないかな?」
「正解だ。…半分は」
ルシウスは表情も変えずそう言った。逆に表情を変えることのほうが珍しいから、いつものことと、クラウスは彼の言葉の方が気になって聞き返す。
「半分?」
「クラウス、とても可愛らしい侍女に会ったと俺に話したな。彼女にこの国に来ないかと誘って断られたと」
「蒸し返さないでくれよ」
唐突に切り替わった話の内容に、クラウスは顔を顰めた。真新しい失恋の記憶は、まだ胸に苦味を残している。
「藍緑の美しい瞳、柔らかい黒髪の小柄な少女、間違いないな?」
「ああ、間違いない…ルシウスっ」
冷たく降ってきた嫌な予感に、クラウスは兄の言葉を妨げようとした。けれど、彼は容赦なく事実を突きつける。
「彼女の名はリュクレス。冬狼将軍ヴィルヘルムの婚約者だ。彼はお前の片恋を知っていた。だからこそ、最後まで頑なに彼女をお前に会わせようとはしなかったんだ」
愕然と、クラウスは目を瞠った。
脳裏には、透明な眼差しと、白い世界で淡く輝く水面の色彩が甦る。鮮やかなあの微笑みが、あの声が…悲しく陰るのを、そして、将軍に微笑みかけるのを想像して、胸を鋭い何かが貫いていく。
痛みに目が眩み、全身を走った脱力感に、ぐしゃり潰れるようにクラウスは座り込んだ。額を抑え、何かに耐えるように息を漏らす。
小さく何度が喘ぐように呼吸をして。
それから、弱々しく兄へと尋ねる。
「罰は…これかい?婚約者のいる女性に一目惚れをして、その女性の幸せを知らずに壊そうとした。それを知らずにいた俺への…」
「そうだ。…まだ未練に思っていただろう?今にも迎えに行きそうだったからな」
「ふ…ん、行かないよ。俺には将軍のような度胸も覚悟もないからね。…連れてきたかったのは事実だけれど。でも、彼女を傍に置こうと本気で考えたとき、愛妾として囲うくらいの甲斐性しか俺にはなかった。…それで、幸せにしてあげるだなんて恥ずかしくて言い出せなかったし、今だって言えない」
「情けないな。正妻に迎えるくらいの気概をみせたらどうだ」
「けしかけないでくれよ。あの国程、この国は落ち着いていないんだから。それに、彼に喧嘩を売れるほど俺は強くないよ」
「まあ、確かに、敵に回したくはないが…将軍とお前を骨抜きにしたその女性を見てみたいとは思うな」
先に釘を刺しておきながらもそう言うのは、別に本気でけしかける意図はないのだろう。単純に、彼女という存在にルシウスも少しばかり興味を持った、というところか。
どんな娘だったかと説明しようとして思い返した柔らかな微笑みが、傷心の傷さえも潤し癒す。
知らずクラウスの顔に浮かんだのは、甘い笑みだった。
「…可愛らしくって、透明な女性だっだよ。乾いていた大地に優しく降ってくる慈雨みたいな人だった。藍緑の瞳は湖のように澄んでいて…その目で周囲に気遣いを見落とすことなく見つめるんだ。懐深く慎ましやかなのに、見た目はアリューシャよりも幼く見せて、守りたくなってしまう。この腕にすっぽりと包み込んでしまえそうなその身体を何度引き寄せようとしたか分からない。…しなくてよかったけれどね」
していたならば、きっと諦めはできなかっただろう。
「きっちりとお前の未練を断ち切ってくれた、彼女の潔さに感謝だな。でなければ、アリューシャの件でなく、彼女のことで、関係がきこちなくなるところだった」
「…そうかもしれないね。そうか、彼女の大切な人は将軍だったんだな」
どおりで、将軍の話が出た時には自分のことのように嬉しそうにしていたはずだと、苦笑が漏れる。
「私はオルフェルノという国が大好きなんです。だから、離れたくない。…大切な人がたくさん居る国だから。どうしても離れたくない、傍にいたい人がいるんです」
全く揺らぐことのない決意が秘められた瞳はとても美しくて、クラウスは最後まで魅了されながら、失恋を受け入れた。彼女のその輝きを曇らせたくは、なかったから。
その選択は間違っていなかった。
身分差に躊躇うことなく、彼女を幸せにすることを諦めない将軍に守られ、きっと、あの娘は誰よりも幸せになるだろう
「ありがとう、ルシウス。教えてくれて。知らずにいたら後でもっと深く後悔するところだった」
「これでお前も罰を受けた。この先は後悔ではなく、贖罪でなく、前を向いてくれ。この国のために力を貸してほしい」
弟に、贖罪でこの国に尽くしてもらうなど、ルシウスは御免だ。自分の意思で、この国を守ってほしいと思った。それが出来る立場に二人共いるのだ。
「父上の支えになろう。母上を失ってもその悲しみを隠して、この国を守り続けるあの人が、安心してこの国の未来を俺たちに託せるように」
差し出されたルシウスの手を、クラウスはじっと見つめて。
今回のことは、クラウスにも、ルシウスにも多くの痛みを残す苦いものだ。
それでも、その全ては必要なことだったのかもしれない。
頼れる父親に守られて、認識の甘かったクラウスには公子としての重責を担うその覚悟を。
そしてルシウスには、妹が変わることを期待する自分へのあきらめ、そして、彼女を切り捨てるその覚悟を。
全てが終わった今、目の前にある手が今まで以上に大切に思えた。
アリューシャの変貌に、クラウスは少しだけ自分の目を信じられなくなった。
自分の見ていたアリューシャは作られた虚像でも、ずっと同じように育ってきた不器用な兄の姿は疑いようがない。人を信じることが少しだけ怖くなったクラウスに、真っ直ぐに伸ばされる手は信じることの大切さを改めて伝えてくれるから。
「ああ」
彼らしく柔らかに微笑むと、躊躇うことなく握り返した。
そんな二人を少し離れたところから、マティウスがどこかほっとした様子で、静かに、見守っていた。
ルシウスの目に映っているのは、誰の上にも等しく曠然と広がる空。
回想編として、クラウスの初恋のお話をあげて、フメラシュ編は完結です。
投稿予定は未定。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




