4/33
1-4
古の天子様は素晴らしき情景を見つけるごとに臣下を宴に招いて和歌を献上させたと言います。
それにより臣下の奥底の心境や知識の有無、愚かさをこれにより判断し、才ある者を抜擢していたのです。
その後、大津皇子が始めて詩賦を作って後、それが持てはやされるようになり一時和歌は衰えてしまいますが、柿本人麻呂、山部赤人という偉大なお方たちの優れた歌はそれでも忘れ去られずに尊ばれ、その方々のおかげで今でも和歌の良さを伝えるものが残ったのであります。
しかし時を経た今、その優れた古歌は軽んじられ、お世辞のような美辞麗句のみを並び立てるような中身のない歌が湧き出でる雲や泉の如くあふれ、古来よりある和歌の形は影をひそめているように見えます。
派手を好む貴族の家は好んでそのような歌を喜び、歌人はそれをもって媚を売り取り入ろうとするという風潮なのです。