真実の愛と結婚するのに私とは婚約破棄しないって正気ですか?!
「はあ? 仰る意味がわかりません」
高級な調度品に囲まれているにも関わらず、場違いな声をあげたのも無理はない。
「お前は本当に阿呆だな。
俺達の婚約は王家とエスエール公爵家のものだろう?
だから俺の真実の愛をエスエール家の養子にすれば、婚約破棄する必要ないだろう」
「婚約契約書には個人名が記載されてるのだから、婚約破棄しないまま次の婚約ができるはずないではありませんか」
「そんなもの『義姉妹を入れ替えて婚約契約を続行』という契約書を新たに作れば良いではないか」
良いではないか?
こんなバカな話、聞いたことない。
コイツは何を言ってるんだろう?
そもそもまず不貞を謝るべきなのに、ふてぶてしい態度を改めもせず、目の前で優雅に紅茶を飲んでいる頓珍漢は、ドマス・キーカンシャー第2王子。王太子であり私の現婚約者である。
ライトブラウンの髪に翡翠の瞳。平均より少し高い身長。
王子だけあって所作と顔は美しい。
でも、それだけだ。
これまでも、ちょっとオツムが足りないと思っていたが今回は次元超えしている。
超次元生物だ。
「はぁ。持ち帰って父に本件を渡します。
それでは」
馬鹿と喋ると頭痛がするから、早く帰ろう。
席を立とうとすると引き留められた。
「待て。まだ話は終わっていない」
「何でしょう?」
溜め息をグッと堪える。
壁に控えている侍女達が気遣わしげな表情で、こちらを窺っている。
「俺がニアと婚約したら、お前は教育係兼侍女として彼女に仕えろ」
「は?」
ニアとは、ドマス王子と真実の愛(?)で結ばれた相手の名前。
「ニアは、これから王妃教育を受けるのだからサポートが必要だろう。
お前は教育を終えているし、妃の義姉なのだから支えて当然だ」
当然?
まだ父に婚約破談の話すらしていないのに?
何処で頭を打ったのか? と聞こうとして口を閉ざした。
いま余計なことを言って、言質を取られたら面倒だ。
黙ってるのを肯定と受け取ったのだろうか。
「2年で仕上げろ。もしも2年でニアが王太子妃として相応しくならなければ、お前を側妃にして公務をさせる。
勿論、お前とは白い結婚だ。俺には何も期待するな」
私が8年かけて終えた妃教育を、学校に行ったことすらない平民が、2年で習得できるはずない。
「その前に(私は)結婚すると思いますが」
「心配せずとも良い。
側妃にならなかった場合は、側近のハロルドと結婚させる」
うん? 婚期の心配じゃないよ?
いきなり爆弾投げてきておいて、こっちがそれを処理する前に新たな爆弾を投げて寄越す戦法ね。
王子、人を怒らす天才では?
ハロルドはキセル伯爵の次男だ。
確かに婚約が破談になった傷物で婚期も逃したとあれば、公爵令嬢であっても家督を継がない伯爵の次男に嫁ぐ可能性はある。
ふむ、なるほど?
「それは、そのような王命を出されるという意味ですか?
つまり、この一連のことを陛下が承認なさってると?」
「いや……それは……」
「殿下の独断ですか?」
「俺は、この国で2番目に偉いんだ。つべこべ言わずに従え!」
2番は先王様ですが?
お前は単に王位継承権が1位ってだけ。
第1王子が側妃腹だからね。
ドマスは正妃の第1子。だから、こんな……。
「養子について、お相手には話が通ってるのですか?」
「ああ、お前の義妹になると言ってある」
「わかりました。本日は、これで」
余計なこと言う前に撤退しよっと。
私はドアを前に振り返った。
「1つ質問したいのですが」
「なんだ?」
王子は面倒臭そうに顔をしかめる。
いやいや(笑)
「例え、どんな苦難があろうとも真実の愛を生涯貫きますか?」
「当然だ。それが真実の愛なのだから」
「どうなろうと死ぬまで彼女を愛し続けると?」
「くどい。いちいち当たり前のことを訊くな」
「そうですか。では失礼」
私は、それだけ確認すると王宮にあるドマス王子の応接室を後にした。
「こんなバカな話、聞いたことない!」
父が激昂して手元にあった資料を床にぶちまけた。
普段は物に当たる人ではないのに。
父は私と同じワインレッド色の髪と瞳を持っている。若い頃は美男子だった、と母が言っていた。
ともかくオイルランプでなくて良かった。
只でさえ災難(王子)背負ってるのに火事とか勘弁。
私は今日、婚約者に呼び出された時の話を帰宅後すぐに伝えた。
すると、こうなったのだ。
「落ち着いてください、お父様」
椅子から立ち上がり、執務室内を彷徨く父を宥める。
「しかしエミリー! ここまで我が家を愚弄されて黙っていられるか?!
今すぐ王宮に行ってくる!」
「お待ちください。
私に良い案がございます。本件は私に一任していただけませんか?」
「良い案? ……まあ、いいだろう。好きなようにしてみるといい」
「あなたがニアさん?」
我が家で1番グレードの低い応接室へ赴くと、そこにはソバカスだらけで痩せっぽっちで背の低い女性がいた。
髪と目は焦げ茶色で、全身がかさついている。
化粧すれば美人に見えるだろうか? 際どいラインである。
武器屋で働いていてドマスと出会い、意気投合したそうだ。
そういえばドマスの趣味は剣のコレクションだった。
その割りには細身である。眺めるだけなのか?
「ええ。あなたがドマスの元婚約者?」
「そう。エミリー・エスエールよ。よろしくね」
「ふうん? 悔しい?」
「はい?」
書類を前に、彼女は立ち上がりもしなければ挨拶もしないまま続ける。
「あなたみたいに美人で身分が高くてお金持ちのお嬢様が、私みたいに何も持ってない女に負けたんだよ。悔しいでしょう?」
悪役ヒロインとでも言うのだろうか?
狡猾そうに口角を上げた。
1拍置いて笑い出した私に、ニアはキョトンとする。
「何が可笑しいのよ?!」
「いいえ(ドマスと)似た者同士だから気が合うんだな、と思っただけよ」
クズ同士お似合い♡
コイツも謝らないもんな。まだ平民なのに。
「バカにしてるの?!」
「していないわ。あなたは何? 反抗期なの? 17歳? もっと幼く見えるわ」
「ぐっ、う、そうやってバカにして!
ドマスに言いつけてやる!」
「構わないわ。
うちに見放されて困るのは向こうだもの」
「罰を受けるわよ?!」
「そんなことすれば王家の求心力が下がって没落の一途を辿るだけ」
「そ、そんな簡単に没落するはずない」
「歴史の授業受ければ、わかるんじゃない?
王妃教育、頑張ってね。
養子縁組に関する契約は終わったのでしょう?」
「ええ、恙無く」
弁護士が答える。
裁判所から立会人も同席している。
この場には4人だけだ。
「では役場で戸籍の手続きをお願い」
私は、父と共に馬車に乗り込むニアを見送った。
ドマスと婚約するというから、てっきり王子宮に囲われてるのかと思ったら、平民街のアパートで暮らしていた。
そして供も連れず1人で迎えの馬車に乗ってきた。
簡単に暗殺できそうなのだけど、色々大丈夫なのかしら? 頭とか頭とか頭とかね。
「『婚約破棄はしない』と言ったではないか?!」
謁見の間にドマスに怒声が響いた。
「破棄するのは当方であって、有責側である殿下に選択肢はありません」
父が冷静に返すと、王子はグッと喉を詰まらせた。
「この慰謝料、白金貨1000枚(=10億円)というのは、いささか多い気が。
相場で言えば500枚程度では?」
王家側の弁護士が、契約書を片手に異議を唱えた。
「何ですと?!
我が娘は青春を王妃教育に捧げた上に、裏切りによって将来を変えられたのに、それが多いと?!」
父が激昂すると国王がたじろいだ。
「このくらいは良かろう。ドマスに払わせる」
「冗談じゃありませんよ、父上!
エスエール家から王妃を輩出できるのだから感謝されてもいいくらいなのに、なぜ慰謝料を払うのです?」
「(ニアが嫁ぐ際の)持参金で(慰謝料は)相殺できます故、実質0円ですわ」
国王が決定的な何かを言う前に、私は急いで口を挟んだ。
「ふん。ならば持参金を増やせ」
「「なっ」」
宰相と弁護士が、あまりの言い草に驚き王子を窘めようとする。
「構いませんわ。私の所有する鉱山の1つを彼女の名義に変えましょう」
「ふん、ならばいいだろう」
「ただし発掘する人員は、そちらで派遣していただきます。
昨今は平和ですから、常駐兵を持て余していらっしゃるでしょう?」
「うーん……仕方ないな」
「慰謝料の話が終わったなら、次こちらの『(ドマスとニアは)婚約期間を置かず直ちに婚姻し離縁しないこと』とは?
王侯貴族の婚約期間は1年以上設けると知ってるでしょうに」
宰相が私が作った契約書を確認して言う。
「『新しい婚約者の王妃教育が進まないから、やはりエミリーを妃に』と言われても困るので」
父が鼻で笑うようにして答えた。
「『ニアの王妃教育が進まなかった場合、お前を側妃にする』と伝えたではないか」
と、私を睨み付ける。
「ドマス! お前は、そんなことをエスエール嬢に言ったのか?!」
「あ、いえ、父上、これは……エミリーの妃教育を無駄にしないための措置でもあって」
「バカもん! お前に、お前の婚姻を決める権利はない!
これ以上、恥をかかせるな!」
この国では子供の結婚は親が決める。
本来、王は声を荒げぬものである。
息子によほど立腹してるのだろう。
それでもニアとの婚姻を認めるのだから甘過ぎる。
もしかして廃嫡する予定かもね。
「あ、ぐ……その……」
「殿下は愛するニアと、少しでも早く結婚できるなら幸せではないですか。
『どんな苦難があろうとも真実の愛を生涯貫き、どうなろうと死ぬまで彼女を愛し続ける』のでしょう?」
王と宰相が王子に「そんなこと言ったのか」と呆れた目を向ける。
「と、当然だ。
父上、さっさと契約書にサインして、我々を結婚させてください」
「まだだ、待て。
『今後エミリーの婚姻に干渉しない。許認可も省略』は、いいとして『ニアに関する全責任を王家が負う。エスエール家には一切の追及をしない。賠償する場合は私財で賄う』と『我が国は絶対王政ではなく法治国家であると宣言すること』とは?」
「私が説明いたします。
まず高位貴族であれば絶対しないようなミスを、今後ニアはするでしょう。
しかし彼女を選んだのは殿下であるのに、その穴埋めを公金で行うのは筋が通りません。
まして我が家には何の咎もありません故、その事を明記させていただきました。
また『法治国家である宣言』ですが」
ここで1度ドマスを見る。
「4代前と同じことが繰り返されようとしておりますので、忠臣からの進言でございます」
4代前の国王が暴政を強いたためクーデターが頻発し、国が滅亡しかけた。
その際、次代の王、つまり今の王の曾祖父が「絶対王政の終焉」を宣言したことで事態は収集された。
今は王政ではあるが絶対ではなく、かといって法治国家とも言えない曖昧な状況である。
要するに「今のままドマスが王になれば4代前と同じことになるから釘を刺せ」と言っているのだ。
「なぬっ! 失礼だぞ!」
ドマスが吠えるも、王に一喝される。
「黙れ!
エスエール嬢の憂慮も当然である。
わかった、契約を締結しよう」
「「陛下の、ご英断に感謝」」
私と父は恭しく頭を下げた。
ドマスとニアは、その日のうちに入籍した。
王族、それも王太子が婚約期間を設けず電撃結婚など前代未聞であった。
また契約通り王によって「我が国は法治国家である」との宣言もなされた。
新聞記者を呼んでおいたので、発令は大々的に取り上げられた。
後に歴史書に載るような変革が、まさか婚約契約によって成されたとは誰も思わないだろう。
「本日は、いかがなさいました?」
挨拶が終わると、すぐに切り出した。
我が家の応接室。ドマスとニアが揃って目の前に座っている。
会うのは彼らの婚約契約した日以来、1ヶ月ぶり。
「ニアの王妃教育が進まない。教師陣もやる気がない。というか辞職して、ほぼいない。このままでは結婚式に(最低限の礼儀を身に付けるのが)間に合わない」
貴族としての振る舞いもできないのに、王妃教育が進むわけない。
「そんなことは聞かなくともわかりますわ。
結婚式を延期すればよろしいでしょう」
なんと3ヶ月後に式を挙げるそうです。
しかも私が着るはずだったウェディングドレスを直して使うのだそうです!
しかもしかも婚約記念パーティーを兼ねるので、今までになく盛大にやるそうです!!
「それは嫌だ」
「どうして?」
「せっかく入籍したのだから1日も早く子作りしたい!」
「きっも゙、あっ、申し訳ありません!
つい心の内を口に出してしまいました」
慌てて扇子を出して口許を覆った。
「……まあ未婚の淑女に言うことではなかったな」
地味に傷ついた顔をしている。
威張ってるヤツほど悪口に弱い。
「もしかして私にニアの教育せよ、と仰せですか?」
「おお、話が早くて助かる! 引き受けてくれるか?!」
「条件があります」
「授業料は払いたくない」
バカなの? ケチ過ぎ。
「そうではありません。
こちらでニアを預かるので、式まで会いに来ないと約束できますか?」
「何? 何をする気だ?!」
「あのですね、短期間で詰め込み教育するにはスパルタにならざるを得ないんですよ。
殿下はニアが『こんな辛い教育耐えられない』と泣きついても、口出ししないと言い切れますか?」
「いや、それは、しかし……」
「でしたら他を当たってください」
「わ、わかった。よろしく頼む」
「ドマス! 私そんな厳しい教育、耐えられない!」
「ニア、我慢するんだ。父上に認めて貰えないと困るんだよ」
お、王子はやっと状況が理解できたようだ。
このままだと王太子は兄弟に移るかもしれないもんね。
この国には第3王子と王女もいる。
王妃の第1子だからと言って安泰ではない。
本人は最近まで安泰だと思い込んでたようだが。
「で、でも……そうよ、この人、睨むのよ! 怖いわ!」
「私は元々吊り目なの。
王妃になる覚悟がないなら、殿下は臣籍降下するしかないわね。
王族どころか貴族としての振る舞いすらできない王妃など、国民は望んでおりません。国母に向いてないわ」
「そんなっ、酷い! そんな言い方するなんて!」
「はぁ……私も暇ではないので、本日はお引き取りを」
「待て、待ってくれ! よろしく頼む!」
「ドマス!」
「ニア、ここは君の実家なのだから、教育費無料だ! ここで頑張れ!」
そこ?! そんなにケチなの?
あれ? もしかして毎年、誕生日のプレゼントがペーパークラフトだったのって節約??
普通、宝石とかだよね? 王子の婚約者だもの。
去年は紙で折った小物入れだったわ。
ドマスとは、公務でしか会ってなかったから知らなかった。
「浮いた金でケーキ買ってやるよ」
ドレスじゃなくて?
本当に王族?
「うーん、わかった」
え? ケーキでいいの?
そんなの王宮で食べられるよね?
この人、王妃になって何がしたいの?
「そう言うことで!」
王子は、あっさりと婚約者を置いて行った。
「エミリー・エスエール公爵令嬢。
前へ来てくれ」
それはドマスとニアの結婚披露宴のこと。
一瞬、何か咎めを受けるのかと背筋がヒヤッとした。
もちろん顔には出さない。
「今回エスエール嬢には大変世話になった。
僅か3ヵ月で新婦ニアを立派な淑女にしてくれた。
この偉大な功績に拍手」
千人以上いる王城の大広間でパラパラと疎らな拍手が起きる。
私は吹き出しそうになるのを堪える。
たった3ヵ月で淑女になるはずない。
表面はマシになったが、付け焼き刃に過ぎない。
しかし気を引き締めておかないと相手はバカ王子なのだ。
油断は禁物。
「この偉大な功績を称えて、エミリーを側妃として迎え入れることにした。
おめでとう、今日から王室の一員だ」
あれれ? やっぱりニアじゃ無理だって気付いたのかな。
ドマスは私の耳元に顔を近付けると、小声で告げてきた。
「考えてみればニアだけでは、すぐに飽きてしまう。
彼女と3ヶ月離れてわかった。
それを俺に気づかせるために『預かる』と言って、わざと俺たちを離れ離れにしたのだろう?
なかなか手の込んだことをしてくれる」
ゾワワッ!!
全身に鳥肌が……。
セリフだけでなく息も臭い!
「"側妃は正妃と婚姻して3年経過してから"と決まっているが法律を改正して、もっと早く娶れるようにする。
だから先に子を産んでも良い」
驚きのあまりフリーズすると、何故か微笑んでくる。
「前に『お前とは白い結婚だ』と言ったのを気にしているのか? それなら撤回する。
だから持参金よろしく。お前の体と金は俺のものだ」
ストレス値が限界突破して気絶しそうになったけど、多くの貴賓の前で倒れるわけにいかないと踏ん張った。
「身に余る光栄でございます」
「遠慮することはない」
「せっかくなのですが、私すでに結婚しておりますので。
どうぞ真実の愛と末永くお幸せに」
「はあ?! 聞いてないぞ! 誰と?!」
言ってないもんね。
「カーイサツ帝国のジェムズ皇子でございます。
結婚式は1年後を予定しております。
公表が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます」
軽く頭を下げると、一瞬静まり返った後、割れんばかりの拍手が会場を満たした。
「何故だ?! 婚約破棄して、まだ4ヶ月だぞ?! 不貞だ! 俺に慰謝料を払って離婚しろ! 出戻りでも貰ってやる!」
●第2王子のヤラカシ一覧
阿呆
不貞相手を養子に
婚約破棄しない
サポート当然
側妃、白い結婚
伯爵次男と結婚
真実の愛を貫く
揃って謝罪なし
慰謝料拒否
授業料無料
側妃&持参金
慰謝料+離婚しろ←new!
私が口元にアルカイックスマイルをキープしながら困り眉を作るという顔筋フル活用術を披露すると、国王の指示でドマスはどこかへ連れ去られて行った。
披露宴の途中で新郎が兵に押されていくという前代未聞の珍事の上、国王も王妃と共に会場から姿を消した。
責任取らないの?!
取り残された新婦に場を仕切る能力などないので、私が代わりに解散を促した。
その後、せっかく足を運んでくださった国賓がたに王太子妃自ら御詫びの接待をさせた。
王宮の客室に乗り込んできたドマスは妻の痴態に唖然としていたが、徐々に顔が紅潮していき、ついには怒鳴った。
「なんだ、これは?! どうなってる?!」
ドマスに気付いたニアが慌てて体にシーツを巻き付け、自分の着ていたドレスを探すも、披露宴の豪奢な衣装を自力で着られるはずもなく、半裸のまま所在なさげに突っ立っている。
新婦と戯れていた諸国の貴人達は面白そう、と言うより完全に馬鹿にした目を新郎に向ける。
相手が1人ならドマスも掴みかかっただろうが40人もいるので、どうにもならない。
私はクスクス笑いながら、1枚の紙をドマスに渡した。
それはニアと我が家が養子縁組した際に交わした契約書の写しだ。
「『不貞及び縁組みを破談させた慰謝料として白金貨100万枚(1兆円)』?! バカな!
『支払い期日までに入金ができない場合は公娼として働き、その売上金で補う。完済するまで(ニアの)生殺与奪権はエスエール家が持つ』
こんなフザけた契約無効だ!」
と、紙を真っ2つに破る。
「本物の契約書は公正証書にしてありますから、写しをいくら破いても無駄です。
また裁判所から派遣された立会人同席の元、契約を交わしましたので足掻いても無効にはできませんよ」
「王妃及び王太子妃の不義密通は、死罪と知っているな?」
「何ですって?! そんなの聞いてない! イヤ!」
と、ニアが叫ぶ。
「うるさい! 阿婆擦れ! 黙っていろ!」
「好きで公娼になったんじゃない!
そんな契約内容だなんて知らなかったの!
騙されたんだわ!」
「だから立会人の前で、合法的に契約したと言ってるでしょう。
言い掛かりつけるなら訴えるわよ」
私がニコニコして言うと、頭痛でもするのか掌で額を押さえたままドマスは微動だにしなくなった。
暑くもないのに汗だくである。
しばらくして大きく息を吐くと私に向き直った。
「お前とジェムズ殿下に不貞の慰謝料、白金貨100万枚を請求する」
同じ額を請求してきたということは、王家が「ニアに関する全責任を負い、賠償は私財で賄う」と契約してるので相殺しようとしているのだ。
ちなみに白金貨1000万枚というのは、王族とその血縁及び外戚まで含めた全員の個人資産を合わせた額である。
お金は矛にも盾にもなる。
無一文にすると言うことは丸腰にしてやるということだ。
しかも、この国は遺産の引き継ぎを拒否できない。
つまりニアが死んだら彼女の負債は、配偶者であるドマスが背負うことになる。
契約があるので離婚もできない。
「私がニアの連絡先を聞かなかったことに疑問を感じませんでしたか?」
「は?」
「あなたから婚約者を替えると言われた後『相手に養子縁組の話はしてあるのか?』と訊けば『してある』と答えましたね。
そして、すぐに養子縁組の手続きが行われた。どうやって私がニアの居場所を知ったと思いますか?」
「そんなものは俺の側近か誰かに聞いたんだろう」
「言い方を変えます。
あなたとニアが出会ったのは音女歴777年の1月20日です」
「なっ?! 何故それを?!」
「婚約者だった頃、私に王家の影が付いていたように、あなたにもエスエール公爵家の影が付いていたのです」
「っ?!」
「今後いくら裁判で争おうと、あなたに勝ち目はありません」
そのために"法治国家宣言"させたのである。
ジェムズだってドマスと婚約中には表立って会ってないしね。
「アハハハハ」
突然、狂ったようにドマスが笑い始めました。
後ろに仰け反ってます!
今までで1番怖い。
「衛兵! この女(私)を牢にぶち込め!」
「何をなさるの?!」
兵士が私の両脇に手を入れる。
「お前とエスエール公爵家の人間すべて処刑すれば契約などなくなる!」
「なんの罪です?」
「不敬罪だ! アハハハハ!」
めっちゃドヤってる……。
「フハハハハ!」
まだ笑ってる。壊れたのかしら?
「どうだ、居心地は?」
トラウザーズに白いシャツ1枚というラフな出で立ちで、おいでなすったのは勿論ドマスである。
「普通かしら。初めてだから面白いわ」
「はっ。この状況で、まだ強がるとは。
本当に可愛げない女だな!」
あなたに可愛く思われたら困る。とは言わないでおこう。
私は王宮にある地下牢に入れられてしまった。
別の棟では貯蔵庫として使われてる場所なだけあって、夏でも寒い。
それにしても各国の招待客の前で捕縛するなんて。
いやどっちにしろ、もう現王室は終わりだ。
そんなこと考えてると、鍵を開けて王子が中に入ってきた。
反射的に後ずさる。
「生娘は処刑できないと知っているな?
喜べ、俺がお前の純潔を散らしてやる」
うわー……コイツの頭の中"性と金"だけだわ。
カチャカチャとベルトを外してのし掛かってくる。
マジでキモい!
「ニアが乱交してるのを見て猛ったから丁度良かった」
あの状況で猛る?!
丁度いい?!
何でもっと早く私は、こいつを暗殺しなかったんだろう?
後悔、先に立たず!
臭い息と共に顔が近付いてきた。
そこへ──
「緊急事態です!」
伝令がバタバタと走ってくる。
「なんだ?」
苛立ったように聞く王子だが、あそこをしまう気はないらしい。
顔だけ伝令に向ける。
緊急事態なのに?
「王太子妃の持参金として受け取った鉱山で崩落事故があり、派遣した王宮兵士の大多数が安否不明」
「はぁ、何だ、そんなことか。
宰相に任せておけ」
と、手を振る。
そして私に向き直り、ドレスを引き剥がそうと手をかける。
「緊急事態です!」
伝令2がやってくる。
「今度は何だ?」
と、うんざりした声で返す。
「周辺国全てが我が国と国交断絶するそうです」
「はぁ?! そんなバカな!」
いやいや、王太子が平民との結婚披露宴で側妃発表失敗して中座からの今だよ?
逆に、そんな国と関わりたい酔狂な国って何処?
さすがにマズイと思ったのか、アレをトラウザーズにしまった。
ちょっとホッとする。
「緊急事態です!」
伝令3がやってくる。
「もう何が来ても驚かん」
と、ふんぞり返る。
「そうかしら? 王国軍5千のうち3千は辺境、千は鉱山、残ってるのは千」
私は元婚約者に笑顔を向ける。
「それが、どうし……まさか!」
王宮にいる兵より多い数の私兵を王都に入れてはいけない決まりなので、エスエール公爵家のタウンハウスには2千しかいなかった。
鉱山の採掘に王宮兵を派遣した際、我が家の兵も減らすように言われたが「王太子妃を守る」名目で、そのままにしておいた。
「エスエール公爵家の兵およそ2千が城を囲んでいます。
更に彼の領地からも5千が、こちらへ進軍しています。
カーイサツ帝国軍が国境を越えました。
エミリー皇子妃の身柄返還を要求してるそうです。
周辺国はカーイサツ国に追従するとのことです」
ドスンと尻餅を搗いたドマスは、口をポカンと開けたまま呆ける。
「大人しく投降するなら、命までは取らないで差し上げてよ?」
死ぬより辛い目に遭って貰わなきゃ困るもの。
「お父様、いいえ陛下。失礼いたしました」
私は玉座で苦虫を嚙み潰している父に頭を垂れた。
「白々しい。
娘に祭り上げられた王位に敬意を払われても、ちっとも嬉しくないわ」
「うふふ。まあ、そうおっしゃらずに。王冠がとてもお似合いです」
「ふう……婚約破棄するだけだと思ったら……いつこんな計画、思い付いた?
あのバカに『婚約者を替える』と言われてから略奪女を養子縁組するまで、1日しかなかったろう」
「元王太子の次の婚約者が、平民だとわかった時点で考えました」
残念ながら我が国の識字率は10%しかない。
王都は地方より割合が高いが、武器屋の店番であれば計算はできても文字は読めないだろうと思った。
だから、あんな"あり得ない契約"が出来たのである。
それでも「王子の婚約者になるのだから、弁護士くらい連れて来るかも」と3種類の契約書を用意していた。
1つは弁護士同伴バージョン。
1つは弁護士ではないが、文字の読める知り合いと来た場合バージョン。
そして、もう1つがドマスの読み上げたものだ。
1日でその契約書を作ったのは、私の計画に気付いて警戒される前に、少なくとも首を突っ込んでくる部外者が増える前に、電光石火で終わらせる必要があったから。
こちらもまさか、こんなにスムーズに事が運ぶとは思っていなかった。
全ては「侮ってくれたおかげ」である。
相手が、こちらを下に見て取るに足らない存在と思い込んでくれたからこそ、なし得たのであった。
「それでは陛下。私は夫の元に参りますので、ご自愛ください」
「ああ、わかった。
次は結婚式で会おう」
私は「美しい」と称されるカーテシーを決めてから謁見の間を出た。
ちなみにドマスは罪人奴隷となり、例の鉱山の復旧作業を行っている。実は廃鉱山なので復旧しても何も出てこないのだが、頑張って欲しい。
ニアは王太子妃でなくなったため、処刑を免れ娼館送りとなった。本人曰く天職らしい。知らんがな。
今日も空が青い。
□完□
閲覧ありがとうございます!
新作投稿しました。
貴族同士の政略結婚に、なぜ愛が必要なのですか?
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