第34話
傭兵たちが天幕を去ってからも、彼女は外を向いたままだった。
暫くして、彼女は剣を鞘に収めて僕の方へ振り返った。
顔を少し上に向ける。
赤い瞳が、こちらを見ている。
この3年間、何度も見てきたし、見られてきた目。
相変わらず、何を考えているのかはわからない。
手が、差し出された。
少し節だった、でも白くほっそりとした手。
僕は、まだ床にへたり込んだままだったから「立て」という事なんだろうか。
……。
その手を取ると、痛くはないけど強い力で握り返された。
そして引っ張り上げられて、立ち上がる。
「無事だな」
「……うん」
少なくとも、怪我はしていない。
「時間が無い。説明は後でする。動けるな」
「……なんとか」
そこの答えを聞いた彼女は、僕の前から動いてウィレムが何かしていたテーブルの上に残っていた紙を捲ったり、どうやってか奥の方に運び込まれていた箪笥の引き出しの中身を掻き出したりし始めていた。
説明は後でする。
なんの。
どれの。
聞きたい事は、山ほどある。
そもそも、聞いていなかった事が山ほどあった。
彼女。アーシャ・ライル。
僕にとっての彼女は、物凄く強くて、おっかなくて、なんかすごい人。
でも、きれいで、たぶん、どことなく優しい人。
でも、確かに3年前、村の近くの森で彼女に初めて出会った時、彼女は血だらけで倒れていた。
何かあるとは流石に昔の僕でもわかったし、話してくれそうでもなかったからそのままにしていた。
そんな彼女が、実は皇子さまだった。いや皇女さま?
しかも、その3年前に死んだはずの?
なにが、どうなれば、こうなって、そうなるのか。
聞きたい。
でも、聞いたところで答えてくれるんだろうか。
はぐらかされるか、嘘をつかれるか。
そもそも。何よりも。
僕は、彼女と、どうすればいいんだろう。
「……ねぇ、いや、あの。ア……、フィ……、フィオナ……様?」
意を決して呼びかける。
ただの呼び方のはず。
でも、なぜか喉が張り付くような気がした。
その時の彼女は、テーブルに残されてた紙束を持ち上げてバラバラと捲っていたけど、僕のその声を聞いて、ピタと手が止まった。
そして僕の方を見て
「……君の望む名で呼んでくれて構わない」
と言った。
……望む方って、言われても。
「先も言ったが、私はフィオナ・ゾーディだが、同時にアーシャ・ライルだ」
……アーシャだ。
確かに、これは僕の知るアーシャの喋り方だった。
……でも。
「でも、その名前って。……嘘なんでしょう?」
「……確かに、3年前に君と出会うより以前、この名で自己を記した事は、無い」
……やっぱり。
「だが、アルフレッド。私は私だ」
……。
「今、君の目の前にいるのは、この3年間、君と過ごしてきた女である事は違いない」
「……わかった」
事にする。
その後ろ半分の言葉を飲み込んで僕は答えた。
そこは、僕の問題だから。
返答を聞いたアーシャはまた家探しに戻った。
「……ところで、さっきから何してんの?」
「金なり宝飾品なり、この先で用立てる足しになる物を見繕っている」
「強盗では?!」
「まあ、そうだが」
「いいの?!」
「アルフレッド」
そう言うと、また彼女は手を止めて僕の方へ向き直った。
「ハリー・ベックマンが退く前、何を言ったかは覚えているか」
……えーっと、確か。
「この反乱を閣下に報告する。……だっけ?」
「そうだ。まず、前提としてウィレム・セバスティアンは死んだ」
「……うん」
「傭兵である奴にとって、これは致命的な失敗だ。戦闘中の事故で死ぬならまだしも、「戦闘後の、護衛もいる筈の天幕で、女一人に踏み込まれて斬り殺されました。」などと正直に報告できると思うか?」
……その「女一人」をそんな言葉で押さえ込んでいいのかは別として、まあ、無理かも?
「と、なれば奴の過失の配分を最小にする為の術は一つだ。この天幕、いや野営地で「戦闘」が起こり、その過程にて不覚にも命を落とした事にする。これとて確かに奴の失態とはなるが、責任の主体は「敵」に押し付けられる」
「と、通るの?!そんな事が?!」
「事実が異なるからとて、これをユストゥス・アルカンの前で述べ、そして聞き入れられるとでも思うか?」
「……無理かも」
ついさっきの、ウィレムの声はまだ耳の中に残っている。
「故に、この夜、この野営地にて戦闘は起こった事となる。しかし賊徒は既に囚われている。そして、まさか己の傭兵隊を割って反乱者にする訳にもいかない」
「……そうなると、もしかして」
「そうだ、残る唯一の武装主体、この義勇軍が反乱を起こした、という事になる」
「で、でもなんでって?!」
「理由についてはウィレム・セバスティアンが便利なフレームを用意しただろう?「賊の内応者」「処刑を命じた処、反旗を翻した」。これが、事実となる」
……。
「偉い人って、……みんなそうなの?」
「……こればかりが事実では無い。だが、結論を定め、これに至る筋道を組み立て、過不足無く語る物語を創る事が常道である事も、否定はできない」
じゃあ、そうなると。
「……アーシャって、フィオナ様、でもあるんだよね?」
「そうだ。証明する術は無いが」
「フィオナ様って事は、皇女様で、偉い人なんだよね?」
「その筈だな。今の私には官位も職位も一切が与えられていないが」
「……じゃあ、アーシャも、その、「語る人」、だったの……?」
その僕の問いに対して、彼女は少し口を閉ざした。
「そうだ」
そして、そうとだけ答えた。




