「海洋国家」の完成と21世紀への遺産
これにて本論文はひとまず終了ですが、興味を持っていただけた方は、第六章以降を以下で掲載しておりますので、お読みいただければ幸いです。
「第二部 国家の引越し 1869年の「南山大脱出」と双頭の近代日本の形成」
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「海洋国家」の完成と21世紀への遺産
1. 「開国」と「棄民」の弁証法
本論考のタイトルである『「開国」と「棄民」の二重奏』において、私が提示したかったテーゼは単純です。 徳川日本というシステムは、国内の秩序を維持するために「閉鎖(管理貿易)」を志向しつつ、そのシステムの破綻を防ぐために「開放(南山への棄民)」を必要とした、という矛盾構造です。
通常、矛盾する政策は国家を崩壊させます。しかし、日本はこの矛盾を奇跡的なバランスで乗りこなしました。 国内には「農本主義的な道徳と秩序」を維持しつつ、国外(南山)には「重商主義的な野心と自由」を隔離する。この「二重国家体制(Dual State System)」こそが、19世紀の列強の植民地主義に対抗し得た唯一の生存戦略でした。
もし、日本が単一の「農耕国家」のままであれば、1853年にペリーが来た時、清国と同じ運命を辿ったでしょう。逆に、もし日本が制御不能な「海賊国家」になっていれば、英国やスペインと正面衝突し、17世紀のうちに海の藻屑となっていたはずです。
「刀を差した官僚(武士)」が本国で帳簿を管理し、「刀を捨てた冒険者(棄民)」が南洋で富を稼ぐ。この役割分担が、嘉永の産業革命における資本蓄積と技術受容の土台となりました。
2. アジアの「もう一つの近代」の震源地として
この日本の特異な発展は、周辺地域にも不可逆的なバタフライエフェクトを引き起こしました。 特に、アウストロネシア(東南アジア島嶼部)における宗教と政治の変容は、世界史的な奇観と言えます。
17世紀初頭、北陸の一向宗門徒がスマトラやカリマンタンへ「聖地なき巡礼」として流出した結果、今日のアチェ立憲国や蘭芳共和国といった、「仏教(浄土真宗)を精神的支柱とする産業国家」が誕生しました。 これは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で説いた図式のアジア版 、『一向宗の倫理と海洋資本主義の精神』の実践例です。「現世の労働は往生のための修行であり、儲けることは仏恩である」という、逞しすぎる教義が、これらの国々を勤勉な中進国・先進国へと押し上げました。
現在(2025年)、南山、日本、豪州、アチェ、ランファン、そして民主化したジャワ共和国などを擁するオセアニア共同機構(OCO)は、名目GDP合計14兆5,000億ドルという、EUを凌駕し北米に匹敵する巨大経済圏を形成しています。 この繁栄の源流を辿れば、16世紀の博多商人の密貿易や、1598年の「幻の朝鮮出兵」によるエネルギー転換に行き着くのですから、歴史の因果とは恐ろしいものです。
3. 「日本」という枠組みの溶解と再構築
19世紀中盤、嘉永の産業革命を経て、日本は「列強」の末席、やがてはその一角へと登り詰めました。しかし、その過程で「日本」という定義自体が変質しました。
かつて「日の本」とは、北海道から九州までの島々を指す地理的名称でした。 しかし、21世紀の現在、我々が認識する「広義の日本圏(Pan-Japanese Sphere)」は、大阪と明望を政治的中心としつつも、アチェやランファンも内包しつつ、経済・文化の重心は明らかに南下しています。 南山共和国の首都・明望は、東京、ロンドン、ニューヨークと並ぶ世界金融のハブであり、同時に「最も成功した多民族実験国家」のショーケースでもあります。 ここでは、神道と仏教、そしてユダヤとキリスト教が(適度な距離感を保ちつつ)共存し、醤油とバター、羊肉と米が融合した食文化が日常となっています。
ペリー提督が1853年に見た「蒸気船を持つちょんまげの国」は、その後、髷を切り落とし、洋服を着て、しかし魂の部分では依然として「したたかなリアリスト」であり続けました。 明治以降の日本と南山が、二度の世界大戦という荒波を(時には占領者として、時には解放者として、そして最終的には経済的覇権者として)乗り越えられたのは、この「変わり身の早さ」と「異質なものを取り込む胃袋の強さ」があったからです。
4. 結語:我々はどこへ行くのか
21世紀の歴史家として、私は今の世界を楽観視はしていません。 ジャワ共和国は民主化以降、目覚ましい発展を遂げましたが、国内の格差やテロのリスクは依然として火種です。フィリピンやインドシナ半島諸国も、OCOの繁栄の恩恵を受けつつも、完全な安定には至っていません。 また、急速な経済成長は、かつてのロンドンや大阪が経験した以上の環境負荷を地球に与えています。南山の広大な自然も、無秩序な開発の爪痕と無縁ではありません。
しかし、それでも私は、我々の先祖が選んだ道―「海へ出る」という選択を肯定します。 閉じて腐るよりは、開いて混ざり合う方が、生物学的にも文明的にも健全だからです。 「南山共和国建国史」とは、単なる一国の歴史ではありません。それは、行き場を失った人々が、海というキャンバスに描いた、人類史上最も大規模で、最も成功した「逃走と再生」の記録なのです。
<櫻井教授の歴史の裏読み・最終回>
「歴史とは『生存者バイアス』の壮大な集大成である」
最後に、皮肉屋としての本音を吐露して筆を置こう。 この歴史書を読んだ諸君は、「日本人はなんて先見の明があったんだ」と感心したかもしれない。 だが、騙されてはいけない。 16世紀の商人は「儲けたい」一心だったし、徳川の役人は「面倒事を片付けたい」一心だった。南へ渡った農民は「腹一杯食いたい」一心だった。 そこに高尚な「国家戦略」など存在しなかった。あったのは、個々人の泥臭い欲望と、生き残るための必死の足掻きだけだ。 たまたま、その足掻きの方向が「南」を向き、たまたま、そこに手付かずの大陸と資源があった。それだけの話だ。
我々は「選ばれた民」ではない。「たまたまクジに当たった民」だ。 だからこそ、我々はこの幸運な歴史に対して、少しばかりの謙虚さと、未来に対する重い責任を持たねばならない。 ……まあ、そんな殊勝なことを考えるのは、明望の港で極上のステーキと、よく冷えた南山ラガービールを腹に収めた後でも遅くはないがね。
(第二部 国家の引越し 1869年の「南山大脱出」と双頭の近代日本の形成 に続く)
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これにて本論文はひとまず終了ですが、興味を持っていただけた方は、第六章以降を以下で掲載しておりますので、お読みいただければ幸いです。
「第二部 国家の引越し 1869年の「南山大脱出」と双頭の近代日本の形成」
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