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第30話

 野営地に戻った時には、宴は既に最高潮を迎えていた。


 焚き火はさらに大きくなり、酒樽はいくつも空になっている。

 兵士たちは肩を組み、得体の知れない歌を大声で唄っていた。中には地面に倒れて眠っている者もいる。


 僕はその喧騒の中を、まるで幽霊のように歩いていた。


 誰も僕に気づかない。いや、気づこうとしないのかもしれない。

 今はただ、酒と肉があれば十分なのだろう。


「アルフレッドくん…?」


 後ろから声をかけられ、振り返る。トビアスさんが心配そうな顔で立っていた。


「どこ行ってたんだ? 探したぞ」


「…ちょっと、ね」


 僕はそれだけ答えて、また歩き出そうとした。


「いや、ちょっと待ちなさい」


 トビアスさんが僕の腕を掴んだ。

 その手には、しっかりとした力があった。


「顔色が悪いぞ。無理に飲まされでもしたのか?」


 何かあったのか。

 そう問われて、僕は答えに詰まった。


 何かあった。ありすぎた。


 しかし、それをトビアスさんに話すわけにはいかない。

 いや、話せない。

 何をどう話せばいいのか、自分でもわからない。


「…大丈夫。ちょっと考え事をしてただけで」


 トビアスさんはじっと僕を見つめた。

 その目は、酔っ払いのそれではなく、真剣そのものだった。


「…言いたくないならそれでいいが、無理はするんじゃないぞ。君は、まだ子供なんだから」


 子供。


 その言葉が、胸にちくりと刺ささる気がした。


「…ありがとう」


 それだけ言って、僕は彼の手をそっと外した。


 そして、歩き出した。


 アーシャは言った。


 処罰が決まるまで、捕虜の人たちは生きる。一応。


 その結果は、僕は決める事は出来ない。と。


 …なら、決める人に、せめてどうなるかだけでも。


 向かう先は、あの天幕だ。



 その天幕、ウィレム・セバスティアンの天幕は、野営地の最も奥、少し小高い場所に設営されていた。

 周囲には柵まである。


 見張りの兵が立っているが、宴の喧騒に気を取られているのか、僕が近づいても声をかけなかった。

 子供一人と侮られているようにも思えた。


 天幕の中からは、明かりが漏れていた。

 中で誰かが動いている気配がする。


 僕は深呼吸を一つし、天幕の入り口に立った。


「…失礼します」


 声をかけて、中に入る。


 そこには、ウィレムさんがいた。


 彼は簡易の机に向かい、何かの書類を広げていた。手には羽根ペン。その姿は、戦勝に酔いしれる他の兵士たちとは対照的に、実に優雅で落ち着いていた。


「おや?」


 ウィレムさんが顔を上げ、僕を認める。

 さっき見た僕の姿と様子が違いすぎるせいか、一瞬驚きの色が走ったが、すぐにいつもの軽薄な笑みに変わった。


「これはこれは、我らが若き英雄殿ではないか。宴は楽しんでおられるか? まさか、こんな夜更けに私を訪ねるとは、よほどの用事か?」


 僕は唾を飲み込んだ。喉がからからに渇いている。


「あの…、お聞きしたいことがあって参りました」


「おや? 何だね? 遠慮せずに言ってみたまえ」


 ウィレムさんは少し目を細めるとペンを置き、椅子に深く寄りかかった。


「あの…、捕らえた賊徒たちのことです」


 ウィレムさんの眉が、わずかに動いた。


「彼らは…、これからどうなるんでしょうか」


 沈黙が流れた。


 ウィレムさんはしばらく僕をじっと見つめていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。


「どうなるか、とな?」


 その声は、驚くほど軽かった。


「決まっておろう。縛り首だ」


 全身が凍りついた。


「縛り…首…」


「そうだ。賊徒は処刑される。それが法というものだ。まさか、お前は知らなかったのか?」


 ウィレムさんは心底おかしそうに笑った。

 その笑い声が、僕の耳の中で反響する。


「で、ですが、彼らには、家族が…!」


「家ァ族!」


 急な大声に肩が跳ねる。


 ウィレムさんの笑みが、一瞬で消えた。

 代わりに浮かんだのは、明らかな侮蔑の色だった。


「まさか、お前、賊如きに情を持ったのか? 奴らは賊だぞ。我々の物資を襲い、兵を殺した犯罪者だ。家族がいようが何だろうが、罪は罪だ」


「しかし、彼らはただ生きるために…!」


「生きるために!」


 また、大声。


 ウィレムさんが立ち上がった。

 そして深くため息をついた後、こちらを見る。

 目が、冷たく光る。


「ならば聞こう。お前は村で生きるために人を殺したことがあるのか? 奪ったことがあるか? ないだろう。お前は農民だ。畑を耕し、税を納め、おとなしく生きてきた。そうだな?」


 僕は言葉を失った。


「その平穏は法と秩序の内側にあるからこそ保たれる。お前たち農民は、帝国の庇護の下において、我々が守ってやっているからこそ日々を暮らせるのだ。賊どもは、その秩序から自らの意思で逸脱した。我々の恩を仇で返した。故に罰せられる。それだけのことだ」


 ウィレムさんの言葉は、容赦なく僕に突き刺さる。


「…よもや盟主殿。賊に肩入れするおつもりではあるまいな?」


 その一言が、決定打だった。


「違!違います! そうじゃなくて…!」


「ならば、何故かようなる事を聞く?」


 ウィレムさんが机を離れ、僕に近づいた。


「よほど、賊どもに興味があるようだな。あるいは…」


 彼の唇が、歪んだ笑みを形作る。


「お前自身が、賊の仲間だったりしないだろうな?」


 僕は後退りした。

 何かが危ない。

 何かおかしい。

 心臓が早鐘のように打っている。


「ち、違います! 僕は戦いました!それはあなたも認めてくれたじゃないですか!」


「たかだか3匹だか4匹ではないか。一戦の戦果としては上々だがそれだけで証明にはなるまいよ」


「なっ?!」


 何を、言っているんだこの人は。


「違うならば、証明してみせろ」


 ウィレムが自分の腰から剣を抜き、それをこちらの足元に投げた。金属が地面に当たって、鈍い音を立てる。


「先程、新たに確保した老人の賊がいると聞いた。そいつを、お前の手で処刑しろ」


 僕は、地面に転がる剣を見つめた。その刃が、天幕の灯りを受けて鈍く光っている。


「そ、そんな…」


「できないのか? できないということは、やはりお前は賊の仲間だということだ。お前も縛り首かな?お前と同じ村のあの女も」


 ウィレムの声は、楽しげだった。まるで、この状況を心から愉しんでいるかのように。


 僕は震える手を伸ばし、剣を拾った。


 拾うしかなかった。


 ずしりと重い。本物の剣の重さだった。


 その瞬間、ウィレムの口元に、一瞬の笑みが走った。


 尤も、僕の目は、ただ、手の中の剣を見つめているだけだった。

 

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