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白い部屋で・1


 聞こえるのは点滴を制御する機械の静かな音だけ。


 壁紙もベッドもカーテンさえも白いこの病室に、青白い少女が横たわっていた。肩まで伸びた黒い髪と瞳だけがこの部屋の中で妙に目立つ。


 やがて静かに扉が開いて、一人の青年が姿を現した。彼はあたりを見回した後、ベッドで眠る少女の頬に触れた。その途端、弱々しい力でその少女は彼の手を弾いた。


「何しに来たのよ」


「君の様子を見に」


「来ないでって言ったでしょ」


 少女はベッドサイドにあったスケッチブックと色鉛筆を投げつけた。バサバサバサ、と音を立ててスケッチブックが落ち、色鉛筆はケースからこぼれてバラバラになる。


 青年は黙ったまま、その色鉛筆を一本一本拾い上げた。ちらり、とスケッチブックを眺めると色鮮やかな風景画が、黒の鉛筆でぐちゃぐちゃに描きつぶされていた。

 

「……」


「何よ」


 責めるような沈黙に、少女は反抗するような声を出した。


「帰ってよ。もう来なくていい。私の事なんか放っておいて」


 青年は何も言わないまま、ただ悲しそうな目をして少女を見つめた。そして、ケースに戻した色鉛筆とスケッチブックを再び元の場所へ置く。それを横目で見て、少女はこぶしを強く握った。


「こんなもの、……もう要らない」


 少女の声は、かすれていた。青年は黙ったまま、彼女の髪を撫でて背中を向けた。


「また来るよ」


 戸口まで来て、一言そう告げると扉を閉める。静けさの戻った部屋の中で、少女はだるそうに体を横たえる。


「……もう、来ないでよ」


 その呟きは彼には届かなかった。







 彼のいなくなった病室で、少女は窓の外を眺めていた。


四角で切り取られたこの風景だけが、この少女と外界をつなぐものだ。窓からは見えないが、金木犀の香りがした。


 もう、秋なのか。少女の脳裏にオレンジ色の小さな花びらが浮かぶ。小さいときから好きな花だった。あの匂いも、色も。元気だった頃は、金木犀の木の下で落ちている花びらを拾っては紙吹雪のように散らしたものだ。


 青年と少女が初めて出会ったときもそうだ。そんな姿を見られたことに恥ずかしくなって少女が立ち去った一日目。同じように花びらを降らしていた青年を目撃してしまった二日目。恋をするのはこんなに簡単だったのかと、少女は初めて知った。


 少女が青年とと外で会えなくなったのは、春の花の頃だった。この窓から見えたのは桜のピンク色。風に吹かれた花びらが1枚だけ入ってきたことがあり、それを手にとって指でこすると、少しだけ湿った感触と色の変わった花びらが残った。



 彼は毎日のようにこの部屋に来た。『がんばれ』とまるで挨拶のように呟いていた。


 その言葉に従うように、少女は必死に生きた。幸せだったときを思い出すように、このスケッチブックにかつて見ていた景色を書き続けた。けれど。

 

 少女は黒く塗りつぶされたスケッチブックをちらりと見る。


 もうこれも慰めにもならない。だって、鉛筆を握る力さえ、自分にはもう残っていない。色鮮やかな思い出は辛いだけ。だったら皆、無くなってしまえばいい。


 うっすらと眠気が襲ってくる。薬のせいなのか、体力がないからなのか、一日の大半を眠っている気がする。


 うとうとと落ちていく感覚の中で、彼の姿が揺らぐ。もう見えなくなってしまえばいいのに。


 絶望が少女を深く飲み込んでいった。





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