第2幕 暗闇が齎した負の連鎖。
××町より、ココロの派遣を命じます。
繰り返します、××町より、ココロの派遣を命じます。
パラノイドの増殖を確認しました、直ちにココロの派遣を命じます。
いつからだろう、パラノイドがこの町を徘徊し始めたのは
どうしてココロが必要なほど落ちぶれてしまったんだ、かえりたい
ココロをこめて、パラノイア・パラノイド
視界に入る無数の花へ
献花しないと、そんな独り言を呟いて氷雨は一足先に、その道を歩いて行った
その声が今にも泣きそうで、今思えば僕に涙を見せないように先を歩いたのかもしれない
受け入れることもできないまま、無理やり心に押し込まれた現実が痛かった
下を向いた氷雨の顔には影がかかって、よく見えない
会話はない、雨はすっかり止んでいて
何事も、なかったかのように静寂だ
僕は、ここを通ることができなくて
先を行く氷雨に声をかけることすらできず、迂回して学校に向かった
教室に着いても、やっぱり新はどこにもいない
まるで最初からいなかったかのように
教室は信じられないほど静かで
小さな噂話が転がる程度
一番前の一席は空いて、誰も座ることはない
事情を知らないのか、隣の席、隣席の委員長、相川ことみがクラス全体に話した
小豆色の髪は短く結び、紫色、切れ長の目
僕よりずっと背が高い
「坂本って今日休み?」
誰も答えなかった、答えることもできなかったんだと思う
僕が首を横に振ると、相川さんは変なの、とだけ言い残して座った
この、人が消えたとき特有のお通夜のような雰囲気がどうにも息苦しい
騒ぎになったから、みんな知ってると思ってた
まだ実感が湧かない、どこかで生きてるんじゃないかって、根拠も何もないのに
そんな淡い希望はホームルームで砕け散った
坂本新の朗報が伝えられて
みんなの啜り泣く声だけで、他に何の音もなくて静かで、それに感化されて僕もやっと涙が出た
氷雨はずっと窓の外を見ていて、現実逃避をしているようにも見えた
そして一瞬見えた相川さんの顔、あの時と同じ絶望の顔だった
嫌な予感がしたのも束の間、相川さんは立ち上がって
拳を強く握り締めて、そのまま
「…相川?」
「……嘘ですよね、ね?先生…、そんな、坂本に限って、そんな…」
普段からは想像できない、高く悲しげな切ない声で
先生が目を閉じて首を横に振る、きっと嘘をついても現実は変わらないから
相川さんが息を呑む声が、風より短く高く
そして、胸から広がる硝子のような漆黒
「ほんっと…、
何にも良いことないよね…!!」
そう震える声で叫んで、漆黒は広がる
嗚呼、そう言えば相川さんは、両親が事故に巻き込まれて、入院して
一人で弟や妹の世話をしているって、言っていた、限界だったんだ、相川さんは
僕とは大違いの、つらい環境で…、何日も、何日もずっと-
なのに、委員長として、いつも頑張って
成績も良くて、運動もできて
そんな、完璧とも言える相川さん…、普段取り乱すことなんてなかった、真面目で合理的な相川さん、だから、この人だからみんな頭を鈍器で殴られたように驚いた顔して離れないんだ
でも僕らは知っていた、覚えていた、これが世間で言う”パラノイド”
「廊下出ろ!!!」
先生が声を荒げた、不覚にも昨日のことがフラッシュバックして
忘れかけていたことも全て一度に頭に流れてきた
みんなハッとしたように外に出て、僕らもそこから逃げた、これが負の連鎖だ
先生はみんなが廊下に出ると、また教室の中に戻る
先生!!と声を荒げた人もいた
でも、先生は戻るなと、何倍もの声量で叫んだ
きっと相川さんに声をかけている、なんで、パラノイドになったら離れてって言ったのは先生なのに
すると相川さんと比較的仲の良かった渡部さんが教室の中に入ってゆく
何かに導かれたような顔して、引き寄せられているように見えた
いつも優しかった渡部さん、僕のこともよく気にかけて、遅刻して、教科書を忘れた僕に隣で見せてくれたこともあった
何人かが止めようとしてたけど、振り払われてそのまま暗闇の中へ
「くっそ…あいつ、力強すぎだろ……!!」
止めていたうちの一人がそう零した
リソウノセカイ、暗闇は渡部さんを歓迎するように形作る
どうやら相川さんのリソウノセカイを形成する上で、渡部さんが必要らしい
僕らは窓際まで寄ってその光景を見ていることしかできなかった
近くの教室から先生たちが飛び出してきて、普段の比じゃない大騒ぎになった
暫くして、見覚えのない女性が一人、足音をたてて
紺髪のポニーテールで、青色の綺麗な瞳の、背の高い女性は慣れたように暗闇の中に入って行った
こんな状況だけど、綺麗で、少し見とれてしまった
学校の途中で抜け出してきたのか、制服のままだ
その姿に、どこか既視感、見覚えがあるような気がして頭痛がした
そうだよね、こんな時に…、そんな独り言が出て
先生たちが取り押さえようとする中、気にも留めず中に入ってゆく
端から見れば不審者のはずなのに、悪い気はしなかった
誰だろうと考えていたら、中に入って、姿が消える
それから時計はいくつ針を刻んだだろう
いつの間にか暗闇は晴れ、何人かが声をあげた
下を向いていた僕は、顔を上げる
先生も、渡部さんも、相川さんも、中に入って行った人も
みんな、無事だった。
その人は泣き喚く相川さんに寄り添っていた、良くも悪くも慣れているようで
でも、この状況で僕は思ってしまった
なんで新だけが助からなかったんだろうって
町に降りても、献花を捧げてある場所なんて見当たらないのに
どうして新は助からなくて、それで
(…わからない)
頭が痛くなるのに、頭から離れない
ずっとずっと、離れない、思考を蝕む呪いのように
何人も相川さんに駆け寄って、みんなも良かったって胸を撫で下ろす
なのに素直に喜べない自分がいて、疎外感じゃないけど、喪失感は抜けないまま
負の連鎖は終わるのだろう、なんて思ってた
何故か、それからの記憶がない。
翌日にはもうあの時の記憶なんて殆どなかった、ただ相川さんがパラノイドになって、そして
(…なんだったっけ)
もうこの時には、見知らぬあの人のことを忘れていた
…ただ、その日の放課後
それまでなんの会話もなかった氷雨と僕
平気そうな顔して、ほんとは落ち込んでる氷雨
そんな氷雨に、僕は聞いてしまった
ずっと言いたかったこと、新がいたら受け止めてくれたであろうことを
叫ぶように目を閉じて、声は小さいけど
僕にとっては十分な叫びだった
「……ねぇ」
「なんで新だけ助からなかったんだろうね」