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徳川海洋圏の地政学と「南山」の政治経済史 棄民から生まれた「双頭の帝国」の構造分析  作者: しげぞう
第三章 「アジア唯一の列強」という自画像 - 17世紀後半から19世紀における外交と経済
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第一節 全方位外交の展開

 前章までで、行き当たりばったりの「棄民」がいかにして「国家」の基礎となったかをお話ししました。しかし、基礎工事が終われば、次は柱を立て、屋根を葺き、ご近所付き合いを始めねばなりません。


 第三章では、日本がそして南山が、欧州列強という「猛獣」たちが跋扈する17世紀後半からの世界で、いかにして食われずに―むしろ彼らの皿の上から獲物を掠め取りながら―生き延びたのかを語りましょう。 それは、教科書的な「善隣友好」などではなく、複式簿記と大砲、そして時には「宗教」という劇薬すらも戦略的に利用した、極めて冷徹な生存競争の記録です。



第一節 全方位外交の展開


 17世紀後半、世界の海は欧州列強の「実験場」でした。彼らは世界地図を広げ、定規で直線を引いては「ここは俺のもの」「あそこはお前のもの」と決めていました。 そんな中、極東の島国とその南方の植民地(南山・入安島)が、単なる「被征服地」ではなく、「プレイヤー」として卓につけたのはなぜか。 答えは単純です。「金(銀)」を持っていたこと、そして「喧嘩」が強かったこと、さらに言えば「宗教」というカードを思いもよらない形で切ったからです。



1. 宗教の地政学:アチェの「一向宗」化というバタフライエフェクト


 まず、アウストロネシアの宗教の歴史における最大の「変異点」とも言える入安島周辺の宗教地図について触れねばなりません。

 

 16世紀末から、北陸地方の浄土真宗(一向宗)門徒たちが、僧侶・武士・農民の別なく、スマトラ島とカリマンタン島(ボルネオ島)に雪崩れ込みました。彼らは「極楽浄土は南にある」と信じたのか、あるいは単に織田や豊臣の弾圧から逃げたのか。いずれにせよ、彼らの信仰は強靭(タフ)でした。


 17世紀初頭には、なんとスマトラ北部のアチェ王家がイスラム教から一向宗に改宗するという、前代未聞の事態が発生します。「アッラー」の代わりに「阿弥陀如来」を唱えるスルタンが現実となりました。これにより、スマトラとカリマンタンにおけるイスラム勢力は後退し、日系文化と一向宗が土着化します。


 これが何を意味するか? 21世紀の現在、アチェ立憲国と蘭芳(ランファン)共和国が、イスラム過激派の脅威に晒されつつも、文化的・精神的に日本や南山と極めて親和性が高い「仏教圏(ただし浄土真宗)」として存在していることの淵源です。 南山にとって、マラッカ海峡の要衝に「話の通じる(同じ念仏を唱える)」友邦がいることの地政学的価値は計り知れません。



2. 対清貿易のヘゲモニーと「台湾」という財布


 北に目を転じましょう。 日本(徳川幕府)は、台湾島を「清との緩衝地帯」かつ「マネーロンダリングの場」として徹底的に利用しました。 日本は朝貢貿易という形式的屈辱を嫌い、清との直接国交を避けました。その代わり、日本の強い影響下にある事実上の傀儡である鄭氏を経由して貿易を行いました。


 ここで日本側が仕掛けたのは、「銀交換比率」のマジックです。日本国内の銀相場と大陸の銀相場の差(アービトラージ)を利用し、さらに日本製品(銅、海産物)と清国産品(生糸、茶)の交換レートを人為的に操作することで、18世紀末まで天文学的な黒字を叩き出し続けました。 ある推計によれば、1700年代の100年間で、清から日本へ流入した富は銀換算で約1億(テール)に達すると言われます。清の乾隆帝が「日本の小賢しい商人どもめ」と激怒したという記録も残っていますが、既に当時の日本は清の海軍力でどうこうできる相手ではありませんでした。



3. マニラ・ガレオンへの「寄生」


  太平洋に目を向ければ、そこにはスペインが構築した「マニラ・ガレオン(マニラ〜アカプルコ)」という大動脈がありました。 徳川幕府は、このルートを遮断するのではなく、「寄生」することを選びました。


 すでに入安島や南山で大量生産されていた砂糖、そして特産品であるゴム(ガタパーチャ)は、スペイン船の船倉を満たす格好の商品でした。スペイン商人はカトリックの敵である日本の物産を扱うことに最初は抵抗しましたが、利益の前には神も沈黙します。 こうして、南米ポトシの銀がマニラを経由して日本・南山へ流れ込み、代わりに南山の砂糖がメキシコ副王領の食卓を甘くしました。



4. ジョン・ハンター条約と「列強」入り

 そして1787年、決定的な瞬間が訪れます。前述の 英国との間で締結された「ジョン・ハンター条約」です。 これは、徳川政権(Government of Tokugawa)の勢力圏と、大英帝国(British Empire)の勢力圏を定めたものです。


 この条約の意義は、単なる領土分割ではありません。有色人種の異教徒国家である日本(徳川幕府)が、当時の大国イギリスと、対等な条約当事者として認められたという点にあります。 これにより、日本・南山は植民地化「される側」から植民地を「持つ側/列強」へと、名実ともにカテゴリーチェンジを果たしたのです。



5. 21世紀の視点から


 この17世紀から19世紀にかけての「全方位外交」と「経済覇権」の遺産は、現代のオセアニア共同機構(OCO)の繁栄に直結しています。


 GDP14.5兆ドル(2020年)を誇るOCO経済圏。その中核をなす南山、アチェ(GDP1.8兆ドル)、ランファン(GDP2兆ドル)、そして東インドネシア(GDP3,500億ドル)特に民主化したジャワ共和国(GDP7,000億ドル)が2008年に加入したことで、この地域は名実ともに世界経済のエンジンとなりました。 ジャワ海軍が「沿岸警備隊(JawaKustwacht)」へと解体・再編され、かつての大艦隊がスプール(警備救難艇)の群れに変わった姿は、かつての覇権主義が経済合理性へと屈服した象徴的な光景と言えるでしょう。





<櫻井教授の歴史の裏読み>

「『名誉白人』ならぬ『名誉列強』の誕生」


 19世紀の欧州人は、日本・南山をどう見ていたのか?


 当時の風刺画には、日本人が「チョンマゲを結い、着物を着て、しかし手にはシャンパングラスと最新のライフルを持った姿」で描かれていることが多い。 彼らにとって日本は、「理解不能だが、無視できない金持ちの友人」だった。


  キリスト教を受け入れず、独自の「仏教」やら「神道」やらを奉じながら、欧州の科学と経済システムを完璧にコピーし、更には改善してのけた不気味な存在。 アチェやランファンが、イスラムではなく仏教(浄土真宗)ベースの近代地域として発展していたことも、欧州のオリエンタリズムを大いに混乱させた。


「なぜ、彼らはアッラーを捨てて、南無阿弥陀仏と唱えながら石油を掘るのか?」 その答えは簡単だ。そちらの方が儲かるからだ。 我々の先祖は、神を選ぶ基準さえも「コストパフォーマンス」だったのかもしれない。




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